第108話


「今日は突撃しないんですか」

「弾が無いからな」


 ヨゼグラード攻略戦の2日目は、防衛に徹する形になりました。


 初日の突撃で弾薬がほぼ底を尽き、食料が無いので体も動かず、攻勢に出られる状態ではなかったからです。


「明日には補給が来るさ」

「本当に来てくれりゃあ良いんですがね」

「今日、敵が攻めてきたらどうするんですか?」

「石でも投げよう」


 明日にルソヴェツ要塞から弾薬や食料が、届くとゴルスキィ小隊長は言いました。


 ルソヴェツ要塞から、安全確認が終わった物資を輸送してくれるみたいです。


 なので今日の攻勢はお休みし、防衛に専念する事になりました。


「……おい、14番小隊が持ち場を離れて木材を切り出しに行ったらしいぞ」

「何だと! ……じゃあ俺達も!」

「待て待て、全員で持ち場を離れる訳にはいかんだろうが!」


 しかし突撃命令が無いからといって、のんびりしているわけにはいきません。


 とり急ぎ自分達は、極寒の夜に備えねばなりませんでした。


 昨晩はかなりの凍死者が報告され、燃やす物に恵まれなかったエリアの小隊は全滅していたそうです。


 塹壕の支柱や敵の死体など、燃焼物の多かった我々は実に幸運だったのです。


「今夜と、出来れば明日の分の木材も確保しないと」

「でも、塹壕を空けるわけにはいかんぞ」


 遺体に火を灯しても、ろくな暖房になりません。


 ちゃんと燃える木材を確保しないと、命にかかわるのです。


 なので防衛任務中でありながら、兵士達は持ち場を離れて木材を切り出す為に出撃しました。


「トムベル、グレシュの2人は一度戦線を離脱し、木材を確保して戻ってこい」

「了解です、ゴルスキィ小隊長」

「俺たちの命に係わる物資だ。頼んだぞ」


 我々ゴルスキィ小隊も、人員の一部を割いて薪の確保に奔走しました。


 その間、自分達は弾の無くなった銃を置き、ナイフを握りしめて塹壕に籠り続けました。


「敵さん、守りに徹してるな」

「突撃戦の経験がないんだろ。……このまま攻めてこない事を祈るばかりだ」


 幸いにもこの日、敵の攻撃はありませんでした。


 敵の大半は訓練を受けた兵士ではなく、徴兵前の少年兵です。


 経験が必要な突撃兵の真似事を、出来る人は少なかったのでしょう。


「というかそもそも、アイツら無理に攻める必要もないだろうしな」


 それに現状は、防衛側が有利な状況です。極寒で、こちらが勝手にどんどん消耗していく状態なのですから。


 危険を犯して前に出るメリットが、ほぼ無いのでしょう。


「ゴルスキィさん! こんなに、薪がありました!」

「よくやった、トムベル、グレシュ!」


 なのでこの日は戦闘が発生せず、我々の小隊は十分な薪の確保に成功しました。


 昨日より大きい火源を得たので、その晩は少しだけ暖かい夜を過ごすことが出来ました。


 相変わらず、寝れる状況ではありませんでしたが。


「じゃあこの黒焦げ死体、どうする?」

「……」


 ご遺体は、埋める体力がなかったので塹壕の外に放り出して野晒しにしました。


 きっと春に入れば、野生動物が食べてしまうでしょう。それまでに埋葬できれば良いのですが。






「レーションだ、久々の食事だ!」


 ヨゼグラード攻略戦3日目、自分達は補給を受ける事ができました。


 本当に、ルソヴェツ要塞からの物資が届いたのです。


 正直、兵士の士気を保つためだけの方便かもしれないと邪推していました。


「くそ不味ィ……、幸せだ」

「ああ、元気が湧いてくる。この腐った味のピクルスに感謝したのは生まれて初めてだ」


 2日ぶりの食事は、とても美味しく感じました。


 焚火で温めた瓶詰めのスープは、体を芯から温めてくれました。


「さぁ、飯と弾薬は届いたな」

「ええ、まぁ」

「じゃあ出撃だ」


 そして補給を受けられたという事は、戦闘が再開になるという事でもありました。


 最低限の活力を取り戻した我々は眠気と戦いつつ、再びブレイク将軍の指揮で突撃作戦を敢行ました。


「今日中に敵の市街地に到達するぞ」

「屋根のある部屋で、温まって眠りてえ」

「もう塹壕の中は嫌だ」


 この日の自分たちの士気は、それほど低くは有りませんでした。


 目の前の塹壕を突破して市街地に入れれば、少しはマシな場所で寝泊まりできるからです。


 暖かな寝床を求めて、兵士たちは死に物狂いで突撃をしました。


「……駄目だ、逃げろ! 砲撃が飛んでくるぞ!」

「くそったれ! 守りが硬すぎる」


 しかし、この日の攻勢の結果は散々なモノでした。


 極寒の地で消耗しきった兵士が、満足に動けるはずが無いのです。


 それに敵は、非常に上手く砲兵を活用していました。


 ちょうど突撃をしようとした瞬間に爆炎が上がるものですから、迂闊に走り続けられないのです。


「あああぁぁァ!!」

「トムベル!!」


 ゴルスキィ小隊の近くにも砲撃が着弾し、味方の一人が爆炎の直撃を受け帰らぬ人になりました。


 自分は地面が揺れたので転倒し、暫く耳がキーンとなって鋭い吐き気を催しました。


 こんな至近距離で砲撃を受けたのは、西部戦線以来でしょうか。


 あと3mも砲撃が右にずれていたら、小隊全滅だったでしょう。


「むぅ。一旦退くぞ、皆下がれ!」

「りょ、了解です」


 寒すぎる気温下での、砲撃、銃撃、魔法罠、鉄条網などによる迎撃は苛烈を極めました。


 圧倒的な突撃力を持っているゴルスキィさんですら、攻めあぐねるほどの防御力でした。


 結局、自分達は塹壕間の半分も走り抜けることが出来ず、スゴスゴと元の塹壕に引き返しました。


「砲撃が濃すぎる」

「敵の砲兵陣地が近いですから。かなり正確に狙われていそうです」


 戦場の主役は魔法砲撃兵。ガーバック小隊長は、そんな事を言っていましたっけ。


 どれだけ腕の立つ突撃兵でも、砲撃が一発直撃すれば即死してしまうのです。


 彼の言葉の意味が、また1つ分かった気がしました。


「……無理だな、今日はここまでだ」


 結局この日は、新たな塹壕を確保できず。


 自分達は最初の塹壕に撤退したまま、1日の終わりを迎えました。


 突撃で力押しできるほど、敵は脆弱では無かったのです。



 日中、改めて敵の防衛網を偵察してみると、かなり強固な作りに仕上がっていました。


 塹壕間には鉄条網や魔法罠などが隙間なく設置されており、避けて走れば火力が集中するキルゾーンに誘導されるようになっていました。


 塹壕は砲兵陣地からグルリと扇状に設置され、魔法砲撃の支援が受けやすいような配置になっています。


 敵は素人だという触れ込みでしたが、どう見てもプロが構築したとしか思えない陣形となっていました。


「思った以上に塹壕が硬い、突っ込む隙が見つからぬ」

「少なくとも陣地作成を指揮した人は、本職の軍人ですね」


 ゴルスキィさんは、そう敵の硬い作りの敵陣を嘆きました。


 それもそのはず、実は敵の指揮官は元サバト軍の将軍・・トルーキーでした。


 彼は元南方司令部の前線指揮官で、かつては東西戦争に参加して塹壕戦を経験してきたベテラン軍人です。


 特に防衛戦を非常に得意としていた指揮官で、今回の戦いはまさに彼の本領発揮といったところでした。


 敵兵は素人でも、指揮官はベテラン中のベテランだったのです。


「何処かが抜けそうになっても、対応が早い。すぐ援軍がやってきた」

「不味いな、ここで戦線が膠着したら俺達負けるぞ」


 敵はひたすら堅実に、我々の突撃を防ぎ続けました。


 塹壕に籠り、よく引き付けて銃撃し、乗り込まれたらすぐ援軍が駆けつける。


 塹壕戦の基本であるそれを、忠実に守り続けたのです。


 防衛戦が得意なトルーキー将軍の面目躍如と言ったところでしょう。


「……」


 この日は、政府軍が大きな被害を出しただけで1層も攻略できずに戦闘が終わりました。


 1日の間の死者は1500人ほどで、負傷者を合わせると5000人に届きます。


 それだけの兵士が命を失って、戦線は小揺ぎもしませんでした。




「今日も生き残ってるのか、オースちゃん。運が良いな」

「貴方こそ」


 夜が来るたび、ゴルスキィ小隊の数は減っていきました。


 東方司令部を出た時は増強小隊20名で編成されていたゴルスキィ小隊は、今や残り11名になっていました。


 出征時にヴォック酒を酌み交わした仲間の半分は、もう死んでしまったのです。


「今日、親友のトムベルが死んじまってな。寂しいから今夜俺のバカ話に付き合ってくれねぇか」

「自分は構いません。トムベル2等兵殿とは、親友だったのですか」

「ああ、一昨日からの親友だ。その前日、親友のアーリゾナフが死んじまって新しい親友にした」

「貴方、その親友アーリゾナフが死んだときに大喜びしてレーションを独り占めしてませんでしたっけ」


 夜になると我々は、生き残った面々で静かに雑談を始めました。


 寝たら死ぬ気温だから、うっかり眠れないのです。


 横になるのも、体温を奪われるので自殺行為。座って焚火で暖を取り続けないと、凍死まった無しです。


「トムベルは中々面白い男でな。同じジョークを一晩で3回も繰り返したんだ」

「猿に妹のパウンドケーキを取られる話でしたっけ」

「オースちゃんも聞いていたのか。いやぁ、2回目までは笑えなかったが、3回も繰り返されると失笑しちまったぜ」

「自分は、面白いジョークと思い聞いていましたよ」


 自分は仲良くもないサバト兵の男と、ボソボソ呟くように言葉を交わしました。


 確かこの男は口が悪く、シルフ大尉に舐めた口を利いて酒抜きを言い渡された人でした。


 あまり、自分とは相性の良い相手ではありません。


 ですがそんな彼と、10年来の友人のように会話を交わしました。


「オースはジョークの文化が遅れているな。あんな話で笑えるとは」

「では、もっと面白いジョークがあるのですか」

「ああ、特別に聞かせてやろう。俺の姉の話なんだが……」

「お姉さんの彼氏が、ゴリラに似すぎていて動物園に収監される話ですか? そのジョークはもう5回目ですよ」

「5回目でも面白いだろう?」


 自分のつまらなそうな返答に、男はばつの悪そうな顔をしました。


 ……せっかくジョークを披露しようとしてくれたのです。無理にでも、笑うべきでしたかね。


「すみません、場をしらけさせました」

「いや。……オースちゃんは、全然笑わねぇな」


 そう言えば従軍してから、自分は殆ど笑っていませんでした。


 これがオセロ村の集会所で、ゴムージ達との楽しい宴会の最中だったら、きっと5回目のジョークでも笑っていたでしょう。


 しかし残念ながら、戦場で自分の表情筋はうまく動いてくれないようで。


 焼けた屍肉や鉄と硝煙の香りの中では、自分は満足に笑えなくなっていました。


「気に障ったなら謝ります。……ですが自分は、戦場で笑えない性質なんです」

「ふん?」

「従軍前は、結構笑う方だったはずなんですけどね。軍人になってから、感情が上手く出せなくなってしまいました」

「ほう?」


 そんな言い訳をして、自分は目の前の兵士に謝りました。


 西部戦線に参加して以来、自分の顔からどんどん感情が消えていったのは事実です。


 元々快活な性格ではありませんが、最近はそれに輪をかけて不愛想になってしまいました。


 そう謝ると、口の悪い男は自分にニヤリと笑いかけ、


「なら今から、爆笑の新作ジョークを披露してやろう。そこまで言ったからには、絶対に笑うなよ」

「……は、はあ」

「笑ったら罰ゲームだ。そうだな、明日のお前のレーションを貰おうか」

「まぁ、構いませんよ」

「よっしゃ」


 このまま寝るわけにはいかず、かといってベラベラと会話するのは得意でないので、自分は男のジョークを一晩中聞き続けました。


 そのまま彼は、上手くも面白くもないジョークを延々自分に語って聞かせてくれました。


 ちょうど良い眠気覚ましでありがたかったのですが、結局自分は一度も笑いませんでした。






 ……4日目の、朝。


「敵の砲兵陣地を、制圧せよ」


 この日、ついに自分達の参謀シルフ・ノーヴァから命令が届けられました。


 内容はシンプルで、ただ『塹壕を突破したら、まっすぐ砲兵陣地を目指せ』という内容でした。


「そもそも塹壕が突破できないんだが」

「味方の砲兵は何をしているんだ?」

「魔石が尽きたので動けないらしい」


 どうやら今日から、シルフが指揮を執ってくれるみたいですが……。


 その命令は無理難題というか、「やれるならやってるわ!」という内容でした。


「くそ、あのクソガキ様め。ジョークのネタにして、猿と結婚させてやる」

「また、酒抜きにされますよ」

「酒なんて寄こさねえじゃねえか」


 しかし、あのシルフが出した命令です。きっと何か、狙いがあってのことに違いありません。


 自分達は前線の歩兵。指揮官の指示を、ただ信じる事しかできないのです。


「砲兵陣地の方向へ、走るべきでしょうか」

「いや、大分斜行する事になって難しい。まずは、今まで通り正面へ突撃しよう」

「そうですね」


 そしてこの日も自分達は、尿も凍り付く極寒の塹壕内で、塹壕越しに敵と撃ち合う事になったのでした。







 結局、我々は正面突撃以外に有効な戦術を持っていなかったのでしょうか。


 否、実際は我々の戦闘の裏で、シルフが着々と攻略の準備を進めてくれていました。


 その策が実るまでに、4日という期間が必要だっただけです。


「……む、何だか敵が騒がしいな」

「何か騒ぎになっていますね」


 この日、やっとシルフの一つ目の作戦が始動していました。


 まだ突撃命令が出た直後だというのに、敵の市街地が騒がしくなってきたのです。


「敵の市街地で、戦闘音が響いています。同士討ちでしょうか」

「なに?」

「敵に動揺が広がっているな。これは好機やもしれん」


 温めたレーションを腹に流し込みながら、自分達は目前の敵が忙しなく動き続けているのを観察し続けました。






 シルフの奇策とは、ボルガ川からのソリによる奇襲突撃でした。


 ボルガ川は例年、冬入りと同時に凍り付いて表面に厚い氷を張るのです。


 平時であれば人々は、この氷の上で釣りやスケートを楽しむのだそうです。


 その川の上を、シルフは進軍路に利用しました。


「さあ、今こそ突撃せよ! 味方が、敵市街地内に潜入して陽動しているぞ」

「何と!」


 シルフはソリの扱いに慣れた兵士を集め、ソリの前面に鉄盾を付け重りとし、川の上流からまっすぐ下降させたそうです。


 川には塹壕なんて物は有りませんので、ソリは誰からも咎められぬまま突き進み続けました。


 突然、音もなく川の上流から滑り降りてきた奇襲部隊は、その勢いのまま水路越しにヨゼグラード市街地まで侵入したのです。


「突撃のチャンスを逃すな。吾が見定めるから、合図と同時についてこい!」


 シルフはこの奇襲を行うために部隊を分けて、ソリの得意な者を河川の上流まで移動させていたのです。


 その移動の為に、4日という時間がかかっていたのでした。


「ゴルスキィ小隊長、報告です。敵の塹壕、動きが乱れている場所がありますね」

「ふむ? どこだ、トウリ」

「右前方、配置が減って装甲兵が薄くなっています。後ろ側に装甲兵を配置しなおしたのかもしれません。かなり手榴弾が通りやすくなっているかと」

「……そうか、それは好機!」


 塹壕は、敵に後方に入られると一気に脆弱性を晒してしまいます。


 前方向からの防衛に特化した作りなので、特に横や上からの攻撃には弱いのです。


「今こそ、突撃ィ!!」


 後ろに入られた塹壕など、脆いものです。


 自分達はようやく掴んだチャンスだと、意気揚々で突撃を行いました。









 こうしてシルフ・ノーヴァの奇策は、成就しました。


 敵は後方を攪乱され、指揮系統が大混乱するという千載一遇のチャンスがやってきたのです。


「なかなか良い献策だったぞシルフ、実に見事!」

「どうも」


 シルフ自身、かなり作戦の成功に安堵してはいました。


 彼女は兵士の士気が低すぎるのを知っており、奇襲部隊が全員逃げ出さないかと内心ヒヤヒヤしていたそうです。


 流石に軍人としての矜持が勝ってくれたかと、胸をなでおろしました。


「右翼は敵の第2塹壕を制圧したそうです」

「そうか。ゴルスキィ達だろう、ここから一気に攻め込んでもらうとするか」

「む、だが中央は迎撃に遭い、撃退されたらしいぞ」

「後ろを取られたとはいえ、敵もいきなり総崩れとはいかんでしょう。1部隊でもどこかの塹壕を制圧出来れば、そこから一気に敵は崩れます」

「そんなものか」


 こうなれば、後はしめたもの。シルフは、何処か塹壕を一か所でも突破出来れば、それで勝利だという確信を持っていました。


 そして、それを成し遂げるゴルスキィエース小隊が存在する事も知っていました。


 こういう場面でこそ輝くのが、エースなのです。決定的な好機をモノにする、戦場全体の勝敗を決する戦果をもたらす存在。



 ……そう。個人で戦況を動かせる人物こそ、エースの名を許されるのです。



「中央の敵軍が、こちらに突撃してきました」

「む、何だと!」

「背後を取られて、焦ったんでしょうな。冷静に追い返せば良いでしょう」


 ここでシルフに一つだけ、小さな誤算がありました。


 ゴルスキィさんの突撃成功で作戦は見事に成功したかに見えたのですが、不運な事に敵にも傑物は混じっていたのです。


「突出してきた敵の小隊の一つが、我らの塹壕を突破しました」

「は?」


 そう。


 それは名前も知らぬ、まだほとんど実戦経験も無い、若手の指揮官でしたが────


「敵部隊、まっすぐこの幕舎に向かってきています」

「ちょ、ちょっと待て」

「何処から嗅ぎつけたのかわかりませんが、敵はこの司令部の位置を知っているようです!」

「げっ、迎撃を!」


 恐らく将来は『エース』の称号を手にしたであろう、勇敢で有能な小隊長が敵にも居たのです。


 その部隊はすさまじい勢いで侵攻し、我々の防衛網を突き破って司令部に迫りました。


 敵は野生じみた勘で周囲を圧倒しながら、この『ブレイク将軍が居る司令部』へ突撃してきたのです。


「中央軍に通達、攻撃を中止して反転せよ! 侵入してきた敵部隊を背後から討つよう命令を出せ」

「待ってください司令、中央付近の兵は塹壕突破に必要です。後方に控えさせている予備兵力を迎撃に向かわせて」

「それでは遅い、ここに敵が来たらどうする!」


 この敵のがむしゃらな突撃が、実に強烈でした。


 たった1小隊ですが、中央突破されたことで、こちらの侵攻作戦がほぼ機能停止してしまったのです。


「今が千載一遇のチャンスです、此処を逃したらもう塹壕の突破は難しい」

「だが司令部を叩かれるわけにはいかん。指揮系統を失えば軍は瓦解する」


 この機会を逃したくないシルフは予備兵力で何とか対応したかったのですが、ブレイク将軍は中央軍を引き返しての防衛を即断しました。


 実際、この未来のエース小隊に司令部を叩かれたら、軍は空中分解していたでしょう。


 なので、ブレイク将軍の判断は誤りではありません。


「多少は博打をしないと、本当に勝てなくなりますよ!」

「知らん!」


 しかしシルフは「このタイミングを逃したら二度とヨゼグラードは取れない」事を良く知っていました。


 ソリによる突撃なんて奇策が通じるのは一回こっきり。


 それも中央突破に時間がかかれば、奇襲部隊は鎮圧されてしまうでしょう。


 だからこそ、今しかないのです。


「おそらく敵はエース部隊だ、遊撃部隊を呼び戻していたら間に合わん!」


 しかしブレイク将軍は、何かしら確信があったようで。


 彼は中央軍を撤退させ、突破してきた敵のエース部隊を迅速に包囲し、殲滅させるよう指示を出しました。





「ほうら、見ろ。敵はもうここまで来ていた」


 臆病な男だからこそ、何かを感じとっていたのでしょう。


 敵の侵攻速度はすさまじく、シルフの言う通りに遊撃部隊を移動させていたら間に合わない速度でした。


 もしシルフの言う通り博打に出ていたら、司令部を潰されていたでしょう。


 ブレイク将軍の采配が当たった形になります。


「これが敵将だ」

「うわ、むかつく顔をしていやがる」


 その、凄まじい執念の短期突破を成し遂げた若い男の指揮官は、やり遂げた顔で雪原を赤く染めて死んでいました。


 この男はたった1部隊で、自らの命と引き換えに千載一遇のサバト政府軍の攻め手を潰して見せたのです。


 エースになりうる凄まじい才能と能力を持っていたその男は、歴史に名を語られる事も功績を称えられる事もないまま、ブレイク将軍の臆病な指揮により殺されてしまいました。


「よし、よしよし。危ない所だった、冷や汗をかいたぞ」

「……」


 それと同時に、シルフはサバト政府軍の敗北を確信しました。


 運が悪かったのか。はたまた、運命だったのか。


 主力である中央戦力を引き返してしまったので、きっと戦列はガタガタになっているでしょう。


 今から再度侵攻しようにも、恐らく中央部の塹壕は敵に制圧されています。


 シルフの頭脳が捻り出した千載一遇のチャンスは、こうしてたった1部隊の活躍により潰されたのです。


「……負け、ですね」

「何を言うシルフ、貴様」

「今日がヨゼグラードを取り返す、最後のチャンスでした。これ以上は被害が増えるだけ、撤退を進言しますブレイク司令」


 シルフ・ノーヴァはブレイク司令に、そう提案しました。


 彼女はとうとう、無茶が過ぎる暴走進軍のツケを払う日が来たのだと悟ったのです。


「いや、今日も優勢だっただろう。時間を掛ければ十分に勝機はあるはず」

「今日が、最後の優勢に戦える日でした。私たちは、あまりに多くの将兵を失いすぎました」


 この時点で、ヨゼグラード攻略戦であまりに多くの被害者が出ていました。


 ヨゼグラード攻略にあたり、動員された兵士は東方司令部から約5万人ほど。そのうち、既に半数近くが死亡・脱走していました。


「潮時です」


 兵士の士気は低く、毎日のように凍死者が出ています。


 物資運搬も自転車操業で、多くの被害が出たからこそ逆に足りている状況でした。


 そして乾坤一擲の奇策も未来のエースに防がれてしまい、サバトの誇る天才もとうとう打つ手がなくなってしまったのです。


 これ以上は何をやっても、勝ち目はない。ただ徒に、兵士を消耗するだけである、と。


「もう、本当に無理なのか」

「閣下。それは閣下自身が、一番よくご存じでしょう」

「貴様から、また何か妙案が聞けると信じていたが」

「私の能力不足をお詫びするところです」


 シルフにそう断言され、ブレイク将軍は苦々しく臍を噛みました。


 彼自身、もともと無理だろうなと感じていた作戦です。


 実際に力押しをしてみて凄まじい被害をだし、いよいよ彼もこの無謀さを自覚していました。


「……もう、案は無いのだな」

「ええ。私の思い描く先は、今日でヨゼグラード西部を手中に収め、敵の潤沢な魔石弾薬を奪った上にありました」


 シルフは今日の攻勢だけは、潰されたくありませんでした。


 ここを失敗したら、弾薬も魔石も足りず兵士は凍え、どうしようもなくなるのです。


 何としてもサバト軍は今日中に、市街地に到達せねばならなかったのです。


「ブレイク司令、総撤退の準備を。今も攻勢を続けている、左右両翼の部隊にも後退の許可を」

「……」


 この敗北を引き出した、名も知らぬ労働者議会のエース部隊。


 その男のやり遂げた顔を横目に見つめながら、シルフはそうブレイク将軍に迫りました。


「……」

「司令!」


 しかしブレイク将軍は、この期に及んでまだ迷っています。


 その彼の苦渋に満ちた表情に、シルフはこれ以上はゴネさせまいと強い口調で声をかけ、


「あ、シルフ様、前線から報告です。ゴルスキィ小隊が、敵の砲兵陣地と市街地の一部を制圧したそうです」

「……」


 その報告を聞いて、黙り込みました。

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