第137話
「ご足労戴き感謝する、トウリ衛生准尉」
「はい。もう、衛生准尉じゃないらしいですけど」
「それは俺の関知するところではない」
この時の彼は、今までとは明らかに態度が違っていました。
眉間にしわを寄せ、悔しそうに腹立たしそうに自分を睨みつけていました。
これが胡散臭い
「……今日は随分と、そっけない口調ですね」
「少しだけ、怒っているからな」
彼は珍しくも、顔に薄ら笑い一つ浮かべず。
威圧しているかのように、両の眼で自分を見抜いていました。
「虚偽なく答えろ。本日の鉱山作戦の際、奇襲してきた敵の後方攪乱を行った部隊の指揮を、お前が執ったってのは事実か」
「はい」
「幼い少女が笑いながら、誰よりも勇猛にサバト兵を屠っていったと。……それも、お前だな」
「……はい」
何処で聞いたのか、彼は自分が仕出かした事を耳に挟んでいたようでした。
虚偽なく答えろと言われたので、正直に肯定しておきました。
「楽しかったか?」
「……何が、ですか」
「たくさんサバト兵を殺して、エース級まで撃破して。大満足だったんじゃないか、お前?」
「そんな筈が無いでしょう」
ベルンは少しばかり嫌味ったらしく、そう食って掛かってきました。
……戦闘が楽しい筈がありません。
願うなら、朝からもう一度今日をやり直したいくらいです。
「何故楽しくなかった?」
「……人を殺して、楽しいはずが無いでしょう。自分の指揮で17名もの犠牲が出た事、敵エースのゴルスキィさんを撃った事さえ後悔しています」
「だが、戦場では笑っていたと報告を受けたぞ」
「自分は感情を制御できなくなると、笑ってしまうようでして」
「いい加減にしろよ、お前」
ベルンがどういう意図でそんな質問をしたのかは分かりません。
しかし虚偽なくと言われたので、正直にそう答えたつもりだったのですが。
「
「……何を仰りたいので?」
自分の返答に不満だったのかベルンは苛立ちを隠そうともしなくなり、忌々しげに自分を睨み付けました。
「これまでのお前の、部隊遍歴を調べさせてもらった。スゲェじゃねぇか、ヴェルディ様の活躍の陰にお前の姿ありってな」
「何を仰っているのかよく分かりません」
「分かっている筈だ。あのボンボン野郎の何処にあんな戦果をあげる才覚があったのか謎だったが────」
彼は鋭い目付きで、射殺すように自分を見つめたまま。
静かに息を吐いて、言葉を続けました。
「ヴェルディの活躍の種はお前だ、トウリ・ロウ。アイツに特別な才覚はない」
「自分が作戦提案した事を、仰られているのですか。あの時は指揮官はヴェルディさんで……」
「提案を受け入れて実行するのは指揮官の功績だ。そういう意味ではヴェルディの功績ってのも間違っちゃいないけどな」
自分が言おうとしたことを遮って、ベルンは話を続けました。
言い訳など許さないとでも言いたげに。
「お前の作戦は士官教育を受けていない素人のものだが、理にかなった妙手ばかりだ」
「……どうも」
「もう何度も、お前はその能力を示した。偶然で片付けるつもりはない」
ベルンは一体何処まで自分を調べあげたのでしょうか。
彼はそう言うと乱暴に自分の胸ぐらを掴み上げ、
「そんなに『自分が悪人だ』と、認めたくないのかお前は」
顔と顔を突き合わせ、そう凄みました。
「認めるよ、俺は悪人だ。人を嵌めるのが大好きで、敵を殺すのが得意だ。だから参謀職についた」
「……」
「これでも俺ぁ……ちゃんと故郷を大事に思ってるからな」
怒りに任せて胸ぐらを掴み上げられるのは、久しぶりでした。
軽い自分は軍服が伸びてあっさりと持ち上がり、宙吊りになって足がプラプラします。
「悪魔だと罵られようと、気持ち悪がられようと、俺は祖国を救う才能が有ったから立ち上がった」
「それは」
「その結果、多くの人を殺したかもしれん。だけど、オースティンの役に立ってきたつもりだ」
彼の言葉には迫力がありました。
今までずっと、参謀としてオースティンの国防の最前線に立ち続けてきた彼は、
「ああ、俺は悪人だろうさ。でもお前よりずっと、国に貢献してきてる!」
「……っ」
「良いねぇ、羨ましいねぇ。お前は一人、いい子ちゃんで居られてさぁ!」
想像以上に、自分の心の臓腑を撃ち抜きました。
「何でお前は自らの悪を認めない! 人に良い顔がしたいからって、才能隠して楽をしてんじゃねぇ!」
その言葉の後、ベルンはゆっくりと自分の胸から手を離しました。
「お前が何の才能もない、ただの衛生兵だったならこんなことは言わねぇさ」
「……自分は」
「でも違う、それはお前自身がよく知っているだろ」
暴力的な指導は、ガーバック小隊長で慣れっこでしたが。
彼の言葉は、自分の心を揺さぶり続けました。
「お前が最初から前線に居たら、サバト軍の戦線突破を許していたか?」
「分かりません」
「何とか食い止めてただろうな。少なくとも俺は、それが出来ると評価している」
自分がもし最初から歩兵で、塹壕の最前線で指揮を執っていたら。
シルフの奇襲に対処し、守り切れていた……?
「そんな、保証は何処にも」
「今までのお前の戦果からは、それくらい出来たとしか思えん」
「あの戦果も偶然と運が絡んだもので」
「偶然と運だけで戦況をひっくり返されたら、参謀なんて仕事は要らねぇんだよ」
もし、彼の言う事が事実だったとすれば。
自分は人に良い顔がしたしたかったばかりに、リナリーを犠牲にしてしまった?
「違う。自分が居たくらいで、シルフ・ノーヴァの奇襲が食い止められていたとは」
「あの場にお前が居ただけで、ヴェルディの動きはだいぶ違っただろうさ」
そんな事は認められない。認めたくない。
自分はその場で崩れ込む様に、地面にへたり込みました。
「認めろよ。トウリ・ロウ」
「自分、は」
「お前は人を殺すのが好きで仕方ない異常者だ。敵を撃ち殺すのに興奮する変態だ」
「……違います、自分は」
「だからこそ、優秀な指揮官だ」
ベルンの言葉が、ぐるぐると自分の脳裏にしみこんできます。
自分は今まで、喜んで人を撃ったことなどありません。
なのに何故、こんな事を言われなければならないのでしょうか。
「否定するな。お前が人を撃って興奮して頬を緩ませていた顔は、部隊の全員がしっかり見てんだよ」
「……あ、違」
「何が違う、言ってみろ。俺の目を見てはっきり言ってみやがれ」
……いえ。
確かに喜んでいた、かもしれません。でもそれは、自分じゃない誰かで。
もしかしたらあれも、自分の一つの側面なのでしょうか?
「自分は、その」
「腐った性根を認めるなら、俺の部隊に来いトウリ・ロウ」
彼の叱責に頭が狂いそうになって、呆然としていたら。
ベルン・ヴァロウは怒気の孕んだ表情のまま、言葉を続けました。
「俺の権限で大隊長の地位と大尉の階級を用意する。お前には、自らの能力に見合った責任を果たして貰う」
「……」
「『人を殺したくない』なんて甘えた事を言うな。……お前はまた、同じ過ちを繰り返すつもりか」
……。
……内心で、感じたことはありました。
それはまるでFPSゲームをやっている時の様な、撃ち合いが楽しいという感覚。
実銃を撃てることに興奮し、敵の頭を撃ち抜いた時の快感に悶え、1人でも多く
最初、自分はベルン・ヴァロウの事を極悪人だと感じて怯えていました。
ですが本当は、自分こそどうしようもない悪人で。
ベルン・ヴァロウを見て同族嫌悪のように、心底嫌っていたのでしょうか────
「……」
「答えを聞こうか。トウリ・ロウ」
そこで自分は、ようやくベルン・ヴァロウの顔に向き合って。
……小さく、笑みをこぼしました。
「すごいですね、ベルン・ヴァロウ参謀少佐」
「何がだ」
自分は悪い人間で、人殺しを楽しんでいる。
確かにそうかもしれません。
人殺しが楽しいと、そう感じてしまった事もあったかもしれません。
認めましょう。自分は、悪い人です。
恩人を
「自分を、
でも流石に、目の前の男とは格が違う。
ベルン・ヴァロウは人殺しを楽しむ
「自分は、何となく人の嘘とかを見抜けるのです。欺瞞とか、そう言うのを」
「あ?」
「今気づきました。それ、怒っている演技ですよね」
ああ、騙されるところでした。
この男は、先程の話に本気で怒っている訳じゃなく。
「そういう風に説得すれば自分を引き込めると、計算したから怒った。今の言葉は、貴方の本心ではない」
「……」
「貴方はオースティンの戦友が死ぬことなど、毛ほども気にしない。手元の玩具が減ったくらいにしか、感じていない」
自分を騙して使役する為だけに、怒った演技をしていたのです。
「自分が『良い子ちゃんで居られて羨ましい』? 馬鹿を言わないでください、貴方は自分が悪であることに誇りすら感じているくせに」
「……」
「貴方は祖国の為に働いているんじゃない、
確かにベルン・ヴァロウは愛国者でした。
しかし、彼は特別な想いがあってオースティンに尽くしているわけではありません。
「そんなに新しい
「……バレた?」
自分は気付いてしまいました。彼はたまたまオースティンに生まれ落ちたから、我々の陣営で采配を振っているだけです。
運動会で紅組に所属したから頑張る。
そんな程度のモチベーションで、ベルン・ヴァロウは戦争を楽しんでいたのです。
それは命を懸けて戦っている兵士全体への────冒涜では、ないでしょうか。
「あーあ! 俺も嘘を吐くのが下手になっちまったなぁ!」
それを指摘した後の、ベルン少佐の表情の変化には身震いしました。
今までの、憤怒の表情はどこへやら。
彼はヘラヘラと醜悪に唇を歪め、無機質な目に爛々とした闇を浮かべて、
「ざーんねん!」
ベルン・ヴァロウは頭を抱え、大声で嗤ったのです。
「結構、良い所まで行ったと思ったんだけどね。そっかー、見破っちゃうか」
「……」
「ますます君が欲しくなっちゃった。君ほど使い勝手の良さそうな
「……」
「誰だって、良く斬れるナイフがあったら手元に置きたくなるだろう? たとえ人の物でも」
嫌悪と恐怖で、吐き気が止まりませんでした。
彼は自分を見ている様で、まったく見ていないのです。
「ああ、君は実に良いなぁ」
ベルンはただ新型武器を物色するように、無機質な視線を向けていました。
人間である、自分に対して。
「どう? 俺ならもっともっと効率的に殺せる、もっともっと楽しい戦場を用意してあげるよ」
「……」
「嘘をついたのは悪かったさ、謝るとも。でも俺は、もっと
「それで」
「でも正直に話しても、君はスカウトに応じてくれないだろ? 隠すしかなかったんだ」
気持ち悪い。おぞましい。
自分は前世まで全ての記憶を通じて、目の前の青年より醜悪な人間を見た事がありません。
「お前が人を撃つのが好きなのは、事実なんだろ?」
「……確かに、そうかもしれませんね」
「だったら俺の部下に来てくれよ。お前も俺もお互い楽しめるような、地獄に招待してやるからさ」
だけど、ベルンは恍惚として喋るのをやめず。
【性能の良い武器をドロップした時のような顔で】自分の手を抱き寄せて。
「そしてそれが、一番オースティンの為になる」
そう、言葉を続けました。
「ベルン少佐」
「なぁに?」
その虫唾が走るような、スカウトに対し。
「死んでも御免です」
自分は、きっぱりと拒絶しました。
「お、おかえり。どうした、長い話だったな」
「ガヴェル曹長殿」
悪魔はその答えを聞くと、おやつを取り上げられた子供のようにがっかりした顔になりました。
……間髪入れず、自分はベルン氏に一礼してテントから立ち去りました。
これ以上、あの男と同じ空気を吸っていたくなかったからです。
「別に。大したことではない。世間話でした」
「とてもそんな感じには見えなかったが」
「本当ですよ。……何の意味もない、くだらない内容です」
幸い、ヤツは自分を追ってきたりはしませんでした。
追っても無意味と判断したのか、あるいは他に狙いがあるのかは知りません。
「分かったよ、聞かないでおくよ」
「感謝します」
ガヴェル曹長は察してくれたようで、何も聞かずに歩き出してくれました。
ああ。道に塩を撒きたい、と本気で思ったのは人生で初めてです。
「……そうだ、ガヴェル曹長。一つお聞きしたいのですが」
「何だ?」
「今日、作戦行動中に自分はどんな風に笑っていましたか?」
「あー……」
しかしベルンの言う事にも、一理だけは在りました。
他者を殺し喜ぶような性質を持つ人間を、悪と呼ばずして何と呼ぶでしょうか。
自分は悪い人です。今日、それを自覚しました。
……ガヴェル曹長に自分は、どんな風に見えていたでしょうか。
「笑うっていうか。どっちかっていうと、泣いてただろお前」
「泣いていた?」
「目が、全く笑ってなかった。あんなのを笑顔とは言わん」
自分の問いに、ガヴェル曹長はそう答えました。
その後、年上である筈の自分の顔に手を近づけて
「大事なもんを失って、癇癪起こしてるガキにしか見えなかったよ。だから指揮権渡すの、躊躇ったんだ」
「……」
「でもヴェルディ様に、『窮地に陥った時、またトウリちゃんが居たら相談してみなさい』って言われててさ。お前がもっと普通のコンディションだったら、スっと指揮任せてたと思うぜ」
そう言って自分の額を弾きました。
「因みに、まだお前の顔ヤベーからな。ちゃんと心の整理、つけとけよ」
「驚きました。……意外と、人のことを見ているのですね」
「あ? 喧嘩売ってんのか」
あの時彼は、自分が正気じゃない事に気付いて指揮権を渡すのを躊躇っていたのです。
ガヴェル曹長には失礼ですが、もっと何も考えていないと思っていました。
流石はレンヴェル中佐のお孫さん、という事でしょうか。
「……心の整理、ですか」
「ああ」
心の整理をつけろ。
その言葉はつい先日、自分がリナリーを諭す時に使いました。
生きている者に死者に出来ることは一つだけ。その死を悼み、思い出し、そして供養する事です。
そうやって人は、大切な人と離別を乗り越えていく。
────感情ってのは思った以上に厄介で、操りにくい。
────感情的にならないのを目指すんじゃなくて、感情的になった時にソレを自覚できるようになりな。
そういえば昔、アレンさんに言われましたっけ。
感情を完全に制御するのは難しいから、客観的に認知できるようになれと。
今日、自分がもう少し『感情的になっている』事を自覚していたら、何かが変わっていたのかもしれません。
例えば、ゴルスキィさんを撃つ直前に我に返ることが出来ていたりとか。
「ありがとうございました、ガヴェル曹長。もう大丈夫です」
「……全然、大丈夫には見えんがな。そうだ、今日の戦死者の合同埋葬でも出て来いよ。……お前の知り合いとの、今生の別れになるぞ」
「いえ、結構です」
それじゃあ、駄目です。
我に返ってしまっていたら、自分はあの人を絶対に殺せなかった。
そして正気なら、次に戦場でシルフを発見した時、間違いなく引き金を引くのを躊躇ってしまいます。
「リナリーの事は、心の整理をつけず抱えていく事にします」
「……」
「そうしないときっと、弱虫な自分は何もできないから」
ベルン・ヴァロウの言葉にも一理ありました。
自分が良い子ちゃんで居たがる限り、もっと多くの大事なものが掌から零れ落ちていきます。
もし自分が前線に居たら、サバト軍の突破など許していなかった。
自分が良い子ちゃんの振りをしていなければ、リナリーは死なずに済んだ。
「……サバト兵を殺したい、そんな憎悪を抱えていた方が自分は優秀な兵士になるようです」
自分はもう、二度と同じ轍を踏みません。
その為にリナリーの死を抱えて、憎悪と共に前へ進みます。
「そっか」
「はい」
そう決意した自分を見て、ガヴェル曹長はポツリと、
「何か、小銃が似合う顔になったな。お前」
そう言い零しました。
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