第4話 森へ

(……どうして、こんなことになっちゃったんだろう)


 答えのない疑問が頭の中をぐるぐる回っている。

 結局リルは、名前も知らない青年に証文を買い取ってもらった。それにより、この青年がリルの借金の債権者になったわけだが……。


(この人、どういうつもりなのかしら?)


 一歩先を歩く彼を見上げても、半ば栗色の髪に隠れた横顔は陶器のような冷たさで表情が読めない。ただ「ついてこい」と言われたので従っている。


「あの……どこに行くんですか?」


「家」


 勇気を振り絞って訊いてみても、返ってくるのは簡潔なのに明瞭ではない答えだけ。

 しばらく大通りを歩いていくと、街壁の門が見えてきた。シルウァ規模の都市ともなると街全体が高い壁に囲まれていて、門が開いている昼間でも入出時には門番の許可が必要になる。


(このまま街を出る気かしら?)


 今日は人通りが少ないのか、門の左右に並んだ衛兵は呑気に談笑している。

 歩調を変えない青年についていきながら、リルがあたふたとポケットの住民証明札を探っていると……。

 青年はふっと、ごく自然に立ち並ぶ二人の門番の間をすり抜けた。


「え!? あれ? え!?」


 リルは驚きに立ち止まるが、門番は通り過ぎた青年も一緒にいるリアもまるで気に留めずに二人で雑談を続けている。


「あの……」


 声を掛けようとするが、


「そこの馬車、停まれー! 入街前に積荷を調べる!」


 当の門番達は街の外から来た隊商の対応を始めてしまい、リルは放置されっぱなしだ。

 ……もしかして、リル――と先に通り過ぎた青年――の存在に気づいていない……?

 不可思議な状況に首を傾げている間にも、青年は先に進んでしまう。仕方がないのでリルは出街許可をもらわずに外に出た。


「あの、どこまで行くんですか?」


「家」


 必死で追いかけながら尋ねてみても、答えは同じだ。

 街は徐々に遠ざかっていくし、日はどんどん暮れていく。野宿にでもなったら、盗賊や狼の群れに襲われる心配だってある。


(私、選択を間違ったかも……)


 見えない先行きに不安ばかりが募っていく。

 リルはこの青年のことを何も知らない。ただ、週に一度お茶を飲みに来るお客さんというだけ。借金取りと同じくらい関係性は薄い。

 なのにどうして、彼を選んでしまったのだろう。

 あの時は他に道がないと思い込んでしまったが、冷静になってみるとどっちが正しかったかなんて解らない。希望に見えた光は、地獄への入口だったのかもしれない。相手が違うだけで、行く末は同じだったのかもしれない……。

 落ち込んで歩いていると、急にチュニックの背中が止まる。顔を上げると、そこには一面の緑が広がっていた。

 ここは街の北側にある『碧謐へきひつの森』だ。

 昼なお暗く、迂闊に足を踏み入れると二度と出られないと噂の危険地帯の前で、青年はようやく振り返るとリルに左手を差し出した。


「ここからの道は慣れぬうちは迷うから」


 促されて、自分の手を重ねる。相手の指先が氷のように冷たくて思わず手を引っ込めそうになるけど、逆に青年が強く握ってきたので逃げられなくなってしまう。

 手を繋いだまま、森の中に入っていく。草木が生い茂って獣道すらない藪の中を明確な足取りで歩いていく彼に、リルの不審感ははち切れる寸前まで膨らんでいた。


 ……何故、こんなところに連れてきたのだろう?

 ……もしかして、この人は猟奇殺人鬼で、森に埋められちゃうのかも!?


(もう無理っ!)


「離し――」


 限界に達したリルが青年の手を振り払おうとした……その時。


「――え?」


 彼女はに気づいて硬直した。

 隣を歩いている彼が、いつの間にか彼女の知っている『常連客』ではなくなっていたから。森に入る前までは、確かにどこにでも売っているチュニックを着た中肉中背の栗毛の青年だったのに。今、ここにいる彼はまるで別人。

 背中の中程まで伸びた長い銀髪の間から見えるのは、わずかに赤みを帯びた金色の瞳を持つ秀麗な横顔。背は変わらないがもっと痩せ型で、ゆったりとした深緑色のローブに身を包んでいる。

 容姿も服装も何もかも違うのに……それでもリルは、漠然と彼が『彼』であることを悟った。

 ……これは、一体……?


「着いた」


 不意に言われて、呆然としていたリルは思考を現実に引き戻す。

 どれくらい歩いていたのか。鬱蒼とした木々を抜けると、突然拓けた場所に出た。

 四方を樹木に囲まれた丸い野原の中央に、ぽつんと大樹が立っている。

 直径はリルが三十人手を繋いでやっと一周できるかという太さ。見上げるほど高い枝の先には緑の葉がこんもりと茂っている。


(なんて大きい……)


 思わす感嘆しているリルを置いて、銀髪になった青年は栗毛の時と同じ足取りで大樹に向かって歩いていく。


「あ、待ってくださいよ!」


 ここまでおかしなことが続くと、不審感より好奇心が勝ってくる。


(毒喰らわば皿までよね)


 開き直ったリルは彼の後を追いかけた。

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