第104話
ルソヴェツ要塞を攻略し、自分たちサバト政府軍は戦勝に沸いていました。
圧倒的不利な物資状況だった、ルソヴェツ要塞攻略戦。
この無謀な戦いを、たった1日で完勝してしまったのですからそりゃあ士気もあがるでしょう。
「本当に敵は弱いぞ」
「勝てる、勝てるんだ」
このルソヴェツの戦いの被害者は7000~8000人程と言われています。
その殆どは、ルソヴェツ要塞を守るべく募兵に応じた義勇軍の兵士でした。
彼らの大半は、レミさんの描いた理想に惚れ、新たな時代を築き上げるべく銃を持った『徴兵年齢前の若い男性』でした。
「今日は祝宴だ! 流石に今日くらいは羽目を外せるんだよな、シルフ様!」
「……ああ、褒賞をかけ合ってこよう」
「期待してるぜクソガキ参謀大尉殿!」
シルフ中隊の兵士も、確保した拠点で勝ち鬨を聞いて大騒ぎしていました。
自分は衛生兵なので、堡塁の中に隠れたままその様子を見守っていました。
「貴様らよく頑張った」
そして、この凄まじい戦果を挙げたシルフはと言えば。
兵士の言葉に適当な相槌を打ちながら、その堡塁の近くに転がっている童顔の少年の遺体をぼんやりと眺めていました。
「……」
その少年は枯れ草と泥で顔を汚し、瞳孔は灰色に霞んでいました。
彼の腕に巻かれたリボンには、サバト語で「未来で会おう」と短く記されていました。
それは出征する兵士に家族が掛ける慣用句の様な、生還を願う祈りでした。
「シルフ様、何を見ているんだ?」
「いや、別に」
この亡くなった少年は、まだ10代前半でしょうか。
この少年はきっと、満足に兵士として教育も受けないまま出征したのでしょう。
だから最前線ではなく、この2層目の堡塁に配備されていたのです。
きっと家族も居たでしょう。もしかしたら、恋人だっていたかもしれません。
「……ちっ」
シルフは、市民が傷つくのを嫌いました。
兵士は民を守るために命を張るものだという、確固たる理念があったからです。
市民に被害が及ぶのは、敗北だとすら捉えていました。
そんな彼女が、武装蜂起した市民を相手に戦う心情はいかなるものでしょうか。
「早く革命勢力を潰さないと、さらに悲劇は広がる。貴様ら、羽目を外すのは良いが気は抜くなよ」
「
「そして、先程から口汚い貴様は酒抜き」
「えっ」
少なくとも自分から見る限り、シルフはこの空前絶後の大勝をあまり喜んでいるようには見えませんでした。
「なぁトウリよ。少し、私とチェスに付き合わんか」
「またですか」
「今日は裏などない。ただ、付き合ってほしいだけさ」
シルフはブレイク将軍から、一番槍の功績を評され酒と干し肉を貰ってきました。
それを受け取った兵士達は、要塞の一角を占拠して飲み会を始めました。
「エライアが負傷兵の治療に駆り出されていてな。退屈なんだ」
「そういやシルフ様は、エライアさん以外とあんまり話してる姿を見ませんね」
「……言うな」
いつも彼女の傍に控えているエライアさんも、戦闘後は治療に駆り出されて大忙しみたいです。
自分は敵国の衛生兵なので、働かされずに済みました。
オースティン人なので、何か悪戯するかもしれないと思われていたようです。
「自分なんぞより、もっと明るい兵士と飲んだ方が酒が旨いと思いますよ」
「そんなことは無い」
自分はシルフに付き合って、教えられたとおりにチェスの駒を並べていきました。
自分はチェスは好きではありませんが、シルフの落ち着いた雰囲気は嫌いではありませんでした。
「私は今日の戦いに、あまり明るい気持ちになれんからな」
「そうですか」
「それは貴様も同じではないか? トウリ・ロウ」
自分もこの日は、あまり楽しい気分になれませんでした。
それは今日戦った敵が、想像以上に「子供」だったからでしょう。
「自分は。……自分より年下の人間を、生まれて初めて殺しました」
「貴様も、銃を撃ったのか」
今日戦った敵は、物凄く若い相手が交じっていました。
前世では中学生じゃないかという歳の、あどけない敵兵をたくさん見ました。
「彼らは、きっと」
「労働者議会に乗せられ、操られた市民だよ。……子供を殺して飲む酒なんざ、旨いとは思えん」
「……」
「でも、飲まなきゃやってられん。ああ、酒というのは麻薬だな」
こうして話してみて思います。
シルフは軍の指揮官という立場でありながら、どこまでも普通の感性を持った少女でした。
戦争に狂わなければならないのに、まだ狂いきれていない部分が残っていました。
「あのテロリスト共には、絶対に政権を渡してはいかん。国が亡ぶ」
「そうなのですか」
「当たり前だ」
シルフは忌々しそうに酒を飲むと、労働者議会という敵についてボヤき始めました。
「……全国民で財産を共有するという社会は、嘘つきが出ない前提でしか成り立たない。作物を多めに作って隠すだけで、人より裕福な暮らしができるからな」
「そうでしょうね」
「すると皆がウソをつき、虚言と賄賂が蔓延る社会になる。その先に待つのは、更なる混乱。思想そのものが間違っているんだよ、あのテロリストども」
「では国家が、嘘を吐けないようなシステムを作るのは難しいのですか?」
「いや、それは可能だ。酷く簡単にな」
シルフは、労働者議会の考えをとことん嫌っているようでした。
従軍中、自分には何度も「夢見がちな馬鹿が考えた、頭の悪いシステムだ」と口汚くののしっていました。
「その思想の狂信者だけで国を作ればいい。そうすれば、誰も嘘をつかぬ奴らの理想の国家が出来るだろう」
「……」
「辺境の小村でそれをやるなら、好きにすればいい。その思想を他人に強要し、一大国家を築き上げようというのが問題なのだ」
そう。聡い彼女は前世の知識もないというのに、
「ヤツの作る社会では、狂信者以外は罪人でしかない。すると、今までは一般市民だった筈の罪人をひたすら処刑していく独裁国家の誕生だ」
「成程」
「敵のこれまでの行動を見る限り、処刑に躊躇いなど感じんだろう。奴らが勝利した先には地獄しか始まらんさ」
共産主義国家の末路を、まるで見てきたかのように断言して見せたのです。
「私はな、トウリ。人の命を奪う仕事についている限りは、奪った命に見合った『平和』を実現しなければならんと考えている」
「……」
「私は血に濡れた両手で、誰かの幸せを守らねばならないのだ」
シルフは、ずっと悩んでいたようです。
彼女の仕事は、大量に敵を殺す事。
敵を殺す度に傷ついていく彼女が戦い続けるためには、殺人の先に平和があると信じ込まねばならなかったのです。
「私は、もう私の家族を失ってしまったけど。それでも誰かの家族くらいは、守ってやりたい」
「シルフ、様」
「それはオースである貴様にも、だ。トウリがあの幼子と、平和に一生を終えられる場所を作ってやるのが今の私の目標さ」
「……ありがとうございます」
「まぁその為に、貴様の力を借りんといけないのだがな。格好がつかないもんだ」
傷ついて、狂気に支配されそうになって、なお誰かのために前に進もうとする少女シルフ・ノーヴァ。
人を殺すのが大好きな、どこかの誰かに見習ってほしいものです。
「ほら、トウリ。この盤面はどうすれば良い?」
「えっと。女王で切り込めば、タダで駒が取れそうですが」
「残念、それは罠だ。一見するとタダに見えるが、こうすれば逃げ場を塞がれる」
「あっ」
「ポーンを進めるのが正解だ。安易に女王で切り込まんほうが良い」
シルフはそのままヴォック酒を口に含みつつ、自分にチェスの手ほどきを始めました。
「いつもの勘の良さはどうした、もっと盤面全体を見ろ」
「盤面全体、ですか」
「チェスの駒は、盤面全体に干渉できる物が多いだろう。局地だけを見ていると、見落としが多くなる」
チェスが趣味というのは本当のようで、シルフは珍しく楽し気に話をしていました。
自分は彼女に教わるがまま、チェスの駒を動かしていきます。
まぁ、確かに戦略性のありそうな奥の深いゲームですね。じっくり考えて駒を動かすのは、戦略眼を養うトレーニングにもなりそうです。
「そうだな、では私はここにナイトを進めよう」
「むむ……」
「よく考えろ? 今の手は強いように見えて、非常に迂闊な一手だったぞ。ここから上手くやれば、貴様は私を詰ませることが出来る」
「本当ですか」
「ああ、本当だとも」
今回のシルフは手加減モードのようで、わざと迂闊な手を打って自分に考えさせるよう戦っていました。
自分の得意分野を、人に布教するは楽しいのでしょう。珍しく、彼女は心の底からの笑みを浮かべているように見えます。
こうしていると、シルフは年齢相応の少女にしか見えませんね。
「一手目はここ、ですか」
「おお、素晴らしい。やはり貴様は才能があるぞトウリ」
よくよく考えて、何とか自分は細い詰みルートを見つけました。
これが正解なのか少し自信はありませんが、シルフの顔を見る感じ間違っていなさそうです。
「だが、次の手は少し難しいぞ。よく考えろ」
「む、そうなんですか」
「ああ」
自分は楽し気なシルフに見つめられるまま、ウンウンと唸ってチェス盤を見つめ……
「何だ、何だ。指揮官殿は宴席でチェス盤なんて広げやがって」
「場が白けるじゃねぇか!」
「うわっ、何だ貴様ら」
そうしている間に、とうとうベロンベロンに酔っぱらったシルフの部下に乱入されました。
「おいゴルスキィはどこにいる、この馬鹿どもを鎮圧しろ」
「ゴルスキィさんはヴォック鉄帽を一気飲みして気を失った」
「何をやっているんだあの馬鹿!」
周囲が騒がしくなりましたが、自分は気にせず盤面を睨み続けます。
む……女王を動かすのに固執せず、他の駒を上手く使えばもっと確実に……?
「分かった、こいつら脱衣チェスをしているんだ! 負けた方が脱ぐに違いない」
「そういう事なら納得だぜ! ヒュー」
「オースちゃんよりかは、大尉のがマシか……?」
「誰が脱ぐかァ! 貴様らは私を上官だと認識しているだろうな!?」
あ、そうか。女王より先にルークで切り込んでチェックすれば、攻めが途切れませんね。
となると、次の手は女王ではなくルークから……。
「チェック、です」
「あっ」
見えました、確かにこれで詰みますね。
この盤面を、シルフは何手前から読んでいたのでしょうか。
「おお! クソガキ様が負けたぞ!」
「おら脱げ脱げぇ!」
「……」
そう思って自信満々に顔を上げると、顔を真っ赤にしたシルフが、
「貴様らいい加減にしないと全員素っ裸にして雪原ランニングさせるぞ!」
「ひえー」
目を怒らせて、泥酔した兵士を追いかけまわしていました。
……サバト軍の宴会は、本当によくないですね。
「年頃の女に向かって何たる口の利き方……上官と部下以前に、人間としての礼儀にもとる。そうは思わんか!」
「そうですね」
乱痴気騒ぎが終わった後、シルフ中隊の兵士はうすら笑いを浮かべ寝落ちしてしまいました。
……吐物で窒息しないよう、後で体勢を整えてあげましょう。
「ですが彼らも、シルフに馴染んでもらおうとしているのですよ」
「そうだとしても。もう少し、敬えとは言わんが上下関係をだな」
「それは……、難しいものです。見た目というのは重要らしく、自分も部下になかなか従ってもらえませんでした」
「まぁ、貴様の見た目はなぁ。……というか、部下居たのか」
「衛生小隊長でしたよ、オースティンでは。何処かの国の大攻勢で、上官が根こそぎ行方知れずになったので」
「あそこで仕留め切れていればな。いや、無条件降伏を引き出したわけだし、仕留めてはいたのか」
シルフは遠い目で、かつての大攻勢に思いをはせているようでした。
自分からすればトラウマでしかない撤退戦なのですが、彼女からすれば栄誉の瞬間……だったのでしょうか。
「トウリ、オースでのサバト兵の蛮行はさぞ憎かったろう」
「……」
「実は、私もだ。そこまでする必要がどこにある、戦後の統治に悪影響が出るだけだ、無駄な虐殺をするなと戦勝に沸く兵士を怒鳴り散らかして────、とても白い目で見られたよ」
シルフは、そう言うと少しだけ俯きました。
「あの時はまだ、私はオースが憎くなかった。何せ、従軍した直後の小娘だ。オースに個人的な恨みなどなく、ただ父に褒められたくて必死に作戦を練っていただけだった」
「そうですか」
「オースとの決戦で父を失って、初めて蛮行に及んだ兵士の気持ちを理解した。敵が憎い、殺してやりたい、復讐したい。北部決戦に敗れた後、私はしばらく復讐に取りつかれていた」
「……今も、憎くはないのですか」
「憎いさ。でも、何だ。お前を見て少し、気が変わってしまった」
彼女は酒臭い白い息を吐いた後、チラリと自分を流し見て話を続けました。
「お前は憎いオースだというのに、話してみるとどこにでもいる普通の女だ。……ちょっと変わってはいるが」
「ええ、自分は何処にでもいる凡人ですとも」
「最初にお前がオースだと聞いて、殺そうと思った。でも泣きわめく貴様の話を聞けば聞くほど、何で殺さなきゃならないのかわからなくなった」
「……」
「最初から殺しあわなければ良かったんだ。殺し合いなんかで、国の利益を追求してはいけなかった」
「それは。きっと、その通りです」
シルフは少し酔った顔で、もう一度グビリとヴォック酒を飲みました。
彼女の上気した頬に、零した酒の雫が滴ります。
「首都ヨゼグラードを奪還した後に、改めてオースに講和を申し込むべきだと思う。だがそのためには、邪魔な奴らが居る」
「邪魔な、人ですか」
「私にはその踏ん切りがつかん。より多くの人を救うためとはいえ、手を汚して癌を取り除く決意が出来ん。私は、思った以上に凡人らしい」
この日は珍しく、シルフは自嘲を溢しました。
それも、とても剣呑な内容をはらんでいました。
「トウリ。貴様がもし、誰かを殺すことで大多数の命を守れるとしたらどうする」
「難しい問題ですね。その人に何の罪も無いならば、きっと自分は引き金を引くことが出来ません」
「その誰かが、許されぬ罪人であればどうする」
「それは。……その罪の重さと状況次第では、大多数の命を選ぶでしょう」
「そうか」
彼女は珍しく弱々しい声のまま、三角座りで丸くなって、
「お前もそう思うのか、トウリ」
そう呟いた後、黙り込んでしまいました。
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