035 結局

 週明け、ボックスに入って僕は驚いた。真っ赤だった大城さんの髪が、黒くなっていただけでなく、バッサリとショートになっていたのだ。


「大城さん! 髪!」

「どう? こっちも似合うやろ?」

「似合いますけど……どうしたんですか?」


 どうやら、就活に向けてとのことらしい。三回生の秋から説明会が始まるという。


「神戸は離れたくないからさぁ。何とか通える範囲で探すつもり」

「頑張って下さい」


 櫻井さんは床に座ってギターを弾いており、それに澄さんが付き添っていた。


「……これやと高すぎる?」

「まあ瑠偉くんやったら歌えるでしょう」


 僕は櫻井さんの隣に座った。


「何の話ですか?」

「ん、五曲目。しっとりしたやつにするで」

「へぇ……楽しみです」


 既にできている四曲は、割と激しめの曲調だ。それとは変化をつけたいのだろう。澄さんが言った。


「歌詞、早くつけてあげて下さいね……瑠偉くん覚えるの大変でしょうから……」

「わかっとう。ただ、半端なもんにはしたくないからなぁ。時間ちょうだい」


 大城さんは基礎練習を始めていた。僕も椅子に座ってイヤホンをつけ、櫻井さんの歌声に重ねるようにして歌う練習をした。


 ――ええ声じゃのう。


 文化祭に出て、褒められて。自分の声に自信はついたものの、櫻井さんの方がやはりカッコいいと思うのだ。生で聴いてみたいが、きっと本人は嫌がるか。

 窓の外が暗くなったのに気付いて、僕はイヤホンを外した。すっかり暮れるのが早くなった。季節は僕たちを待ってはくれない。否応なしに進むのだ。

 櫻井さんがちょん、と僕の背中をつついた。


「久しぶりに夕飯作らせてや。瑠偉くんに食べてほしいねん」

「まあ……いいですよ」


 今日は食べたらすぐ帰る、そう決めてスーパーに行った。


「そろそろ鍋するんもええかもな。瑠偉くんどんなん好き?」

「うーんと、魚食べたいです」

「ほな寄せ鍋やな」


 具材を買って櫻井さんのマンションに入った。ここに来るのは文化祭の最終日以来だった。


「適当に待っとって」

「はぁい」


 僕はソファに座り、リュックサックから文庫本を取り出した。大学図書館で借りたものだ。貸出処理をした時に発行されるレシートをしおり代わりにしていて、そこから開いて続きを読んだ。

 しばらくして、魚介のいい匂いが漂ってきた。櫻井さんが寄ってきた。


「本読んでたんや」

「はい。SFっす」

「俺、SFはよう読まんのよなぁ。難しくない?」

「多少、詰まるとこはありますけど……世界観わかったらどっぷりハマれますよ」


 僕が読んでいたのは、第二次世界大戦で日本とドイツが勝った世界線の物語だ。「ユービック」と同じ作者のものでもある。


「鍋、ええんすか?」

「あともうちょい煮込んだら終わり。締めは雑炊な」

「楽しみです」


 鍋にはたっぷりのタラや豆腐、野菜が入っていた。最近はまた、カップ麺生活に戻ってしまっていたから、野菜を多めに食べた。


「瑠偉くん、美味しい?」

「めっちゃ美味しいです」


 具材がなくなったところで櫻井さんが鍋を引き上げ、雑炊を作り始めた。僕もキッチンに行った。


「卵はふわふわ? それともしっかり火ぃ通す?」

「ふわふわが好きです」

「わかった」


 櫻井さんは鮮やかな手つきで卵をとき、鍋の中に入れてフタをした。出来上がった雑炊は、本当にふわふわだった。


「んー! 櫻井さんのごはん、最高っす」

「ありがとうなぁ。俺も作るん楽しい」


 食後の一服くらいはさせてもらうか、と櫻井さんとベランダに出た。


「これ吸ったら帰りますね」


 そう宣言すると、櫻井さんの表情が曇った。


「……何か用事あった?」

「いえ、ないですけど」

「ほな、ええやん……?」


 櫻井さんが僕の手を掴んだ。


「ほら……あれから、してないし」

「まあ、そうですね」

「俺、瑠偉くんとするんが一番気持ちええんよ……」


 僕は櫻井さんの手を振り払った。


「誰にでもそう言うてるんでしょ」

「ちゃうよ……! 俺、瑠偉くんに嘘はつかへん!」

「どうなんでしょうね」

「そんなに、信用ないかぁ……」


 櫻井さんはタバコを放り投げて僕に抱きついてきた。


「なぁ……メシ食わせたったやん……しような……」

「ああ、そうですよね。返さんと割に合いませんもんね」


 僕もタバコを放って櫻井さんの背中に腕を回した。結局こうなるのか。

 義務感だけでするつもりだった。櫻井さんを満たすための道具に徹すればいいと思っていた。けれど、舌を絡めた瞬間、想いがどくどくと溢れてきて。僕は理性をかなぐり捨てて櫻井さんをむさぼった。

 そして、僕に貫かれて喘ぐ櫻井さんを見ているうちに、ふつふつととある欲望が顔を出してしまった。


「櫻井さん……」


 僕は櫻井さんとベッドに横たわり、見つめ合った。


「逆はしたことあるんですか……」

「いや、ないよ」

「そしたら……櫻井さんの童貞、僕が欲しいです」


 櫻井さんはぱちぱちと瞬きをした。


「なんや、そっちも興味出てしもたん?」

「はい……」

「瑠偉くんはやらしい子やなぁ……ええで。ゆっくり教えたる」


 そうなれば、いよいよ取り返しがつかないのかもしれないけれど。それでもいいと思った。心は無理でも、身体だけでも。

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