5. たとえどうなっても
「んっ……」
目を開けると、そこは私の部屋だった。でも、周囲にお兄ちゃんの姿はない。ベッドに横たわる身体を起こし、すぐに状況を理解する。
昨晩、私はお兄ちゃんに弱音を吐き出した後すぐに寝てしまった。
兄と比較されてきたこと、誰も自分を見てくれなかったこと、自分の無力さ、兄への嫉妬、それによる嫌悪感、自分の存在意義を見失ったことを吐いている時も、兄はずっと肯定してくれた。嫌味一つ言わずに最後まで話を聞いてくれた。
それが引き金となり、私はだらしなく泣きながら、言葉にならない程の嗚咽をあげながら、今まで抱え込んできたものをお兄ちゃんに吐き出した。
「…………」
今までお兄ちゃんのことを敵対視していたけど、今はお兄ちゃんのことを考えても嫌な気分はしない。むしろ、あんなに優しく慰めてくれたお兄ちゃんに対して、少し好意を抱いていた。
「おはよう」
「お、おはよう……」
だからだろうか。突然部屋にやってきたお兄ちゃんにびっくりしながらも、やや気まずそうに挨拶を返すのは。
「よく眠れたか?」
「う、うん……」
昨晩あれだけ弱音を吐いたからというのもあるけど、やっぱりお兄ちゃんを敵対視して強く当たったことに対して、罪悪感を覚えてしまっていた。
「これ、お腹空いたら食べてな」
そう言って、傍らの机にそっとお盆を置く。その上には、お兄ちゃんが握ったであろうおにぎりと一杯の氷水。
「あ、ありがとう……」
目を合わせられない。気まずいからというだけじゃない。なにか別の、感じたことのない感情が私を襲っていた。
「……今日はゆっくり休むんだぞ」
そんなそっけない態度だからか、お兄ちゃんはそれだけ言って私に背を向けてしまった。
「あっ……」
とてつもなく小さい声が私の口から漏れた。
お兄ちゃんが、どこかへ行っちゃう。また、一人ぼっちになっちゃう。私の心の隙間を埋めてくれる唯一の人が、いなくなってしまう。
それだけは、絶対に嫌だった。
「あ、あの……お兄ちゃん……」
その一心だったから、意味もなく呼び止めてしまう。
「ん?」
お兄ちゃんは振り返る。
「えっと……その…………」
でも、中々その先の言葉が出なかった。
迷惑かもしれない。わがまま言って、嫌われるかもしれない。そういった思考が邪魔をして、口から出せなかった。
「あんまり我慢するなよ? 遠慮はいらないからさ」
そんな私にお兄ちゃんはそっと近ずき、頭を撫でた。その大きな手で撫でられる感覚は、決して悪い気分じゃない。気持ちよくて、安心できて、そして幸せな気分だった。
その言葉に背中を押されるように、私は必死に言葉を紡いだ。
「――今日は、一緒にいたい……」
今はただ、お兄ちゃんと一緒にいたい。その気持ちを、勇気を振り絞ってお兄ちゃんに伝えた。
「わかった」
お兄ちゃんは優しく頷き、私に微笑みかけてくれる。それが、私にとってはとてつもなく嬉しいことだった。
それから、どれくらいの時が経っただろう。
私たちの間に、会話はなかった。私からも、お兄ちゃんからも喋りかけることはなく、ひたすら沈黙の時間が続く。
私はベッドに横になり、お兄ちゃんはそのすぐ傍で本を読んでいる。お互いにこちらを見向きもせず、ただ時間が過ぎていくだけだった。
でも何故だか、この時間が心地よかった。
「……お兄ちゃん」
「んー? どうかした?」
最初にこの沈黙を破ったのは私の方からだった。でも、お兄ちゃんの方を向くことはない。
「……あの時は、怒鳴っちゃってごめんなさい」
「別にいいよ。それほど追い詰められてたんだろ?」
あの時――お兄ちゃんが心配してくれて私に声を掛けてくれた時、自分勝手に怒り声を荒らげてしまったことを謝った。
「で、でも……」
「仕方なかったことだ。今はそれでいいじゃないか」
でも、お兄ちゃんは瞬時に私を許してくれた。仕方のないことだって、私を責めなかった。
お兄ちゃんは本当に優しい人。今の私には、その優しさに縋るしかなくて。
その優しさに甘えるしかなかった。
―――
今までずっと、心を閉ざして誰にも頼ろうとしなかった。私に味方なんていない。頼ったところで意味なんてない。みんなが私の敵だと、そう思い込んでいた。
あの時だって、お兄ちゃんが私の味方なはずがないって、距離を置いて敵を作る発言ばっかりして、頑なにお兄ちゃんのことを認めたくなかった。
でも今は、お兄ちゃんに対して心を許している。この人だけが、私を助けてくれるんだって。この人だけが唯一、私を見てくれるんだって。
お兄ちゃんのことを考えるだけで、頭がお兄ちゃんでいっぱいになってしまう。
自分でも考えられない変化だった。
お兄ちゃんを敵対視してきた自分が、今はお兄ちゃんのことを……。
「…………」
どうして、胸が高鳴るんだろう。どうして、頭からお兄ちゃんが離れないんだろう。
どうして私は、お兄ちゃんのことばかりを考えてしまうのだろう。
「……少しくっつきすぎじゃないか?」
「……だめ?」
「ダメじゃないけど……」
「じゃあいいじゃん」
ベッドに腰掛けるお兄ちゃんに頭を預ける。特に何かをしている訳でもなく、ただお兄ちゃんにくっついているだけ。
それだけで、私は安心できた。
それと同時に、ドキドキしてしまう。お兄ちゃんに密着することで、私の心臓と脳内がうるさくてしょうがなかった。
この気持ちは一体なんなのだろう。私がお兄ちゃんに抱いているこの気持ちは、妹として正常な感情なのだろうか。
「ねぇ、お兄ちゃん……」
「んー?」
分からない。いくら考えても、答えはでない。でも、一つだけ言えることがある。
――私には、お兄ちゃんがいる。
「……えへへ、やっぱりなんでもない」
私を助けてくれて、かっこよくて、頼りなって、そしてなにより「私」を見てくれた。
それから私は、お兄ちゃんのことを好きになってしまったんだ。
―――
目が覚めると、すっかり体調も良くなっていた。そのおかげか、今は随分と気分が良かった。
「……夢?」
長い夢を見ていた気がする。今となっては、あんまりいい思い出とは言えない。
あれ以来、お兄ちゃんのことを意識するようになった。日が経つにつれて、私はお兄ちゃんが好きなんだって気づき、自身の抱く気持ちに葛藤する日々を送った。
妹が兄に対して想いを抱くことは許されない。そういった概念に囚われて、ずっと苦しんできた。何度も何度も、私がお兄ちゃんの妹じゃなかったらって、そう思ってきた。
あの出来事があったから、私は苦しんだ。
自分はもしかしたら、異端なんじゃないかって。もしこの気持ちがお兄ちゃんに知られたら、気味悪がられるんじゃないかって。そんな考えが、私を蝕んでいった。
あの出来事がなかったら、私はお兄ちゃんを好きになることもなかったのに。お兄ちゃんに抱く気持ちに葛藤することもなかったのに。
「お兄ちゃん……」
でも、それでも私はお兄ちゃんを好きになって良かったと思う。だって今は、私たちが互いに「好き」という気持ちを認識しているから。
それが例え、お兄ちゃんの「好き」が私への依存による誤認感情だったとしても。
それでも私は、お兄ちゃんに「好き」と言われることが心底嬉しかったんだ。
私のこの想いが狂ってしまったのは、きっと叶えられない恋にずっと引きずられていたからなんだ。
でも今は、この感情をお兄ちゃんにぶつけることができる。
「ありがとう、お兄ちゃん」
ベッドの傍らで小さな寝息を立てるお兄ちゃんに向けて、小さく呟く。
「私を助けてくれて」
私の手がお兄ちゃんの頬を伝う。それに反応するかのように、お兄ちゃんは「んん……」と小さく唸る。
「私のことを見てくれて」
お兄ちゃんは、凄い人。でも本当は、誰よりも繊細で、誰よりも優しくて、そして誰よりもか弱い人。それは、妹の私だけが知っている。
「とてもかっこよかったよ」
今も、昔も、私のために頑張ってくれた。そんなかっこいいお兄ちゃんを好きになれたから、私たちの「今の関係」がある。
「大好きだよ、お兄ちゃん」
だからこそ、この時間がずっと続けばいいのにって、そう思ってしまう。
それがお兄ちゃんにとって良くないことだと分かっていながら。
―――
――あの時、お兄ちゃんは教えてくれた。
ここが私の居場所であり、帰る場所なんだって。私は一人じゃないって、お兄ちゃんはそう教えてくれた。
私には、お兄ちゃんがいる。お兄ちゃんさえいてくれれば、例えこの世界がどうなってしまっても構わない。
TS化したお兄ちゃんと妹 白花 @shirohana_
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