第4話 厄獣対策室は微妙な立場です

 生活安全課の午後のミーティングが始まっても、タマキの脳内はおじさん呼ばわりされた衝撃で満たされていた。


 いやいや、自分がおじさん? 28歳はまだお兄さんだろう? 確かに四捨五入をすれば30代ではあるし、小さな子供がいてもおかしくない年齢ではあるが。


 ……それに、自分が人の親になれる自信はない。外の世界での自分は、厄獣との間に生まれた呪われた子だった。この厄獣指定都市でも、その偏見がないわけではない。


 人間でも厄獣でもない存在。両方から疎外の目を向けられても仕方がない混じり者。


 そんな烙印を自分の子供に背負わせるのではないかと思うと、もし結婚相手が見つかったとしても、子供を作ることに強い抵抗はある。


 だからといって、自分が子供がいてもおかしくない年齢だという事実は変わらないのだが……。


 ――ちなみに現在、彼を含めた生活安全課の面々は、事務所の一部に集合して、生活安全課のトップである課長の話を真剣な面持ちで傾聴している真っ最中だ。


 そんな中に一人だけ、全く別のことを考えて呆けた表情をした人物がいれば、見咎められるのも当然の話だった。


「――そこ、何をしている! 東雲タマキ!」


「は、はいっ!」


 皆の前に立つ女性に、突然鋭い声色で名前を呼ばれ、タマキは反射的に姿勢を正して敬礼をする。声の主は、生活安全課の課長であり、市役所有数の烈女である結城フタバだった。


 身の丈こそ150センチほどの小柄な女性ではあるが、その身に纏うオーラはどれほど長命で強大な厄獣であっても敬意を表するほど苛烈なもの。


 生活安全課の小さな女傑。炎の女。地を歩く猛禽類。トコヨ市踏まれたい女ランキング、堂々の第一位。


 そんな女性の怒りを、タマキは見事に買ってしまっていた。


「ミーティング中に考え事とは、随分と仕事を舐めているようだな。どうやら普段の業務が退屈だと見える」


 地を這うようなフタバの声に従い、周囲の職員たちからタマキを咎める視線が一斉に突き刺さる。


 彼らはフタバの手足目耳となって、この混沌したトコヨ市の秩序を維持してきた歴戦の勇士だ。彼女を頂点に頂く、一つの治安維持装置と言っても過言ではない。


 鬼でも裸足で逃げ出す恐ろしい集団に睨まれたタマキは、捕食者の群れを前にした小鳥のように震え上がりながらも、敬礼した姿勢を崩さずに弁明をしようとした。


「い、いえっ、そんなことはっ……!」


「そうですよ、フタバ女史。タマキ後輩はただ理由もなくぼんやりとしていただけで、普段の業務はちゃんと取り組んでいます」


「シ、シータさん……!?」


 弁護とも追い打ちとも取れる発言を堂々としたシータを、フタバは猛禽類を思わせる鋭い目でにらみつける。


「ほう、ただぼんやりとしていただけだと? その一瞬の気の緩みが生死を分けると、直属の上司からは教わらなかったのか?」


「いいえ、教わりました。タマキ後輩が実践できていないだけです」


「ちょっ、シータさん……!」


 普通に考えれば挑発に聞こえても仕方のないシータの言葉に、フタバの怒りのボルテージは目に見えて上昇した。


「貴様ら……痛い目に遭わないと、反省すらできないようだな……!」


 自分は何も言っていません、シータさんが横から火に油を注いだだけです。


 そんな反論が喉まで出かかったが、タマキは理性でそれを声に出さなかった。


 しっかりしているようで君は君で抜けているところがある、と昔からいさめられてきた自分でも、さすがに今そんな反論をすれば、さらに怒りを燃え上がらせるだけだと理解できる。


 結果として黙り込んだまま裁きの時を待つしかなくなったタマキを救ったのは、フタバの隣でミーティングの進行をしていた安穏だった。


「あ、あーっと……結城課長、それぐらいにしていただけませんか……? まだ新入りですし、今回は何卒……」


 フタバが猛禽類の王だとするなら、安穏は為す術もなく捕食されるネズミでしかない。あまりにも無謀な口答えに、タマキは思わず自分が罰を受けたほうがマシだと歩み出ようとした。


 だがその前に、フタバは静かに怒りを抱いた表情で安穏を見上げて言い放った。


「安穏室長。お前ら厄対は、真面目に業務に取り組む集団だと証明すべきだと思わないか?」


「はい、思います……」


「であれば、今年も『客人まれびと』の名簿管理は厄対の担当で構わないな? 名簿管理ほど重要な仕事をこなせるのなら、真面目に業務にあたる集団だと証明できるからな?」


「えっ!? えーっと……」


 思わぬ条件を提示され、安穏は顔色を真っ青にして答えに迷い始める。フタバはそんな安穏の前につかつかと歩み寄ると、自分より高身長の彼のネクタイを下に引っ張り、恐ろしい形相で彼の顔を覗き込んだ。


「構わないな?」


「は、はいぃ……」


 ぷるぷると情けなく震えながら、安穏は条件を呑む。状況さえ鑑みなければ男女の仲と解釈できるほどの二人の顔の接近に、職員の中から「羨ましい……」「俺もやられたい……」という声が漏れ聞こえた。


 フタバはにやりと口の端を持ち上げると、それまでの怒りが嘘のように、ニヒルな笑みを浮かべながら部下たちに宣言した。


「ミーティングは以上だ! それぞれの業務に戻るように!」






 そしてヒリヒリと身を焼くような緊張から解放された数分後。


 厄獣対策室の隅っこで、安穏は頭を抱えていた。


「ひーん、やられたぁ……! あの人、最初っからそのつもりだったんだぁ……!」


 半泣きになりながら嘆く彼に、どう声をかけたらいいか分からずにタマキはおろおろと狼狽する。そんなタマキの肩を、ココはぽんと叩いた。


「どんまいどんまい。確かにぼーっとしてたのはタマキくんが悪いけど、結城課長はうちに因縁をつける材料を探してただけだから、本気で怒ってたわけじゃないって」


「そ、そうなんですか……?」


 納得しきれずに罪悪感に満ちた目を向けると、ココはけらけらと笑った。


「うん。厄対は形式上、生活安全課の下部組織だけど、本来は別の独立した部署だったんだよね。それが『大人の都合』で生活安全課の下っていう扱いになってるの」


「大人の都合?」


「下部組織ということにしておけば、いざという時に現場の判断で私たちを止められるからね~」


「は、はあ……」


 ケタケタと笑いながら不穏な発言をするココにどう返せばいいか分からずに、タマキは曖昧な返事をする。


 そんなタマキに、いつの間にか給湯室から戻ってきていたシータが、マグカップを差し出した。


「タマキ後輩、コーヒーをどうぞ。頭がすっきりします。個人差はありますが」


「……ありがとうございます、いただきます」


 あそこまで事が大きくなったのは、シータが火に油を注いだせいではあるが、彼としてはこちらを庇ったつもりだったのだろう。


 そう思うと単純に怒ることもできずに、タマキは素直にマグカップを受け取って、その中身を少し啜った。


 コーヒー特有の苦みと酸味が温かな温度を伴って、胃の中に落ちていく。タマキがふうと息を吐いて少し落ち着いたのを確認すると、ココは明るく説明を続けた。


「生活安全課としては、形式上は下部組織の厄対うちが五芒協定絡みの全権を委任されてるのが気に食わないってわけ。こうなったのも色々歴史があるんだけどねぇ」


「そうなんですね……」


 そういう権力争いは、壁の外でも何度も見てきた。大人の都合で切り捨てられ、命を落とす同胞もいた。


 同じようなことがここでも繰り返されるのを予感し、タマキは表情を曇らせる。


 ココはそんなタマキの懸念を察したのか、ばしばしと彼の肩を叩きながら明るく笑った。


「大丈夫大丈夫! 雰囲気がギスギスしてるだけで、お仕事の邪魔とかはしてこないから安心して! 今回みたいに面倒で危険な業務を押しつけられるぐらいだよ!」


「危険な仕事を押しつけられるのは相当のことなのでは……?」


「死ぬと分かってる場所に行かされるわけじゃないし、軽い軽い! あっちも、こちらに対応できる仕事しか基本的に振らないしね!」


 あっけらかんと言い放つココに、いまいち納得できずにタマキは曖昧に笑う。そんな彼の様子を察したのか、それとも偶然説明する気分になったのか、シータは話に割り込んできた。


「タマキ後輩、身内で足の引っ張り合いなんてしていたら、もっと大きな存在にぱくりといかれるのがこの町ですよ。これまでトコヨ市役所が潰されずに存在していることが、僕たちが足の引っ張り合いをしていない証拠です」


「あっ」


 シータの説明にようやく腑に落ちたタマキは、目を何度も瞬かせた後に、二人に深々と頭を下げた。


「納得しました。教えていただきありがとうございます」


「うんうん、素直でよろしい! あとで室長にもお礼を言っておきなね。庇ってくれてありがとうございますって」


「はい、そうします!」


 声を張って答えることで沈んでいた気持ちを浮上させ、タマキは前向きに意欲を燃やす。


 対するシータは不思議そうに首をかしげた。


「安穏室長は僕を庇うのに慣れているので、大丈夫だと思いますが」


 平然と言い放ったシータに、ココは苦笑いした。


「いやいや、シータくんは庇われるようなことをしないように努力してね? 今回の騒動も、君が悪いところもあるからね?」


「そうなんですか? 申し訳ありませんでした」


「私に謝るんじゃなくて、室長に謝ってね? あと、タマキくんにも」


「はい、分かりました」


 三人が和やかにそんな会話を繰り広げていると、事務所の隅で凹んでいた安穏が気合いを入れた面持ちでやってきた。


「……よし、みんな! 切り替えていくよ! 仕事仕事!」


「はい!」


「はい」


「はーい」


 思い思いに返事をする三人に、いつになく真剣な面持ちで安穏は向かい合う。


「僕たち厄獣対策室は、例年通り『客人まれびと』の名簿管理の担当になった。これは、トコフェスで最も重要な仕事の一つだから気合いを入れてね」


 常ならざる安穏の気迫に、タマキは緊張からごくりと唾を飲み込む。


 そんなタマキに、安穏は一冊のバインダーを差し出した。


「まずは名簿の原本を持ってるヤト様のところに行こうか。タマキくんは移動中にこのマニュアルを読んでおいてね」

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