第139話
「お疲れ様です。この先が、アンリ大佐のテントで間違いないでしょうか」
「はい。……貴官は衛生兵でしょうか? ご用件を伺ってもよろしいですか」
翌日。
自分は身なりを整え衛生兵服に身を包み、アンリ大佐のテントへ伺いました。
「自分はトウリ・ロウ軍曹と申します。アンリ大佐のお呼び出しを受け、参上しました」
「えっと、トウリ軍曹殿の件はお伺いしています。身分証を……、はい、確認いたしました」
「どうも」
「ではお取次ぎいたしますので、少しお待ちください」
衛生兵服を着ている理由は、歩兵服に自分のサイズがなかったからです。
衛生部に少女兵は居ても、前線に少女兵なんていませんからね。
「……」
受付さんと話している間、銃を持った兵士が自分から目を離そうとしませんでした。
職務に準じているだけなのでしょうが、居心地が悪いです。
「入室許可を確認しました。今から大佐の下へご案内いたします」
「ありがとうございます」
「ではトウリ軍曹殿。失礼ながら、面会の前にお身体を改めてもよろしいでしょうか」
「はい、構いません」
テントに入る前に自分は、ボディチェックを受けました。
護衛の兵士が見張る中、自分は女性職員さんに体の隅々まで調べられました。
何故か最後に頭をぽんぽんされました。
「問題ありませんね。お通ししますので、ついてきてください」
「はい」
この職員はアンリ大佐の秘書さんとかでしょうか。
オースティン軍の最高指揮官ですから、秘書くらい雇っていても不思議ではありません。
「お入りください」
「失礼します。トウリ・ロウ軍曹、入室します」
女性職員の案内を受け、自分は軽く息を整えたあと。
礼儀正しくお辞儀をして、テントの入り口を潜りました。
「よく来たね」
「お会いできて光栄です、アンリ大佐殿」
テントに入ると、古く高価そうな木の机に山盛りの書類を積んだ、一人の男が出迎えてくれました。
部屋の中にも数人の兵士が控え、鋭い目付きで自分を睨み付けていました。
「そう、緊張せんで良い。その椅子に腰をかけたまえ」
「ありがとうございます」
アンリ大佐の第一印象は、とても普通の人という印象でした。
姿勢の良い細身の男性で、しわの寄った顔に白髪交じりの髭を蓄えた、つぶらな瞳のおじさんです。
普通の服を着て街に紛れられたら、すぐに大佐と気付ける自信がありません。
「いや、確かに聞いていた通り実に若い。報告にあった君の武勇伝が、とても想像も出来んな」
「恐縮なお言葉です」
「若く優秀な将校は、オースティンの未来そのもの。実にあっぱれ」
……ただ、気になる所があるとすれば。
アンリ大佐の語る言葉から、感情が読めないのです。
嘘や欺瞞がある場合、自分は何となくそれを察知できるのですが。
「今日、君に出会うことが出来て本当に嬉しいよ。未来ある若者との会話は数少ない楽しみなのだ」
「い、いえ。大佐殿はまだまだお若く現役でいらっしゃる。と認識しております」
「気を使わんで良いさ。もう髪に、こんなに白髪が交じってしまった。そろそろ隠居してお茶でも啜りたいものだ」
先程から彼の言葉の真意が、何一つわからないのです。
本気で言っているのか、油断させようとおどけているのか。
人の好さそうな優しい顔の裏に、何を隠しているのでしょう。
残念ながら自分では、彼の腹の底を推し量れませんでした。
「さて、では話を始めようか」
「はい、大佐殿」
これは……、レンヴェル中佐とは違ったタイプの傑物ですね。
アンリ大佐は前線指揮より、政治力に特化したタイプの軍人な気がします。
礼儀正しく物腰柔らかいのが、また不気味な印象を受けました。
「トウリ・ロウ軍曹」
「はい」
そんな彼、アンリ大佐は自分をジロリとひと睨みすると。
「君、結婚とか興味ある?」
「はい?」
ウキウキとした表情で、若い男の写真を机に並べ始めました。
「ほら、彼とかどうだろう。素晴らしい美男子だ、私の若い頃にそっくりな」
「あのー、自分はそう言うのは」
……まったくもって、アンリ大佐の言葉の真意が理解できませんでした。
この人は何か狙いがあるのか、何も考えていないのか。
「大佐殿。これは、一体」
「相手がいないなら作っておかないと不便だろう」
「えーっと」
つい先日も、同じ話をレンヴェルさんにされた気がします。
どうしてご年配の方は、若者の縁談を世話したがるのでしょうか。
……これは派閥に入れという、遠回しな勧誘なのでしょうか?
「地位のある女性士官は珍しいからな。特定の相手を作っておかないと、山のように求婚されるよ」
「……そんなものでしょうか」
「女性が少尉になる事自体、かなり稀だからね。今だと……レィターリュ君くらいじゃないか」
そういえば、レイリィさんと同じ階級になってしまうのですか。
……自分があの女傑と同じ階級なんて、分不相応も良い所です。
「衛生部長はちょくちょく女性がやってるが。前線の女性指揮官なんて、レンヴェル中佐のトコのアリア女史以来だな」
「そんなに珍しいのですか」
「女性が前線に出る時点で相当に珍しい。その中で出世して指揮官になるなんて、そう多くはない」
確かに、アリアさん以外の女性を前線で見たことが無いですね。
男所帯に女が一人放り込まれれば、モテて仕方がない……のでしょうか。
「女性兵士が求婚やナンパなどで苦労する話はよく聞く。アリア君もレィターリュ君も、きちんと相手は見つけていたよ」
「……」
「まぁ、レィターリュ君の場合は特殊というか、少しアレだけども」
レイリィさん、最高指揮官にもアレな人と認識されているのですか。
「だから君も、仮で良いから特定の相手を」
「うーん、では適当な指輪を仕入れておきます。既婚であると周知するために」
「そうか。……うむ、なら縁談話はこの辺で止めようか」
自分がテコでも縁談を受ける気が無いと察し、アンリ大佐はスっと話を終えました。
この辺の空気をサっと読んでくれるのは、とてもありがたいです。
「面接は問題なしとしておこう。君の少尉への任官に同意する旨、レンヴェルに伝えておくよ」
「ありがとうございます」
「あの男にしては、珍しくまともな人事らしいからな。……アイツ、普段は自分のお気に入りしか出世させないのだ」
アンリ大佐は困ったような笑みを浮かべ、そう愚痴をこぼしました。
……いえ、今回も相当にコネが入った人事な気がしますけど。
「君の事はベルンからよく聞いているよ。トウリ・ロウ軍曹は若手で一番の有望株だから、昇進を打診されたら同意してくれと言われていた。彼がそこまで言う人間に、是非一度会ってみたくてね」
「……ベルン・ヴァロウ参謀少佐殿ですか」
「ああ。アヤツ、君に随分とお熱の様だ。出来れば引き抜いてくれとまで頼まれていた」
「……」
まぁ内心、そういう事だろうとは思っていました。
自分は、総司令官アンリ大佐に1対1で面談して貰える立場ではありません。
他ならぬベルン・ヴァロウの頼みだったからこそ、わざわざアンリ大佐は時間を作って自分と話をしたのでしょう。
「引き抜くためなら君を娶るとまで言っていてな。どうだい、もし君が乗り気ならベルン君との婚約を進めようかと─────」
「それだけはお許しを」
ネタばらしをするように笑うアンリ大佐の前で、自分は間髪入れず土下座をかましました。
自分でもびっくりするくらい、大きな声が出ました。
「お、おお。そんなに嫌か」
「すみません、自分とベルン少佐はとことん相性が悪く……」
自分はあの男の目を見ただけで、全身に鳥肌が立ってしまいます。
この地上のどんな生物より、彼が苦手です。
あんなのと結婚させられるなんて、想像するだけで吐きそうです。
「むぅ。ベルンは気が利くし有能だし、これからのオースティンを背負って立つ男だぞ。そんなに嫌か」
「こればかりは、好みと巡り合わせの問題でしょう。自分は彼と結婚せずに済むなら、代わりに何とでも結婚します」
「そんなにか」
「例えばそこを這う蟻さんでも良いです。毎日餌を用意して、土を換えて水をやり、幸せな家庭を築きます」
「君、聞いていたより面白い娘なのか?」
自分は蟻と結婚する事になっても、ベルン・ヴァロウと結婚するよりはマシでした。
少し混乱して変な事を口走ってしまいましたが、それだけあの男が嫌いなのです。
「話は分かった、別に無理というつもりはない。ただ、我々は君を高く評価しているとだけ認識してくれれば良い」
「それは大変に恐縮なお話です」
「いや、妙な事を言ってすまなかったな。……蟻以下か、くくっ。面白いからかいの種が出来たかもしれん」
アンリ大佐は自分のそんな態度に気を悪くした様子はなく、むしろ少し楽し気な雰囲気でした。
……ふぅ。怨恨なくお断りすることが出来て良かったです。
「では、そろそろ本題に入ろうか」
「本題、ですか?」
「ああ。まぁ、今の話はついでと言うか。単なる話の枕だよ」
話はこれで終わりかと思ったのですが、アンリ大佐は笑顔のまま自分に紅茶を勧めました。
まぁ、縁談の為だけに呼び出しはしませんよね。
「君も知っての通り、先日の旧サバト政府軍の奇襲で、我が軍は大きな被害を受けた。久々の敗北だ」
「……はい」
「それを手札に連合側は『停戦しろ』と外交官をしつこく寄越してきてな。ここで停戦など受けられるはずが無いだろうに」
アンリ大佐は憎々し気に、フラメール語で書かれた書状をヒラヒラと見せてきました。
……自分はフラメール語は読めませんが、そんなものを一般兵である自分に見せて良いのでしょうか。
「まぁ、これは別に良い。突っぱねるだけだ」
「停戦は、難しいのでしょうか」
「当り前だ。この停戦を受けたら、我々は兵を進められなくなる。今の領土状況での停戦は敗北と同義なのだよ」
アンリ大佐は、停戦するつもりなど毛頭ない様子でした。
ヴェルディさんの言っていた通り、戦略的に見て我々は停戦できないのだそうです。
……フラメールを再起不能に叩きのめすまでは。
「ただ、その外交官の奴がな。先日、妙な手紙を一通添えて渡してきた」
「妙な手紙、ですか」
「ああ。『これは公式な文書ではなく私的な手紙だ』と言って、ある兵士を名指しで宛てでな」
そこまで言うとアンリ大佐は、困ったように眉を顰めて。
一枚のくしゃくしゃな封筒を机の上に置き、自分に差し出しました。
「君は、彼女を知っているのかね?」
「────」
その封筒の表には。
綺麗なサバト語の字で、一筆だけ記されていました。
────親愛なるトウリ・ロウへ。シルフ・ノーヴァより。
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