第4話
今日も世界は、正常に運行されていた。
みんな僕のことを、化け物を見るような目で見て、話しかけてくれる人なんていない。目が合えばすぐにそっぽを向かれ、少し動くだけでも、今日が己の命日とでも言うような顔をされた。
永遠とも思える、肩身の狭い時間だった。当然、授業の内容なんて頭に入るはずもなく、常に、脳と頭蓋の狭間に煙が溜まっているかのような感覚がした。
地面にめり込んだ巨石を押すように時間が過ぎていき、チャイムが鳴った。
助かった…。
僕はそう思い、席を立つ。鞄を掴んだ時、背後から言葉を投げかけられた。
「おい、殺人鬼、今日は誰を殺しにいくんだ?」
「………」
その言葉を無視して、僕は教室を出る。
廊下に出た瞬間、歩いていた生徒らが悲鳴をあげた。その声はまるで、泥のように背中にこびり付き、僕の胸をチクリと痛ませた。
逃げるように廊下を進み、学校を出た。
日はまだ高かった。路地を生暖かい風が吹き抜けている。
三歩進んだところで、お腹がぐうっと鳴った。
暑い時に汗をかく様に、皮膚を切れば血が出るように、僕の胸の中に「今日の晩御飯はなんだろうな…」という考えが浮かぶ。そして、風吹けば花弁が舞うように、つま先が、アパートの方へ向いた。
「あ…」
一歩踏み出したところで、静江さんはもうこの世にいないことを思い出す。
立ちどまった僕は、鼻で笑った。
「…あほらし」
アパートに帰ったって、晩御飯を用意して待っていてくれるひとなんていない。仏壇に話しかけていたって、虚しいだけだった。
アパートの方へと向いていたつま先を反転させ、僕は逆方向に歩き始めた。
行先なんて決めていない。
今朝に見た人を殺す夢、朝の子どもたちの悲鳴、そして、教室で言われた「殺人鬼」という言葉をかき消すように、たわんだアスファルトを踏みつけた。
そんな僕の姿を見て、道行く者たちは顔を引きつらせていた。そのくらいはまだ平気だ。知らない爺さんに杖で叩かれたし、他校の生徒には「あの人って人殺したことあるんだって」と、僕にも聞こえる陰口を言われた。すれ違う小学生は、「うわあ! 殺人鬼だ! 逃げろ!」と大声で言って逃げて行った。
「………」
走り去っていく子どもらの背中を見て、拳を握り締める。僕の方が足は速いんだから、お望み通り殺人鬼らしいことをしてやろうか。
おっと、いけない…と思い、己の頬を殴った。
「うん、やめろ」
絶対に暴力に訴えてはいけない。絶対に、人を傷つけてはいけない。
そう自分に言い聞かせる。死んでしまった静江さんとの約束だ。
皮膚を走る怒りが収まると、僕は逃げるように歩いた。歩いて、歩いて、歩いて、風に攫われたビニール袋みたいに歩き続けた。
どのくらい歩いただろうか? 足の裏に、引きつるような痛みが走った。膝の関節が、キイキイと軋んだ。
日輪が西の山に隠れた。赤い余韻を残しながら世界の輪郭が薄れていく。僕の姿を覆い隠していく。吹き付ける風が冷えていく。
さて、どうしようか? 帰ろうか?
そう思っていると、生臭さが鼻を掠めた。その臭いに誘われて、少し歩を速めて路地を出ると、そこに大きな川があった。舞い降りた夜に誘われるように、黒い水がゆったりと流れている。
「………」
ちょうどいい、ここで感傷にふけるとしよう。
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