第17話
塹壕でパラパラと飛び交う銃弾は、自分の知る世界のものとは違い、正面から見ると七色の色彩を放っていました。
戦場で見た、昼間の塹壕に輝く星空。
それはきっと、この世界の武器が火薬だけではなく魔法も用いた兵器だからなのでしょう。
魔法石の発光は、さまざまな種類があると聞きます。
ただ一見すれば、それはゲーム画面の様な鮮やかでポップな光景と言えました。
そう、喩えるならそれはオーロラです。
不思議で幻想的な虹色の幕が、塹壕の境界を彩るように引かれているのです。
弾けんばかりの喧しい喧騒と、ため息を吐きたくなるような美しい虹色。
それこそが───
「死ぬ気で突っ込めぇぇぇっ!!」
第3防衛ラインに足を踏み入れた、自分の見た景色でした。
塹壕を這い出た小隊長殿は、【盾】を形成したまま走っていきました。
マリュー1等兵、グレー先輩もそれに続き、その最後方を自分とロドリー君が守られるように走っていました。
「……ぐぉっ」
第3防衛ラインの抵抗は、自分の想定していたモノよりはるかに凶悪でした。
まず全員で塹壕を這い出た瞬間、マリュー1等兵……先行部隊の指揮官だった方が、腹を撃ち抜かれて塹壕に叩き落されました。
彼は苦しげに呻き声をあげたあと、動かなくなります。
即死ではないでしょうが、放っておけば死んでしまうでしょう。
「気にするな、走れぇ!」
これで、残り4人。
そのうち2人は、自分とロドリー……、新米兵士です。
「何も考えずついて来いぃ!!」
つまりもう、残ったまともな戦力はガーバック小隊長殿とグレー先輩しかいません。
こんな有り様で前進して、どうするというのでしょうか。
「俺が生きていればどうとでもなる!」
もしかしたらガーバック小隊長殿は、元より1人でこのラインを攻略するつもりだったのかもしれません。
「左足を被弾した! とっとと治療しろトウリ!!」
「は、はい!」
彼は部下をそこまで当てにしていなくて、自分を信じることしかできなかった可能性があります。
この戦争を終わらせるためには、
「【癒】!」
「クスリ飲んどけ、すぐまた使うかもしれん!」
「了解です」
治療中、小隊長殿は足から血を噴き出しながらも、走りを止める気配はありませんでした。
それに合わせて、自分も走りながら処置を行います。
ガーバックはたった一人、鬼のような形相で痛みを堪え、この戦場で最も過酷なラインの先陣を切って突っ込んでいきます。
「小隊長、腕が、足がっ!」
「死ぬ気で付いてこいグレーェ!!」
ガーバック小隊長に随伴する形でついてきたグレー先輩は、一瞬で血まみれになっていました。
少なくとも3発、被弾しています。しかし、幸いにも足の傷は掠っただけっぽいですね。
腕は太い血管をやられてます。致命傷……では無さそうですが、すぐ治療しないとまずそうです。
「貴様には、俺が確保した塹壕を守る仕事がある!! 10分後に死んでも構わんから、今は走れぇ!!」
当たり前ですが、グレー先輩への治療許可はおりませんでした。
塹壕内に入れば止血だけは出来るので、どうか耐えてください先輩。
この時、自分たちが走っていた場所の塹壕間の距離は、20mほどと推測されます。
塹壕間の距離は、場所によって差があります。何故なら塹壕は蛇行して掘られるからです。
通常の20m走を行ったとすれば、陸上選手なら4秒以内に駆け抜けることができるでしょう。
しかし、自分たち兵士が20mという距離を走るのには物凄く時間がかかります。
何故ならクラウチングスタートなんて出来ませんし、戦場は陸上トラックのように整地された場所ではありませんし、我々は20kg以上ある装備を背負っています。
「グレー、手榴弾投げ込めぇ!!」
「了解!」
それに、こうして塹壕間でも戦闘を行う必要があるからです。
当たり前ですが敵の塹壕に飛び込む前に、塹壕内の敵をある程度始末せねばなりません。
何もせず飛び込んだとしても、その先にあるのは死です。
「投擲!」
グレー先輩は左腕を負傷していたので、口で手榴弾のピンを引き抜いて塹壕に向かって投げました。
手榴弾は放物線を描き、綺麗に敵の潜む塹壕へと吸い込まれていきます。
「■■!」
「あっ」
しかし残念ながらグレー先輩の手榴弾が、敵を殺すことはありませんでした。
敵の塹壕から風弾が打ち出され、手榴弾は明後日の方向へ飛んでいってしまいます。
前にアレン先輩もやっていた、対空魔法です。
「ガハハハハハハっ!!!」
しかし、ガーバック小隊長は対空されるのも折り込み済だったようです。
彼はその一瞬の隙を突き、一気に速度を上げ塹壕へ乗り込んでしまいました。
一瞬、気を逸らせれば十分だったみたいですね。
「行きますよロドリー!」
「ぬお、お、お……」
置いてきぼりを食らってしまいましたが、自分達も遅れる訳にはいきません。
きっと塹壕の中では、もう小隊長殿による制圧が始まっています。
こんな危険な場所で棒立ちしている時間があれば、一刻も早く援護に向かわないと────
「グレー先輩も、早く!」
「……あー、あはは」
だというのに、グレー先輩の返事が弱弱しいです。
気になって振り返ってみると、そこには左足の無いグレー先輩が地面に倒れ込んでいました。
「スマンね、俺はもう無理」
「……っ!!」
グレー先輩の、左の太腿から先は焦げて無くなっていました。
まずいです。敵に魔法を撃たれたか、魔法罠に引っかかったのかは知りませんが、グレー先輩は足を負傷したようです。
「ほら、早く先行けって」
グレー先輩は、自分達に先行を促します。
しかし、これでは塹壕に入った後の拠点確保ができません。
ロドリー君と
「っ!」
そこまで考えが及んだ瞬間、自分は無意識のうちにグレー先輩に駆け寄って、その肩を担いでいました。
「ちょ、バカ! 放って先に行け!」
「貴方を放置したら、小隊長殿の拠点制圧が無駄になるんです」
彼がもう少し、遠い場所で倒れていたら見捨てていたかもしれません。
しかし、幸いにもグレー先輩が倒れていたのは塹壕手前2~3mほどの位置。
しかも、目の前の拠点は小隊長が制圧中。攻撃が止んでいる状態です。
救助は十分、可能な状態と判断しました。
「う、ぐ」
「おい、無理すんな!」
しかし彼の身体を担いだ瞬間、自分の判断ミスに気づきます。
グレー先輩の体が、重すぎるのです。
そう、歩兵は様々な装備を身に着けています。グレー先輩のように体格の良い男性兵士の重さは、100㎏を超えるでしょう。
自分のような小柄な女性が、迅速に救助なんて出来る筈もなかったのです。
せめてグレー先輩に装備を捨てさせてから、肩を担ぐべきでした。
「まず、一歩……っ」
しかし、やってしまったものは仕方ありません。
ここから数歩だけ、前に歩めばゴールなんです。
グレー先輩の体を引きずりながら、自分は火事場の馬鹿力で足を踏み出しました。
「お、おお?」
「まだ死なせませんよ、先輩……。拠点内で、自分達を、守っていただきたいです……」
チラリ、と塹壕内の様子が見えました。小隊長殿が、敵の首を切り飛ばして無双しています。
もう殆ど、敵は残っていなさそうですね。
よかった、これならすぐ飛び込んでもよさそうです。
「10分後に死んでもいいので、小隊長殿が確保した塹壕を、防衛してください。上官命令、ですよ」
「……まだ死ぬことを許しちゃもらえないってか。男使いが荒いぜ、トウリちゃん」
グレー先輩は非常に重たかったですが、頑張って一歩目を踏み出せば、ズルズルと進めました。
彼さえ塹壕内に引きずり込めれば、あとは自分の領分です。
確保した拠点の防衛をしながら、並行して止血治療を行えば良い。
「もう、少し……」
その最後の一歩を踏み出す、直前でしょうか。
迂闊にも自分が警戒を外していた、敵の隣接拠点からの援護が入ったのは。
「────あ」
────ふわり、と。丸い物体が、自分たちの方へと飛んできました。
自分から右側────敵の隣接拠点の兵士が、塹壕内に飛び込もうとしている自分とグレー先輩をめがけて手榴弾を放ったのです。
その事実を脳が認識した時には、もう手遅れでした。
「手、が」
【盾】は間に合いません。
自分は両手を前に突き出さないと、斜めの【盾】を形成できないからです。
グレー先輩を背負い、両腕を使っている状況では、無意味な平面の【盾】しか形成出来ないのです。
「どうした、トウリちゃ……」
「あ、あ、あっ!!!」
いえ、そもそも。目と鼻の先に飛んできた手榴弾の爆発を、自分の拙い【盾】で防げるべくもありません。
この場合、グレー先輩を捨てて避けるしか、自分の生き残る手段はありませんでした。
だというのに。ゴールする直前で気が緩んでいたのか、自分は手榴弾が投げられた瞬間に一瞬頭が真っ白になってしまったのです。
────死。その時自分は、サルサ君のように無残に死んでしまう未来を、はっきりと意識しました。
パニックに陥っていた、と言ってもいいかもしれません。この非常時に、思考を停止させ呆けるなんて無能もいい所です。
ですがグレー先輩にのしかかられ自由に動くことができない状態で、目の前に手榴弾を放られた自分は、ただ迫りくる死を呆然と受け入れるしかなかったのです。
そして世界が、時の流れが、ゆっくりになりました。
走馬灯というやつでしょうか、今までの人生の記憶が噴出してきました。
一方でスローモーション撮影のように、敵の投げた手榴弾が自分の足元へとゆっくり落ちていくのを認識だけしていました。
ああ、こんなにもあっさりと自分は死ぬんですね。
申し訳ありません、サルサ君。せっかく庇っていただいた命が無駄になってしまいました。
戦争になんか来るんじゃありませんでした。兵士になんかなるんじゃありませんでした。
前世のゲームで、軽い気持ちで人を撃ち殺しまくっていた自分が憎らしいです。
殺してやりたいほどに能天気だったかつての経験から、気軽に志願なんかしてしまった自分の愚かさを呪いたいです。
もう一度、生まれ変わりというものができるなら。
せめて次の人生は、平凡でも良いので戦争がない、平和な世界で生きていきたいものです。
「良ぃモン、見っけたぁ……っ!!」
と、まぁこの時の自分は完全に死を覚悟していたのですが。
その時、自分の短い15年弱の走馬灯に割り込んで、負の感情を煮しめた様な楽しげな呟きが耳元から聞こえてきたのでした。
「良いもんくれて……っ!!!」
「へ?」
そしてスローモーションの世界で、ゆっくりと着弾しつつある手榴弾の脇から、ニュっと手が生えてきたのです。
その手は自分の
そして、
「どうもアリガとぉォォオ!!!」
「ええええ!?」
自分たちに向けて投擲してきた拠点に向け、高笑いとともに投げ返してしまったのです。
流石の敵も予想外すぎて反応できなかったのか、彼の投げ返した手榴弾は対空されることなく敵拠点の中へと吸い込まれ、激しい爆音を奏でました。
「爆、殺!! あひゃひゃひゃひゃ!!!」
そう、ロドリー君です。
ロドリー君は何と、自分たちに向けて投げつけられた手榴弾に反応してキャッチし、投げ返すという離れ業をやってのけたのです。
「と、トウリちゃん! 今のうち!」
「は、はいっ!」
ロドリーの神業で生き延びた自分達は、無事に塹壕内へと進入できました。
自分は無傷、グレー先輩も重傷ですが生きています。
これは……ロドリー君の、大戦果では無いでしょうか。
「む、負傷したかグレー。拠点防衛は可能か」
「左手がアレですが、銃を固定できれば戦えますよ」
「ふん、ならいい。トウリ、止血してやれ」
拠点内ではもう、ガーバック小隊長が敵部隊を壊滅させてしまっていました。
小隊長殿はピシャっと、剣を振るって血を飛ばしています。見た感じ、大きな怪我はなさそうです。
「あれ? もう全員死んでる……」
「ロドリーも無事か。なら貴様ら、全員でここの拠点を防衛しとけ」
「了解です」
「俺も殺したかったなァ」
そういうと小隊長殿は、さっさと隣の拠点に走って行ってしまいました。
相変わらず、凄まじい体力です。
「……」
「んだよ、何見てんだよ」
グレー先輩の処置を行いながら、自分はぼんやりとロドリー君の方向を眺めていました。
いえ、本当にどうしたもんでしょう。
この前、彼にお礼を言ったら死ぬほど罵倒されました。
ですが、さっきの彼の勇気ある行動には感謝の念が絶えません。
怒られても良いのでもう一度、きちんと謝意を伝えるべきでしょうか。
「……」
……しかし多分、彼的には自分達を助けたかったんじゃなくて、敵を殺したかっただけなんだとは思います。
だとしたら、お礼なんて言われても鬱陶しいだけでしょう。
そんな、今の彼にかけるべき言葉はと言えば……
「えっと。な、ナイス爆殺、でした」
「は? 何言ってんのお前、殺すぞ」
どうやらこれも、違った様です。
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