第53話

 マシュデールでの1日休養の後、我々は西へと進軍を再開しました。


 聞けば南部軍は、破竹の勢いでサバトの補給線を破壊し北上しているそうです。


 その進軍速度は想定より早く、このままだと南部軍との合流が間に合わない可能性が有ったのだとか。


 味方が思った以上に優勢だったせいで、機を逃すことの無いようレンヴェル少佐も少し急いでいたのでしょう。


「今夜は、この辺りにテントを設置しましょう」

「はーい」


 休養日明けのこの日、小隊メンバーに元気がありました。


 かくいう自分も、ぐっすり眠ることができたので調子が良かったのを覚えています。


 こうして元気いっぱいな我々は、マシュデールから10㎞ほど西に進んだ平野で、簡易診療所のテントを設営していました。


「……」

「どうかした、トウリ小隊長?」


 この夜、レンヴェル軍が野宿の場所として選んだのは、ノエルより北の平野でした。


 オースティン軍は自分の故郷、ノエルを通過しなかったのです。


 ノエルは別に、大きな町と町を繋ぐ中継拠点として設置された村ではありません。


 だから、ノエルを通ると遠回りになるのです。


「……いえ。何も、何でもないです」

「そう」


 実はノエルを通らないと分かった時、自分は心底ホッとしていました。


 もしノエルに、今まで見てきた村のような残酷な光景が広がっていた時に、自分が平静を保てるか自信が無かったからです。


 自分は、まだ感情を御せない事が多いです。


 ですが、今までのように誰かに甘えることはできません。


 今の自分は、最年少とはいえ指揮官です。


 ただでさえ舐められやすいのに、取り乱したりなんてすれば完全に子ども扱いされるでしょう。


 それではいざという時に、皆が命令に従ってくれるか分かりません。


 だから自分は指揮官として、精神的にも成長していかねばならないのです。


 もう、自分が取り乱した時にぶん殴ってくださったガーバック軍曹は居ませんので。










「患者さん来ませんね」

「良い事さ、小さな小隊長」


 この日も我々は、交代休憩制を導入していました。


 前半はパラパラと風邪を引いた兵士だったりが受診してきたのですが、後半である自分とアルノマさんの受け持ち時間になる頃には患者が途絶えておりました。


 なので今は、ラキャさんとケイル3等性欲兵には休んでいただき、アルノマさんと二人で歓談していました。


「コーヒーをもう一杯、飲むかい?」

「はい、アルノマさん」


 自分は親睦を深めるため、アルノマさんの生い立ちを聞きました。


 アルノマさんは、俳優をやる前には旅人として世界を回っていたそうです。


 その時に様々な地域での文化や伝承を知って、その旅で得た感動を皆と共有するべく俳優になったのだとか。


「この戦争が終わった後、また兵士をやめて俳優に戻るつもりだ。次の演目は、激しい戦争を生き抜く青年衛生兵の話にしようと思ってる」

「それは素晴らしいです、生きていれば是非見に行かせていただきます」

「生き残るさ。何せこの部隊には私がいる」


 そういってアルノマさんは、自分にウインクをしました。


「それはどういう意味ですか?」

「主人公の周囲の登場人物は、神様から守られるものなのさ」


 最初は不思議なことを言うものだ、と思いましたが。


 どうやらアルノマさんは、「この世界の主人公は私だ」と思っているようです。


 だから自分の周囲の人々は守るし、守られるのだと言い切りました。



「……それは、舞台の上の話でしょう?」

「現実を舞台にして何が悪いのさ」



 ただそれは、決して彼が主人公願望の強い勘違いさんというだけではなさそうです。


 それはどちらかと言えば、彼の願望というより「戒め」であるらしく。


 アルノマさんは自分の人生を演劇に見立て、その主人公として恥ずかしくない行動をとろうという考えを持って行動している人の様です。


「私の人生の主役は私に決まっている。君の人生の主役は君だろう?」

「……その通りです」

「だったら、君は主役としてどう行動するべきか。楽な方へ、自堕落な方へと考えが歪み、主人公らしくない行動をしてはいないだろうか。そう、省みるのが重要だと思うのさ」


 自分が世界の主人公なのだから、妥協した生き方は出来ない。


 その考え方がアルノマさんの根底にあるので、どんなに辛い選択肢であっても「それを選ぶのが主人公だ」と努力し続けたそうです。


「だから、私はいつも魅力的であろうと思っている。主人公に魅力のない劇など、つまらないじゃないか」


 彼のその生き方は少しエキセントリックですが、尊敬できる所も多いと感じました。


 アルノマさんの高い自信は、彼が積み上げてきた努力に裏打ちされているからです。


 何をするにしても一生懸命なアルノマさんは、きっとこれからも成功し続けるでしょう。


 ……それが戦争のない、平和な世界なら。


「アルノマさん。貴方のその高潔な精神には敬意を表します」

「ありがとう」

「ですが、1つだけお願いがあります」

「……何だい?」

「間違っても、自分は何でも出来ると思い込まないでください。いざというときは他人を見捨ててでも、自らの命を大事にしてください」


 自分はこの話を聞いた時、アルノマさんに一抹の不安を感じてました。


 その、高い志と主人公願望から、


「自分は、他人を庇って死んでしまった人を沢山知っていますので」


 何となく彼がサルサ君のように、誰かを救うために無茶をしてしまうような予感がしたのです。


「……うん、気を付けるよ」

「お願いしますね」


 だから自分は、しっかり念を押しておきました。


 アルノマさんは、自分の大切な仲間です。


 くれぐれも無謀な行動をして、命を落としてしまう事のないよう注意しましょう。







「今日はもう、来なさそうですね。いったん、休みますか」

「そうだね」


 深夜、殆どの兵士が寝袋に包まって寝息を立てる時間。


 この時間に活動をしていたのは、自分たち衛生小隊の夜勤担当の人員と、一部の寝ずの番の兵士だけでした。


「じゃあ、寝る準備をしましょうか」


 自分たち衛生兵がテントを建てた場所は、レンヴェル軍の最後方で、周囲をヴェルディ中隊に固めてもらっている安全な場所です。


 自分たちのみならず、非戦闘員の多く所属する部隊の多くがこの最後方に配置されていました。


 それを、敵も予想していたのでしょう。


「……ん? なんだか、外が騒がしいような」

「何かあったのでしょうか」


 時刻は、深夜2時。一部の兵士が松明を持って巡回している以外に、一切の光源のない闇に包まれた平野に。


「爆音? 誰か罠でも踏んだか……?」

「いえ、これは砲撃です! みんな目を覚ましてください、敵襲です!」


 何度も西部戦線で聞かされた、大地をえぐる魔法攻撃の音が鳴り響いたのです。


 自分は即座にテントの外に駆け出して、その夜の空から降り注ぐ炎の雨を確認しました。


 それは丁度、自分達が居る場所へと降り注いできていました。



「総員、退避を!! 敵の砲撃の射程外に移動してください!!」



 自分は即座に声を張り上げて、部隊全員を起こしました。


 この時、敵が奇襲先として選んだのは我々アリア大隊でした。


 恐らくサバトの指揮官は、レンヴェル軍にとって命綱である補給部隊や衛生部隊は最後方であるアリア大隊に配置されていると読んだのでしょう。


「これは……、これが砲撃!?」

「いやぁぁぁぁ!? 死んじゃうぅぅ!」


 この的確すぎる奇襲攻撃で、寝起きの我々は大混乱に陥りました。


 夜の闇のせいで逃げる先すらわからず、右往左往した兵士たちが次々に焼き殺されていきました。



 周囲は厳重に偵察されていたはずなのに、突如奇襲をかけてきたこのサバト軍は一体どこに潜んでいたのでしょうか。


 実はこの時、シルフ率いるサバト軍は堂々と平野の起伏に潜んでいたのです。


 ノエルの付近に、丘がありました。


 その丘は起伏がかなり急で、その陰に兵士を中隊規模で伏せる事が出来ました。


 ノエルの民にとって馴染みの深い『蒲公英タンポポの丘』と呼ばれる観光スポットで、その丘から見下ろす野原が美しいとされていた有名な場所なのですが……。


 この近辺に詳しい者でないと蒲公英の丘なんて知りませんし、丘の裏に深い窪みがあると一目で気付けないのです。


 蒲公英の丘の地形と我々の進軍予想経路を見て、シルフ・ノーヴァはここに兵を伏せる事を提案したそうです。


 この場所は偵察兵が丘を登ればすぐにバレますし、逆に丘の上から銃撃されるリスクが高いので、シルフ以外の指揮官は猛反対したのですが……。


 シルフの「大丈夫、どうせオースティン人は馬鹿ばかりだ」の一言により、強引にこの作戦は決行されたのでした。


 恐らくシルフは、我々が蒲公英の丘付近を通過しないことを読みきっていたのでしょう。



「みんな起きろ! 今すぐここから脱出するぞ!」



 アルノマさんが怒鳴り声をあげ、慌てて自らの装備を背負っている間。


 自分は降り注ぐ砲撃魔法の雨を観察し、その砲撃方向を割り出しました。


「南西です、南西の方角から敵は撃ってきています」

「……各員、後退せよ!! 敵から距離を取ってください!」

「北に逃げろぉぉ!!」


 やがて暗闇の中から、ヴェルディさんの声が響いてきました。


 素早く撤退命令を出してくれたので、これで堂々と後退できます。


「全員撤退、方向は北西を目指してください。駆け足!」

「あひゃぁあああ! もう何よ、何なのよぉ!」

「寝起きの方は、荷物を捨て置いて構いません。ラキャさん、急いで!」


 自分は小隊の全員が起きたのを確認し、先導するように走り出しました。


 寝ぼけて方角を間違えて逆走する人が居ないようにです。


 しかし、


「……オーディさん、何をしているんです!」

「す、す、すいませーん! こ、腰が、抜けて」


 衛生小隊の全員が走り出せたわけではありませんでした。


 看護兵のオーディさんが、尻餅をついたままパニックを起こし、立ち上がれなくなってしまったようです。


 このままでは、オーディさんは爆死してしまいます。



 ───今から背負いに戻る? いえ、それは自殺行為です。


 ───このまま見捨てたらオーディさんは、おそらく助かりません。


 ───まずは、落ち着いてもらう様に声掛けを……



 自分は、その一瞬でオーディさんを助ける方法を色々と考えました。


 しかし結局、有効な手段は思い浮かびません。


 その考え込んだ数秒間、自分が黙り込んでしまったことがマズかったのでしょう。



「あーもう、しょうがないわね!」



 自分が何も言わぬうち。


 気づけばラキャさんが一人で逆走して、オーディさんを背負いに行ってしまったのです。



「な───何をやって」

「ほらオーディさん立ち上がって! 走るわよ!」



 止める暇はありませんでした。


 いえ、止めようとすれば止めれたのかもしれませんが、自分が混乱のあまり指示を出せなかったのです。


「大丈夫、あんなに辛い思いをして走らされてきたじゃない」

「あ、ありがとう、ラキャ」

「良いから、走るわよ」


 オーディさんは涙声で、ラキャさんに感謝を伝えました。


 そして、ラキャさんは看護兵に手を貸して立ち上がらせた直後、




「……え?」




 突如、地面から沸き起こった爆炎に包まれて火達磨になったラキャさん達は、蹴っ飛ばされた空き缶のように暗闇内に転がって消えました。


 ───ジュウジュウと、肉が焼ける音を鳴らしながら。






「あ、ら、ラキャ君───」

「走って!!」



 自分がようやく立ち直り、張り上げた指示はただ走れというだけでした。


「ああなりたくなければ、走ってください」

「ひぃ……!!」


 自分は部隊の先陣を切って真っすぐに走り続けました。


 夜の闇の中、まだ降り注いでいる敵の砲撃に怯えながら、がむしゃらに走り続けました。


「あと100mも走れば射程の外です! 頑張って!」


 振り返ると、ラキャさんとオーディ看護兵以外の全員がしっかりついてきてくれていました。


 全員、死ぬ気で走ってくれているようです。


「こっちです衛生小隊、この坂の下に隠れてください!」

「ヴェルディ少尉!」


 ヴェルディ少尉は既に周囲の兵士をまとめて撤退し、隠れるのに都合がよさそうな地形を確保していました。


 自分は彼の案内に従って、衛生小隊全員を、


「トウリ衛生小隊、合流しました」

「よし、私の中隊はトウリ衛生小隊を護衛せよ。周囲の敵を警戒!」


 ヴェルディ少尉の下まで撤退させることに成功したのでした。













 夜襲砲撃の被害は、それなりに大きい様でした。


「集まったのは何人ですか」

「120名ほどです」

「……そうですか」


 ヴェルディ少尉の率いる歩兵の他に、洗濯兵や輜重兵など非戦闘員を多く含んでの、120名。


 それが、無事にあの砲撃からヴェルディ少尉の元に逃げ出せた兵士の総数です。


 勿論ですが、待っても待ってもラキャさん達が走ってくることはありませんでした。


「ここは、敵の砲撃の射程外みたいですが……」

「敵の魔法兵が前進してきたらヤバいぜ少尉」


 敵の砲撃は、まだ続いていました。


 自分達の前方では爆発音と共に炎が巻き上がり、平野を穴だらけにしていっています。


 ラキャさんの様子を見に戻ることは、不可能でしょう。


「どうする、少尉」

「え、えっと……」


 ヴェルディさんは額に汗を浮かべて、固まっていました。


 と言うのも。今の我々のおかれた状況が、この上なくまずいモノだったからです。



 そう。敵は、自分達をアリアさん達本隊から分断するように砲撃を仕掛けていました。



 我々は四方に敵が潜むなか、孤立してしまったのです。


「つ、通信は? 通信機はないんですか?」

「あります。ですが、魔力を使うと探知される危険が」

「うっ……」


 現在、この場にいる120名で最も地位が高いのは彼です。


 ここにいる皆は、ヴェルディさんの指揮で行動するのです。


「なあヴェルディ少尉。早いとこ、アリア大隊と合流しましょうや」

「……ファリス准尉」


 この場の120名の中に、アレン小隊は居ませんでした。


 彼らも犠牲になってしまったのでしょうか。


 ……いえ、そう言った事を考えるのは後です。


 今はまず、目の前の問題を解決することに全力を出さねばなりません。


「敵は南西から撃ってきてる。それで本隊と分断されちまった」

「そうですね」

「だからぐるっと北へ大回りして、敵を避けて合流しましょう」


 ヴェルディさんが固まったのを見て、ファリス准尉が助言を出しました。


 ヴェルディさんは中隊長とはいえ、指揮官としては新米です。


 そんな時、実質的な指揮を階級が下のベテラン兵士が取るのは、軍隊でよく見る光景でした。



「俺達が先の偵察を行います。少尉は、安全を確認した後に悠々ついてきてくださいや」



 確かにファリス准尉の提案は妥当です。


 敵の砲撃から距離を取りつつ、多少遠回りになろうと友軍との合流を狙う。



 ……ですが、自分の中の誰かが────ファリス准尉の提案を、ヤバいと叫びました。


 北へ進んで逃げるのは一見して正しいように見えますが。


 その行動こそ敵の思う壺になるような、そんな予感がします。


「確かにそうですね。ではファリス准尉の言う通り、このまま北を迂回して────」

「……その。意見をよろしいでしょうか、ヴェルディ少尉」

「おや。どうかしましたか、トウリちゃん」


 この時の自分は、妙に冷静でした。


 自分の責任で、ラキャさんとオーディさんを戦死させたのです。


 普段であればショックで呆然としていても不思議ではないのに、


「北回りは一見安全に見えて、全滅の危険があります」

「……ほう? それはどういう事ですか」

「ええ、ご説明します」


 何故か鼓動が早くなり、脳内は何処までも冴え渡っていました。


 それはかつてマシュデールでゴムージと二人逃げていた時の様な、感情の高ぶりでした。



「ヴェルディ少尉。我々は今から砲撃を避け、敵の潜む南西────その方向へ、突っ込んでいくべきです」



 後に振り返ってみると。


 前世の自分は『コレ』が大好きだったから、FPSゲームに没頭していたのでした。



 いつ殺されるかわからない緊張感。


 どう逃げれば助かるのか、どう行動すれば生き残れるのか、それを考えている時の高揚感。


 この感覚が好きで堪らなくて、ひたすらFPSゲームをやり込んでいたのです。


「……え?」

「自分は正気です、時間がないので手短に説明します」


 これだけが、自分の取り柄です。


 窮地において、冷静に生存する可能性が高いだろう道を探し当てる。


 それは敵を打ち倒せる強者の特技ではなく、死を恐れ逃げる弱者の技術です。



 この世界で自分は、敵を倒すことなど出来ませんが。


 こういった絶体絶命の窮地で、生き残るためにどうすれば良いか考えなさいと言われた時だけ。


 ────前世では、世界の誰よりも強かったのですから。

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