第188話
連合軍、前線司令部に滞在して三日目。
ずっと会いたくて、焦がれていた女性との再会が叶いました。
自分から大切なものを何もかも奪った、善性の少女。
────大好きだった、ロドリー君の仇。
「……本当に。貴様は何を考えているか、分からんな」
しばらく会わないうちにシルフの背は伸び、大人びた印象になっていました。
見透かしたような蒼い眼は以前のままで、艶やかな長髪は腰に届き、真っ赤な軍服を対照によく映えていました。
「今まで悩んでいたのが馬鹿らしくなった。貴様という女は、まったく」
「おや、賢い貴女が悩みごとですか」
「ああ、ずっと悩んでいたよ。貴様をどうやって殺そうか」
シルフ・ノーヴァの声色は、どこか呆れと困惑を孕んでいました。
その視線は冷徹に、自分の体躯を見下ろしていました。
「普通に考えて、オースティンに負けようがない。我々の勝ちだ」
「大層なご自信ですね」
「ただ『化け物』が、私の想像を上回る何かをしでかさないか。それだけが心配だっだ」
彼女の唇は紅くひん曲がり、頬も上気して息が荒くなっていました。
まな板の鯉となった自分を前に、シルフは興奮しているようです。
「貴様をどう殺すか、はたまた遠ざけるか。私はそれだけをずっと考えてきた」
「……そんなに殺したかったのですか、自分を」
「様々な策を用意した。さまざまな下準備を進めてきた。戦場で、『貴様』という駒を潰すためだけに」
無機質な目。感情のこもっていない、戦争に狂った目。
三年前には残っていた、シルフの正気は既に失われていました。
今、シルフの姿をして立っているのは、『戦術の天才』を体現した舞台装置です。
「まさか、自分からその頸を差し出してくるとはな。オースも愚かなことよ」
戦争をする機械に成り下がってしまった彼女は。
自分が外交の使者として同行したことを聞き、射殺しに来たようです。
「自分を撃つつもりで?」
「殺さぬ理由はないだろう。馬鹿か」
彼女の目に躊躇いはありません。
そうすることが正しいと、信じ切っています。
「死ね」
合図とともに、シルフの部下が無慈悲にたくさんの銃口を向けました。
彼女が手を振り下ろせば、ここに二つの死体が転がることとなるでしょう。
『シルフ・ノーヴァ参謀殿! 勝手な行動はおやめください!』
『彼らの処遇については協議中です』
『うるさい』
いきなりのシルフの蛮行に、自分たちを見張っていたフラメール兵が慌て始めました。
彼女はフラメールやエイリスに話を通さず、勝手な判断で自分たちを殺しに来たようです。
────ええ、シルフはそういう女性です。こうなると踏んだから、自分はここに来た。
「ねぇシルフ・ノーヴァ。そういえば、サバトで行ったチェスの試合ですが」
「……なんだ」
「最後の勝負、自分の勝ちで終わってましたよね」
自分は落ち着き払ったまま、チェス盤の駒を並べていきました。
この瞬間を、ずっと待っていたのです。
シルフが連合側に黙って自分達を訪ねる、この瞬間を。
「……指導対局だ。勝たせてやっただけだろう」
「自分も、あれから少しは強くなったんですよ」
自分は外交官さんに目配せして、正面の席を空けてもらいました。
そして挑発するように、シルフに笑いかけます。
「シルフの命令で研鑽を積んだのです。その成果を確認するのは、貴女の責務ではないですか」
「私に、座れと?」
「逃げるなら、別に構いませんが」
「ふん」
安っぽい挑発ですが、シルフにはこれで十分です。
────彼女の性格なら、絶対に。
「もはや、貴様などいつでも殺せるからな。乗ってやろう」
「ありがとう、シルフ」
自分から挑まれた勝負を、避けるような真似はしない。
「久しいですね、シルフ。また、貴女とチェス盤を囲う日が来るとは思いませんでした」
「ああ、そうだな」
たくさんの銃口に囲まれた自分とシルフは、駒を並べ終えてコイントスを行いました。
そして表裏を当てたシルフが譲り、自分の先手でチェスが始まりました。
「……序盤の動きがめちゃくちゃだな。ちゃんと勉強したのかトウリ」
「ええ、まぁ」
その勝負は、徹頭徹尾シルフの優勢で進んでいきました。
ちゃんとチェスは勉強したのですが、シルフに勝てるはずありません。
「おいおい。もう、ほぼ私の勝勢は決まったぞ」
「さすが強いですね」
「お前な。馬鹿にしてるのか」
自分のこざかしい抵抗などむなしく、あれよあれよという間に駒を潰され、自分は窮地に陥りました。
ここから巻き返すのは困難だと、素人目にもわかる状況です。
……やはり、シルフは強いですね。
「もうほぼ詰みだ。私が手順を誤らぬ限り、貴様に勝ち目はない」
「そのようですね」
「……ちょっとは歯応えがあるかと思ったのに。どういう真似だ、これは」
彼女は、がっかりした顔で自分を睨みました。
ちょっとはいい勝負になるかと期待していたようです。
────ですが、自分が伝えたかったのは、ここから。
「たしかに、自分が不利ですね」
「不利というか、ほぼ詰みだ」
「でも、勝つのは自分です」
駒の殆どがなくなり、ろくな反撃戦力もなく、敗北を待つだけの状況。
この圧倒的に不利な盤面で、自分は勝利を宣言しました。
「……何を馬鹿なことを」
「すみません、シルフ。自分は貴女に勝利します」
「んー?」
シルフは自分の発言の意図が汲めないのか、微妙な顔をしていました。
何を言っているのか分からないのでしょう。
「ちなみにシルフ。自分たちの講和条件に付いて、どう思われましたか」
「私は聞いていない。貴様らがフラメールとエイリス宛しか用意していなかったからな」
「おや、そうですか」
それを聞いて自分は、くすくす笑みを浮かべました。
ベルン・ヴァロウが用意した策に乗っかっただけとはいえ、彼女を掌の上で転がしているのは愉快です。
「もう、降伏に近い講和内容ですよ。オースティンという国が便宜上残るだけで」
「ほう、本腰を入れて講和する気なのか」
「ええ。連合政府も納得する可能性が高い講和条件です」
ベルンの遺策の一つは、この講和を進めることでした。
連合側の政府は戦争に疲弊していて、反戦派が増えている状況でした。
なのにオースティンが降伏を拒否したから、仕方なく侵攻してきたのです。
だから『降伏に近い講和』をオースティンから打診されれば、断る理由はありません。
さらなる犠牲を出さず、ただ勝利だけを手にできるのですから。
「……何を考えている? そんな好条件を出すなら、とっとと降伏勧告を受け入れたら良いじゃないか」
「ただ一つだけ、条件も付けさせてもらいましてね」
「私としても、その方が楽に────」
しかしイヤらしい仕掛けが一つ、施されていました。
講和の条件に一つだけ、連合側にとって悩ましい条件を付けられていたのです。
それは両国の損になるわけではなく、やろうと思えば『いつでも実行出来る』簡単な条件。
「さあどうぞ、シルフ。サバト連邦、労働者議会元首レミ・ウリャコフからの書状です」
「……あ?」
「貴方への罵倒と恨みをたっぷり込めたそうですよ、読んであげてください」
自分はにっこりと笑い、レミさんからの手紙を渡しました。
その瞬間、シルフの顔が真っ青になりました。
気づいたようですね。
「オースティン同盟国、サバト連邦よりの講和条件は」
そう、オースティンはサバトと軍事同盟を締結しています。
また参戦も表明しているので、講和条件に一口噛むこともできるのです。
つまり、
「シルフ・ノーヴァの身柄確保、並びに重要参考人としてサバト連邦への引き渡し」
「────貴様ぁ!!!」
レミさんはオースティンの講和にあたってただ一つ、シルフを差し出すよう連合側に求めたのです。
「……お前が。お前がこんなにも、こんなにも腹黒い女だとは見抜けなかった。少しだけ、信じてしまった私が馬鹿だった」
「失礼ですね。絵を描いたのは兄です、自分は利用されただけ」
シルフの身柄を差し出すだけで、最後の決戦を避けることができる。
この交渉は、連合側にとって一考の余地があったでしょう。
彼女の目的はオースティン北部領土を貰い、そこに旧サバト政府を再建することです。
それ自体は連合側にもメリットになるので、シルフは受け入れられてきました。
しかし、現サバト政府が『シルフを差し出せば和解する』と言ってきたならば、話は大きく変わります。
シルフは塹壕戦に詳しく、優れた戦術眼を持っているから受け入れられたのであり、連合側はシルフの支援に拘る理由なんてありません。
アルノマさんと組んだことで異様な影響力を持っているだけで、シルフは何の後ろ盾もない『戦争が上手いだけの小娘』。
むしろ戦争さえ終われば、危険ともいえる存在でした。
「それで? 自分を撃ちますか」
「……」
ただシルフ・ノーヴァが、アルノマさんと共に連合軍に大きく貢献していたのは事実です。
だから、そんな裏切りのような真似をすれば、アルノマさん派閥から大きな不満が出たでしょう。
そしてアルノマさんの腹心であるシルフにも、結構な知名度はありました。
英雄アルノマの身内の一人、とは軍内で認識されている状況です。
なので、損得勘定だけなら切り捨てられるでしょうが、兵士感情がそれを許さないのです。
「窮地に陥り、降伏に近い条件で講和を請いに来た自分を殺しますか」
「────っ」
しかしそんな状況で、シルフがエイリス・フラメールに話を通さず、自分を射殺したらどうなるでしょうか。
……アルノマさんから見限られ、切り捨てられる可能性がぐっと高まります。
彼女はどれほど殺したくても、自分に手を出せないのです。
「さぁ、チェスの続きをしましょう。どうしますシルフ?」
「……そんな暇があるか!」
「ええ、そうでしょう。貴女にのんびりチェスを指す暇はない。いますぐフラメールやエイリス指揮官に会談を申し込み、戦争を続けるよう説得しなければならない」
自分は笑顔を張り付けたまま、シルフを見つめ。
改めて、チェス盤の駒を適当に一つ動かしました。
「さぁ、次はシルフの手番です。自分はもう打ちましたよ」
「……」
「チェスを続けますか? それとも、
「……はは、は」
そんなおちょくるような態度の自分を、シルフは顔を真っ赤にして睨み続けました。
シルフはまごうことなき天才です。誰がどうあがいても、チェス盤の上では勝てません。
だったら、チェス盤の外で勝負すればいい。シルフが強いのは、盤上においてだけなのですから。
「どうです? 勝ちを確信していて、足元をすくわれた気分は」
オースティンには、まだとっておきの策がある。
このまま勝負を続けたら、負けるのは連合側だ。
自分は言外に、シルフにそう宣言したつもりです。
「……うっさい」
「へ?」
それが、よほど腹に据えかねたのでしょう。
シルフはわなわなと唇を震わせ、机を叩きつけた後。
思いっきり、チェス盤を蹴り飛ばしてしまいました。
「これでノーゲームだ、ばーか!!」
「……」
「死ねバーカ!! 毛の虫ダンゴ!!」
激怒したシルフは、そのままカンカンになって出ていってしまいました。
その様子を見た部下は驚いた顔で、慌ててついていきます。
……癇癪癖は、健在ですか。
「……あれが、シルフ・ノーヴァですか。何というか、思ったより」
「子供っぽい女性でしょう?」
作戦通りとはいえ、ひとまず生き延びれたことにほっとして。
うまく
「きっと、平和な時代に会っていたら。彼女とは仲良くなれた気がします」
前哨戦で彼女をやり込めたことに、ほんのり自信を覚えつつ。
……ひどく、悲しい気持ちになりました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます