第2話 最後の日

 週の半ば、花曜日はなようびはリルの一番好きな曜日だった。何故なら……。


「いらっしゃ……」


 カランと鳴ったドアベルに振り向いた彼女は、思わず声を詰まらせた。でも、心の動揺を隠して、


「……いませ。お好きな席にどうぞ」


 必死で残りの言葉を紡いで笑顔で対応する。

 店に入ってきたのは栗色の髪の男性客で、彼は黙ってリルを一瞥すると窓際の隅の席に腰掛けた。

 ありふれたチュニックを着た、どこにでもいそうな中肉中背の青年。ふと目を離したら次の瞬間には忘れてしまいそうなほど無個性な彼は、毎週花曜日の午後に訪れる常連客だ。


「ご注文はお決まりですか?」


「お試し茶で」


 メニューを捲りもせず、注文はいつも同じ。


「店長、お試し茶お願いします」


 カウンターに戻ったリルが声を掛けると、老婦人は意味深にウインクを返した。


「それじゃあ、リルちゃんにおまかせしようかねぇ」


 その言葉に、待ってましたとばかりに茶葉の棚に飛びつく。まだまだ修行中のリルだが、たまに店長が新人店員にブレンドをさせてくれる時がある。それが『お試し茶』の注文だ。

 店には定番レシピのブレンド茶が数あるが、この『お試し茶』にはレシピがない。客に合わせて即興で作るのだ。「お試しなんだから、多少変な味でも文句は言われないよ」なんて店長は嘯くが、リルにとっては腕の見せどころ、不味い茶は作れない。


(今日は暑いから、喉越しのいい水属性の【月の映る水面草】をベースにして、【細波の実】の皮を少々。風属性の【春の足音草】を半さじ、地属性の【土竜の髭の木】の根を一つまみ。隠し味に【石の沈黙】の花びらを一枚……)


 ティーポットに茶葉と少しの遊び心を入れて湯で蒸らせば、リルのオリジナル茶の完成だ。


「おまたせしました」


 カップに注ぐと、爽やかな香りが溢れ出す。


「ありがとう」


 男性客は少しだけ口角を上げると、すぐに無表情に戻してお茶を飲み始める。彼にリルのブレンドした想織茶を提供するのはこれが三度目だ。

 いつも同じ窓辺の席に腰掛け、静かに外を眺めながらゆっくりとティーカップ二杯分の茶を飲み干す。

 店の背景に溶け込んでしまう地味な青年。でも俯いた時に垣間見える物憂げな表情やカップの取っ手を握る繊細な指先、彼の纏う静謐な空気が、リルはなんとなく好きだった。

 名前も年齢も職業も知らない。茶の感想を言ってくれたこともない。ただ客と店員としての挨拶しか交わしたことのない彼がこの店に来ることを、いつしかリルは心待ちにしていた。

 ……だから、今日が花曜日で良かったと心から思う。

 黙々とお茶を啜る彼の前に、彼女はクッキーの載った小皿を置いた。


「これは?」


 言外に頼んでないのにと訝しげに見上げてくる彼に、リルは悪戯っぽく微笑んだ。


「サービスです。私、今日でこのお店を辞めるので、いつも私の淹れたお茶を飲んでくれたお礼に」


「辞める?」


 聞き返した青年に深々と頭を下げると、リルは踵を返した。そしてエプロンを外して店長の老婦人に向き直る。


「マリッサ店長、いままでありがとうございました」


「達者でね、リルちゃん」


 マリッサはリルの手を取り涙ぐむ。


「お世話になりました」


 丁寧にお辞儀をして、用意していたトランクを持って店を出る。外には三人の人相の悪い男が待ち構えていた。


「別れは済んだか? 行くぞ」


「……はい」


 とりわけ目付きの悪いボス格の男に腕を取られ、引きずられるように歩き出す。男は肩を落としたミアの顔を覗き込み、下卑た声で嗤う。


「なぁに、心配すんな。アンタはそこそこ器量がいいから、上手く行けば早く返し終わるさ」


 そんな言葉、慰めにもならない。


 ……リルは自分は運の良い人間だと思っていた。


 生みの親を早くに亡くしたけど、育ての親の叔父夫婦には大切に育ててもらった。だからこれは自分がするべき恩返しで、決して不幸ではないと。

 だけど……。

 溢れそうに鳴る涙を堪え、顔を上げた瞬間、


「待て」


 背中から重厚な声が響いた。

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