第39話

「ああ」


 ムソン砦を後にして、撤退すること2日。


「ついに、帰ってきた」


 自分達オースティン敗残兵は、とうとう首都ウィンへと帰還することが出来ました。


「母さん! 母さん!」

「おお、ヨット! 無事だったかい」


 ウィンの正門付近には、数十人ほど兵士達を出迎える市民が集っていました。


 おそらく、兵士達の家族や知り合い達でしょう。


 戦友の中には涙を流し家族との再会を喜ぶ者、無言で抱き合う者、座り込んで泣く者などいろいろな人が居ました。



「……これが首都か。華やかなもんだな」

「そうですね、ロドリー君」



 一方で自分やロドリー君など、首都出身じゃない兵士からすればその感動はわかりません。


 マシュデールより栄えている町、という意味では確かに目を見張りますが……。


 自分には前世の記憶がありましたので、流石首都だなーというくらいの感想しか持てませんでした。





 ウィンの正門付近には、大きな広場が設置されていました。


 本来であればそこは、旅商人や傭兵など首都に入ろうとする者の荷車を検問するスペースらしいです。


 自分達はそこに待機を命じられ、中央に報告に行ったレンヴェル少佐の帰りを待つ事となりました。


 少佐は「それなりの報奨金をぶんどってきてやる」と言っていたので、待っていれば何かしらの配給をもらえるのでしょう。


「ロドリー君は、今からどうするおつもりですか」

「南の故郷へ行く。……俺の故郷はまだ、焼かれてないはずだ」

「そうですか」


 終戦後、ロドリー君は故郷に帰省するようでした。


 彼は元々南部の農家の生まれで、兄弟も多く、貧しい実家を支えるべく兵士に志願したそうです。


「おチビは行く当てあるのか」

「……ええ。伝手を辿って、医療に携わろうと思っています」


 自分はレンヴェル少佐の勧め通りに、クマさんに雇ってもらえないか交渉するつもりでした。


 クマさんならきっと、首都でも大きな病院を任されることになるでしょう。そこで衛生兵としての経験を活かし、外傷に強い癒者として働いていくつもりです。


 そもそも回復魔法使いは希少なので、自分程度の腕でも食いはぐれる事はないでしょう。


 そうして生計を立てながら、孤児院や野戦病院ではぐれた人達の行方を追っていこうと思っています。


「じゃあ、お別れだな」

「そうですね」


 思えば、この半年間で一番仲良くした人はこのロドリー君でした。


 何度も命を救われましたし、年も近く話もしやすいので一緒にいる機会も多かった気がします。


 故郷も家族も失った自分にとって、今や一番大切な人と言っても過言じゃないでしょう。


「……貴方には何度も命を助けられました。もし自分の力が必要なことがあればいつでも呼んでください」

「そっちこそ食うに困ったら、ドクポリという村に訪ねてこい。戦友のよしみで、物置と粟飯くらいは用意してやる」


 正直なところ、彼と別れるのは少し寂しくありました。


 しかし、もう戦争は終わっています。


 ガーバック小隊長は死に、小隊は解散されました。


 自分とロドリー君を繋ぐものは、もう何もありません。


「……」


 こうして、自分にとっては辛い出来事や経験となった東西戦争は、オースティンの敗北で幕を下ろしたのです。


 色々なモノを失った戦争でしたが、同時にサルサ君にグレー先輩や小隊長殿などから、自分にとって大切なものも沢山貰えました。


 その経験を糧に、自分はこれからも生きていくのでしょう。



「またな」



 ───自分は、差し出されたロドリー君の手をしっかり握りしめ。


 この日、この瞬間まではそんな未来が待っていると、信じていました。










『───親愛なる、臣民に告ぐ』



 今でも、たまに夢想することがあります。


 もし、本当にここで戦争が終わってくれていたら、どれほど良かったことだろうと。


「ん? 何だ、この声は」

「音声放送、でしょうか」


 それは、自分達がウィンに入って半日ほど経った時刻でした。



『───我々の想いは、踏み躙られた』



 我々敗残兵が正門付近で、戦友達と別れを語り合っていた最中。


 無機質な声色の公共音声放送が、待機中の我々の耳へと流れてきたのです。



『───前日の昼、忸怩たる想いで差し出した降伏文書は棄却された』



 その放送の意味を理解するまで、しばらく時間がかかりました。


 流石は首都、町内放送なんてシステムが整備されているんだなぁなんて呑気な感想を抱いていました。



『───敵は既に進軍を再開した、臣民は手に武器を取り、戦闘に備えよ』



 しかし、やがてその放送の内容が理解できていくにつれ、自分の顔が真っ青になるのを自覚していきます。


 同時に首都ウィンのそこら中から、怒号と絶叫が広がり始めました。



『───我々には、降伏すら認められなかった』



 そう。


 我々の降伏声明から2日ほど経って、サバト連邦がオースティンの無条件降伏を拒否したのです。


「降伏拒否ってなんだァ!」

「……」


 この行為は、当時の倫理観からしても有り得ない程に非道なものでした。


 現に、頭を垂れて許しを乞うた国をさらに攻撃するという残虐な行為は、当時の自国民からすら非難の的にされたといいます。


「奴らはまた、攻めてくるってのか!? 俺達はまた、戦わなきゃいけねェのか!?」

「……あ、あ」


 自分は茫然とその場にへたり込み、ロドリー君は顔を真っ赤にして激高しました。


 戦争が、まだ続いてしまう。


 敵がもうすぐ、自分達を殺しにやってくる。


 そんな恐怖がぐるぐると頭を支配して、自分は目眩と共に地に伏せってしまいました。



「だったらガーバック小隊長は、何の為に死んだって言うんだ!!」



 戦争は終わったものと、思い込んでいました。


 降伏を拒否されるだなんて、想定すらしていませんでした。


 また、戦争が始まる。


 自分はその事実に打ちのめされ、茫然自失に陥っていたのです。




 何故、当時のサバト連邦の政府は無条件降伏の拒否などという暴挙に出たのでしょうか。


 これについては、当時のサバト政府高官が戦後に2度、釈明を行いました。



 最初の言い分はこうでした。「オースティンの言語が翻訳できず、降伏ではなく講和だと誤訳した。降伏を拒否したのではなく、講和拒否という意味だった」と。


 しかし、この言い分は当時の前線指揮官によって明確に否定されてしまいました。


 何故ならその指揮官は一度、『無条件降伏の声明が出たので進軍を停止せよ』という上層部の命令をはっきり聞いていたからです。



 このお粗末な釈明には非難が集中したため、途中から釈明内容は変更され「ムソン砦での迎撃行為が有ったため、無条件降伏は敵の偽報作戦だと判断した」としました。


 これも、当時のオースティンの戦況から無条件降伏が偽報だと判断するのはあまりに無理があると突っ込まれまくったのですが、現時点ではこの釈明が正式な当時の首脳の見解だったとされています。



 しかし一方で、市民の間ではこんな噂が流れています。


 無条件降伏の拒否は、企業から賄賂を受け取った政府高官のせいである、と。


 つまり『あまりにも終戦が急すぎたので、武器弾薬を製造している企業から待ったがかかったのだ』という噂です。



 当時サバト連邦の国民は重税を課され、その財産を兵器や武具に宛がわれていました。


 なのでこの戦争はサバト国民からは不満だらけでしたが、一方で軍事物資を扱っていた企業にとってはボーナスの様な『戦時特需バブル期』でもあったのです。


 敵の兵力はオースティンより倍近かったため、いくら生産しても物資が足りない状況でした。


 だから企業が作った商品は、そのまま全て政府に公金で買い上げてもらえたのです。


 そんな美味しい状況だった為、10年にわたる戦争の長期化を受け、企業は生産ラインを増築し続けておりました。


 

 しかし、シルフ攻勢により一気に東西戦争は終戦に向かってしまいます。


 企業からすれば、巨額の投資して生産ラインを整えたのに、急に需要が無くなられると困るのです。


 戦争というお祭りが終わり、これからは大きな減収が予測される企業達。


 そんな彼らから、せめて『今の在庫を売りさばけるまで戦争を続けて欲しい』という賄賂があったのではないか。


 そんな、真っ黒な噂です。



 後は、シルフ・ノーヴァが戦争継続を希望したからだという説もあります。


 シルフが「我々は恨みを買いすぎた。オースティン国民が反乱を起こさないよう、口減らしをするべきである」と頓珍漢な提言をして、それに軍部が従ったのだという説です。


 なお、これに関して本人がきっぱり否定しています。


 それに、当時の彼女はまだブルスタフ将軍の付属品みたいな扱いでしかないので、そんな権力もなかったでしょう。


 彼女の後世の印象から、シルフならそんなことを言い出しても不思議ではないと思われ出来た説と思われます。



 いずれにせよ、どうして当時のサバト政府がそんな決断をしたかという理由は闇の中です。


 ただもしも『企業から贈賄を受けて戦争を継続した』という噂が事実であったら、どれだけ冷酷で傲慢な決断だったことでしょう。


 彼らはオースティンの民の虐殺を許容し、自らの私腹を肥やそうとしたわけです。それは到底、許せるものではありません。



「ああ、見える」



 この時ウィンには、ロクな戦力が残っていませんでした。


 正規兵は我々敗残兵を含めても500名に満たず。


 武器弾薬はマシュデールから運び出せていたものの、銃を撃ったことのある人間は殆どいません。



「我々を殺しに来た、悪魔の軍勢が見える────」



 そんなウィンの市民たちにとって。


 遠目に、広く展開されたサバト連邦の正規軍が迫ってくる光景は、どれだけの恐怖だったでしょうか。



「逃げ道はない、どこに逃げても一緒だ」

「せめてあの悪魔に、一矢報いたいものは名乗り出ろ!」

「女子供を逃がす時間を稼げ!」


 市民たちの中には勇敢に立ち向かおうとする者もいました。


 彼らは運ばれてきた武器弾薬を手に取って、我々敗残兵にその扱い方を習いに来ました。


「死ぬときは一緒だ」

「敵が来たら、家に火を放とう」


 また全てに絶望し、心中を図ろうとする家族もいました。


 彼らは最期の瞬間まで、楽しい思い出の詰まった我が家で抱き合っていようとしました。


「逃げるんだ、地の果てまでも」

「持ち出せるものは全て持ち出せ、絶対に生き抜くんだ」


 そして。行先も定めぬままに、どこか遠くへ逃げようとする者も大勢いました。


 その目に色濃い絶望を浮かべながら、彼らは狂ったように走っていきました。




 そんな喧騒の中、自分は一歩も動けませんでした。


 自分は、どこか現実感のない、フワフワとした夢を見ているような気分でした。


「おいおチビ、何をボーっとしてる!」


 この時ロドリー君は、自分の肩をずっと揺らしていたのを覚えています。


「呆けてる場合じゃねぇぞ!」


 きっと、自分はさぞ情けない顔をしていたことでしょう。


 目を見開いて、何も考えることもできず、迫りくるサバト兵を眺めることしか出来なかったのですから。









 シルフ・ノーヴァは間違いなく、この東西戦争における主役の一人でした。


 長きにわたる戦線の硬直を打ち砕き、サバトに完全勝利をもたらしかけたこの少女は、歴史を動かした天才といっても過言ではありません。


 戦争がこの時点で終わっていたのであれば、彼女は救国の英雄であると評価されたでしょう。



 ですが現実には、後世の書籍においてシルフの名前はいつも、『とある男』と比較されて記載されます。


 彼女の後世の評価は『史上最低の愚将』です。


 確かに、彼女はこの後あまりに致命的な失敗を数多く重ねました。


 ただし、比較対象となったこの男のせいで大きく評価を落としてしまっている部分も多いと感じます。


 つまり『相手が悪かった』と、そう言ってあげても良いのかもしれません。




 たった一人の人間が、歴史を動かすなんてことは多々あります。


 それはシルフがそうであったように、時代を大きく進める天才と言うのはどんな場所にも一定の確率で現れるのです。


 しかし、そんな天才の多くは凡人に理解されず、世に出ることは出来ません。


 何故なら、理解されないがゆえにその能力を見出されず、生涯を終えてしまうからです。


 シルフ・ノーヴァが世に出た理由は、たまたま彼女の父親ブルスタフがサバト軍で屈指の権力者で、かつ娘の才能を理解するだけの器を持っていたという様々な幸運が重なった結果でした。


 だから、歴史の表舞台に立てる天才と言うのは、本当に希少なのです。


 幸運ではない天才は、奇人として俗世に埋もれてしまうだけなのですから。





 ────そんな不運な天才が、実はこの時代にもう一人だけ居たのです。





 それは自分達がウィンに落ち延びる、1日前に遡ります。


 実は首都まで情報が伝達するのにタイムラグがありまして、サバト軍が無条件降伏の拒否を宣言し、侵攻を再開したのはこのタイミングでした。


 サバト連邦は、潤沢に余った兵器弾薬を惜しみなく注ぎ込んで、全戦線で・・・・攻勢を開始したのですが……。



「入室許可を求めます」

「来たか」



 しかし、その攻勢の開始より10日ほど前に。


 とある男性将校が、南部戦線の指令室に呼び出されていました。



「お初にお目にかかります、アンリ中佐殿」

「ご苦労、ベルン君」



 彼の名はベルン・ヴァロウ少尉。


 このベルンという将校は、士官学校をそれなりの成績で卒業し、参謀将校の見習いとして働くことを許されました。


 しかし「とある理由」で一年前に参謀失格の烙印を押されてしまい、事務係に左遷されていた人間です。


 そのとある理由、というのが。



 ───1年も前にシルフ・ノーヴァと全く同じ『全戦線による多点同時突破作戦』を提案し、現実的な作戦立案が出来ない参謀将校と見なされてしまったからです。



 ベルンは事務仕事もそれなりにこなせたので、参謀ではなく裏方としてこの1年ずっと南部戦線の雑用係をこなし続けました。


 しかし2週間前。


 シルフ・ノーヴァによる多点同時突破戦略によりオースティン軍が壊滅した事を聞き、南部戦線指揮官だったアンリ中佐はベルンの事を思い出し、慌てて彼を司令部に招集していたのです。


「自分達の目が曇っていた。先の非礼をまず詫びさせて欲しい、君がかつて提出した作戦案は決して的外れではなかった」

「うぇっへっへ、そいつはどうも」

「……そして、改めて君の意見を聞きたい。我々は今から、どう動くべきか」


 指揮官アンリは、ベルンを事務係に左遷したことを謝罪し、何か意見を出してくれと乞いました。


 一方でベルンは左遷されたことを気にした様子もなく、「1年ほど楽が出来ました」と屈託なく笑ったそうです。


「まぁ、確実に勝つとは言いませんけど。分の良い賭けになる作戦案なら、ありますよ」

「本当かね」


 そして、彼は現状を打開する作戦を聞かれ、こう答えました。






「知っていますか、アンリ中佐。ジャンケンで連続勝負する時、勝ちやすくなる方法を」

「……いや、分からない」


 彼は作戦案を説明するにあたり、まるで世間話でもするかのように気安く指揮官に話をしたそうです。


「人はどうやら、直前に自分が出した手に勝つ手を出したくなるそうです」

「……それで?」

「その人が前にどんな手を出したか。それを覚えてさえいれば、ジャンケンの勝率が上がりそうじゃないですか?」

「……すまない、もう少し具体的に話してくれたまえ。君は何が言いたいんだ」

「ただ、これって普通の人の話なんですよね。俺達が戦う相手って、普通の人じゃないんです」


 ヘラヘラとのんびりした口調で、ベルン・ヴァロウはマイペースに持論を語り続けました。


 しかし、どれだけ待っても肝心要な作戦の話が出てきません。


「俺達がジャンケンすべきは、敵の参謀なんですよ。普通の人とは思考回路がまるで違う」

「……すまない。まだ、その前置きは続くのか?」

「ええ!」


 しかしベルンは、周囲の軍人が少し苛立ち始めた事を、意に介す素振りすら見せませんでした。


 ただ楽しげに、ピクニックの予定を話すかのように、彼の演説は続きます。


「要するに、敵の参謀が何をしてくるか考えろという話だろう。それくらい、言われずともずっと────」

「あっはっは、考えなくてもいいんですよそんなもの。何せアイツらの考えることは、平民より単純ですから」

「……」

「『前にこの手で勝ったんだから、次もこの手で勝てるだろう』。そんな間抜けな事を大真面目に言って、ドヤ顔するのが参謀って生き物なんです」


 そこまで言うと、ベルン青年はニタリと笑って、こう言いました。


「これだけの大勝です。これだけの成功体験です。相手はきっと愚直に、同じ手を繰り返すでしょう」

「……」

「じゃあ待ってあげようじゃないですか。相手が同じ手で攻めて来るのを」


 と。




 サバト連邦は、その可能性をもう少しだけ考えておくべきでした。


 自分達にシルフ・ノーヴァが居たように、オースティンにも新時代を築く英雄が現れていたという可能性を。



 東西戦争の段階を一気に進め、戦争を勝利目前まで導いた天才シルフ。


 彼女に呼応するかのように、その才覚を見出され抜擢された青年ベルン。


 今後の戦争において、この二人は何度も知恵比べをし、その戦略の切れ味を競い合うことになります。





 無条件降伏が拒否されたその日。


 西部戦線で唯一、お互いにずっと動きがなかった南部方面において、朝一番からサバト連邦の攻勢が始まりました。


 前任指揮官で辞職したエーヴェムに代わり、新たにサバト側の南部の指揮官となったニヴェムが「自らも戦功を立てたい」と南部での攻勢を熱望したのです。


 完膚無きままに、オースティンを攻め滅ぼす。ついでに、余った軍事物資を使い切ってやろう。


 もうこの戦況ではオースティンは戦意を維持できまい、きっと赤子の手を捻るより簡単に勝てるだろう。


 この時、ニヴェムもサバト参謀本部も、そう楽観していたに違いありません。



 事前の準備砲撃は、数十分で終わりました。そして息もつかぬまま、サバト軍は雄たけびを上げて塹壕に籠ったオースティン兵に襲い掛かります。


 予想通りに、オースティン側は総崩れとなり、塹壕を破棄して大慌てで逃げ出しました。


 敵将ニヴェムの取った作戦は、シルフ攻勢と全く同じ、広い範囲を同時に短期間で侵略するという『多点突破戦術』の焼き直しでした。


 その結果、敵は塹壕を放棄して総撤退を始めます。これもまた、シルフ攻勢の焼き直しでした。



「ほうら、同じ手で来た」



 もはやオースティン軍如き敵ではない。


 そう思い込んだサバト軍は、士気高くオースティンの領地へと斬りこんでいきます。


 サバト兵はオースティン内地での略奪や、蹂躙、そして宴会と言う戦場の『ご褒美』に胸を高鳴らせながら、我先にと前進していきました。


 そして、シルフ攻勢の時と同じように最後方の塹壕を突破し、いよいよ周辺の村落へとなだれ込もうというタイミングで───



「そろそろ良いんじゃないです?」

「ああ」



 敵が攻勢を開始するのを、じっくり10日以上待ち構えていた南部オースティン部隊から集中砲火を浴びて、凄まじい被害を受けることになったのです。



 まさしく、完ぺきな釣り野伏が決まった形でした。


 敵にあえて塹壕を突破させ、敵の身を隠すものをなくした状態で、歩兵と魔法で集中砲火する。


 これは、敵がまた多点同時突破を狙ってくると読み切った若き天才ベルンの最初の戦果でした。



 ベルン自身がそう言ったように、塹壕戦にただ一つの正解はありません。ジャンケンのように、読み合って戦う必要があるのです。


 突撃、防御においても色々な戦略があり、その作戦それぞれに得手不得手が存在します。


 つまり多点突破戦術は、あくまで1点突破に備えた防御ドクトリンを形成している軍に対し有効なだけであって、万能無敵の最強戦術では断じてありません。


 奇襲性・即攻性がキモとなる作戦なので、敵に下がって待ち伏せされるとその作戦の効力を大半失ってしまうのです。


「■■■■!!?」

「■■!!」


 罠に嵌められたことを悟ったサバト軍は、たまらず撤退を始めるのですが、



「多点同時突破戦術のキモは、即効性と奇襲性にあるんだよね」



 ここからが、彼の真骨頂でした。


 ベルンという男をおいて、こうした決定的な好機を利用する事で右に出る者はいません。



「今って、これ以上ない奇襲のチャンスでしょ」



 何と彼は敗走状態の敵部隊に目掛けて、多点同時突破戦略をカウンターとして仕掛けたのです。








 それは、まさしくシルフ攻勢の焼き直しとなりました。


 数の上では有利だった筈の南部サバト兵は、文字通り壊滅させられる事になってしまったのです。


 塹壕すらない平原で集中砲火を浴びていた敵部隊に、オースティンの突撃を冷静に対処しろと言うのは流石に困難でした。


 結果、シルフ攻勢の時と攻め手と守り手がそっくり入れ替わるように、南部戦線の殆どをオースティンが突破しました。


 サバトは死傷者合わせ、4万人強。とても南部戦線を維持できる状況ではなく、サバトは総撤退に追い込まれます。


 その被害はといえば、シルフ攻勢におけるオースティン側の戦死者を上回ったそうです。


 ただこれはサバト側の兵力が大きかったのが原因であり、被害の割合で言えばオースティンの方が多かったでしょう。


 しかし、この戦果は戦局をひっくり返すには十分でした。



「アンリ指揮官、次どうするか分かってますよね」

「ああ、無論」



 これはサバト軍にとって致命的で、かつ悪夢のような結果でした。


 ほぼ勝利が決まっていた戦争を、振り出しに引き戻されたようなものなのですから。



「このまま北上して、敵の補給線を叩く」



 南部戦線が崩壊した結果、サバトの補給線はベルンを相手に無防備な横腹を晒していたのです。


 サバト軍の本隊は着々と首都ウィンを包囲しつつありました。


 裏を返せばそのか細い補給線を頼りに、敵地の奥深くへ切り込みすぎていたのです。


 もしここで補給線を失えば、彼らは敵地オースティンの真ん中で孤立してしまうことになります。


 すぐさま首都戦線を放棄して撤退しないと、主力軍の壊滅は免れません。



 この戦果報告は、進軍を再開したサバト前線指揮官の全員を恐怖のどん底に叩き落としました。


 彼らは整備された補給線から潤沢な資源が送られ続けてきたが故、殆ど食料弾薬の節約をしていません。


 正面の首都には窮鼠となった市民が銃火器を手に取っていて、背後からは無傷の南部オースティン軍が詰めてくるという状況。


 圧倒的優位な侵略者であった立場が一転、袋の鼠に陥ってしまったのです。



 サバトは無条件降伏という、もう殆ど手中に収めていた勝利の2文字を、あまりにも愚かに手放してしまいました。


 この失態はあまりに多くの恨みを買いすぎてしまい、戦後に当時の高官の大半がサバト国民自身の手によって血祭りにしょけいされました。



 一方で、オースティン側はその新たな英雄の登場に歓喜し、大喝采をもって彼を褒め称えます。 


 オースティン南部軍は、シルフ攻勢で戦線の大半を突破されたその日から、この一発逆転のカウンターを蛇のように執念深く狙っていました。


 これはまさにオースティンという国の存亡を、首の皮1枚繋げた奇跡の戦略と言えました。


 まさに彼は、オースティンの救世主と言えましょう。




 ただ自分は、やはりこの日に無条件降伏が受け入れられていた方がずっと良かったと思います。


 ベルン・ヴァロウという天才の出現によりオースティン軍は持ち直すのですが、裏を返せば彼のせいで『終戦が一気に遠のいた』と言えなくもないからです。


 あの日に、戦争が終わってさえいれば。


 サバトが、降伏を受け入れてさえいれば。


 きっとシルフ・ノーヴァは稀代の天才少女として名を残したでしょうし、オースティン国民は属国として扱われながらも、多くの人々が死なずに済んでいたと思われます。


 しかし現実はそうはなりませんでした。


 戦争という魔物は、まだまだ血に飢えていた様で。


 本当の地獄は、もっともっと深い泥沼へ転がり落ち行く我々を、大きく口を開き笑って待っていたのです。








「────へ?」


 だけど。この時、この瞬間ばっかりは。


「あれ、何だ?」

「サバトの連中、なんか減っていってないか」


 主都ウィンが包囲され、勝つ見込みもなく死を待つばかりだと絶望していた自分にとって、


「見ろ、退いている! サバトの連中が退いているぞ」

「オォ、オオォォ……」


 目の前で、唸るほどの数のサバト軍に覆われていた平原から、ゆっくり敵が掃けていくその光景が、


「奴らが逃げて行くぞォォォォ!!」

「やったァァァァ!!」


 ただただ、この上ない救いでした。


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