友瀬さんは言い訳を重ねます


 ◇


 急に泣き出して、彼を驚かせてしまった。

 ……と、思ったら、こんどは彼のほうが涙を流して、わたしが驚かされてしまった。

 ひょっとしたら彼は、染矢くんは……とても優しいだけじゃなく、とても繊細な人なのかもしれない。

 そのことに思い至ったわたしの心は、酷く締め付けられた。

 優しい彼に、繊細な彼に、本当は存在しないわたしの恋のせいで、余計な気を遣わせてしまったから。

 

 染矢くんのことは、まだまだよく知らない。

 彼のことをもっと知らなければいけない。

 無理に告白させてしまったから。

 わたしがどういう人間なのか、知ってもらわないといけない。

 染矢くんから好かれるに値する人間なのか、ちゃんと知ってほしい。

 

「「――はりせんぼんのます、ゆびきった」」


 だからわたしは親友を、由佳ちゃんを……言い訳に使ってしまった。


「…………あの、友瀬さん」

「なんですか、染矢くん?」

「『指切り』なんだからさ、普通はその……はならないと思うんだけど……」

 

 染矢くんの視線の先には、わたしたちの左手があった。

 より正確には、彼の小指をがっちり掴んで離さないままの、わたしの小指が。


「ご、ごめんなさい!」


 わたしは慌てて染矢くんを解放した。


 おとといの神社といい、きのうのクラス会といい、染矢くんには迷惑をかけっぱなしだ。

 もし、ここからさらに変な人だとまで思われてしまったら……彼に愛想を尽かされてしまうかもしれない。

 それだけは嫌だ。

 ……あくまで、あくまでも、お互いにちゃんと知り合うまでは。


「あっ、そうだ」

「な、なんでしょう……?」

「自販機寄ってもいい?コーヒー買ったんだけど、人にあげちゃってさ」

「もちろん!そういえばさっき、誰かと一緒に居ましたね」

「そう。その人、なんか直前まで泣いてたっぽくて。ちょっと目が腫れてたから、『これで冷やして』って渡しちゃったんだよね」


 やっぱり彼は、凄く優しい。

 見ず知らずの人相手にすら優しくできる人だ。

 べつに、わたしが好きだからじゃない、わたしだけ特別なわけじゃない……。


 ――ガタンッ!


 自販機の音が、わたしの意識を引き戻した。


「はい、これ」

「え?」

「俺もだけど、たぶん冷やしといたほうがいいよ」


 彼は自分の、少しだけ赤くなった目元を指さしながら、もう片方の手でジュースを差し出してきた。

 わたしが好きな、白地に青い水玉模様がデザインされた缶を。

 

「ひょっとして、甘いの苦手だった?クラス会で選んでたから、てっきり好きなんだと思ってたんだけど」

「染矢くん、わたしのことを…………その、よく見てくれてるんですね」


 その事実が、とても嬉しい。

 ……でもわたしは?彼のことをちゃんと見ている?


「……………………」


 ――ガタンッ!


 染矢くんは数秒固まったあと、ブラックコーヒーを買ってすぐに飲み干した。

 キャップ付きの大きい缶を無理に一気飲みしたせいか、彼は目元どころか、顔全体が真っ赤になっている。


「あの、染矢くん、目元を冷やすんじゃ――」

早急そうきゅうに……」

「はい?」

「早急に、大量の苦味を摂取せっしゅしないと……気がどうにかなりそうだったので……」

「……?」

「……と、ところで!協力って、具体的には何をすればいいの?」


 染矢くんはそう言いながら、自販機にコインを入れた。

 どうやら、改めて冷やす用の飲み物を買うつもりらしい。

 すこし悩んでから、彼はわたしとお揃いのジュースを選んだ。

 ……なんだかちょっと嬉しい。

 

「……友瀬さん?」

「そ、そうですね……まず、お互いの親友について、情報交換が必要だと思います」

「というと?」

「由佳ちゃん、いままで告白してきた男子全員を振ってるんですけど」

「俊一も女子全員振ってるなぁ……理由は知らないんだけどね」

「由佳ちゃんの方は、その、恋愛に対するこだわりが強いというかですね」

「へぇ、こだわり……」


 染矢くんはわたしの話に相槌を打ちながら、手にしたジュースのプルタブに指をかけた。


「染矢くん、ジュース!」

「え?……あっ!?」


 わたしの忠告もむなしく、彼が驚いた勢いで缶は開封されてしまった。

 文字通り、音とともに。


「あの、友瀬さん。何も見なかったことにしていただくというのは……」


 まるでびたブリキのおもちゃのようにギギギ、とこちらを向いた染矢くんの絶望した表情を見たわたしは、耐えられなかった。

 笑いを。



 ――わたしが落ち着くまでしばらくお待ちください――



「……ちょっと、あんまりなんじゃないでしょうか」

「ご、ごめんな……ふふっ……だって染矢くんが……ふふふっ」


 しばらく笑っていたはずなのに、まだまだ収まる気配がない。


「そりゃまぁ、俺が気を抜いてたのが悪いよ?でもそんなに笑わなくたって……」

「はぁ、はぁ、ごめんなさい……はぁーお腹痛い」

「友瀬さん、酷いや……」


 染矢くんはねたのか、そっぽを向いてしまった。

 

「でもそれだけ、わたしの話を真剣に聞いてくれてたってことですよね?わたし、嬉しいです」

「…………否定はしないけどさぁ」


 こちらを向き直った染矢くんは、恥ずかしいからか、さっきより更に赤くなっている。

 ……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、彼のことを可愛いと思ってしまった。

 

「それで、姫乃さんのこだわりって?」

「いままでの男子たちが失敗した原因は、由佳ちゃんの『お互いをよく知ってから付き合いたい』っていう条件をクリアできなかったからなんです」


 さすがに三本目を買うつもりはないみたいなので、わたしたちは歩きだした。


「正直なところ、王子くんと付き合えるなら……そのあたりは全く気にしないとは思うんですけど」

「念には念を入れて、ってこと?」

「はい、そういうことです。まずわたしたち経由で、お互いについて知ってもらいましょう」

「……ちょっと、遠回りし過ぎじゃない?」

「そうですか?」

「俺らで情報共有するのはいいと思うけど、せっかく両想いならもっと、ふたりの会話を増やしてあげたいというかですね」

「それは、たしかに」

「俊一のやつ昨日、クラス会で姫乃さんと話し足りなかったみたいでさ。けっこう残念そうにしてたよ」

「そうなんですね」


 昨日の由佳ちゃんは、B組の図書委員のふたりと、わたしと染矢くんのアレコレを間近で目撃してしまったせいで、たぶんそれどころではなかった。

 ……思い出したら、また恥ずかしくなってきてしまった。


「……友瀬さん。友瀬さん?聞いてる?」

「な、なんでしょう!?」

「大丈夫?顔赤いけど」


 それは染矢くんもでしょう、とは言わなかった。

 

「すみません、ちょっと考え事を。なんの話でしたっけ」

「だから、情報共有と会話を増やすの、どっちもやろうって話」

「そう、ですね。わたしもそれでいいと思います」

「ひとまず明日の学校で、昼休みに……昼休み……」


 染矢くんは急に頭を抱えた。

 

「どうしました?」

「……大丈夫、放置してた明日締切の課題を思い出しただけ。なんで今年はこう、中途半端な感じの連休なのかな」

「たしかに三連休と四連休だと、あまり大型って感じはしないですね」

「友瀬さんはもう課題終わってるの?」

「はい、とりあえず明日締切のものは」

「友瀬さんは偉いなぁ」

「そんなことないですよ?今回はたまたまです」


 そこから先は他愛もない雑談をして、あっという間に客席まで戻ってきてしまった。

 

「なつきちゃん、それから染矢くんも」


 戻ってきたということは、由佳ちゃんが居るということで。


「ずいぶん時間がかかったね?」


 わたしたちを出迎えたのは、仁王立ちで待ち構える由佳ちゃんの仏頂面だった。


「電話してからもう、三十分は経ってるわけだけど」

「うそ!?ご、ごめんね由佳ちゃん……」

「その、姫乃さん。友瀬さんは悪くないから。俺がつい、楽しくなって喋りすぎちゃっただけで……」

「……ふぅん?」


 由佳ちゃんは、しかめた顔をわずかに崩してわたしの方を見た。

 深いため息をひとつ吐いてから、彼女は続けた。


「あとひと試合しか残ってないけど、三人で応援しましょうか」

「うん!」


 わたしたちは由佳ちゃんに連れられて席に戻って、ようやく王子くんの雄姿を目の当たりにした。


 ◇

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