第114話


 それはサバト政府高官が、フォッグマンjrに停戦を蹴られたのと同時期。


 もう一つのサバトの臨時政府、労働者議会もまたオースティン連邦政府に使者を出していました。


「自分達の革命を支援・援助してほしい」と。



 そもそも労働者議会はベルン・ヴァロウの援助で成立した組織です。


 オースティンとは、繋がりの強い成り立ちと言えました。



 しかし革命直後は、まだサバト国民の嫌オースティン感情が強い状況でした。


 戦争中の敵国と言うのもあって、オースティンは毛虫のように嫌われていました。


 そんな状況で労働者議会がオースティンとの繋がりを大っぴらにすると、反感は確実だったでしょう。


 なので最初はオースティンとの繋がりを隠し、『停戦・講和』を掲げる程度に留めていたのです。


 



 しかしシルフ・ノーヴァの鋭すぎる作戦指揮により、レミさん達は敗北寸前に追い込まれていました。


 シルフが苦しんでいる以上に、労働者議会側も苦しんでいたのです。


 避けたかった市街戦に持ち込まれ、守りに徹する他に道はなく。


 かといってこのままではじり貧で、全く勝機が見えない状況でした。


 ジワジワと、真綿で首を絞められるかのような戦況。


 そんな状況を打破する苦肉の策として、労働者議会は隠していたオースティンとの関係を公開したのです。



 この同盟締結には、サバト市民の感情の変化も一役買いました。


 ヨゼグラード市民もオースティンは憎いですが、それ以上に現政府への恨みの方が強まっていたのです。


 強引な略奪、徴発、処刑などを現在進行形で行う政府軍。


 そんな横暴な組織から救われるなら、オースティンだって頼りたくなるでしょう。



「オースティン軍が、来る」



 その声明文には、軍事的・物資的に支援すると明記されていました。


 それは百戦錬磨のオースティン軍が、サバトに乗り込んでくるということです。


 今、国境であるタール川にサバト軍の戦力は残っていません。


 彼らはタール川を突破し、いとも容易くサバトの地へ踏み込んでくるでしょう。


 それはつまり、



「東方司令部の、難民キャンプが。セドル君が……」



 東方司令部の難民キャンプは、ヨゼグラードへの侵攻線上にあります。


 オースティン軍の、サバト連邦への恨みは深いです。


 故郷をあんな残酷に焼き討ちされ、恨みが消える筈がありません。


 そんな彼らが、東方司令部付近に住んでいる市民を保護するでしょうか。


 ────怒りのまま、虐殺してしまう可能性が高いのではないでしょうか。




 自分は呆然と、その場に立ち尽くしました。


 レンヴェル少佐が、アリア大尉が、ヴェルディさんが敵になる。


 そしてあの悪辣なベルン・ヴァロウが自分を殺しに来る。


 そう考えただけで、体がすくんでしまったのです。




 フラリと眩暈を起こしそうになった自分を、シルフは無表情に見つめ、


「……おい、兵士。このトウリ・ロウを捕縛しろ」

「え?」

「囚人檻に入れておけ。ただし、決して危害を加えるな」


 兵士に自分を拘束して収監するよう、指示を出しました。







 こうして自分は、再び捕虜になりました。


「そう顔を青くするな、トウリ」

「……」


 自分はオースティン人です。


 オースティンが参戦してきた今、今まで通りに兵士として配属させるわけにはいきません。


 なので、拘束されるのは当然です。問題は、スパイとして処刑されたりしないかどうかですが……。


「……お前が居なくなるのはちと痛いが、まぁ何とかするよ。なるべく広い檻にしておいたから、ゆっくり休むと良い」

「シルフ、様?」


 シルフ・ノーヴァは少し困り顔をしているだけで、相変わらず自分に気安く話しかけてきました。


 自分が収監された檻には、ベッドや机などが備え付けられていて。


 鉄格子が付けられてはいますが、小窓からは空が見える居心地の良い独房でした。


「ここは警察本署だ。今は、我々の作戦本部に使用している建物だ」

「はあ」

「この警察署の3階に、拘置所があったのを思い出してな。悪いがちょっと収監されてくれ」


 自分の身分は衛生兵から捕虜に格下げになった筈ですが。


 その待遇は民家で雑魚寝から、個室ベッド付き生活にランクアップです。


 これは一体、どういった魔法が働いているのでしょう。


「シルフ様、これは一体?」

「貴様がスパイじゃない事なんぞすぐ分かる。お前1人でどれだけ戦果を挙げたと思ってる」

「あ、その、どうも」

「ただ、それが分からん連中が貴様に危害を加える可能性が高い。流石に、無罪放免とはいかんのだ」


 シルフは自分を檻に入れた後、ニヤリと笑みを浮かべました。


 先ほどのオースティン参戦の情報を聞いていた筈なのに、全く気にしている様子が全くありません。


「あの、シルフ様。オースティンの参戦が、その」

「ああ、朗報だったな。私としても、ずいぶん気が楽になった」

「ろ、朗報ですか」

「ああ。こんなに分かりやすく弱音を吐いてくれれば、気が楽になるというものだ」


 むしろシルフは、その報告を聞いて嬉しそうですらありました。


 彼女は、オースティンが参戦したのに何故こんなに余裕があるのでしょうか。


「よく考えろ。あのオースティンが、サバトの冬に戦闘できる防寒装備を持ってるわけないだろう。万が一、本当に援軍が来るとしても春以降だ。そのころにはとっくに、戦闘なんて終わっている」

「……ああ」


 そう言われて、確かにと思いました。


 オースティンの防寒装備は、サバトに比べてかなり質が悪いです。去年の冬季行軍で、我々は防寒具の差でサバト軍の逃亡を許したのです。


 オースティンの冬ですらこの始末。真冬のサバト国内に入って進軍できるような防寒具など、オースティン国内に存在しないでしょう。


 となると、もしかしたら。


「十中八九、ただのブラフだろうな。そもそもフラメール、エイリスと戦争中のオースティンが、我が国の革命に首を突っ込む余裕があるとは思えん」

「それは、そうでしょうね。ですがベルン・ヴァロウならもしかしたらと」

「ベルン・ヴァロウがいかなる天才かは知らんが、兵力を倍にする魔法でも持っていない限り無理だろうな」


 あの同盟声明自体が、単なるこけおどしの可能性が高いのでしょう。


 それを、シルフは即座に見破ったようです。


「本当に介入してくる気なら、声明なんぞ出さず奇襲した方が良い。あんな声明を出してきた時点で、もうギブアップ寸前ですと自白している様なもの」

「ああ、成程」

「それよりも、目の前の蛮行を止めねばならない。早くブレイク将軍に進言しないとな」


 シルフはそう言って、自分に小さくウインクしました。


 それは、年相応の少女のように。


「貴様はそこでぐうたらしておけ。安心しろ、私達は勝つだろう」


 








 その日から自分はしばらくの間、監獄生活を送りました。


 監獄生活と言っても部屋から出れないだけで、拷問を受けたりもしなければ、食事も普通に配給されます。


 自分はぬくぬくとした部屋で、やることもないので身体トレーニングに勤しむ日々を送っていました。


 それは難民キャンプよりも、よほど快適な生活と言えました。


「ゴルスキィさんは無事でしょうか」


 こうなってくると、心配なのは戦友達の安否です。


 外に出られないので、ゴルスキィ小隊の面々の安否を確かめようがありません。


 ゴルスキィさんは強くもありますが、優しくもあります。


 市民に不意打ちされて、大怪我をしていないか心配です。


「……」


 あの日以来、シルフは顔を見せに来なくなりました。


 彼女はこの軍の生命線です。自分なんかに構う余裕は無いのでしょう。





 このヨゼグラード攻略戦が終われば、サバトはどうなるのでしょうか。 


 シルフは勝つと言いました。ならばきっと、勝つのでしょう。


 しかし既に市街地は無茶苦茶です。治安も劣悪と思われるので、戦後の復興には時間がかかりそうです。


 市民から強く恨みを買っている、政府軍の自分が首都に住むのは危険が大きいでしょう。


「……」


 ですが、自分は別にヨゼグラードに住む必要はないのです。


 平穏が戻れば、シルフから頂いた退職金を元手にオセロ村に戻ってゴムージの家を建て直しましょう。


 あそこは、セドル君とご両親の思い出が詰まった場所です。彼を育てるのであれば、オセロ村しかありません。


 そこでアニータさんやイリゴルさんなどの助けを借りながら、セドル君と平和な日々を過ごしましょう。


「今日は食事の配給、遅いですね」


 極寒の中、多くの罪なき人を殺し、略奪して突き進んだヨゼグラード攻略戦でした。


 何度も死にかけましたし、何度も目の前で戦友が散っていきました。


 その多くの犠牲の果てに、サバトはやっと平穏を取り戻すのです。



 こうして数カ月にわたったヨゼグラード攻略戦は、終わりを迎えました。


 この戦争の終わりは、実にあっけないモノでした。


 自分が捕虜として収監されているうちに、全てが終わってしまったのですから。


 この暖かな部屋で、事の顛末など何も聞かされぬまま、やがて銃声は聞こえなくなりました。


「少し、声をかけてみましょうか」


 自分が捕虜として生活をしたのは、2週間にも満たない期間でした。


 その2週間の間にも、やはり多くの市民と兵士が犠牲になったそうです。


 シルフは市民を守るべく様々な保護政策を提案しましたが、なかなか上手くいかず。


 市民から政府軍への、怨嗟は最高潮に達しつつありました。


「おや?」


 結局、サバト政府軍は市民への虐待を継続しました。


 どれだけ宥めても納得する様子を見せなかった市民は、各所で反抗して見せしめに殺されました。


 そしてシルフ達政府軍は、吐かれた唾棄の如くヨゼグラード市民に嫌われたまま、



「……鍵が、開いていますね」



 ヨゼグラードでの戦闘開始から1か月経った頃。


 労働者議会に『敗北』し、ヨゼグラードから全軍を撤退したのでした。








「居たぞ! 残党だ!」

「へ?」


 その日。何故か、自分を閉じ込めていた監獄の鍵が開け放たれていました。


 自分は不思議に思って、施錠されていない事を報告しようと扉を開きました。


 そして、部屋を出た瞬間。無数の人影が、自分に銃口を向けたのです。


「軍服を着ている! 敵だ!」

「お、女の子じゃないか」

「関係ない、敵だ、撃ち殺せ!」


 脳全体に、警告音が鳴り響きます。


 自分は咄嗟に、射線を切ろうと床を蹴り、監獄に転がり込もうとしました。


「あっ!」

「逃がすな、撃て、殺せ!」


 しかし、地面を蹴るより敵が引き金を引く方が遥かに早くて。


 自分が足に力を籠めた直後、鉛弾が霰の如く降り注いで自分の体を貫きました。


 撃たれた瞬間、凄まじい衝撃に押されて転倒し、頭を強く打ちました。


「が、ぱっ」


 運悪く、銃弾の1発は右胸の肺を撃ち抜いたようでした。


 喉の奥から血反吐が湧き上がって来て、胸が掻き毟られるように痛く、どんなに息を吸っても苦しくてせき込むばかりです。


 不味い、です。これは、処置をしないと、すぐに窒息────


「仕留めた!」

「まだだ、頭を撃て。息があるぞ」

「お、おい、確認せずに殺して良いのか」

「敵だぞ!? 生かしておく理由がどこにある」


 自分は、混乱の極致に有りました。


 ただ施錠されていないのを不審に思い、報告しようと扉を開けただけです。


 こんな、いきなり射殺されるようなことをした覚えはありません。


「……なぁ。この部屋の内装、おかしくね」

「何だ!」

「この娘、収監されてたっぽいぞ? 見ろよ、この部屋の中は監獄……」

「え」


 だんだんと、吐く息が弱くなってくるのが分かりました。


 酸欠で、意識も朦朧として来て。頼りの綱である【癒】を、発動させる集中力をすら確保できません。


 ああ。きっと、これは最期です。


「……この娘、敵か?」

「……」


 やがて、自分は咳込む事すらできなくなって。


 静かに、眠り込む様に、その場で意識を手放したのでした。











 この日。


 サバト政府軍は敗北し、全軍を撤退させました。



 その敗因は、よく分かっていません。ブレイク将軍がまた何かをやったのか、はたまたシルフの奇策が失敗したのか。


 ただ一つ言える事は、サバト軍はたった半日で占拠した市街地の全てを放棄し、ヨゼグラードから撤退したのです。



「……」

「ああ、目が覚めましたか」



 自分が突然の銃撃にあい、瀕死の重傷を負った後。


 包帯でぐるぐる巻きになって、穴と言う穴に管を突っ込まれた状態の自分は、小さな病室でゆっくりと目を覚ましました。



「生きて、いるのですか」

「ええ、危ない所でした」



 しかし体は、満足に動きません。まだ胸や、撃たれた四肢が、完治していないようです。


「癒者の言葉によると、完治に1週間はかかるそうです」

「確かに、それくらいはかかりそう、ですね」


 まだ、言葉を紡ぐのも億劫で。


 自分はゼエゼエと、微かに動く右腕で自分の胸をまさぐりながら、患部へと手をやりました。


 そして、魔力を振り絞り【癒】を発動させます。


「……【癒】」

「ああ。そういえば、貴女は衛生兵でしたね」


 スーっと、胸の痛みがマシになっていくのがわかりました。


 自分はかなり丁寧に処置をされていたようです。


 肺の中の血抜きは済んでいますし、外科手術で再形成もしてもらっているようです。


 あとは自然治癒で何とかなるので、こうして病室で転がされていたのでしょう。


 【癒】は稀少なので、そういう場合に回復魔法は使われない事が多いです。


 ですが、自分は自力で使えるので治しておきましょう。



「トウリ。胸に【癒】を使うなら、胸腔ドレーンを抜いてもらってからがよろしいでしょう」

「……む。確かに、その通りです」

「今、癒者を呼んできますね」


 続けて四肢を治していたら、自分は誰かにそう諭されました。


 胸腔ドレーンとは、気胸を起こした時や胸の手術をした後などに、胸水の排出や脱気を目的に挿入する管の事です。


 今はその管を通す為に胸に穴が開いているので、ドレーンを抜いてから【癒】を使わないと穴が塞がりません。


「ありがとうございます。その、えっと?」

「ああ、申し遅れました」


 自分はまだ、意識がぼんやりしていたようです。


 恥ずかしくて顔を赤らめつつも、忠告してくれた人にお礼を言って頭を上げました。


 すると、その声の主はまるで聖母のように優しく微笑んで、


「レミ・ウリャコフです。お久しぶりです」



 愛おしいものを見る目で、自分にそう語りかけました。



「小さな平和主義の、衛生兵さん」

「────」



 その瞬間、血の気が失せて。


 全身総毛立つほどの『命の危険』を、自分はようやく察知しました。

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