第157話


「悪い、みんな。大事な話がある、集まってくれないか」


 結局自分は、ガヴェル曹長の案に賛同しました。


 決死の覚悟を決めてくれた彼の想いに、何も言葉を出せなかったからです。


「全員集合だ! ワインを配る前にちょっと、俺の話を聞いてくれ」

「あん?」


 ガヴェル曹長は自分を従え、河岸で声を張り上げました。


 遊撃中隊の部下たちがその声に反応し、ぞろぞろと集まってきました


「何だ、副中隊長! まさか今更ワインなしとか言わないよな!」

「それは構わん。もっと悪い話だ」

「おいおい、酒を取り上げられるより悪い話があるっていうんですかい。国でも滅びましたか?」


 彼のただならぬ語気で、兵士達の顔に緊張が浮かびました。


 近くにいた兵士はジョークをかましましたが……、ガヴェル曹長は真剣な顔のまま。


 自分はそんな彼の背で、静かに俯いていました。


「中々に良い線をついているな、歩兵ども! それに匹敵する悪報さ」

「……勘弁してくださいよ、何があるっていうんです」

「何とトウリ少尉と話し合って、指揮権が俺に移ることになった」

「なんてこった! 最悪のニュースだ、そりゃ」


 彼の言葉に、応えていた兵士は大げさに天を仰ぎ─────


「ってことは、本気の実戦になるってことですかね」

「ああ」


 顔を真っ青にして、その場に膝をついたのでした。


「元々コイツが中隊長に任命されたのは、縁起がいいからだ。お飾りの中隊長に、この非常事態の指揮は任せられん」

「……そうっすよね」


 どうやらプロパガンダの噂のせいで、元々自分は『お飾りの中隊長』とみなされていたようです。


 いわば見た目で選ばれたアイドル中隊長であり、指揮能力は皆無。


 真の実戦になれば、士官教育を受けたガヴェル曹長が指揮するものと兵士の大半は考えていたようです。


「さっき、トウリ少尉とよく話し合ってな。本人も納得の上で、俺に指揮権を譲渡した」

「そんなぁ……」


 そう信じていた彼らにとって、『自分からガヴェル曹長に指揮権が代わる』というのは死刑宣告に等しかったようで。


 ワインを貰えると知って明るくなった兵士たちの顔色は、真っ青になっていました。


「では改めて、今の状況を説明する! 今やオースティンは存亡の危機に瀕している!」

「……」

「落ち着いて、冷静なまま、俺の話を聞いて欲しい」


 静まり返った兵士の中、針の筵の上に立つような気持ちで。


「現状を説明するぞ────」


 自分がガヴェル曹長の背に控えたまま、俯き続けました。







「────はぁ?」


 ガヴェル曹長は兵士達に、次のように説明しました。


 オースティン南軍が敗北し、一転してオースティン軍は窮地に陥ってしまった。


 この状況でエイリス軍2万人に奇襲されることは、オースティンにとっては厳しい。


 そんな状況なのにトウリ少尉じぶんは、一日粘るだけで撤退する方針を立てた。


 ガヴェル曹長はそれに反対し、命を張ってアルガリアを守るべきだと主張した。


 議論を重ねた末に彼は指揮権を奪い、祖国のためここで死ぬ覚悟で戦い抜く事にした。



 ────それが、自分とガヴェル曹長の間で作ったストーリーでした。



「南軍が敗れた? オースティンが優勢じゃなかったのか」

「そんな……今の話は本当なんですか!」


 彼の話は、兵士たちを動揺させるのに十分だったようで。


 想像以上に厳しい現状を突き付けられ、『嘘だ』という叫び声があちこちで上がりました。


「南軍はどうなったんだ! 俺の兄は、南軍で分隊長をしてるんだ!」

「そんなはずはない。噓でしょうトウリ少尉、今の話は悪すぎるジョークで……!」

「すみません。事実です」

「嘘だァ!!」


 自分の言葉に激高したのは、逃亡癖がある例の兵士でした。


 彼は危惧した通り騒ぎ出し、顔を真っ赤にして詰め寄ってきました。


「アンタ今まで皆を騙したのか! 負けそうな状況だってことを黙って、こんな危険な場所まで!」

「……はい」

「知ってれば、ついてこなかったよ、この人でなし! 人の命を何だと思ってるんだ────」

「やめろ! 誰かその馬鹿を止めろ!」


 彼が自分に向かって突進し、慌てて周囲に取り押さえられました。


 自分は、微動だにせず彼を見つめ続けました。


「俺は帰る! そうだ、みんなもついてこい! 此処からは俺が指揮を執ってやる、このアホどもだけ置いて帰るぞ」

「勘違いするな!! 兵士ってのは死んじまうのも仕事だから、こんなに良い待遇を受けてんだ!」

「徴兵しておいて、そんな理屈が通るかよ! 従ってられるか! 死にたいヤツだけ勝手に死んでくれよ!」


 ……その兵士の罵声に、周囲の兵士にも動揺が広がっていくのが分かりました。


 彼の言葉に乗せられ、逃亡を考え始めているのかもしれません。


 早く彼を説得し、納得させないと作戦が崩壊します。


「俺が帰らないと、母が一人ぼっちになっちまうんだ! 皆だって、故郷に残している大切な人が居るだろう!」

「やめろ、それ以上はしゃべるな!」

「あのクソガキと違って、俺は生き残らにゃあならん! 死にたがりだけで戦争やってろ!」


 ですが自分には、彼を宥める言葉が出てきませんでした。


 自分の命を大事にする、それは自分より「まとも」な感性です。


 兵士ではない人であれば、大半が彼に同意するはず。


「死にたい兵士が、いてたまるか!」


 そんな彼に、大声で一喝したのは。


 ……いつもは飄々としている、ナウマン兵長でした。


「ナウマン兵長?」

「兵士は常に、腰元に銃をぶら下げてるんだよ。本当に死にたいなら、いつでも自分の頭を撃ち抜ける」

「な、なんだよ……」

「自殺志願者の兵士なんて、いる筈がないんだ」


 ナウマンさんは珍しく声を荒げ、その兵士をにらみつけました。


 温厚な彼の怒声に、周囲は静まり返りました。

 

「少なくともオジサンが見てきた奴らは皆、死にたくないってボヤきながら死地に向かっていった」

「……どうして」

「それが何故かって? 彼らが勇敢だったからさ。命を懸けてでも、守りたいものがあったからさ!」


 皺の寄ったベテラン兵士は、いきなり銃口をその兵士の頬に突き付けて激高しました。


 そのあまりの剣幕に、その場の全員が言葉を失って立ち尽くしました。


「死にたいヤツだけ勝手に死ねだと? お前さん、どれだけ兵士の誇りを馬鹿にしたら気が済むんだ」

「……う」


 ナウマンさんは冷たい声色で、話を続けました。


「塹壕で『死にたくない』って震えてた連中が命を張ったから、今のオースティンがあるんだ」

「そんな、でもよぉ」

「アンタがどんな考えを持とうと勝手だが、彼らの誇りを侮辱するヤツは許さん」


 ナウマン兵長は、この中隊では最年長の兵士です。


 人生の殆どを戦場で過ごし、生きてきた人間です。


 そんな彼の言葉には、重みがありました。


「口を挟んで申し訳ありませんでした、ガヴェル曹長殿。話を続けて下せぇ」

「いやありがとう、助かったよナウマン兵長。そこのお前、トウリ少尉に突っかかったのはお咎めなしにしてやるから、今は落ち着いて座れ」

「……」

「俺だって、実を言うと死にたくない。恋人も出来たことがねぇし、酒を飲んだことも葉巻を吹かしたこともない。人生、まだまだ知らない娯楽がいっぱいだ」

「ガヴェル副中隊長……」

「だけど命を張って守りたいヤツもいる。俺は怖がりだが兵士なんだ。だからこのアルガリアで、戦死する覚悟を決めた」


 ナウマン氏の言葉で兵士たちが静かになった後、ガヴェル曹長が演説を続けました。


 曹長は不敵な笑みを浮かべて、兵士の前に指を三本突き立てました。


「三日だ。三日稼げば、オースティンは救われる。参謀本部の見立てではそうらしい」

「……三日も?」

「ああ。それには兵士全員が、腕を撃たれ足をへし折られても敵に噛みつく気概が必要だ」


 三日、という数字を聞いて兵は左右を見渡しました。


 この人数で三日も防げるのか、不安げな表情です。


「お前らはいくら怖がってもいい。赤子のように泣き叫ぼうが、ビビって小便漏らそうが、持ち場から逃げなけりゃそれでいい」

「……」

「その代わりオースティンを、お前らの家族を守ってやる。それだけが、俺に提示できる報酬だ」

「……」

「そんで未来永劫、俺達の勇敢さをこの地に刻んでやろう。戦後には英雄の石碑として、俺たちの名は残り続けるんだ」


 ……その言葉を言わねばならなかったのは、本来は自分です。


 自分が中隊長です。自分が思いついた作戦です。


「ここにいる全員で、アルガリアに奇跡を起こしてやろうじゃねぇか」


 ガヴェル曹長がその言葉を終えようとする頃。


 顔を伏せたまま、自分の流涙が止まらず数多の水滴がこぼれました。


「少なくとも、初日の堡塁に籠る部隊は全滅確定だ。ここは志願制にする、我こそはという猛者は名乗り出てくれ」

「……全滅確定」

「その代わり、遺族に対する手当は任せろ。俺の爺ちゃんの権限で、参謀本部に最高の対価を用意させるさ」


 情けない。恥ずかしい。


 今度こそ指揮官として相応しい立ち振る舞いをしようと決めていたのに。


 今の自分は、ただガヴェル曹長におんぶされている稚児のようです。


「トウリ少尉殿……」

「……とまあ、こういう話をするとウチの中隊長が泣いて使い物にならなくてな。指揮権は、俺がぶんどった」

「成程。ま、トウリ少尉にゃあ厳しい作戦ですなぁ」

「もともと、ただの衛生兵だからなコイツ」


 ガヴェル曹長の、ナウマン兵長のその軽口に言葉を返せません。


 自分は静かに、嗚咽をこぼすだけ。


「こっから先は俺と一緒に、地獄までついてきてくれや」


 そんな情けない自分の隣で、ガヴェル曹長は男の顔をしていました。






 ガヴェル曹長とナウマン氏の演説に押されたのか、兵士たちは逃げずに戦地に付いてきてくださいました。


 ……ガヴェル曹長は前もって伝えた自分の指示通りに、兵を配置していきました。


「メイヴ輜重兵長、悪いがお前には今日死んでもらう。すぐ俺も追っかけるから、待っててくれ」

「仕方ねーな! ったく、任せとけバカ野郎」


 アルガリア砦から一キロメートルの地点が、本日の戦闘区画でした。


 この場所には川に中州が出来ていて、そこに古い堡塁が残っていました。


 堡塁の壁は、昨晩ナウマン兵長たちが補修してくださっています。


 敵が前時代のエイリス軍なら、それなりの防衛能力を発揮することが出来るでしょう。


「おお、かなり嫌らしい陣地だな。これは結構時間を稼げるんじゃないか」

「はっはっは! エイリスの雑魚どもに一泡吹かせてやろう」


 全滅が確定するとまで言われた堡塁の防衛部隊に、四十名も志願してくださいました。


 「祖国の為ならば命も惜しまぬ」と、言い切ってくださったエムベル伍長のような人もいれば。


 「どうせ死ぬなら、遺族に補償が多く渡る方がいい」という消極的な方もおりました。


 彼らは二度と生きては帰れぬと知って、ワインを手に戦友と杯を酌み交わし、遠く空を眺めていました。


「対岸の指揮は任せたトウリ。俺はこっちの岸の指揮を執る」

「了解です、ガヴェル中隊長代理」


 堡塁に籠る四十名の指揮は、メイヴ輜重兵長に任せ。


 自分とガヴェル曹長の部隊は、川の両岸を封鎖するように陣取りました。


「持ってきた鉄条網は、どのくらい使っていいんで?」

「惜しまず殆ど使ってください。初日の攻防が一番大事です」

「了解」


 両岸は絶対に突破されぬよう、厳重に鉄条網や魔法罠を設置しました。


 中州から援護があれば、前時代の兵隊がこの陣地を突破するのは困難です。


 ……しかし川があるため、中州の堡塁にはあまり障害物を設置できません。


 敵はおそらく、途中から中州に狙いを絞ると思われます。


「川底に剣を突き立てておけ! 自分で踏むんじゃねぇぞ!」

「川底に落とした後は、石と砂利で補強しろ」


 ナウマンさんの提案で、自分達は川底に鹵獲した剣を突き立てました。


 板に穴をあけて剣を通した後、河岸の重石を使って板を固定するといい感じに立ちました。


 渓谷の河はかなり浅く、背の低い自分でも膝下くらいまでしか水がありません。


「おいソコ! 剣立ってるぞ!」

「うぉ! 危ねぇ、踏みかけた」


 河底の剣は光の反射加減で見え辛く、下への注意がおろそかだと踏みつけそうになってしまいます。


 転倒して剣に刺さったら、命を奪うことも出来るでしょう。


 敵は堡塁を注目しないといけないので、基本的に足元はおろそかになります。


 うっかり掠っただけでも、水中では血が止まらないので撤退を余儀なくされます。


 ベテランのナウマンさんらしい、嫌らしい罠でした。


「俺の罠、滅茶苦茶に見えづらいぜ。どうだ、すごいだろう」

「やるなぁ。俺も……」


 兵士たちは川遊びを楽しむように、罠の設置に勤しんでいました。


 エイリス兵はまだ、前進する様子を見せません。


 ……待ってくれるのはありがたい。戦闘準備にかける時間は多い方がいいです。


「よぉ、トウリ中隊長殿」

「メイヴさん」


 川底の罠設置を手伝っていると、メイヴさんが小声で話しかけてきました。


 とても、深刻な面持ちです。


「聞きたいことが有るんだが」

「何でしょうか」

「この作戦を考えたの、アンタじゃないのか?」

「……」


 彼の耳打ちに、自分は思わず顔をこわばらせました。


 巨漢は自分を見下ろしたまま、真っすぐな目で見ています。


 ……どうして、バレてしまったのでしょうか。


「あの坊主には悪いんだが……。ヤツにこの土壇場で祖国の為に命を捨てる度胸と、祖国を救う才覚があるようには見えねえ」

「……」

「アンタの『本性』を知っている身としちゃ、ここで若造に指揮が変わるのは不自然だ」


 メイヴさんは真剣な表情で、自分にそう問いかけました。


 その問いにどう答えるべきか、少し迷いましたが……。


「……確かに、自分がここで命を捨てて戦うべきだと判断しました」

「そうか」

「しかし、ガヴェル曹長の腹案であるのも事実です。彼は自分を『伝令役』として逃がすため、戦死する指揮官役を買って出てくれました」


 メイヴさんには今日、戦死するまで堡塁に籠って頂きます。


 そんな覚悟をした兵士に、嘘を吐くことはできませんでした。


「なるほど! そうか、そういう魂胆か。何だ、あの坊主に戦果を奪われたってわけじゃねーんだな」

「……彼は、自分の為に矢面に立ってくれたのです」

「そうだったかぁ。いやぁ、見誤っていた! アイツ根性あったんじゃねーか!!」


 説明を聞き、メイヴさんは朗らかな声で自分の背を叩きました。


「そっかそっか、ならアイツを坊主と呼べないな。ヤツはもう男だ」

「男、ですか」

「ただのボンボン野郎と侮っていたが……。国の為、女の為に命を捨てれるなら男として一人前だ」


 メイヴさんはそう言うと、指揮で忙しそうなガヴェル曹長を流し見て笑みを零しました。


 彼とガヴェル曹長の間にも、何かあったのでしょうか。


「トウリ少尉殿も気付いてるだろうが、奴さんアンタに気があるだろう」

「えっ」

「分かんなかったんですかい? ……まぁなんだ」


 メイヴ兵長は周囲を見渡した後、自分の耳元で、


「奴を送り出す時にゃあ、ほっぺにキスくらいはしてやんなさいよ。死ぬほど張り切ると思いますぜ」

「……」

「もっと直前に助言してやれたらいいんですが、俺は今日で戦死するもんで。……まったく兵士ってのは、因果な職業です」


 そう囁いて、ウインクしました。


「……メイヴさんは、死ぬのは怖くないのですか」

「怖ぇですよ?」

「ではどうして、そんなに平静なんですか」

「平静に見えますかい」


 自分の震える声での問いに、メイヴさんは少し頭を掻いた後。


「男ってのは結構、虚勢を張る生き物なんですよ」


 そう言ってグシャグシャと、自分の頭を撫でました。


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