第27話
敵の侵攻が始まって、1日目。
堡塁に立て籠るオースティン兵は、意外にもかなりの善戦を見せておりました。
善戦といっても、防衛側の有利を押し付けた結果ではありますが。
言ってみれば堡塁とは、高さのある塹壕みたいなものです。防衛側は、堡塁に隠れ敵を撃ち続ければ良いだけです。
幸いにも、マシュデールは兵士こそ少ないですが、銃や弾薬はたっぷり保管されています。弾薬切れの心配もありません。
潤沢な資源を用いて行われた迎撃は、多くのサバト兵の死体を平原に積み上げました。
シルフ攻勢の奇襲性が失われた今、兵力差は有れど防衛側が圧倒的に優位なのです。
更に幸運なことに。
敵は十分な魔石を補給出来ていないのか、はたまたシルフ攻勢の成功を受けて魔法攻撃を軽視しているのか分かりませんが、魔法による事前攻撃を行わぬまま堡塁へと突撃してきました。
もしかしたら敵の前線指揮官は、我々がマシュデールで防衛陣地を構築していることを把握していなかったのかもしれません。
結果、無傷のオースティン防衛部隊は敵の兵力を寄せ付けることなく半日以上粘り続けます。
やがて力押しでは不利だと悟ったのか、敵は日が沈む前に引き上げていってしまいました。
初日は、オースティンの完全勝利と言えましょう。
『調子に乗った馬鹿が的になりにやってきた』と揶揄されるほど、この日の敵の突撃は迂闊なモノでした。
そもそも、このマシュデールという都市は歴史的に数々の戦争の舞台となり、そして一度も陥落したことがありません。
かつての内乱で10年以上に渡り敵の侵攻を食い止めた際に、この都市を落とせる軍はないとマシュデール市民は自慢げに語ったそうです。
難攻不落と謡われたこの都市は、オースティン国民にとって希望の象徴でもありました。
だからこそ、兵士たちの士気も高く普段以上の働きを見せたのでしょう。
100年以上前に建築され、今なお威容を誇るその城塞は、その逸話に恥じぬ防衛能力を持っていたのです。
「腕が、腕が!」
「……大丈夫ですよ、すぐに治療をします。奥の初療室へどうぞ」
そんなオースティン優位な状況ではありましたが、味方の負傷者は次から次へとひっきりなしに運ばれてきました。
快勝に沸く前線と違って、野戦病院はいつも通り修羅場真っただ中です。
堡塁越しの撃ち合いで負傷した者や、投げ込まれた手榴弾で被爆した者、暴発事故や転落などで負傷した者など次から次へと患者が運ばれてきました。
「……げ、骨盤の複雑骨折だ。こりゃ此処では処置出来ない」
「そうですね、中の病床で見てもらいましょう。彼を医療本部に搬送お願いします」
「体勢をあまり動かすな! 出血したらコトだぞ」
実は戦況が優位だからと言って、劇的に負傷者が減る訳ではありません。
むしろ善戦しているからこそ、負傷者が無事に撤退出来るケースが増えるのです。
無論、これは喜ばしいことです。
そんな彼らを救えれば、それだけ長い期間を戦うことが出来るのですから。
「リトルボス、腹が減った。なのに、飯を食う暇もない」
「治療しながらレーションでも啜ってください。ちゃんと食事はとってくださいね、栄養が足りないと魔力の回復が遅れます」
「僕は魔力タンクか何かなのか」
そんな過酷な現場ですが、栄養はしっかり確保しなければなりません。
衛生兵にとって魔力は、何より大切な軍事資源です。
自分も、お爺さんに貰った飴をカラコロと舐めながら働いています。
「この方も回復魔法が必要ですね、秘薬を提供します。処置をお願いします」
「……またかよ」
「あ、秘薬を飲んだ時間はしっかり記載しておいてください。3時間以上空けて使用しないと、大変なことになります」
自分は若手癒者ケイルさんにそう注意しながら、紙を差し出して秘薬を1瓶開けてあげました。
マシュデールの物資が豊富で良かったです、秘薬の補給があるとないとで効率が大違いです。
「あの、ボス。これって、1日1本までって言う劇薬じゃないの?」
「3時間さえ空けたら、使って良いそうです。と言うか、使わないと回りません」
「……副作用とか聞いても良い?」
「聞かない方が良いですよ、聞こうが聞くまいがやることは変わらないので」
「僕ひょっとして、とんでもない貧乏くじ引いた?」
「何を今さら」
彼は進んで前線に志願したのでそんな事だろうと思っていましたが、仕事の内容を楽観していた様子ですね。
前線衛生兵は、3徹4徹当たり前で薬漬けになりながら治療し続ける部署です。
休みなんてあるはずがありません。自分たちの治療速度が、そのまま戦力補充速度につながるわけなので。
「昨晩はたっぷり寝たでしょう。あと3~4日は眠れなくても文句言わないでくださいね」
「えっ」
「前線に志願するってのはそういうことです。普通は自殺志願者か、マゾヒストしか志願しません」
「嘘だろ……!?」
自分の言っていることが冗談や軽口ではないと悟ったのか、彼は顔を真っ青にしました。
こういう理由もあるので、前線は体力が必須なのです。
「命の危険がないだけマシですよ。最前線を走らされるよりは、ずっと……」
「ここより酷い職場があるのか」
この半年間、自分はひたすら小隊長殿に走らされ続けました。
それもこれも、全て体力を付けるための訓練です。小隊長殿は、自分に最優先で体力訓練を課しました。
彼に「今の貴様に最も足りなくて、かつ最も必要なものだ」と怒鳴られながら、フル装備マラソンを血反吐吐くまでやらされた記憶はここ最近の一番のトラウマです。
しかし、その訓練がなければ自分はマシュデールまでの撤退に成功していないでしょう。
つまり戦場において生き残るためにはスタミナ……、バイタリティこそ何より重要なのです。
「次は自分が飲みましょう。薬を1本頂きますね」
「え、さっきも飲んでなかった?」
「大丈夫です。自分はまだ若いので、臓器も元気です」
「……」
恐ろしいものを見る目で若手癒者が自分を見ていますが、気にせずグビグビと秘薬を一気飲みします。
確かに薬を飲みすぎると背が伸びにくくなったり、肝臓がヤバい事になったりするので注意は必要です。
しかし、兵士の数が足りず戦線が押し負けた場合、自分は命を奪われるのです。
だから多少の無茶は、仕方がありません。ゲールさんもそう仰っていました。
「あーもう、分かったよ俺もやるよ!」
「ご協力感謝します」
淡々と治療を再開した自分を見て、覚悟を決めたのか彼も瓶を一気飲みしました。
よかったです。この薬はアルコールも含んでいるからか気分を軽く高揚する副作用もありますので、
「よっしゃあ、こうなりゃ患者何人でも薬を何本でももってこい! 全部さばいてやる!」
「頼りにしております」
一度飲んだら、次は躊躇いなくお代わりしてくれるようになるのです。
衛生兵の中では『キマる』とかそんな隠語が使われるほど、テンションが上がります。夜勤中、嗜好品代わりに愛飲しだす人すらいます。
幸か不幸か自分はあんまりテンションが変わりません。もしかしたら自分は、お酒に強いのかもしれません。
こうして戦闘初日は、日が暮れるまで延々と軽症の患者の処置に追われて時間が過ぎていきました。
幸いにも、ガーバック小隊のメンバーが運ばれてくることはありませんでした。
今日は殆ど死傷者が出なかったという話ですし、きっと生き残ったのでしょう。
「戦闘は終わったんじゃなかったのか」
「戦闘が終わったからこそ、来てくださったんですよ」
そして夜。相変わらず、前線診療所は大賑わいでした。
昼間は堡塁防衛が忙しく離脱できなかった負傷兵が、敵の撤退を受け治療にやってきたのです。
「ばい菌が入ると危ないので、薬を処方しておきます。3日間は飲んでください」
「了解だ、小さなドクター」
このマシュデールの前線医療拠点には、自分達しか存在しません。
しばしば中央医療本部に振ってはいますが、それでも大忙しです。
「……あまりに、眠い」
「お辛いなら、仮眠をとって頂いても構いません。その間、自分が対応しておきます」
「それは流石に、大人として出来ない……」
「では、引き続きお願いします」
徹夜に慣れている自分は余裕ですが、早くも若い癒者はフラフラになっていました。
自分も徹夜になれていない頃は、こんな感じでした。
「もう少し頑張れば、負傷者もひと段落します。それまでの辛抱です」
「おう……」
幸いにもこの夜は、2時間ほど寝ることが出来ました。
深夜3時ごろには患者の足が途絶え、休むことが出来たのです。
戦闘があった日の晩に寝れるなんて、奇跡的といえます。
いかに、初日はオースティン側が優勢であったかが分かります。
しかし残念ながら2日目からは、敵も本腰を入れて攻勢を行ってきました。
「隠れろ! 爆風の直撃を受けるな!」
「堡塁が壊されて、仲間が生き埋めにされた!」
サバト兵は、塹壕での定石どおりにたっぷり数時間の魔法による事前砲撃を行ったのです。
これで先に塹壕内の防衛部隊を弱らせてから、突撃して制圧する。これは、もう何度も何度も西部戦線で繰り返してきた基本中の基本戦術でした。
「敵が突撃してきたぞ、撃ち返せ!」
こちらもアリア少尉率いる魔導部隊が応戦したのですが、やはり戦力差はどうともしがたく。
初日とは打って変わって、我々オースティン部隊は苦戦を強いられました。
味方の死体を頭に被り爆風をやり過ごす、いつもの地獄が堡塁にも広がり始めました。
「痛い、痛い痛い痛いぃ!」
敵が魔法攻撃を開始した2日目から、一気に味方の死傷者の数が増えました。
朝から前線医療本部は、パンク寸前まで負傷兵の処置に奔走することになります。
「ぐ、腹腔内出血……。くそ、早く本部に搬送してくれ!」
「はい、先生!」
運ばれてくる重傷者の数は、ぐっと増えました。その中で、自分たちは命の選別を行わねばなりません。
「先生、患者の呼吸が浅くなってます!」
「その人は、もう無理だ……。お看取りしろ」
……何せ、負傷者に交じってもう助からない人も搬送され始めましたので。
戦闘開始から、数時間も経った頃。
「なっ……!? ちょ、君!」
自分がトリアージを行っていると、いきなり後ろで癒者がギョっとした声を上げました。
「熱い、あづぃ……。助げ、て」
「ま、待ってくれ、今治療中だ……」
振り返ってみると、彼は患者の列を無視し横入りした兵士に腕を掴まれていました。
その兵士は息も絶え絶えで、抱き着くように癒者に詰め寄っていきます。
「死ぬ、じぬ……」
「あっ、その、治療には順番があってだな」
「たずけ、て」
その負傷兵の顔面の大半はドロドロに溶けた赤い皮膚になっており、頬は真っ白、目は白く霞んでいました。
上半身は真っ白で水疱に覆われ、ところどころ炭になっています。
その方の火傷のおどろおどろしさに、癒者も看護師も固まってしまいました。
……。
「助けてぐれぇ……!」
「う、あ……」
ケイルさんは、これほどの重傷者を見るのは初めてなのでしょうか。
全身大火傷の患者を診て、完全に固まってしまっています。
いけません、治療の主役のケイル氏が硬直してしまえば、すべての処置がストップしてしまいます。
「大丈夫です、負傷兵さん。こちらにお越しください、お薬を処方します」
自分はトリアージを中断し、若い癒者を助けるべく手早くその負傷兵の手を引きました。
ズルリと、掴んだ負傷兵の腕の皮がめくれ、薄く黄色い漿液が自分の手袋を伝います。
「ヴぁ……」
「そのままじっとしてください」
そして自分は負傷兵の顔を抱きしめてやり、事前に水に溶いて準備していた薬をシリンジに吸いました。
同時に、若い癒者にそのまま治療を続けるよう目配せします。
「おれ、生き残ったんだ、あの、ぜいぶせんせんを」
「そうでしたか」
「じにたくない、こんなどころで、じにたくない」
「大丈夫です、落ち着いて深呼吸をしてください」
「まだ、じねないりゆうが、ある────」
火傷は、重症度によって症状が変わります。
まだ赤黒い火傷は神経が残っていますが、青白くなったり炭化した皮膚には神経が残っていません。
「やっと、ふりむいて、ぐれたんだ。かのじょに、あいたい、あいたい」
「……」
「そして、つだえるんだ、おれの、おれの───」
つまり、真っ青な皮膚を抱きしめても患者さんは痛くないのです。
自分は泣き叫ぶその兵士を抱きしめたまま、ゆっくりと薬を口の中に落としてやりました。
「あ……」
「そうです、そのままゆっくりお休みください」
シリンジで口の中に全て薬を入れ切ってやると、その兵士の目は虚ろになっていき。
まもなく、負傷兵の息は浅くなってイビキをかき始めました。
「何も考えなくていいんです、静かにおやすみください」
「……あ、い、……」
やがて彼は自分の腕の中で、そのままカタリと昏倒しました。
「あ……」
その呼吸は浅く、微かなものです。
「看護師さん、この方を所定の場所へ」
「……あの」
「お看取りです」
先ほど飲ませたのは、かなり強めの睡眠薬です。
彼の熱傷の範囲から、救命はどうあがいても困難でした。
せめて痛みを感じぬまま、逝ってもらった方が楽でしょう。
このように、治療中に他の患者が乱入してくることは多々あります。
そう言った場合も、なるべく手早く処理しないと他の方の治療が滞ります。
しかし必要以上に冷徹に対応すると、その患者がパニックを起こすばかりか、前線兵士の士気にかかわります。
「では、次の方」
なので自分は、先ほどの様に穏便に対応する事が多いです。
冷酷に見えますが、医療をスムーズに行う為に手段を選んでいられません。
人によってやり方は違いますが、話が通じないケースは一服盛るのが最もスムーズですね。
「……ごめん、リトルボス。嫌な仕事押し付けちまった」
「トウリと呼んでください」
ですが、何度経験しても思います。
死にゆく人を抱きしめるのは、辛いものです。
自分には、冷え切って固く冷たい兵士を抱きしめた感覚が、今もなお残っていました。
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