第159話


「ナウマンに声はかけたか」

「……はい」

「そっか、じゃあ待つか」


 自分はガヴェル曹長と並び、テントに向かい歩きました。


 時刻はもう深夜。


 背後の砲撃音も止んでおり、河のせせらぎだけが聞こえています。


「初日の戦闘指揮は見事なもんだったな。お前の立てたプラン通りだ」

「メイヴさん達の覚悟あっての事です」


 砲撃が止んだということは、堡塁はエイリスに占拠されてしまったのでしょう。


 メイヴさんやエムベルさんは、楽園へ旅立ったと思われます。


「明日も、上手くいくといいな」

「……はい」

「どうせ死ぬなら、祖国のためになって貰わんと困る。頼むぜ、我らの幸運運びラッキーキャリー


 ガヴェル曹長は言葉を選びながら、軽い口調で自分に話しかけてきました。


 恐らく、自分の顔色が悪いので、おどけてくれているのでしょう。


 ……これから死にに行く人に、気を遣わせてどうするんですか。


「ガヴェル曹長」

「何だ?」

「先程、ナウマン氏から『死にたくない、死なずに済む方法はないのか』と命乞いされました」

「そっか」

「彼の言葉が重すぎて、自分では受け止めきれませんでした」

「まぁ、そりゃそうだ」


 自分はナウマン氏に言われたことを、ガヴェル曹長に伝えました。


 全く同じ葛藤をしているはずの、彼に。


「ガヴェル曹長も、そう思っているのですか」

「いや、俺は覚悟を決めてるよ。……揺らぎそうになることはあるけど」

「ごめんなさい」

「何でお前が謝るんだ」


 死にたくない。そんなのは当たり前の感情です。


 あれだけ達観していそうなナウマンさんですら、取り乱してしまうのです。


 まだ十五歳のガヴェル曹長が、悩まないわけがありません。


「……今朝、メイヴさんに声をかけられて、最期に言葉を交わしました」

「ほう? 何て言ってた?」

「見た感じ、ガヴェル曹長は自分が好きだから、死ぬ前に頬にキスでもしてやれと」

「ってオイ」

「そういうの、要りますか?」

「何でそれを今言うんだよ!」


 ガヴェル曹長は、死ぬ覚悟を決めてくれています。


 それはどれだけ気高く、悲壮な決意でしょうか。


 自分に出来る事なら何でもしてやりたいと思い、気づけばそんな事を口にしていました。


「明日、貴方が生きているとは限りませんから」

「縁起でもないことを言うのはやめろ。俺が死ぬのは明後日だ」

「……ええ」

「俺は作戦を成功させるつもりだ。だから、そういうのは明日の夜にしてくれ」


 彼はそういうと、耳を赤くしてそっぽを向きました。


 やはり、色ごとに対する耐性は低いようですね。


「では明日の夜。何かしてほしい事はありますか」

「してほしい事って」

「……それくらいしか、自分は貴方に返せませんから」

「そりゃ色々あるけども」


 ガヴェル曹長は自分の問いに、そっぽを向いたまま。


 数秒黙り込んだ後、小さく溜息を吐きました。


「トウリ中隊長は、心に決めた人がいるんだろ?」

「……はい」

「だというのに俺が何か要求したら、生真面目に応えてくれるんだろ」

「それは、その」

「じゃあ何も要らない」


 彼は少し不機嫌そうに、自分のおでこを小突きました。


 どういう事だろうと首を傾げたら、


「好きな娘の顔を曇らせて死ぬとか、ダサすぎるだろ」

「……」

「今の感じだと、押せば何でもしてくれそうだもんお前。それで何かしても、きっと凄く後悔する」


 ガヴェル曹長は、そんな事を言い始めました。


「いえ、一定水準を超える要求は拒否しますけど」

「オイ」

「そりゃあそうです、自分の身はある人に捧げています。貴方にできるのは、頬にキスくらいが限界ですかね」

「しょっぺぇ……」


 ガヴェル曹長の初心すぎる言葉に、少し毒気が抜かれてしまいました。


 ……精一杯に格好をつけている感じが、可愛らしく感じます。


「ありがとうございます。少しだけ、落ち着きました」

「そうか」

「自分は偵察がてら、エイリス軍の方を見てきます。ナウマン兵長がいらっしゃったら、声をかけてください」

「わかった」


 自分はそう言うと、改めて正面に向き直り。


 星空の下、砲兵の音も鳴りやんで、静かになったアルガリア下流を眺めました。








 敵はのそのそと、夜の闇にうごめいています。


 きっと少しづつ、この砦を目指して進軍してきているのでしょう。


 今日の戦闘で、彼らは十分に塹壕の脅威を学んだ筈です。


 おそらく明日は突撃の前に、砲撃魔法を仕掛けてくるはずです。


 それが最も基本的で、効果的な塹壕突破法だからです。



 あまり時間がなかったので、我々の作る塹壕は浅く狭いものばかりです。


 入念に準備砲撃されれば、為す術がありません。


 


 だから、自分たちは部隊の配置を散らしました。


 砲撃で全滅しないように、険しい渓谷の山中にも兵を配置しました。


 銃より砲撃の方が、射程が長いです。


 彼らは銃が届かぬ超遠距離から、我々の陣地を爆撃するでしょう。


 しかし、明日アルガリア砦を占領されるわけにはいきません。


 あと2日、我々は粘る必要があるのです。


 ここを越えられたら平原地帯なので、中隊規模の我々では手が出せなくなってしまう。


 このアルガリアで、敵を押しとどめねばなりません。



 エイリス軍の方向に、いくつも魔法光が点滅していました。


 恐らくエイリスの砲兵部隊が、魔法陣を描き始めたのでしょう。


 きっと日が昇ったら、すぐ砲撃が始まります。


 



 彼らも焦っているはずです。


 本来、こんなところで足止めを食らうわけにはいかない。


 迅速に進軍せねば、奇襲が間に合わない。


 だから魔石の消費を惜しまず、砲撃してきているのです。



 ……そんな彼らを足止めするためには、命を張らねばなりません。


 150名の戦友の命をすり潰し、押しとどめねばなりません。


 そんな彼らの勇姿を目に焼き付けて、その戦果を報告し、名誉と思いを遺族に届ける。


 それが自分のなすべき仕事です。



「……」



 死にたくない。ナウマンさんは、そう言って泣き叫びました。


 ガヴェル曹長も精一杯強がっていましたが、内心は恐怖で震えている事でしょう。


 どうして、こんなことになったのでしょうか。


 少し前まで、皆で仲良く訓練をしていただけだったのに。


 オースティンの勝利は目前で、最終決戦に備えて士気を高めていたのに。




「……シルフ?」




 ふと夜空を見上げると、星々の中央に。


 嘲笑を浮かべる『シルフ・ノーヴァ』の姿を幻視しました。



 かつては部下として、共にサバトの戦場を駆け抜けた戦友。


 善性で、寂しがり屋で、意地っ張りな天才少女。



「シルフ・ノーヴァ……」




 彼女は自分を見下して、ニヤニヤと愉快気な笑みを浮かべていました。


 アルガリアの地で足掻き、もがき苦しむ自分の姿を愉しんでいます。


 そう知覚した瞬間に、自分の全身の血液が沸騰するような怒りを覚えました。



 ノエル孤児院を焼いた作戦を提案した、自分の故郷の仇。


 優しかったロドリー君が、死ぬ原因を作った女。


 リナリーと和解出来た直後に、あんな残酷な最期にした外道。


 自分の大事なものを何もかも奪っていった、不倶戴天の『敵』。


 そして今、恐らくこの状況を作り上げた張本人……っ。



「……シルフ、ノーヴァ!!」



 気づけば自分は、空に向けてそう叫んでいました。


 憎い、憎い、憎い。


 シルフ・ノーヴァが、心の奥底から憎たらしい。


 彼女さえいなければ、自分は沢山のものを失わずに済みました。


 そして今も、シルフさえいなければ自分は何も失わずにすんでいました。



 自らの不徳を他人のせいにするなど、言語道断と言われるかもしれませんが。


 それでも、あの女が憎たらしくて仕方がない。



 だって、シルフさえいなければ。


 戦争なんて終わっていて、今も自分の隣にロドリー君がいてくれたかもしれない。


 リナリーとも仲良くなって、楽しくお茶会出来たかもしれない。



 ……そんなに何もかもうまくいくわけがない。そんなことはわかっています。


 だけど、そう思わずにはいられないのです。


 シルフさえいなければ。


 あの女がサバトにさえ、生まれていなければ─────




『……』




 シルフは、自分を見下して哂っていました。


 死にゆく戦友を前に何もできない自分を、嘲笑っている。


 お前のせいで、このような苦境に陥っているというのに。


 何がそんなにおかしいのか、シルフ・ノーヴァ。



「……笑うな」


 ソレが幻覚である事は、わかっています。


 ですが自分は、声を出さずにいられませんでした。


 悔しかったのです。


 彼女に少しでも、心を許していた自分が。


 いざ敵味方として、このような苦境に立たされてようやく気付きました。


 やはり、自分とシルフは相いれない。


 悲しいほどに、一片の曇りなく、自分とシルフは怨敵同士なのです。



『……』



 シルフは余裕を浮かべたままクスクスと、取り乱して叫ぶ自分を嘲笑し続けました。


 ……あれは、自分が作り出した妄想。


 これ以上、幻影を相手にしても仕方がありません。


 気が触れたと思われる前に、心を落ち着かせなければ。


 自分は目を閉じて深呼吸し、それ以上幻を見ないようにしました。



『何故、目を逸らす?』

「……っ」


 ……ダメです。幻覚は消えてくれません。


 彼女は楽し気で挑発的な声色で、頭の中に語り掛けてきます。


 これは良くない兆候。ストレスで精神が壊れる寸前の、末期症状。


『随分と、追い詰められているじゃないかトウリ』

「……うるさい」

『いつもの無表情さはどうした、冷静になったらどうだ』


 どれだけ目をそらしても、幻聴が自分に語り掛けてきます。


 彼女の吐いた言葉が癇に障り、心をかき乱します。


 無知蒙昧。自らの生み出した妄想に煽られ、平静を失うなど愚の骨頂。


『その通り。貴様は落ち着くべきだ』

「……」

『さあ、深呼吸』


 シルフの幻は、楽しげに自分を煽り続けました。


 この幻影は、一体何がしたいのか。


 自分の頭は、何を考えているのか。


『落ち着いたな、トウリ』


 彼女と友人になれると思ったこともありました。


 だからこそ、忌々しくて腹立たしいのです。


 この窮地に、自分達を殺しにくる2万人の敵を前に、シルフが笑っているのが。


『本当に。お前は存外、視野が狭いな』


 自分は追い詰められると、いつも誰かを幻視します。


 それはきっと、自我を保つために必要な防御反応。


 自分は今、ストレスに押しつぶされかかっているのです。


 だから『シルフの幻影』を虚空に浮かべて罵倒している。


 何と、情けないことか────


『よく見ろ、トウリ』


 幻のシルフを前に、自嘲していると。


 彼女はサバト軍服を翻し、右手で遠く見えるエイリス軍を示しました。


『目の前じゃない、全体を見るんだ』

「……?」


 シルフ・ノーヴァは、まるで諭すように。


 優しい口調で、自分の瞳を見つめています。


「……」


 彼女の幻影につられ、正面の敵陣を見ました。


 夜闇に浮かびあがる、無数の魔法陣。


 我々の銃の射程外から、数多の砲撃部隊が準備をしています。


 凄まじい数の砲撃魔導師。きっと半日も持たず、我々の陣地は更地にされるでしょう。


 ……そうなってからが、勝負。


 砲撃魔法で塹壕を失ってから、戦いが始まる。


 やつらの突撃してきてからが、本番。


 明日の策の本命は、山中に伏せたオースティン兵士による挟撃です。


 そのために山中にも塹壕を設置し、河原にもデコイ陣地を────


『違う』


 明日の作戦を確認していると、シルフは首を振りました。


 その目には嘲りの感情だけではない、何かが浮かんでいます。


『私が貴様なら、そんな下策は使わない』

「……下策?」

『考えろ。私なら・・・どうする・・・・と思う・・・?』


 ……その言葉に、自分はシルフの顔を見上げました。


 彼女ならどうするか、ですって?


 シルフは奇襲大好きな、局地戦のエキスパートです。


 相手の弱所を見抜き、一撃で勝負を決める超攻撃型の指揮官。


 こんな防戦せざるを得ない状況で、シルフは一体何をすると────

 


『奴等は非常に強いように見えて、迂闊な手を打ったぞ』



 シルフは、自分の隣に立って。


 妖艶な笑みを浮かべ、正面を指さしました。



『上手くやれば貴様は、敵を詰ますことができる』

「────あ」



 シルフの指さした先、敵の陣地を見る。


 蠢く無数の砲撃部隊。魔法光を発し、広がっていく砲撃陣地。


 恐らくは運び込まれているであろう、潤沢な軍事物資。


 すでに戦闘は終わり、両岸には野営の炊事火が無数に灯されています。



 ────ですが、あり得ない。


 そんなはずがない。


 近代戦を理解している軍が、そんな事をするはずがない。


 



「何故エイリス軍は、塹壕を掘っていない……?」




 敵はどういう理由か、砲撃部隊という『急所』を正面に押し出して。


 それを塹壕で守らず、戦陣の最前列に配置していたのです。


「どうして? ありえません、そんな」

『奴らに塹壕を掘る文化なんて無いんだ。攻撃している側に塹壕なんて不要、と思い込んでいるのさ』

「……あ、あ、あ」

『見ろ。エイリスは急所を剝き出しに、差し出しているぞ』


 エイリス軍は飯を食う前に塹壕を掘る、そんな基本すら理解してませんでした。


 脳内で勝利条件が、組み代わっていきます。


 上手くやれば敵の砲撃部隊を潰せる。だが、そうしたところでどうなる?


 わざわざ撃って出て、砲兵を減らしたところで戦況は変わるか?


 この状況を生かすには、どうしたらいい?


『さて、後は詰めるだけ』

「シル、フ……」

『トウリ、大軍の弱点はなんだ?』


 それに気が付いた瞬間、全身の血流が沸き立ちました。


 今まで何処にもなかった「勝機」が、奔流のように脳内を駆け巡りました。


『今回だけだからなトウリ』


 シルフはそんな勝手な事を言って、不敵な笑みを浮かべた後。


 アルガリアの夜闇に、露となって消え去りました。






「トウリ、そろそろ整理できたか」


 数分は、ボゥっと夜空を見上げていたでしょうか。


 やがてガヴェル曹長が、心配げに自分に声を掛けました。


「ナウマンも、心の準備を整えてくれたらしい」

「……ガヴェル曹長」

「トウリ?」


 この時自分は、どんな顔をしていたでしょうか。


 シルフの幻影に叫んでいたときのような、醜悪な表情か。


 暗闇に光源を投げ込まれた、赤子のような無垢な表情か。


 鏡を見たわけではないので、自分でもよく分かりません。


 ですが一つだけ確実に言えるのは。


「……兵を、集めてください。ナウマン兵長だけでなく、今生き残っている全員を」

「ど、どうしたんだ?」

「ブリーフィングは中止です。スコップもいりません。総員、銃を持って自分の前に集合」


 どうしようもなく感情が昂って、口角が吊り上がっていた事だけは確かです。




「────現時刻より、夜襲を仕掛けます」


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