第43話 遠くへ

遠くに行かないと。

偶然、ばったり、出逢ったりしない所へ行かないと。

そうじゃないと、わたしがわたしじゃなくなってしまう。

よくわからない黒くてドロッとしたものが溢れて、全部ぐちゃぐちゃにしてしまいそうになる。



家に帰って、お姉ちゃんの顔を見て思わず口に出した。


「お姉ちゃん、わたしお父さんとお母さんのところに行く」

「突然どうしたの?」


言ってしまってから、速攻後悔した。


「ごめん、今の嘘。忘れて」

「花乃! ちゃんと話して。あのこと気にしてるんだったら、わたしはもう大丈夫だよ?」

「ちょっと、言ってみただけ」

「嘘つかれるのが一番悲しい。花乃が泣き言なんてよっぽどなんだよね? わたしは、大丈夫だから」


お姉ちゃんが優しく微笑んでくれた。


「お姉ちゃん……わたし……ここにいたくない」



会いたいと思ってしまうから。



「どこか遠くに行きたい」



ここにいて、誰かを嫌いになって、どうしようもなく憎んでしまうのが怖い。

大好きな人が好きになった人に、どんどん真っ黒な感情が湧き出てくる。



誰にも言えなくて、ずっと抱え込んでいたことを、初めてお姉ちゃんに話した。

筒井先生から言われたことを全部聞いてもらった。



「……それでね、聞いたの。『筒井先生と約束したの?』って。そしたら、言われた。『卒業式の日に全部言うつもりだって言っておいたのに』って。わたしのこと困ってるのも本当だった。それでね……今は……筒井先生のことが好きなんだって……わかって……」


桔平ちゃんは、困った顔をしていた。



桔平ちゃんのことをどんなに好きか、思い知らされた。


顔も見たくない。

声も聞きたくない。


だって、忘れなきゃいけないのに。


誰よりも幸せになって欲しいのに、その相手がわたしじゃないことを恨んでしまう。

その幸せを妬んでしまう。



「お姉ちゃん、このままだと、わたしが嫌いなわたしになってしまう……好きな人を悲しませたくない」


桔平ちゃんの部屋であんなに泣いたのに、また涙があふれてくる。



お姉ちゃんが優しい目でわたしを見ていた。

徹人さんがお姉ちゃんを見る時みたいな目で。


「花乃、後のことは心配しないで」


それを聞いて、小さな子供みたいに泣きじゃくってしまったわたしの頭を、お姉ちゃんはずっと撫でてくれた。





一番早い便で、両親の住むマンチェスターに向かった。

何もかも放り出して。


飛行機に乗る直前、空港から千世にだけ電話した。


「お父さんとお母さんに会いたくなっちゃった」


そう言うと


「しようがないなぁ、帰ってきたら教えてよ」


と言われた。




わたしは、逃げたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る