File No.1:愛川 月菜

 朝、カーテンから射す木漏れ日で目が覚める。

 階下からはいい匂いが伝わってきて、思わずお腹が鳴ってしまう。起きなければという理性に対し、まだこのまま惰眠を貪りたいという本能が抗う。

 せめぎ合った結果、ふとした拍子に目に入ったスマホに表示された時間は朝7時過ぎ。起きなければという理性が勝った。


 ベッドから体を起こす少女、それが私。名前は月菜らうら愛川あいかわ月菜らうらだ。名前の由来は月桂樹というギリシャ神話では“聖なる樹”と呼ばれる樹らしい。英文読みでLaura《ラウラ》だからなのだとか。


 腰まで届くヴァイオレットモルガナイトのような薄い紫色の長い髪に、宝石のように輝く赤紫の瞳。顔立ちは年相応にしては幼く感じるほどで、身長も実際はそんなに高くない。

 年齢は17歳、高校2年生。私立の名門校に通う、至って普通の女子高生だ。


 寝ぼけ眼で洗面台へと向かい、顔を洗う。暖かい気温に対してこの冷たい水は気持ちがいい。

 新入生が入り4月後半、ゴールデンウィークもまじかに迫ったこの季節は暖かく、新たな気持ちで迎えた新学期なのに眠気に負けてしまいそうになる。気合いだ、気合で起きろ、私。


 部屋に戻るとかけてある制服を手に取って袖を通す。スカートもブラウスも、紺を基調としたシンプルなデザイン。あまり機能性に特化しすぎてごてごてしたのは苦手なのですごく助かっている。

 リボンを占めて髪を整え、鞄を持って階下に降りる。玄関に学校指定の鞄を置いてそのままリビングに向かった。


「お嬢様、おはようございます」


 そう声をかけてきたのはメイドさんだった。白と黒をベースにしたベーシックな物を身に纏い、ロングスカートをひらりと回転させながら振り向く。

 彼女は家のお手伝いさんだ。海外に行くことが多いお父さんが、娘の一人暮らしを懸念して付けてくれた住み込みの女性。年齢も近く、この暮らしを始めて早5年。今では日常的な風景となっていた。


「おはようございます。メグさん」

「今日の朝食はトーストとベーコンエッグとサラダ、それとコンソメスープです。出来立てですので、熱いうちにどうぞ」

「いつもありがとうございます。いただきます」


 メグさんはにっこりと微笑み、そのまま自分の分の朝食作りに戻っていった。

 少しすると自分の分を持ってきた沙織さんが向かいの席に座り、共に朝食をとる。これが愛川家の日課だ。


「そういえばお嬢様、本日の放課後のご予定は?」

「今日は....今の所は普通に帰れそうですけど、もしかしたら呼び出しがかかるかも....?」

「忙しそうですね。了解しました。ではお夕飯は少し遅めに作ります。何かあるようでしたら事前に連絡を下さい」


 そう言ってそのまま朝食のスープを啜るメグさん。「はーい」と返事をし、私もトーストを齧る。バターの風味と小麦の香りが鼻を通り、今日も朝食は美味しいなと思いつつ舌鼓を打った。


***


 お昼頃、学校にて昼食を示すチャイムが鳴ると同時に別クラスから私に呼び出しがかかる。クラスの垣根を越えて堂々と入ってきた女子生徒は私の机にドンと弁当を置き、にぱーっと満面の笑みを浮かべながら私に言った。


「ラーウラ!お昼食ーべよっ!」


 彼女は美原みはら沙耶さや。私の親友で、小学校からの付き合いの女子生徒だ。オレンジの短髪にでかすぎる果物を2つも揺らして迫ってくる。けしからん!全く以てけしからん!!

 同じ女子ですら嫉妬するほどの大きな果物は、彼女が動くたび目の前で揺れる。それはもう、ゆっさゆっさと。

 ....私だって、無いわけではない。平均くらいはあるもん。


「いいよ。どこで食べる?」

「ここでいいんじゃない?勇貴も呼んでくる?」

「呼ばれなくてもいるぞ」


 声のする方を向くと、同じく弁当を持った男子生徒が1人。彼も昔からの付き合いで、いわゆる幼馴染というやつだ。家族ぐるみの付き合いで、今でもたまにメグさんとともに夕飯をご馳走になることがある。

 彼の名前は久王くおう勇貴ゆうき

 癖のある毛先と黒に所々紫のメッシュが入った髪、言動や性格の割に外面は幼く見られることがあり、身長・体格共に高2男子としては少し小さい方だ。


「昼飯ならここでいいじゃないか」

「えーでもせっかくならもっと静かなところで食べたくない?」

「私はどこでもいいよ。皆と食べられるならどこでも」


 結局、私達3人は屋上で食べることになり、弁当を持って階段を上がっていく。お昼時の屋上は混んでると思いきや意外と空いており、見晴らしのいい席を陣取ることができた。


「今日も暖かいね~」

「そうだね。春は過ごしやすいから眠くなっちゃいそう」

「優等生がこんなところで寝るなよ?」

「私、別に優等生じゃないんだけど....」


 そんな他愛もない話をしながらふと視線を空に上げる。そこに映るのは何の変哲もないただの空。

 


 この都市の上空にぽっかりと開いた虚空。空そのものを飲み込まんとする大穴が、この都市の上空にはあった。人間には不可能とされる“割れた空”。作り話のような光景がそこには存在するのだ。

 虚空の虚空の先は何が続いているのかはわからず、過去に世界各国から無人調査気が放り込まれたらしいが、何があるかもわからずに通信が途絶えたそう。


 あの穴は10年ほど前、突如この世界に現れた。轟音と共に空が裂け、三日三晩に及ぶ天変地異の末裂け目がねじれ、あのような虚空となって上空に残ったのだ。


 結局、なぜこんなものが発生し、なぜそんなことが起こったのかはいまだに不明。だがあの日以降、空に残った虚空は何を起こすでもなくただそこにあるだけ。そのため世界各国も下手に手を出すことが出来ず、様子見として放置しているのだ。


 この街はそんな天変地異によって崩壊した街を再復興したもの。かつて存在した日本の首都:東京が崩壊し、再び構築された都市。それがこの街“新東京”だ。


「今日も良く見えんな~虚空」

「ね~。海外からあれを見るためだけに来る人もいるくらいだし、一種の観光スポットになりつつあるよね」


 この街で暮らす人々にとって虚空は日常的に見るものであり、もはや驚きも何も感じなくなっていた。


(でも、私は知っている。あの虚空がもたらしたのは災害だけじゃないってことを....)


 ふと脳裏に姿が浮かぶ。

 だがそれを周囲に言う必要もなければつもりもない。彼女たちは一般人なのだ。はしたくない。


「ね!よく見えるね!」


 笑顔を顔に貼り付け、普段と変わらない口調でそう言ってのけた。その仮面を外した姿を、彼らは知る由もない。

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