2. 歪んだ関係

「…………」


 閉めきったカーテン、薄暗い部屋、乱雑に散らばる服や物。ただベッドに倒れているだけの私。


 頬には一粒の水滴が伝う。それが一体どういう感情での産物なのかは分からない。ひたすらに嗚咽を押し殺して、枕を濡らす日々。苦しい、辛い。誰か助けて欲しい。でも、誰も自分の味方をしてくれる人はいない。


 あの時、そう思い知ったから。


 コンコン。

 と、不意に部屋へノック音が響き渡る。そして一拍の間が空き、優しい声が続いた。


「お兄ちゃん、ご飯できたよ。ここに置いておくね」


 妹がご飯を置きに来てくれた。

 毎日毎日、朝昼晩と作り置きしてくれるけど、生憎と食欲なんてものはない。


「それじゃあ、また明日。おやすみなさい、お兄ちゃん」


 どこか寂しそうな声と共に、足音が遠ざかっていく。

 こうしてただ沈黙を貫いて妹と顔を合わせないのは、単純に怖いんだ。


 ――妹には……妹にだけは、自分を否定されたくない。


 否定された恐怖が心に強く根付いて、妹を避けるようになってしまった。

 そうして時間だけがひたすらに過ぎ去っていった。



 ーーー



「お腹空いた……」


 もうかれこれ二日間は食べ物を口にしておらず、流石に限界が近くなっていた。餓死なんてしたくはないから、妹が作り置きしてくれているご飯を部屋の中へと……。


 ガチャ。


「あっ……」


 そう声を発したのは私ではなく、偶然居合わせた妹だった。


「――ごめん」


 妹の姿を視認した私は、咄嗟に扉を閉めた。


「ま、待って……!」


 でも、妹は拒んだ。

 勢いよくこちらに駆け寄り、私の小さくなった腕を掴む。


「……離して」

「嫌だ」

「……お願い」

「嫌だ!」


 どんなに言っても、手を離すことはなかった。


「どうして……?」

「……怖いんだもん。このまま離したら、次お兄ちゃんと会う機会がこの先ずっと訪れなくなるかもしれないから……」


 その声はどこか寂しそうで、哀しさに満ち溢れていた。


「……どうしてあなたは、私のことを気にかけてくれるの?」


 妹にそう聞いた。


「そんなの、お兄ちゃんのことが好きだからに決まってるじゃん……! 」


 声を荒らげるらしくない妹の姿にびっくりした。


「だから、お願いだよ…………。一人で抱え込まないで……もっと私を頼ってよ……。それとも、私じゃ頼りないの……?」


 不安に駆られたのか、私の腕を掴む力が強くなっていく。でもその妹の態度に対して、何故だが怒りを覚えてしまう。


「…………私はもう、あなたの知ってる『お兄ちゃん』じゃないんだよ……! 私たちはもう『他人』なの! 私のことなんか放っておいてよ! どうすれば良かったの……!? もう分からないよ……。私は、誰なの……?」


 形容し難い感情が私を支配した。

 気がつけば、とっくに枯らしてしまったはずの涙が、ポロポロと零れていた。


「……ごめんね」


 それでも、ギュッとその小さい腕で小さくなった私を包み込んでくれた。妹に八つ当たりして、被害者面してる惨めな私を。


「ぐすっ、うぅ……あぁっ……」


 とても安心できて、人の温もりを感じられて、そしていい匂いがした。

 誰かが傍にいるというだけで、こんなにも楽になれる。今の私にとっては、麻薬みたいなもの。


「……とりあえず座ろう?」


 妹に促され、ベッドに腰掛けた私をまた優しく抱きしめる。


 それからどれほどの時が流れただろう。

 その間、妹はずっと私の頭や背中を撫でてくれた。優しく、ゆっくりと。その手が止まることはなかった。



 ーーー



 お兄ちゃんはずっと苦しかったんだと思う。辛かったんだと思う。自分という存在を受け入れて欲しかったんだと思う。

 でも、自分には味方がいないと思い込んで、妹である私にも話してくれることはなかった。


「辛かったね、大丈夫。お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ。見た目が大きく変わっちゃっただけで、私の大好きなお兄ちゃんには変わりないよ。だから、元気出して?」


 でもこうして気持ちを話してくれて、とても嬉しかったし、力になりたいと思った。お兄ちゃんは酷く傷ついて、辛く苦しい思いをした。だから今度は私が癒してあげないとって、そう思った。

 それと同時に、私はお兄ちゃんにとっての『唯一』になれたって、そう思えた。


「……どうしてあなたは、私の欲しい言葉ばかりくれるの……?」

「だってお兄ちゃんは、もう散々苦しんだじゃん。だから少し休まないと……。今逃げても、誰もお兄ちゃんのこと責めないから」

「そんなこと言われたら、依存しちゃうじゃないかっ……」

「いいんだよ、依存しても」


 ぎゅっと、もう一度お兄ちゃんを抱きしめる。

 私の腕の中で、嗚咽を零して小さく震えるお兄ちゃん。

 あんなに大きかったお兄ちゃんが、今ではこんなに小さい女の子。でも例え姿形が変わっても、私のお兄ちゃんへの気持ちが変わることはない。ずっと、これからも永遠に。


「……落ち着いたかな?」


 やがて落ち着きを取り戻したのか、もうお兄ちゃんのすすり泣く声は響いていなかった。


「……私のこと、受け入れてくれるの?」

「うん、当たり前だよ」

「ならさ」


 ゆっくりと顔を上げて、私の顔を直視する。

 今思えば、とても綺麗で整った顔立ちだった。簡潔に表現するならば、美少女。

 可愛くて、守ってあげたくなるような、そんな顔。


「どうしたの……?」

「一つだけ、お願いがあるの――」

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