第30話

 マシュデール防衛戦、7日目。


 自分やケイルさん達若手スタッフが、街の中に撤退してから2日が経過しました。


 戦友達も必死の抵抗を行っていた様子でしたが、多勢に無勢は覆りません。


 少しでも皆の力になろうと、自分達も必死で治療を続けましたが、



「全ての堡塁が攻略された」

「……敵はもう、城壁に砲撃を始めたそうだ」

「ああ、この都市は持たない」



 この日、最後の堡塁も制圧され、いよいよ市街地に王手がかかったのです。


 そして、それを正面から迎え撃つだけの戦力なんて何処にもありませんでした。


「負け戦だ────」


 それはつまり、我々オースティン軍のマシュデールでの敗北がほぼ確定した事を意味しました。











 街中の医療本部は、死臭でむせ返っていました。


 自分たちが撤退し、前線でのトリアージが行われなくなった結果、大量の死傷者が運び込まれるようになったからです。


 当初の予定通り、溢れかえった死体の山を丁寧に並べていく余裕はなく、1階の倉庫に放り込んでいたのですが……、これは自分の判断ミスでした。


 密閉空間に死体が積まれたせいで、作戦本部にも垂れた糞便や腐った肉の匂いが充満するようになったのです。



「死体は、縄で縛って崩れないように積み上げろ」



 西部戦線だと、体液は大地に染み込むし腐肉は地中の虫に食われますので、最悪放置していても何とかなります。


 しかし、室内に大量の死体を放置するのは想像以上に宜しくない選択肢だった様でした。


「戦友の死体は、裏路地をふさぐように設置しとけ」

「……はい」

「それを板で支えれば、ほら。人の防壁の出来上がりだ」


 レンヴェル少佐は、倉庫の死体を運び出すよう命令しました。


 そして、彼は死後硬直の始まっている死体を積み上げて、土嚢代わりにする指示を出したのです。


「街中に、圧倒的に壁が足りていない。土嚢なんざ、急に増やせないからな」

「……」

「建物内の脱臭もできるし一石二鳥だ。俺の若いころも、よく味方の死体を矢の盾代わりに被って耐え凌いだものさ」


 少佐の指示で布でくるまれた死体は無造作に組み上げられ、ヌルヌルと滑る肉の壁へと変貌しました。


 その積んだ死体の陰に隠れ、数名の兵士が外を伺っています。


 あの中に自分の大切な人が居たらと思うと、胸が張り裂けそうです。


「さて、最終決戦だ。気張れよトウリ衛生兵」

「はい、少佐殿」



 ────そして、誰もいなくなった医療本部で。


 自分はレンヴェル少佐の背後に立ち、静かに街の中を伺っていました。








 昨日、最後の堡塁が落ちた瞬間に、レンヴェル少佐は医療スタッフを含めた非戦闘員の全員の退去を命じました。


 クマさんを含めた医療チームのほか、戦闘に耐えない負傷兵、備品運搬など雑用のために残ってくれた民間協力者達を先に避難させたのです。


 なので、この場に残ったのは……。


「アリア少尉。戦況はどうなっている」

「はい、敵魔導兵の砲撃が始まって3時間、一部の城壁が崩落し侵入が可能な状態になっています」

「被害は」

「詳細は不明ですが、それなりに」

「よろしい。城壁を放棄しろ、街中に撤退し遅滞戦闘に移行せよ」


 死ぬ覚悟のできている、軍人だけになります。




『ふざけるな、その娘を残して逃げれるか』


 案の定というか、自分一人が残されると知った時、クマさんたちは大騒ぎしましたが……。


 そこは自分が頭を下げ、納得してもらいました。


『これでも自分は軍人です、4~5日なら徹夜で動けます。自分は、此処に残っても敵から逃げ延びる自信があるのです』


 民間協力者であるクマさんたちと、軍人である自分の一番の違いは体力面です。


 たった半年ではありますが、自分はガーバック小隊長の地獄のしごきに耐え、それなりに鍛えられております。


 特に持久走に関しては、小柄で体重の軽い自分はかなりのスコアを叩きだしています。


 その気になれば数日は走りっぱなしで移動できる、自分が残るべきなのです。


『万が一、少佐に何かあった時のために自分は残らせていただきます』


 そしておそらく、いつものように自分の役割は救急箱でしょう。


 レンヴェル少佐が負傷した際、自分が治療する為に残されたと思われます。


 ただし、どこかの小隊長殿と違ってレンヴェル少佐は最後方に鎮座する役目です。ヤバくなったらいの一番に撤退するでしょう。


 きっと、自分の出番は少ないと思われます。








「質問です、少佐殿。遅滞戦闘は、どれほどの時間を稼げば良いと想定しておられますか」

「1日で十分だろう。流石に1週間も時間を稼いだんだ、それで逃げても上は文句を言わんさ」


 この時、敵が取るであろう作戦は、複数考えられていました。


 敵が取ってくる可能性の高いと思われた作戦は、城壁を確保した後も即座に侵攻してこず、1度街内を砲撃してくる作戦です。


 街内を壊滅させることにより、我々にゲリラ戦を仕掛けさせない作戦ですね。サバト軍からして、最も被害が出にくく堅実な作戦です。


 敵がこの戦略を取ってくる様子であれば、自分たちは即座に街を明け渡して撤退する手筈でした。


 もとより時間稼ぎが目的なので、敵がじっくり砲撃してくれるならもう目標を達成したようなモノなのです。



 厄介なのは敵が乗り込んできて、数の暴力で制圧するパターンです。


 建物や物資をそのまま奪うため、街内へ砲撃を行わないケースですね。


 この場合ですと、今せっせと逃げているクマさんたちの為に我々は遅滞戦闘を行わねばなりません。


 せっかく今日まで生き残った味方部隊を、使いつぶさねばならないのです。


 できれば敵には、時間をかけてじっくり砲撃してもらいたいものです。




「少佐殿、報告です」


 サバトの攻撃開始から、半日ほどの時間が経ちました。


「敵が、城壁内に侵入してきました」

「そうか」


 希望的観測と言うものは、えてして当てにならないものです。 


 その報告が終わるか否か、城壁の方向から激しい銃撃音と雄たけびが聞こえてきました。


「砲撃してくれなかったか……」


 残念ながら敵は、城壁を確保して満足せずに市街へと突入してきました。


 サバト兵士は、ゲリラ戦をお望みの様です。


「読みが外れてしまいましたね」

「もしかしたら敵さん、もう魔石が残ってないのかもな」


 無論、自分たちも敵が突撃する可能性に対し最大限の備えは行っていました。


 そこら中に魔法罠を設置していますし、建物や路地に兵士を隠して迎撃にあたらせています。


 ですが、流石に多勢に無勢。


 敵の侵攻を押しとどめられるとは思っていません。


「少佐殿、すぐ退避されますか」

「……いやいや、ぎりぎりまで粘るぜ。指揮官が最初にトンズラこいたら部下に示しがつかねぇ」


 作戦本部は、街の中央部に設置されていました。


 火の手や爆発音は遠巻きに聞こえてきており、普通の指揮官であれば逃げる算段を立てる段階でしょう。


「ま、若い嬢ちゃんには悪いけど最悪ここで死んでくれや。ここで稼げた時間がそのまま、オースティンの未来の財産になるんだ」

「無論、いざとなれば命を惜しむつもりはありません」


 やはり自分に、レンヴェル少佐が何を考えているかわかりませんでした。


 どうやら彼は何らかの確信をもって、このマシュデールで時間を稼いでいる様子でした。


 広い作戦本部には、もう殆ど人が残っていません。


 戦えるものは全て外に出て、配置についております。


 今、作戦本部にいるのは、老いたレンヴェル少佐とその護衛2人、そして自分だけでした。


「これでも俺は、昔は猛将として知られてたんだぜ。戦斧のレンヴェルっつってな、重装騎兵部隊を率いていたんだ」

「ご勇名は、聞き及んでいます」

「あの時代は良かった、敵から飛んでくる兵器は弓矢と石ころくらいだった。重い鎧をかぶったまま動く事が出来れば、それこそ無敵だった」


 少佐は自慢げに、昔話を始めました。


 軍人は後輩に、武勇伝を聞かせるのが一番楽しい瞬間と聞きます。


「中でも俺は一等力が強くてな。フルプレートを纏ったまま、この大きな戦斧を振り回す膂力があった」

「素晴らしいことです」

「あの時代は、それが正義だった。強い奴がまっすぐ突っ込んで、敵を蹴散らしていく。戦場で死ぬのは弱い奴、逃げ出すのは臆病者」


 そういうと少佐は、壁に立てかけていた戦斧を片手でつかみ上げ、肩に担ぎました。


「銃なんて無粋な武器が出てこなけりゃ、戦争ってのはもっと早く決着したもんだ。敵を蹴散らして、追い詰めて降伏させて、そんでおしまい。今みたいに、10年も穴倉に籠ってチマチマ撃ち合いするなんて考えられやしなかった」

「……」

「しかも銃撃戦で矢面に立つのは、強い奴じゃなく弱い奴だ。新米兵士が最前線で銃を撃ちあって、俺らみたいな前時代の遺物は後方でふんぞり返って指示を出す。そんなのは、歪んでるだろ」


 レンヴェル少佐は、どこか寂しそうな顔で斧を担いだまま歩き出します。


 自分と護衛の兵士は、そんな少佐の後を追って歩き出しました。


「上からの命令は、少しでも時間を稼げ、だ。その間に色々と外交戦略を整えるんだとか」

「それは。その情報を、自分たちに聞かせてもよいのですか」

「構わんだろう。命を捨てる意味くらい、知っとかなきゃならん」


 少佐はカラカラと笑って、自分の頭を撫でました。


「何か期待させちゃ悪いと思ってな。援軍が来るだとか、起死回生の策があるだとか、そんな希望的な要素はこのマシュデールに何もないんだ」

「……ええ、薄々察しておりました」

「この都市を抜かれたら、首都まで一直線に侵攻されるからな。俺たちは、首都のお偉いさんが右往左往する時間を稼ぐために死ぬわけよ」

「そうでしたか」

「だが、軍人である以上は逃げてはいかん。どんなアホな命令であろうと、その真意を末端が理解した気になって勝手に行動するのは、軍人として最も恥ずべき行為だからな」


 彼の言葉を聞き、自分はやっと少佐の真意が読めてきた気がしました。


「……ま、西部戦線を放棄して逃げた俺に言えた台詞じゃねぇけどよ」


 このお方は、何かを狙ってマシュデールで耐久戦をしていたわけではありません。


 レンヴェル少佐はただ、政府からの『なんとか時間を稼いでくれ』という懇願を、ただ遵守していただけなのです。


「衛生兵ってのは、戦場で最も役に立つ兵科だ。歩兵を何人も再生できるお前らは、歩兵の何倍も価値はある」

「……ありがとうございます」

「だから期待してるぜ、トウリ1等衛生兵」


 自分は軍人です。


 どんなアホな命令に見えても、疑問を持たず命を捨てて実行せねばなりません。


「上の命令通り、ここで十全に働いて、そして死んでくれ嬢ちゃん。せめて俺は、セコセコ逃げたりしねえからよ」

「……」

「民間人守る為に死ぬのが、軍人の誉れだ。派手に命を散らして、この戦争の終焉に血の華を添えてやろう」


 つまり、自分が此処に残された理由は『クマさん達を逃がすための時間稼ぎ、捨て駒』。


 クマさんは自分を子供扱いしていましたが、少佐は自分を軍人と扱ってくれていたようです。


「同感です、少佐殿」


 自分は怖がりです。本音を言えば死にたくないですし、早くここから逃げ出したいと思ってもいます。


 ですがそんな自分にとっても、唯一残された肉親のような『戦友』達を置いて逃げ出す方が、よほど心苦しいです。


「自分は此処で死すとも、きっと少佐を怨みはしません」

「そうかい、ありがとな」

「ですが……」 


 ただ1つだけ。


 彼の意見に賛同できないことが有るとすれば、


「自分は何があろうとも、決して生き残ることを諦めるつもりもありません」

「……」

「まだ若い嬢ちゃんですから」

「……だはははっ! そうか、そりゃそうだ。頑張れよトウリ1等衛生兵!」


 多くの命に救われてきた自分の命を、おいそれと投げ出すつもりはありません。


 一人でも多くの戦友を助け、戦い抜いて、その上で意気揚々と撤退して見せます。


 それが、自分の選ぶ道です。






「俺達も出るぞ。応戦しながら、撤退する」


 レンヴェル少佐は、後退していく味方と足並みを揃えながら撤退を始めました。


 先行して逃げない指揮官は珍しいです。これは、きっと彼が昔気質の指揮官であったからでしょう。


 何なら少佐自身も、接敵して斧で戦う気満々の様でした。


「もう負けかけてるのに、指揮官が先陣切って逃げてどうするんだ。どうせ、戦後に処刑されるに決まってんのに」


 との事です。





 マシュデール市街では、既に数多の犠牲が出ておりました。


 オースティン兵は路上に敵の死骸を積み上げながら、勇敢に応戦しています。


 しかし撃ち合いにおいて、数は正義です。どんな銃の達人であろうと、2対1の対面で勝てるはずがありません。


 少しでも有利な状況を作ろうと、我々は高台から狙撃したり細い路地に逃げ込んだりしてゲリラ戦を仕掛けていますが、一人、また一人と殉職していきます。



「少佐、負傷兵です」

「治療してやれ、俺の分の魔力なんぞ残さんで良い!」



 レンヴェル少佐は、小隊長と違って積極的に味方へ治療許可を出しました。


「銃を碌に扱えん俺が生きるより、若いのが生きて応戦した方がよっぽどマシだ!」


 それは、レンヴェル少佐は現代戦の経験があまりに少ないからでしょう。


 彼は指揮官です。その仕事は、手に銃をもって塹壕に籠る事ではありません。


「この場において、斧を振り回すしか脳の無い俺は最も治療優先度が低いのだ!」


 そして、少佐はきっと。


 この戦いを以て、殉職するつもりだったのかもしれません。




 我々の命は、時間になります。


 政府の要人たちがサバト連邦にゴマを擦り、へりくだり、譲歩を引き出すための交渉期間を捻出します。


 首都がサバトに焼かれれば、その被害者数は凄まじいことになるでしょう。


 その悲劇までのカウントダウンを、自分たちは命がけで遅らせているのです。


「うおあああああっ!! この俺が大将首だ、かかってこい雑兵どもぉ!!」



 老いてなお壮健。レンヴェル少佐は、敵兵を見て怯むどころか挑発をしています。


 全身に鎧をまとい、大きな斧をブンブン振り回し敵を叩き切るその姿は、なるほど前時代の英雄の様でした。



「少佐を殉職させるな! 命を懸けて応戦しろ!」

「父上、無茶をされるな!」



 その雄姿は、部下の目にどのように映ったのでしょうか。


「少佐は俺達と、共に命を懸けて戦っているんだぁ!! その気概に応えろぉ!」


 少なくとも、自分一人だけ撤退する上官よりは遥かに頼もしかったに違いありません。


「ぐあ、ああっ! 脚が、ぁああ!」

「っ! 大丈夫です、まだ助かります」

「ちくしょおう、もう少し若ければ!」


 しかし、いかに少佐が勇敢であったとはいえ、銃火器の前に斧は無力です。


 ついに、レンヴェル少佐は狙撃され脚を負傷してしまいました。


「……そのまま、動かないでください。【盾】」


 少佐は、石造りの路上の上に足を抑えて倒れこんでしまいました。


 その四方八方から、銃声が響いています。後方には、こちらに向けて銃を構えているサバト兵も見えています。


 今狙われたら、躱し切れません。


「おい、今治療なんぞしたら殺されるぞ!」

「はい、ですのでどうぞお静かに。無駄に時間がかかります」


 しかし、自分の中で最優先の治療対象は現状レンヴェル少佐です。


 彼が生き延びることで、兵士の士気はどれだけ保たれるかわかりません。


 彼にガーバック小隊長のようなアホみたいな強さはありませんが、この絶望的な状況における兵たちの精神的支柱として、これ以上ない役割を持っています。


「【癒】、これで血は止まります。どうぞ、早く立ち上がってください」

「す、すまん、不甲斐ない……」

「大丈夫です」


 幸いにも、後方の銃弾が少佐を打ち抜くことはありませんでした。


 念のため設置しておいた【盾】のお蔭でしょうか。


 この呪文を教えてくれた小隊長とゲールさんには感謝です。



「……あれ?」


 レンヴェル少佐が立ち上がったのを確認し、自分も撤退を再開しようと膝を立てた瞬間。


 いきなり激しい眩暈に襲われ、自分は思わず手のひらを地面についてしまいました。


「……」


 足が鉛のように重たく、下腹部が焼けるように重いです。


 ジンジンと、ズキズキと、拍動する激痛が体を蝕みます。


「トウリ1等衛生兵っ……!」

「少佐、お気になさらず。早く撤退してください」


 額に、冷や汗が伝います。


 ゆっくりと視線をおろせば、自分は腹を撃ち抜かれてボトボト血を零していることに気が付きました。


「少佐殿」

「……っ、すまん!」


 それを自覚した瞬間、もう立ってなどいられません。


 グラリと、貧血でも起こした時のように地べたに体が叩きつけられます。


 じんわりと、腹から赤い液体が広がっていきます。



 そうです。今まで自分が戦場で生き延びてこられたのは、あの凄まじい戦闘力を誇る小隊長殿にお守りをされてきたからなのです。


 彼の守りが無い今、こんなだだっ広い場所で隙を晒せばこうなってしまって当然です。


「すまんっ……!!」



 目線を上げた先に、走り去っていくレンヴェル少佐の姿が見えました。


 彼は自分を見捨て、逃げ延びる決断をしてくれたようです。



「……」



 そのまま、自分は全身の力を抜いて。


 迫りくる、敵兵の軍靴の音に身を任せることにしたのでした。

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