第10話
防衛戦の後、数日ほど自分は野戦病院につきっきりでした。
前の防衛戦は、ここ最近の間でもかなり大掛かりな攻勢だったようで、多大な犠牲が出ていたのです。
なので衛生部は患者のケアに追われ、てんてこ舞いでした。
仕事は治療・処置だけではありません。
敵に大きく前進されたので野戦病院を後方に移転させなければならず、荷物や患者さんの移動にかなり時間をとられました。
また、ストレスの限界に達したのか、発狂し暴れ始めた新米兵士を必死で宥めたり、それで負傷してしまった衛生部の人員を治療したり。
包帯や消毒などの医療資源は全然足りておらず、回復魔法も追いつかず、病床数も看護兵も足りずと修羅場の様な日々でした。
厳しい状況の中で自分も懸命に働きましたが、それでも手は足りておらず何人もの兵士が死んでいきました。
満足な治療を施せれば助かった命も、あったと思います。
しかし自分たち衛生部も、限界ギリギリで働き続けましたが……。全員に手を届かせるのは不可能だったのです。
サルサ君の死から、4日後。早朝3時ごろ。
不規則な睡眠時間と過労の中で働き続けた自分は、
「トウリちゃん。……悪いけど今日は、ガーバックが戻ってこいって」
「了解しました」
久し振りに、病院ではなく前線勤務を命じられました。
まだまだ院は忙しいのに自分が呼び戻されると言うことは、本日は攻勢なのでしょうか。
徹夜明けで休めておらず、かなりコンディションは悪いですが……。命令なら仕方ありません。
自分はその場でゲール衛生部長に敬礼すると、その足で小隊長殿のテント付近まで移動しました。
「ふん、来たなボンクラ。気楽な後方勤務は楽しかったか? 気合いを入れ直せよ」
「はい、小隊長殿」
ブリーフィング場所に向かうと、ガーバック小隊長殿は既にお目覚めでした。
集まった小隊メンバーの中には、傷も癒えて普段通りのアレン先輩の姿もありました。
「指令を言い渡す。歩兵どもは穴掘り、トウリは俺がしごいてやるからついてこい」
「はい、小隊長殿」
すわ攻勢かと身構えていましたが、どうやら本日の出撃はなさそうでした。
攻勢に出る日は体力温存の為、歩兵さんは塹壕掘りではなく待機を命じられることが多いのです。
となると自分を呼び出した理由は、前の【盾】の魔法の講義の続きとかでしょうか。
もしかしてまた何かやらかして、折檻が待っているのかもしれません。
まあ何にせよ、自分は言われたことをこなすのみです。
「ふん。それとトウリ、お前はまだ補充組と顔合わせしてなかっただろう。挨拶しておけ」
「了解しました」
ガーバック小隊長殿に促され、改めて小隊のメンバーを見渡します。
そういえば、見たことの無い人が小隊に混じっています。
自分がいない間に、小隊メンバーの補充が行われたようです。
「自分は、トウリ・ノエル2等衛生兵です。つい2週間ほど前に着任したばかりの新米です。どうぞ先輩方のご指導のほど、よろしくお願いいたします」
見た感じ、新顔は3人でした。
しかもかなり若い……、全員サルサ君と同い年か、下手したら年下くらいではないでしょうか。
「……ナリドメ2等歩兵です」
「俺は、ロドリー2等歩兵だ。……聞いた通り、貧相なヤツだな」
二人は2等歩兵……、ということはサルサ君と同じ階級ですね。恐らく、ほぼ同期と思われます。
それぞれ無口で不愛想な人と、口の悪い人という印象です。
「私は、ヴェルディ伍長と言います。本小隊で、ガーバック軍曹の次位の指揮権を拝命いたしました。兵科は偵察兵、それなりに知識は持っているつもりなので分からない事があれば気軽に聞いてください」
最後に名乗ったヴェルディ伍長は、何と言うかまともそうな人でした。
彼もかなり若そうですが、恐らく士官学校卒でしょうか? 年齢の割に階級が高いように思います。
いずれにせよヴェルディ伍長には、忘れず敬語を使うようにしましょう。
「終わったか。じゃあ、トウリはこっちにこい」
「はい、小隊長殿」
そして、彼らは他人です。決して仲良くなってはいけません。
変に情を持ってしまうと、サルサ君の時の様に傷つくことになってしまいます。
今度こそ心の距離を取り、誰が死のうが我関せずと言える精神を養いましょう。
「あと10周、しっかり掛け声出せ!」
自分が小隊長殿から課されたのは、ランニングでした。
それも、戦場と同じく装備を背負ったままでの長距離走です。
「いち、に。いち、に」
「声が小さい、喘いで誘ってるのかこの淫乱!!」
「いち、に! いち、に!!」
「そうだ、声を張り上げろ!」
何でしょうか、コレは。衛生兵用の訓練ではなく、歩兵用の訓練ではありませんか。
無論自分は、こうした筋力鍛練の重要性は理解しているつもりです。
この努力が、自分の生存率に大きく関わる事も分かっています。
しかし自分は、衛生兵です。こうして自分がトレーニングしている今も、後方では必死で治療に当たっている先輩方がいるのです。
……正直なところ、その手伝いを放り出して走るのは罪悪感しか感じません。
「10周終わりました!」
「ようし、そのまま防御訓練だ。【盾】呪文の行使、2回まで許可する」
「はい、小隊長殿!」
ノルマを終えると間髪入れず、ガーバック軍曹は大量の石を投擲してきました。
即座に自分は、教わった通りの【盾】の呪文を行使します。
せっかく鍛えて貰っている以上は、少しでも成長せねばなりません。
「【盾】」
自分は以前習った通り、くの字に盾を形成しました。
そのお陰で小隊長殿の投石は直撃することなく、自分の身体の端を掠めるに留まりました。
「展開速度は良いが、角度が甘い! 盾は直角になるように形成しろ」
「はい、小隊長殿!!」
ダメだしされながらも、小隊長殿はポンポンと石を放ってきます。
言われた通り、直角になるように角度を調整しながら再度盾を形成します。
次は、ひとつの石も自分にかする事はありませんでした。
「ようし、再びランニングだ! まだまだへばるな、これからが本番だ」
「はい、小隊長殿」
「走っている最中に、不意打ちで投石する。ランニング中も周囲を警戒して走れ!」
……。ただ、鍛えていただいている身で言うのは少し抵抗があるのですが。
こういう訓練は、前線に送る前にしていただければ……。
「貴様の体力が無さ過ぎて、部隊の進軍速度が落ちてしまっているのだ。お前はのろまな芋虫だ」
「はい、申し訳、あり、ません」
「衛生兵として業務に携わる日も、今の訓練のうちランニングノルマは最低こなせ。余裕があれば周囲の連中に頼んで、石を投げて貰え。休憩時間に鍛えるならば、文句は言われまい」
徹夜明けでの訓練は、まだ未熟な体にとって凄く過酷でした。
体中の筋肉を虐め抜かれ、最後には立っていることすらできず、地面で痙攣していました。
放っておくと明日動けなくなるでしょう。この後、体をほぐさないと。
「ようし、明日から衛生兵業務に戻ってよし。サボるなよ」
「はい、ありがとう、ございました」
「数週間もすれば、芋虫から蟻んこくらいには成長しているだろう。していなければ殺す」
訓練中の、彼の話の節々から察するに。
小隊長は、自分の足が遅いせいでゆっくり進軍する羽目になっているのが、気に食わなかったようです。
まぁ、自分は2週間前まで何の訓練も受けていない孤児院生まれの15歳。そりゃあ、体力なんて貧弱なものです。
なので隙を見て自分の体力を鍛えるつもりだったようですが、なかなか訓練日を作れなかったようで。
小隊長殿は昨晩、だったら衛生兵業務中に鍛えればいいじゃんという結論に思い至り、自分に鍛錬メニューを課したようです。
「……」
つまり自分は、忙しい衛生兵業務の間の休憩時間にも、休むことが出来なくなってしまった様です。
必要なことだとは理解しています。ですが自分の身体、持ちますかね。
「お、トウリ2等兵」
「……どう、も。えっと、ロドリー……2等兵殿」
「何だ、走っただけでへばってんのか。情けねぇ」
疲労困憊。それが、今の自分の状態をこれ以上なく的確に表現した言葉でした。
ここまで体力も気力も使い果たしたのは、人生で初めてかもしれません。
しかし自分はこの後、久しぶりの十分な睡眠時間を頂くことになります。
何故ならガーバック小隊長殿の命令は、明朝5時から再び病院勤務なのです。この夜だけはぐっすり眠れます。
今も必死に働いてくれている衛生兵の同僚には申し訳ありませんが、今は休ませてください。さもなくば、本当に死んでしまいます。
「トウリちゃん、お疲れー」
「お疲れ、様です、グレー先輩」
「疲れ果ててるねぇ。ガーバック軍曹、やっぱ扱きはキツいのな」
グレー先輩が、同情的な視線を送っていました。
ええ、徹夜明けの地獄の訓練は流石に堪えました。
もう指一本動かせません。
「少し早いですが、その、休養を頂きます」
「ほいほい、早めに寝な。新兵も一人、もう休んでるし」
ふと塹壕の方を見ると、既に無口な方の2等兵が横になっていました。
確か、ナリドメと名乗っていた方です。
「……何で、こんな……。……俺は、……」
彼は塹壕掘りが終わると、誰とも話そうとせずすぐ横になったそうです。
そして何故か目を見開いて、ブツブツと何か呟き続けているそうです。
「……あの」
「ああ、新米の間はああなるヤツ多いのよ。放っておけ」
自分の言いたいことを察してくれたのか、グレー先輩は乾いた笑いを浮かべ教えてくれました。
野戦病院で発狂して、大暴れした患者さんと雰囲気が似てますね。
ちょっと怖いので、彼とは距離をとって眠りましょう。
「では失礼します、グレー先輩」
「ああ、おやすみトウリちゃん」
自分は彼と反対の端の、塹壕の小さな溝に体を預けると。
「……」
そのまま、文字通り泥のように眠ったのでした。
「……」
────そこには懐かしい光景が、広がっていました。
それは孤児院の隣の空き地で、幼馴染み達と追いかけっこをしている景色です。
楽しく遊んでいる人の輪の中には、バーニーの姿も見えました。
これは、ほんの一月前までの自分にとっての日常でした。
孤児仲間と笑いあい、遊び合っていたのが『当たり前』なのです。
しかしそれは、前線の人達が命がけで敵兵を食い止めてくれたおかげで、享受出来ていた『平和』でした。
自分はこの場所に帰りたいです。
軍なんか逃げ出して、何もかも投げ捨てて、あの孤児院に戻りたい。
そして暖かいスープを飲んで、フカフカのベッドで眠りたいです。
『そりゃ駄目ッスよ、トウリ』
次に、サルサ君の死に顔が脳裏を過りました。
苦しそうに体を曲げながら、炎に包まれて黒く焦げていくサルサ君の姿が、はっきり思い起こされます。
その姿を見るだけで、胸が圧迫され動悸が早くなります。
彼は命懸けで自分を救ってくれました。
だから、置いていっちゃいけないのです。
サルサ君をこんな寂しい場所に寝かせたまま、自分だけ帰るわけにはいきません。
自分はサルサ君の分まで、頑張らないといけないのです。
『一人だけ楽になろうなんてズルいッス』
「────っ」
だから、サルサ君。せめて夢の中で。
この僅かな休養の間だけ、楽しくて暖かかった孤児院の夢を見る事くらいは、許してください。
目が覚めて、また明日の朝からは、きっと必死に戦いますから。
だから、怒らないでください。そんな、胸ぐらを掴むなんて怖いことはしないでください。
サルサ君が怒るのは分かりますけど、これ以上自分を追い詰めないでください────
「……はっ!」
「っ!?」
自分はそのあまりの違和感に、覚醒しました。
あの優しかったサルサ君が、自分の胸ぐらを掴みあげて怒るなんてあり得ません。
だって彼はとても紳士的で、穏やかな性格でした。
「へ? え……?」
「ちっ」
つまり自分は、現実で何者かに胸ぐらを掴まれているという事になります。
それに気づいて目を開くと、前に血走った目の男の顔がありました。
「何、を────むぐっ!」
「うるさい、黙れ」
彼は自分が目覚めたのを知るや、自分の口を手で塞いで、首筋を掴み締めました。
「抵抗したら殺す。黙ってろ」
……暗闇で、いまいち顔がよく見えませんが。
察するに小隊の誰かが、自分の寝込みを襲ってきたようです。
男の手は既に軍服の下に滑り込んでおり、自分の素肌を犯していました。
「……」
迂闊でした。まさか、ここまでされるまで目覚められなかったなんて。
普段なら触られた時点で覚醒するのですが、今日は少々眠りが深かったようです。
このままおとなしく……、抵抗しなかったら姦通の軍規違反で死刑にされますね。
どっちにしろ殺されるなら、いちかばちかで抵抗してやりましょう。
「……あ痛ぇ!? え、え、何!?」
「なっ……」
自分はそのまま足を開き、のしかかってきた男ではなく、隣で寝ていた誰かを蹴飛ばしました。
何せ自分はその男に首筋を握り締められていたので、叫んだら本気で殺される可能性があったのです。
なので騒がず、こっそり自由に動かせる足を振って、隣の人に起きて貰ったのです。
「えっと……トウリちゃん? いや、待て、何してる!」
隣で寝ていたのは、声的にグレー先輩の様子ですね。
自分は先輩を蹴っ飛ばしたことになります、後で謝っておかないと。
「おい、お前だ! どこの誰だ、所属を言え!」
「……なんだよ、もう良いよ、ちっ……」
グレー先輩に銃口を向けられ、その誰かは不満げに自分の喉を離しました。
やがて周囲のメンバーも目を覚まし、ライトがその誰かに向けられます。
「────ナリドメ、お前!」
そこで照らし出されたのは。
寝る前にブツブツと何かを呟いていた、危ない雰囲気の新米兵士────ナリドメ2等兵でした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます