第2話 トコフェスが迫っています

 場所はトコヨ市役所、日付は8月6日、時刻は午前の十時過ぎ。


 東雲タマキは、上司の言葉をおうむ返しに聞き返していた。


「……トコヨ市わくわくサマーフェスタ2024、ですか?」


 なんだか間抜けであか抜けないイベント名だ。察するに、トコヨ市で行われる牧歌的な季節イベントなのだろう。


 幼いころ、母親に手を引かれて、そういった場に遊びに行った記憶を思い出しつつタマキは、はてと首をひねる。


 そんな平和なイベントと、自分たちのような暴力と交渉が日常である集団に、何の関係が?


 察しの悪いタマキに、彼の所属する厄獣対策室の室長、安穏ヒルオは苦笑いをした。


「あはは、危険な任務が多すぎて忘れてるかもだけど、こういうのも市役所の仕事なんだよね」


「あっ、そ、そうですよね、失念していました」


 自分たちの本来の仕事を思い出してタマキは納得する。


 何しろここは市民の誰もが無謀でしたたかな気質を有する厄獣指定都市。タマキがこの町に来て数週間が経つが、危険の伴わない仕事は一度もなかったので無理もない。


 机に向かっていた無盾ココロはけらけらと笑いながら、タマキに一枚のチラシを差し出した。


「ほいこれ。広報課の自信作だってさ~」


 ココに手渡されたチラシに、タマキは目を落とす。


 トコヨ市わくわくサマーフェスタ2024。


 虹色のポップな書体で書かれた題字には、フリー素材と思われるメルヘンな動物たちのイラストが装飾過多なほどに貼り付けられ、透過処理が甘かった画像のゴミらしきものがところどころに散っている。


 よく観察すると、前回のイベントのチラシのデータを流用したらしき形跡がそこかしこにあり、せっかくの吹き出し素材から文字がはみ出ていたり、明らかにサイズが小さい画像を引き延ばしたガビガビした場所があったり、散々な状態だ。


 題字の下で縦横比が狂ったキャラクターが笑顔で出し物の宣伝をしているところまで目を通し、タマキは恐る恐るココに目を向けた。


「……こういうのには詳しくないんですが、なんでこれにGOサインが出たんですか?」


「デザインで文句を言うような繊細な市民はトコヨ市にはいないからじゃない?」


「そういうものですか……?」


「そういうものだよ、公務員って」


 うーんそうかなあ、と怪訝に思いながら、タマキはチラシから安穏に視線を戻す。


「我々、厄対もこのイベントの運営にかかわるということですか?」


「うん。ただし、トコフェスは普通の地方イベントじゃないから覚悟してかかってね。毎年、殉職者を出さないことを第一目標に据えてるぐらいだから」


「じ、殉職……」


 ドン引きの声を上げるタマキに、安穏は「分かるよ、その気持ち……」とうなずきながら、一本のVHSテープを手渡した。


「詳しい仕事は午後の部署ミーティングで割り振られるから、それまでにこの研修ビデオ見ておいて。口頭で説明するより、映像のほうがイメージ伝わるだろうし」


「この時代に、研修ビデオが本当にビデオテープなことあります?」


「使えるものは使えなくなるまで使い倒すのがお役所だからね。何もかも破壊されて完全に使えなくならない限り、新しいものを買う予算は降りないんだよ。だから、なにか買い替えたいものがあったら相談してね。事故に見せかけて古いやつを壊しておくから」


「は、はあ……」


 安穏の言葉が冗談なのか本気なのか判断できず、タマキは曖昧に答える。


 迂闊に話を掘り下げると、市役所の闇の部分が見えてきそうだ。


 そう判断したタマキは素直にVHSテープを持って、部屋の隅にあるブラウン管とビデオデッキが一体化した機器の前に向かった。


 クッション部分がぺたんこになった椅子をがらがらと引きずってきて、そこに腰掛ける。


 静電気で分厚いホコリが付着した画面を指で軽くきれいにして、画面の下にある差込口にテープを入れる。


 リモコンは見当たらなかったので、画面下のボタンを強く押し込んで、電源をつけた。


 ブゥンと唸るような音と静電気のはぜる音とともにブラウン管は起動し、画面には灰色の砂嵐が映し出される。


 接触が悪くなっている入力切替を何度か押し込むと、観念したかのようにブラウン管はテープに記録された映像を流し始めた。


『トコヨ市わくわくサマーフェスタ研修映像』


 最初に表示されたのは、そんな内容の題字だ。


 だが、先程渡されたチラシの印象とは打って変わって、交通事故防止の啓発ビデオや、凄惨な凶悪事件の記録映像のような、静かだが凄みのあるフォントと音楽が使われている。


 安穏が言っていたことがただの脅しではないと悟り、タマキは改めて背筋を伸ばした。


『トコヨ市わくわくサマーフェスタ、略してトコフェスは、西暦2000年から開催されている市役所主催のイベントです』


『その一番の目的は、大穴からの来訪者である『客人まれびと』への対応です』


『毎年8月13~16日の四日間、つまりお盆の期間中は現世と常世の境界が不安定なものになります』


『トコヨ市の大穴もその影響を受け、その期間中、大穴からは『客人まれびと』と我々が呼称する存在が漏れ出てきます』


『『客人まれびと』はとても不安定な存在で、普段は、こちら側にやってきたとしても実体すら持っていません』


『ですが、お盆の期間中だけは彼らは半分だけ実体を獲得し、トコヨ市へと殺到してきます』


『彼らにはほとんど道理が通じず、時に市民を無差別に害してきます』


『当初、トコヨ市役所は『客人まれびと』を武力的に撃退することで、彼らの侵食に対処してきました』


『ですが、1999年の五芒協定により、『客人まれびと』には危害を加えず、古来の様式を応用した歓待によって快適に過ごしてもらい、平和的にお帰りいただくという方針に変わりました』


『『客人まれびと』を刺激しないように真摯に対応し、無辜の市民に危害が及ばないようにすることこそが、トコフェスで最も大切なことで――』


 そこから先、15分ほどかけて流れたのは、『客人まれびと』対応時の注意事項と、それが守られなかったために起きた労災事案の記録映像だった。


 なかなか動こうとしないスライムのような『客人まれびと』に、文句を言った職員が捕食される瞬間。


 意思の疎通すら難しい靄のような怪物に、青ざめた職員が愛玩動物のように捕まっている場面。


 あまりに淡々とした口調で次々にショッキングな映像を紹介され、ようやくビデオが終わる頃には、タマキは精神的に疲弊してしまっていた。


「はぁ……終わった……」


 背もたれに体を預け、天井を見上げながらタマキは息を吐く。


 『飢餓』の抑制剤にも体が慣れてきて、最近は感じていなかった吐き気が、喉の奥までこみあげてきている・


 内部でしか閲覧しないものなので、血しぶきが飛び交うグロシーンにもモザイクなどの配慮はない。昼休憩前なのに食欲が失せてしまったタマキは、青い顔で安穏のもとにテープを返しに行った。


 ちょうどその時、まだ出勤していなかったシータが大あくびをしながら、事務所に入ってきた。


「ふぁあ……お疲れ様です」


「お疲れ、シータくん」


「おっつー」


「ん……はい……」


 比較的軽い調子で出迎えてくる同僚たちに、シータは緩慢な反応しか返さない。


 午前中は半休を取っていたはずだが、ここに来る前に用事でも済ませてきたのか、シータの顔には疲労が強い滲んでいた。


 そんなシータに、タマキは心配のまなざしを向ける。


「お疲れ様です、シータさん。……ずいぶん疲れた様子ですが、大丈夫ですか?」


 しかし気遣う言葉をかけた瞬間、シータは眠そうだった顔を急にキリッとさせた。


「大丈夫です。僕はかっこいい先輩なので、後輩の前ではかっこつけます。それよりもタマキ後輩のほうが疲れているように見えます。休憩を取るべきだと思います」


「いえ、俺のはただの、精神的な疲れなので……」


「いけません。精神的な疲労はいずれ休職に繋がります。僕はまだタマキ後輩と働いていたいです。どうぞ何でも相談してください」


 少しだけ自分より上背のあるシータに詰め寄られ、タマキはどう切り抜けたものかと視線をそらしながら考える。


 そんな彼に助け舟を出したのは安穏だった。


「はいはい、心配しあうのもいいけど、体の不調はちゃんと自分で報告してね。いざという時、対処できないのが一番困るんだから」


「はい、分かりました。社会人なので善処します」


 シータは素直にうなずき、タマキから離れていく。安穏はタマキの手から研修ビデオを受け取ると、壁にかかった時計を指した。


「二人とも、今日は午後一で生活安全課のミーティングがあるし、早めに休憩取って、外の空気吸ってきなよ。事務所には僕がいるから安心して」


「えっ、しかし……」


「いいんだよ。どうせ僕はミーティングの役割分担で押し負けないように、これから計画を練らなきゃいけないしさぁ……」


 そのまま沈んだ顔でぶつぶつと何事かをつぶやき始める安穏に、タマキはかける言葉も見つからずにあわあわとする。ちなみにシータは、タマキの隣で立ったままうとうとしているので頼りにならない。


 混沌としつつあるその状況に、ココはするっと割り込んでくると、安穏の背中を押して彼の席へと連れていった。


「気にしなくていいよ! 二人とも疲れたままじゃ今日の午後は乗り切れないし! ここはこの私に任せて先に行きなさーい!」


 フィクションのようなかっこつけたセリフを吐くココに答えたのは、いまだ困惑しているタマキではなくシータだった。


「分かりました。先輩の僕が責任を持って、タマキ後輩を休憩させます」


「えっ」


「行きましょう、タマキ後輩」


「ちょっ……」


 制止も虚しく、シータはタマキの手を強引に掴むと意気揚々と事務所から出ていこうとする。


 その後ろ姿がまるで、張り切って弟を先導する幼い子どものように見え、タマキは観念してそれについていくことにした。

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