前野駅前テロ編

12-1「後門の狼」

 松本は茶のコートを羽織り、革靴に靴ベラを差し込んだ。



 「あなた!お弁当忘れてる!」



 家の奥から聞こえた高い声に、松本は靴ベラを置いて振り返った。お弁当の包みを片手にエプロンの女性、松本公恵が廊下を小走りで駆けてくる。



 「はい。行ってらっしゃい」


 「おお!すまんすまん!行ってきます!」



 松本がドアに手をかけると、廊下に面する部屋の扉が開かれ、目をこするパジャマ姿の少年がよろよろと姿を見せた。



 「んー……パパ……?」


 「ふふ」


 「ハッハハ!」



 愛息の翔の様子に公恵と松本は微笑んだ。



 「じゃあ、翔、パパ言ってくるぞ!」




 出勤用のバッグを持って住宅街を歩く姿はまるで普通の会社員のように見える。しかしその胸中は平穏とは程遠い。



 (この世界には命をかけなきゃならない仕事ってのがまあまあある。危険な場所、危険な状況、危険な相手。何に命を取られるかはそれぞれ。


 俺がかれこれ十年以上所属するPGOも例に漏れない。同僚も先輩も後輩も、居なくなった人は数知れないし、俺も死なないとは約束できない。たとえ守るべき家族がいたとしても。


 そんな不確定要素ばかりのパージャーなのに、俺はこんなに幸せな普通の生活を手にしている。毎日思う。自分はとんだ幸せ者だ、と。時にそれが苦しくなるくらいに……


 どうして年端もいかないあいつらが苦労しなければならないんだろうな。不条理、不平等、理不尽。


 だからこそ、上司として、一人の大人として、俺くらいはあいつらを世界から守れればと願ってしまうな……)



 毎朝そんなことを考えながら、松本は「執行局執行部赤 責任者:松本生壱」と書かれた部屋のドアノブに手をかけた。


*─*─*─*─*


 時計の針がとっくに十二時を回った頃、松本の弁当の箱が開けられた。白ご飯の隣に彩りよく並べられたおかずがお目見えした。日根野は松本のデスク越しに目をキラキラさせてた。



 「わあ!今日も愛妻弁当ですね!美味しそう!」


 「本当ですね!うわ、しかもステーキ入り!」



 心もデスク越しに話しかけた。



 「そういや公恵のやつ、今日はいつもより豪華に作ったとか言ってたな……」



 松本が考えるように顎に手をやると、日根野はパンッと手を叩いた。



 「あ、それって夫婦の日だからですか?」


 「夫婦の日?」



 心はぽかんとした。佑心は一連の会話をデスクで仕事しながら、聞き耳を立てた。



 「ほら、今日って二月二日だから!ふうふ、ってね!」



 日根野は楽しそうに言葉を弾ませたが、佑心には何かが引っかかっていた。

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