第190話

 

 司令官のお爺さんに挨拶した後、自分はポールランド兵の訓練を見学させていただきました。


 ポールランドは騎兵が有名なので、銃の訓練を軽んじたりしないか心配でしたが……。


「……見事なものですね」

「銃に慣れている者を厳選して連れてきた」


 援軍に来てくださった兵士たちは、まっとうに近代戦の訓練を受けていました。


 銃を扱うのに抵抗はなさそうで、むしろ積極的に学んでいる様子です。


「彼らは祖国で軽んじられていた銃兵だ。ポールランドでは騎馬隊がやはり花形だからな」

「なるほど」

「特技を生かせる、誉が得られると言って士気が高い。私も銃を主体とする戦争は初めてで、心が躍っている」


 ポールランドでは兵士は『勇敢な職業』であり、なかでも騎馬突撃は戦争の花形と思われていたようです。


 しかし銃は卑怯者の武器という認識があったようで、ポールランドの銃兵は地味な扱いでした。


 ですが今や騎馬隊は時代遅れで、銃兵こそ花形といえるでしょう。


 それを聞いて最新の戦術を学ぼうと、銃兵部隊から多く志願があったそうです。


「……当日は、よろしくお願いしますね」

「任せておけ」


 指揮官のカルバッティオさんも、『銃撃戦』に心を躍らせているようでした。


 ポールランド軍が初めて経験する近代戦で、自らの武勇を示せることを喜んでいました。


「ポールランド兵の未来に栄光あれ!」

「貴国の兵士に誉があらんことを」


 ────自分は、そんなカルバッティオさんの言葉を否定しませんでした。


「……」


 塹壕戦に誉れなんてありません。泥くさくて、苦しくて、辛い日々が待っています。


 だけど、そんなことは前もって伝えなくてもいい。言葉では伝わりません。


 どうせすぐに、嫌というほど理解するのですから。



 







「ダリア公国からの援軍が到着しました」

「分かりました。挨拶に向かいます」


 このように、各地から続々とオースティンへの援軍が集結し始めました。


 ポールランドを含めた周辺諸国からの援軍は、合わせて一万五千人に達します。


 それとは別に、サバトからの援軍が三万人来る予定です。


 オースティン政府は、援軍の受け入れ業務で大忙しでした。


「サバト先行軍は1万人規模だそうです。野営地はどうなっていますか?」

「水源の近い平野部を提供します」

「歓待の準備はどうなっている?」

「ウィン内の公園で食事会を開く予定です。その後、野営地に向かって頂く」


 あつまってくれた援軍はみな勇敢で、頼もしく感じます。


 その中でもやはり最大の戦力は、サバトからの援軍でしょう。


 サバトからの援軍は手堅い守備でシルフを苦しめた名将、トルーキー将軍が率いてくださるそうです。


 守りが凄く得意な指揮官で、『ウィン防衛戦』にはうってつけの将といえます。



 ただサバト軍の到着は、国内でひと悶着あったそうで、予定よりやや遅れていました。


 停戦が成立しなければ、決戦に間に合わないところでした。


 危険を冒してまで、自分が乗り込んだ甲斐があったというものです。


「ひと悶着ってなんです? 援軍反対派と衝突でもしたのですか」

「いや。詳しくは聞いていないが……それだけじゃないそうだ」


 サバトから援軍が間に合うなら、決戦になっても問題はありません。


 当初の予定通り、ベルンの遺した悪意で、連合側を返り討ちにしよう。


 ……そんなことを、のんきに考えていたのですが。


「何やら、サバトで疫病が流行しているらしい」

「疫病?」

「ええ。それで、出発が遅れたのだとか」


 ただ、計画と言うのは予定通りに進まないものです。


 この年、オースティンにとって致命的なタイミングで、史上最悪の天災が襲ってきました。



 ……ベルンの策は、それなりに勝ち目があるものでした。


 自分はむしろ、成功すると確信さえしていました。


 この災害が、オースティンで暴れまわるまでは。





 もしかしたらこれは、『神の怒り』だったのかもしれません。


 戦争に狂い、目がくらむような血を流した我々への天罰。


 どれだけ有効な『人殺し法』を思い付いても、神様が気まぐれを起こせば叩き壊されるのです。


「何でも、凄くたちの悪い肺炎を引き起こすらしい────」


 世界大戦が終戦するこの年には、ある『疫病』が流行しました。


 それは人類史上もっとも多くの死者を出したとされる最悪の感染症。


 数多の国を死に至らしめた、悪夢の病災────『チェイム風邪』が大流行パンデミックしたのです。



 この疫病は、チェイムという東国で発生したウイルスと言われています。


 チェイムの学者がこの疫病の存在を公表したため、チェイム風邪という名称になりました。


 しかし当時の社会情勢を考えると、オースティンやサバトが「我が国で疫病が蔓延している」などと宣言できるはずがありません。


 自国の弱味をさらけ出すようなもので、交渉が不利になるだけです。


 なので疫病の蔓延を秘匿し、戦争に関係のないチェイムが公表するに至ったのでしょう。



 現在でも、このウイルスの厳密な起源は分かっていません。 


 恐らくチェイム風邪は、毎年流行していた冬風邪ウイルスが変異したものと言われています。


 感染力が非常に強く、当時の衛生環境では何をしてもパンデミックを止められなかったはず。


 まさに『厄災』としか言いようがない悪夢でした。



 ……しかし、そんな恐ろしい感染症が流行しつつあったなんて、当時の自分は思いもせず。


 サバトで疫病が流行っているという話を聞いて、「ヨゼグラード攻略戦の時も風邪が流行ってましたね」と呑気なことを考えていました。



 サバトで流行った疫病は、まもなくオースティンにも伝来します。


 何故ならオースティンとサバトは、積極的に貿易をしていたからです。


 特に労働者議会政権は、国家政策としてオースティンへ食料や銃弾を輸出していました。


 食料物資をサバトに依存している時点で、疫病が伝わらないはずがないのです。


「オースティン国内でも、悪い風邪が流行り始めました」


 想像した通り、疫病の噂が聴こえてくると同時にウィンでも風邪が流行り始めました。


 ただ幸か不幸かウィンは人口が減りすぎたせいで、流行初期は医療崩壊には至りませんでした。


「感染者を隔離区域で療養させろ」

「逆らう者は、射殺して構わん」


 オースティン軍衛生部……レィターリュ衛生部長は、すぐに隔離政策を訴えました。


 そして衛生部の主導でウィン内に隔離区域が設定され、感染をコントロールしていました。


 といっても当時の隔離政策は『飲料水がある建築物内に患者を放置』するだけです。


 施設には血反吐と痰にまみれて孤独死する患者がたくさんいて、長らく放置されました。


 家族をそんな劣悪な環境に放り込むわけにはいかないと、感染を隠して自宅に匿う人が多かったそうです。


 その結果パンデミックに歯止めはかからず、どんどん流行は拡大していきました。


「……これはまずいな」


 かくして疫病と戦いながら、政府は講和を進めていました。


 しかし残念ながら連合側から「真サバト政府の樹立」が盛り込まれた内容を提示され、お互いに譲らず交渉決裂となりました。


 シルフが周囲を説得したのか、労働者議会政権は連合側に受け入れられなかったようです。


 ……つまり、結局。我々は、戦って勝利を掴まねばなりません。


「兵数が足りない。これでは防衛網を構築できない」

「サバト連邦に頼み込んで、さらに援軍を増やして貰えないか」


 これで「オースティン・周辺諸国・労働者議会政権」VS「旧サバト政府+フラメール・エイリス連合」という対立構造が成立しました。


 オースティン側の総戦力は七万五千人。連合側の戦力は推定で三十万人。


 しかしこの時、オースティン兵の1割ほどが病魔に臥せっていて、サバト軍三万人は到着すらしていません。


 戦力差はますます広がるばかりで、オースティン政府は焦っていたでしょう。



 かくして停戦期間は終了し、連合側が侵攻を再開しました。


 彼らがウィンまで到達するのに、あと一か月ほどと見込まれます。


 病魔に侵されたオースティン軍だけでは、勝ち目はありません。


 ポールランドなどの周辺小国も駐留してくださっていますが、兵力としては雀の涙。


 一刻もはやくサバト軍と合流し、防衛態勢を整えねばならない状況でした。


「……う、ぅ」

「イリス様!?」


 そんな、大事な時期だというのに。


 決戦を間近に控え、いよいよ全軍の鼓舞を行わねばならないこの時期に。


「イリス様が倒れた」

「衛生部へ運び込め!」

「この方に死なれるわけにはいかない!」


 どこからウイルスを貰ったのか。


 ─────自分もチェイム風邪に蝕まれ、昏倒してしまったのです。




「ゲーッホ、ゲホ」


 何をするにしても、咳が止まりません。


 眠っているだけで痰がせり上がってきて、噎せるように咳き込みます。


「ぜぇ、ぜぇ」


 自分はすぐさま衛生部に運び込まれ、レイリィさんに診てもらい士官病院にて入院となりました。


 VIP扱いで個室に入れられて、ベッドの上で眠れぬ日々を過ごしました。


 呼吸音が、自分のものとは思えぬほどに荒いのです。


 水中にいるように息が苦しく、せき込むたびに窒息しそうな錯覚に陥る。


 ですが息を吸い込もうとすると、血痰がせり上がって咳き込んでしまう。


 呼吸をしたいのに、咳が邪魔をして息が苦しい。


 気管が裂けたのか真っ赤な鮮血が痰に混ざり、喉の奥に鉄錆の味が残る。


「────イリス様、お食事をお持ちしました」

「……ひゅー、ひゅー」


 自分は一日中、昼も夜もベッドに腰かけて肩で息をし続けました。


 起坐呼吸といまして、重症な肺炎では『座っている方が呼吸が楽』なのです。


 これは、心臓が血液を送り出すのが楽になるのと、痰が落ちて気道をふさがないからだそうです。



 ……一日中座っているという事は、横になれないという事です。


 どんなに眠くとも、意識を投げ出したくても、自分は誰もいない部屋で痰を吐き続けました。


 横になった瞬間に、咳が止まらなくなって息が出来なくなることを知っていたからです。


 昨晩、うっかり寝転がってしまったせいで、ベッドシーツが血痰まみれになりました。


 もう、同じ過ちを繰り返すわけにはいきません。


 かくして自分は窒息する恐怖におびえながら、無表情に座り続けました。


「うーん、胸の音もちょっとマシね」

「ゴホ、ゴホ」


 自分が病魔に蝕まれて、一週間ほど経ったころ。


 ようやく肺炎は快方に向かい、呼吸も楽になってきました。


「トウリちゃん……じゃなくてイリス様。平熱で、胸の音も問題なし。もう大丈夫ですね~」

「トウリで構いませんよ、レイリィさん」


 幸いなことに、自分はチェイム風邪を自力で乗り切る事が出来ました。


 レイリィさんが言うには『割と重症だったけど、若くて体力があったから持ち直せた』んだそうです。


 ランニングで、肺活量を鍛えていて良かったと思いました。


「明日から復帰しても大丈夫ね」

「ありがとうございます」


 癒者は回復期に入ると、自力で【癒】を連打して強引に回復することが出来ます。


 なので衛生兵は、職場復帰が早いのです。


「……では、お大事に」

「ええ」


 自分はレイリィさんと握手を交わし、無事に退院しました。


 そして1週間ぶりに、参謀本部へ顔を出しました。



 大事な時期に、1週間も休むことになるとは思いませんでした。


 今度から体調管理には気を付けようと反省し、クルーリィさんの部屋を訪ねると。


「お久しぶりです。イリス・ヴァロウ復帰しました」

「ああ、イリス様」


 痩せて真っ青になったクルーリィ少佐が、死んだ目で自分を出迎えました。


 ……参謀将校にも休んだ人は多かったらしいので、きっと地獄のような仕事量だったでしょう。


 ご迷惑を掛けましたと、謝ろうとしたその時。


「大変、まずい事態になりました」

「……何かあったのですか」

「ええ」


 彼は真っ青な顔のまま。


 諦めたような笑みを浮かべ、一枚の書状を取り出しました。


「……ベルン様の策が、実行できそうにないのです」


 彼が差し出した、【親愛なるオースティン軍参謀長殿へ】という手紙を読むと。


 




「サバト軍が疫病により、進軍が困難な状況となりました」


 サバト先行軍では疫病が大流行して、既に多数の犠牲者が出ており。


 またサバトの主都ヨゼグラードでも、病院がパンクするほどの患者数で溢れかえっているそうで。


「場合によっては援軍に来れず、撤退もあり得ると……」

「……」


 未知の疫病に侵されたサバトは、予定通りの日程でオースティンを救援する事が出来そうになく。


 少なくとも先行軍は、決戦となる予定の日時に間に合わないのだとか。


「いくらベルン様の策が優秀とは言え、頭数が足りなければ戦争になりません」

「……」


 そして、もしサバト軍が間に合わないということになれば。


「このままでは、敗北は必至です」


 オースティンの勝ち筋は、完全になくなってしまうということです。


 こうしてベルンが立て、自分達が繋いだ『逆転へのか細い糸』は、プツンと途切れてしまったのでした。

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