第161話
────トウリ遊撃中隊、派遣看護兵アルギィ。
────アルガリア砦における、戦闘経過を報告いたします。
オースティン参謀本部に、その通信が届いたのは。
エイリス軍の援軍襲来が確認され、トウリ遊撃中隊に偵察任務を出した十日後の事だった。
七日目の時点で、参謀本部はトウリ遊撃中隊の偵察結果を報告されていた。
しかし、オースティン参謀本部の決断は「動かず」であった。
理由は「動いても間に合わない」からである。
アルガリア方面に軍を動かすのに、最低でも五日はかかる。
トウリ遊撃中隊が遅滞戦闘に務めているらしいが、たった150人でどれだけ時間が稼げようか。
慌てて軍を動かした結果、エンゲイにも敵が現れ、どっちも守れなくなるケースもあり得る。
敵による偽報の可能性もある。
少なくとも、エンゲイは手堅く守り抜こう。
それが、参謀本部の決断であった。
しかし参謀本部を嘲笑うかのように、エンゲイ方面に敵の姿は見えなかった。
もしエイリスがアルガリア方面から南軍を襲ったのであれば、オースティンは窮地に陥る。
レンヴェル中佐は、ひりつくような焦燥感の中で敵を待ち続けた。
『早く来てくれ』と、エンゲイに姿を現すはずのエイリス軍を。
────敵は目前、参謀本部からの返信を待つ余裕はないと判断。
────トウリ遊撃中隊は緊急時判断で、エイリス軍を相手に遅滞戦闘を敢行した。
しかし結局、エンゲイにエイリス軍の姿は見えぬまま三日が経った。
その間もトウリ遊撃中隊から報告が続き、参謀本部の大半がその事実を受け入れ始めていた。
エイリス軍が、本当にアルガリアを奇襲した事。
オースティン参謀本部は、読み負けたのだという事実を。
────以下、戦闘内容の報告を記す。
やがて戦闘開始から3日後。
トウリ遊撃中隊から、最後の報告が届いた。
その内容は、
戦闘開始、二日目の朝。
夜襲に成功した自分達は、残った武器弾薬を集めて塹壕に籠りました。
「なぁ、弾が足りないんだが」
「マスケット銃がまだ余ってますよ」
朝日が昇ると、敵の前線がいかに混乱していたのかがよく分かりました。
慌てて陣地を後退させたのか、回収できそうな物資が河原に打ち捨てられていて。
魔法砲撃兵や哨戒兵士の遺体が転がり、回収すらされていません。
「ぷーくぷくぷく」
「アルギィさん、ありがとうございます」
夜の間に自分は、火傷して動かなくなった右手をアルギィさんに処置して頂きました。
彼女の手際は見事で、数分経たぬうちに感覚が戻ってきてびっくりしました。
……こんな手術道具もない最前線で、神経を繋ぎ合わす創傷処置を行えるとは。
「……普段からもっと働いてくれません?」
「ぷくー」
彼女のお蔭で、右腕の負傷はほぼ完治しました。
今の技術、是非勉強したいですね。ワインを餌に教えを乞うてみましょう。
「アルギィは、この戦闘中ずっと変わりませんでしたね」
「ぷっぷっぷ」
「意外と肝が据わってる、のですか?」
「ぷぇー」
意外だったのはアルギィが、一切逃げるそぶりを見せなかった事です。
最悪アルギィは逃げても仕方ないと思っていたので意外でした。
それどころか普段以上に真面目に働き、自分に代わって治療で大活躍していました。
……助かりましたが、よくわからない人です。
「中隊長。その女、ワインさえ与えれば真面目に働くっぽいですぜ」
「はぁ」
「最初はどんなに頼んでも治療してくれなかったのに、ワイン一本飲ませたらテキパキ働きだしました」
「ぷぇ!」
「……」
まさか彼女が逃げなかったのって、輸送物資にワインが山のようにあるから?
「まぁ、そういう事ならアルギィ。今日も頑張ってもらいますよ、報酬にワインを出しますので」
「ぷっぷくぷー♪」
アルギィの生態を不思議に思いながらも、働いてくれるなら良いと割り切って。
自分はいよいよ本番、エイリス軍とのアルガリア砦防衛戦2日目に臨みました。
「敵、まだ動きは有りません」
「態勢を立て直しているんでしょうね」
自分は、敵に砲撃魔法がある前提で作戦を立てていました。
なので川岸の塹壕は更地にされる前提で、山内に逃げ込んで挟撃する予定でした。
「もしかして今日は、このまま戦闘は無いんじゃ」
「そうであれば最高ですね」
しかし砲撃魔法が無いのであれば話は変わります。
エイリス軍にわざわざ、川岸の陣地を明け渡してやる必要性はありません。
オースティン軍の近代戦術に、存分に苦労して頂くとしましょう。
「……妙な部隊が前進してきました。甲冑部隊、でしょうか」
「お、騎士という奴ですね。自分も、実物は初めて見ました」
そしてこの日、自分が撒いていた種が実りました。
昼から、エイリスの重装甲冑兵部隊が前進してきたのです。
それは前時代的な重たい甲冑を纏った、戦場の花形『騎士』。
彼らは整然と旗を振り、整列して前進してきました。
「どうします? あれ」
「魔法罠、踏みそうですけど」
「いったん放っておきましょう」
本物の騎士だと感心しながら、自分達は行進する彼らの様子を暫く見ていました。
彼らはガチャガチャと大きな音を立て、ノロノロと前進して来ています。
やはり何人かは罠を踏んで焼け焦げていますが、止まる様子は有りません。
「攻撃しなくて良いんですか?」
「せっかくなので、彼等に時間を使っていただきましょう」
重装騎士の弱点はとにかく足が遅い事です。
彼らの背後から銃兵がついて来ていますが、騎士の足の遅さに付き合わされて前進に時間がかかっています。
「何がしたいんでしょう……」
「さあ?」
警戒しながら様子を見ていたら、自分達へごにょごにょと口上を垂れた後。
彼らはおもむろに剣を抜き、鉄条網を切り裂こうとしました。
「やつら、鉄条網を壊そうとしていますね」
「ああ成程、そのための甲冑兵ですか」
昨日、エイリス軍は鉄条網に散々に苦戦していました。
重装備の騎士を出したのは、鉄条網を壊そうという目論見だったんですね。
「流石に、撃ってください」
「了解!」
それは不味いので、自分達は容赦なく銃弾を浴びせました。
残念ながら銃弾は、甲冑で防ぐことは出来ません。
人間が着るため、甲冑の装甲はかなり薄く作られています。
鎧は剣を防ぐことは出来ても、銃の前には無力なのです。
「バタバタ倒れ、逃げていきます」
「でしょうね」
銃撃を受けた騎士はドコドコと大きな音を立てて、慌てて逃げていきました。
逃げ足も、かなり遅いですね……。
「エイリス軍って、馬鹿しかいないのか?」
「彼らなりに、手札をどう使おうか悩んでいるのですよ」
エイリスも、魔法砲撃が塹壕への最適解というのは学んだはずです。
本音を言えば、魔法砲撃をしたいでしょう。
しかし砲兵と魔石を失ってしまったので、エイリス軍は戦い方を模索せざるを得ないのです。
砲撃以外では何が有効で、何が無力なのか。
そんな時、彼らが積み重ねてきた戦術を試さずにいられるでしょうか。
「そのうち、騎兵突撃とかしてくるんじゃないですか」
「可能性はありますね」
これこそ、自分が初日の攻防に罠と鉄条網の大半を注ぎ込んだ理由です。
自分はエイリスに、初日の攻防で『銃兵突撃は有効ではない』と認識させたかったのです。
エイリスは未だ、騎兵や甲冑兵などを連れてきていました。
……つまりどこかで、彼らは「甲冑兵や騎兵が有効かもしれない」と考えているはず。
銃兵を用意してきたのは、恐らくフラメールやサバトからの助言によるもの。
エイリスの指揮官は従来の『古い兵科』で戦いたいのではないでしょうか。
「騎兵突撃は鉄条網に阻まれる、それくらいは分かっているでしょう」
「はい」
「だから恐らく、敵は鉄条網を破壊しようとしてくるはずです」
銃兵が通用せず追い返されれば、敵は古い作戦に頼ると信じました。
だからこそ、砲撃魔法に破壊されるのを承知の上で、初日の戦闘にリソースを注ぎ込みました。
「ならどうします?」
「剣兵が来たら弓矢を放ち。甲冑兵が来たら銃弾を撃ち込む。それだけです」
敵が古い作戦をとればとるほど、我々は楽に時間が稼げます。
より安全に、より確実に、目標を達成できるのです。
「弓兵が出てきましたね、こっちの塹壕内を狙い撃つつもりのようです」
「塹壕で壁沿いに座ってれば躱せます。好きなだけ射たせましょう」
「反撃はしないのですか」
「矢がやんだら反撃しましょう」
おそらく、今日の戦闘で弾薬は尽きてしまいます。なるべく節約せねばなりません。
というか、今日も銃兵突撃を繰り返されていたら、午前中にはなくなっていたと思います。
「たっぷり、相手の流儀に付き合ってやろうじゃないですか」
三日間の時間稼ぎにおける最大の賭けは、彼らが迷走してくれるかどうかでした。
このようにエイリス軍が迷走してくれなかったら、我々に勝ち目はありませんでした。
昨日の夜襲で焦ってくれたのもあるでしょうが、やはり我々は『幸運』です。
「思ったより楽に、時間を稼げてますね」
「砲兵を封じたからでしょうね。元々は、焼け焦げた更地で同じことをやる予定だったんですよ」
「そりゃあ……、きついですな」
この様子なら今日は、ギリギリ戦えるでしょう。
しかし武器弾薬が無くなる今夜は、泥臭い死闘になります。
砦に上ってくる兵士に、白兵戦で応戦せねばなりません。
「今日でたっぷり、オースティン兵に嫌な印象を持ってもらいましょう。勝てない、強い、恐ろしいという印象を────」
弾薬残量こそ、自分たちの命綱でした。
白兵戦になれば、我々に勝ち目はありません。
昨晩に夜襲を行ったことで、弾薬の消費量が想定より多い状況です。
明日は間違いなく、白兵戦になります。
だから、少しでも印象を操作しておきたい。
オースティン兵には勝てない、恐ろしいという恐怖を感じてもらいたい。
その日は結局、日が暮れるまで敵の迷走は続きました。
敵は何度も無意味な作戦を繰り返し、我々の陣地の前に遺体の山を築きました。
迂闊に突撃すれば死ぬ。塹壕戦の恐ろしさを、骨身まで味わってもらったと思います。
「……今のうちに引き上げますよ」
戦闘が止んだのを確認し、自分達はするっとアルガリア砦の中に逃げ込みました。
武器弾薬がほぼ尽きたので、これ以上塹壕に籠る意味がなくなったからです。
「中隊長、銃弾が無くなったんですが」
「我々にはまだ、剣と腕があるでしょう?」
「違ぇねぇ」
今から我々はこのアルガリア砦を使って、前時代の攻城防衛戦を行う予定です。
水流で守られたこの砦はそこそこに堅牢です。
砲撃魔法がなければ、そう簡単には落ちません。
「では、お湯でも沸かしましょうか。水を汲んだ鉄箱を、焚火で加熱してください」
「おや少尉殿、お料理でもなさるんで?」
「ええ、敵を料理するための熱湯です」
前時代の攻城戦と言えば、やはり熱湯が有効です。
砦の中には水路が通っているため、熱湯はいくらでも生み出せます。
砦壁を登ってきた敵にひっかけてやるのです。
「急いでください、敵にぬるま湯を引っかける羽目になりますよ」
「敵は夜襲を仕掛けてくるでしょうか」
「ええ。仕掛けてこないはずがありません」
一度兵士を引いたのは、恐らく夜襲のための布石でしょう。
我々に攻撃がやんだと誤解させ、油断した所を狙う作戦と思います。
「今夜を乗りきれば家に帰れます。最後の、ひと頑張りです」
ここで敵が夜襲をしない理由はありません。
絶対にエイリス軍は夜闇に紛れて、我々を殺しに来る。
「今のうちに、食事を。最後の食事になるかもしれません、肉の缶詰とワインも許可します」
「ぷっくぷくー!!」
「最後の晩餐になるかもしれません。悔いが残らぬよう、味わって食べてください」
今のうちに、敵の作戦を読んでおきましょう。
足場は悪いし夜なので、騎兵突撃はないでしょう。
恐らく、銃兵か剣兵による波状攻撃が行われます。
数の暴力を生かし、我々に寝る暇もないよう執拗に攻め続けるはず。
そんな彼らに対し、我々は『熱湯』を掬い敵に浴びせます。
砦の壁の高さは三メートル以上はあります。一息に飛び越えるなど、ガーバック小隊長でも出来ません。
縄か何かを引っかけて、登ってくる筈。
それを妨害し、縄を斬り、熱湯で追い返し続ける。
これが、基本の方針です。
……まるで古代の攻城戦のような戦いです。
「トウリ、お前は食わないのか」
「レーションだけ流し込みます。……それよりも今は、作戦を練らねば」
「そう、だな」
熱湯の供給が尽きたら、この戦いはおしまいです。
なので熱湯管理の専門人員を用意しておく必要があるでしょうね。
アルギィや負傷兵など、戦えない者に任せればいいでしょう。
それと、水は砦の中でいくらでも汲めますが、木材はそうもいきません。
夜通し火を焚くためには、燃料を伐採して運ぶ必要があります。
木材調達の専門班も、編成しておきましょう。
「敵の動きはまだありません」
「了解。引き続き偵察をお願いします」
戦いが止んで数時間ほど。
未だエイリス軍に、動く様子は見られませんでした。
密に偵察をお願いしていますが、「敵兵なし」の報告ばかり。
……休憩が取れて有り難いですが、とても不気味です。
「本当に、敵に動きは無いのですか」
「はい、前進してくる様子は在りません」
「……まさか、我々が知らない迂回路など無いですよね」
自分は、エイリスの動きが想定と異なっていることに焦っていました。
何か、予想外の事が起きている気がして、動悸が治まりません。
「……もう一度だけ、周囲の森を偵察してくださいますか」
「夜ですよ、危ないですよ」
「危険は承知です、ですが人の気配が無いかだけ」
恐怖が、不安が、自分の心を消耗させていました。
こんな事なら、エイリスが休まず攻めて来てくれた方がましです。
敵が想定外の動きをすることが、こんなにも怖いだなんて思いませんでした。
「正面の敵も、しっかり注視してください。敵影が見えれば、即座に報告を」
喉が焼けるような、緊張と静寂。
いくら待てども姿を見せぬ、我々の憎い敵。
「……う、ぁ」
「トウリ少尉!?」
やがてフラリ、と自分は砦の上で尻餅をつきました。
眩暈がひどく、立っていられなくなったのです。
「大丈夫ですか」
「ご心配なく、大丈夫です」
かろうじて絞り出した自分の声は、かすれ切っていました。
今生きている皆を、家族の下に返す。
その責任は、運命は、自分の指揮が握っているんだ。
重責で吐きそうになりながら、自分は敵陣を見つめ続けました。
「自分は、倒れる訳には、いきません」
まだか、まだか。
敵は、まだか。
祈るように、自分は顔を上げて────
「────ぁ」
一瞬、意識が飛んでしまいました。
全く眠らず、二日間ずっと頭を働かせ続けたので限界が来たみたいです。
「少尉、少尉!」
「あ、あれ?」
照り付けられた日差し、ナウマンさんに揺すられて、ビクっと自分は跳ね起きました。
自分は慌てて立ち上がり、砦の正面を見つめます。
何たる不覚、敵を目の前にして意識を失うとは……。
「……?」
見上げれば、目に映るのは青々とした水流に、清らかな山の風薙ぎ。
自分の目の映るところには、奇麗さっぱり、エイリス軍の姿が見えなくなっていました。
「これは、どういう……?」
「え、え?」
自分と同様、周囲の兵士から困惑した声が上がります。
今か今かと奇襲に怯え、偵察を走らせ続け、気づけば夜が明けていて。
目の前からエイリス軍が、煙のように消え去っていたのです。
「あ。か、確認を! 偵察兵、エイリス兵の位置を探ってください」
「了解!」
……その場で自分は、再び崩れ落ちました。
何度も目をこすり、食い入るように前を見て、エイリスの陣地が空っぽになっているのを確認し続けました。
しかし、エイリス軍の気配は何処にもありません。
「……勝った?」
兵士の誰かが、ボソリとそう呟きました。
やがてそれは、口々に他者へ伝染していきました。
「いないぞ、敵」
「何処にいった?」
「オイオイ、まさか」
困惑と、どよめきが、中隊の兵士に広がっていきます。
自分だって、意味が分からず呆然とする事しか出来ません。
「あ、あ、あ。あぁあああああああ!!!」
「敵が! エイリス軍が!! 逃げていったぞ!!!」
やがて泥まみれの兵士たちは、鼻水や涎を垂れ流し。
照りつける朝日を拝んで、大きく手を振り上げました。
「勝ったぞ。俺達は、勝ったんだ!!!」
「俺達は砦を守った。敵は情けなく、逃げて行った」
「生き残った! 家に帰れる!!」
自分は、そんな歓喜に沸く彼らを眺めるのみで。
勝ち鬨を挙げることすら忘れ、茫然と前を見据え続けていました。
「俺達の勝利だァ!!!」
────以上を以て、戦闘経過の報告を終えます。
その報告が、オースティン参謀本部に届いたのは夜の事。
────戦果報告を繰り返します。トウリ遊撃中隊は、アルガリア砦において、
────エイリス兵20000人の撃退に成功しました。
その場に居た参謀将校の、皆が息を呑んで絶句して。
誰もアルギィからの報告を理解できず、参謀本部は静まり返ったという。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます