第3話 村人のお願い


 道の先に見えるのは、どの国にもありそうな長閑な村である。


 広い畑と隣接した村には木造家屋が二十軒ほどあり、村の中心には大きめの井戸が掘られていた。


「さて、村で服と食料を調達しようか」


「分かりましたわ」


 村に到達した俺達は躊躇なく進入していく。


 冒険者が村を訪ねた場合、村長に挨拶するのがマナーだ。


 最初から村を仕切る人間に会って話をした方が手っ取り早いって理由もあるが。


 そして、村長の家は大体村の奥にある。


 これは俺の経験上、八割くらいの確率で当たる予想だ。


 ――村の奥へ進んでいる途中、野菜の入った籠を持つ女性と目が合った。


「こんにちは」


「……こんにちは」


 女性は挨拶を返してくれたものの、その目には戸惑いがあった。


 その戸惑いの目はシエルに向けられている。


 たぶん、彼女は頭の中でこう考えているだろう。


『どうして冒険者が貴族令嬢と一緒に行動しているんだ? どうしてお嬢様の服が汚れているんだ?』


 ってね。


 彼女だけじゃなく、村にいる大人達全員が俺達に奇異の目を向けてくる。


 だが、生憎と答えてやることはできないんだ。


 内心で謝りながらも、俺達は村の奥にある家のドアを叩いた。


「どなたかな?」


 ドアを開けて出てきたのは白い髭を生やした老人。


 どうやら俺は八割の正解を引いたらしい。


「すまない、村に立ち寄った者なのだが」


 俺はジャケットの内ポケットから冒険者組合登録証であるドッグタグを取り出して見せた。


「……冒険者さん、と?」


 俺が冒険者であることは確認したが、老人は顔を横にズラしながら後ろにいたシエルへ視線を向けた。


「お貴族様?」


「いや、違う」


 彼女よりも早く俺が否定した。


 間髪入れずに否定したおかげか、村長らしき老人はこの時点で何かを察したようだ。


「彼女の服を用意したい。古着でもいいので売ってくれないか? あと食料と井戸の水も」


「……それは構いませんが」


 俺の申し出を聞くと、老人は更に何かを察したような表情を見せる。


 こういう時、相手の反応は二つに分かれる。


 過剰にもてなすか、こちらの態度に合わせるか。


「欲しい物を売るのは構いませぬが、こちらのお願いも聞いて下さいませんかね?」


 老人はどちらにも当てはまらなかったようだ。


 意外にも度胸がある人物だった。


「貴方は冒険者なのでしょう? 魔物退治を引き受けてくれませんか? 引き受けてくれれば、先ほど仰った物はタダで譲ります」


「内容次第だ」


 足元を見られないよう告げると、彼は俺達を追い越していく。


 数歩ほど歩いたところで、村の南西方向を指差した。


「ちょっと先へ行った場所に小さな林があるでしょう? あそこに熊の魔物が棲みつきましてね」


 最近、林に入った猟師が襲われたそうだ。


 猟師は片腕を失くして戻って来たという。


「人の味を覚える前に退治して頂きたい」


「街の組合に依頼は出したのか?」


「出しましたが、どうにも反応が悪く。誰も依頼を受けてくれないようです」


 依頼を出してから既に四日ほど経過しているようだ。


 夜になるとたまに魔物の鳴き声が聞こえてくるそうで、村の人々は怯えながら夜を越しているという。


「毛色は?」


「赤です」


「レッドベアか」


 確かに『人食い熊』に成り得る種類だ。


 春を迎えてしばらく立つが、餌を取るのが不得意な個体だと村を襲いかねない。


「いいだろう。始末してくる。約束は守ってくれよ?」


「もちろんですとも」


 ニコリと笑った老人は家の中へと戻って行った。


「さて、魔物退治といこうか」


「魔物退治といこうかって……」


 戸惑いを隠せないシエルだが、俺は容赦なく話を進めることにした。


「君、魔物って見たことある?」


「いえ、ありませんわ」


 ふるふるっと首を振る彼女に対し、俺は満面の笑みを浮かべてやる。


「なら、見ておいた方がいいな。今後を生きるためにも魔物ってやつがどんなもんか知っておいた方がいい」


 何事も経験だ。


 いざって時、その恐怖を知ってれば真っ先に逃げ出せるからね。


 俺が入口に向かって歩きだすと、彼女は慌てて後を追ってきた。


「ね、ねえ! 貴方、倒せますの? 魔物を倒せるくらい強いのよね!?」


 彼女の顔には「巻き添えはごめんだ」と言わんばかりの表情があるが――


「まぁ、そこそこだ」


 俺は自分の実力をそこそこと称しておく。


 恥ずかし気もなく「任せておけ! 俺はめっちゃ強いぞ!」なんて言える度胸はないよ。


「そ、そこそこ?」


「そう。そこそこ」


「そこそこってどれくらい……?」


「そこそこって言ったらそこそこだよ」


 全く以て実の無い会話を続けていると、シエルの顔色が徐々に青くなっていくのが分かった。


 面白い。


「嘘でも強いって言って欲しかったですわ……」


「そりゃ残念」


 嘘でもそんなこと言えないね。


 俺は上には上がいることを知っているから。



 ◇ ◇



 老人の言っていた林までは歩いて数十分という距離にある。


 レッドベアが棲みついたという林を前にして、俺はシエルに魔物退治を行う上での注意事項を語ることにした。


「絶対に守って欲しい点がある。死にたくないなら、俺より前に出るな」


「……もちろん、嫌でもそうするつもりですわ」


 言われなくても分かってる。前になんて絶対出るもんか、と言わんばかりの声音だった。


「あとはそうだな……。あり得ないと思うが、俺より先に魔物を見つけても声を上げちゃだめだ」


 代わりに俺の体を叩いて知らせろ、と追加しておく。


「他には? 他には何かありませんの?」


「特にない。ああ、そうだ。怖くてもションベンは漏らさないでくれ。気まずくなるから」


「……善処します」


 そ、そんなことするわけないでしょう!? と怒らないのは意外だった。


 彼女の緊張をほぐす冗談のつもりだったが、どうやらそんな余裕も無いようだ。


 怖がらせすぎちゃったかな。


 でも、本当に魔物に対する恐怖は感じてもらわないと。


「んじゃ、行こう」


「え、ええ……」


 サクサクと雑草を踏みながら、まるで我が家の庭の如く進入していく。


 林と称されてはいるものの、木々の間隔には余裕がある。視界は良好と言えるだろう。


「レ、レッドベアという魔物はどれほど強いのですか?」


「ん~。並みの騎士だったら三人か四人掛かりで倒すくらいかな? 魔法使いがいれば楽だと思うが」


 続けてもう一つ。


「ああ、凄腕の騎士団長クラスの人間なら一人でも倒せるかも」


 ただし、どう戦うにしろ下手すれば人間なんて一撃で殺されると付け加えた。


「…………」


 聞いた途端にシエルは黙ってしまったが、事実なのだから仕方ない。


 数分ほど歩くと、さっそく痕跡が見つかった。


「ほら、見て。これがレッドベアの爪痕」


 太い木に残された爪痕を指差すと、彼女は「大きい……」と声を漏らした。


「こんなぶっとい爪が生えているんだ。人間なんざワンパンだよね」


 引っ掻かれただけで肉はズタボロ。内臓ぼろ~んは間違い無しだ。


「…………」


 シエルの顔が青から白に変わりそうだ。


 実物を見たら何色になるのだろう?


 更に奥へと進んで行くと、俺の耳は微かな異音を捉えた。


 グフッグフッと鳴くレッドベアの鳴き声だ。


「いるな」


 鳴き声の方向へ進んで行くと、討伐対象を発見した。


 レッドベアは俺達に尻を向けて、地面に向かって何かしている。


「…………」


 俺はシエルに振り返ると、口に人差し指を当てて「シーッ」とジェスチャーした。


 彼女は両手で自分の口を抑えながらも、目を剥きながら何度も頷く。


 続けて、俺はゆっくりと背負っていたリュックを下ろした――が、ここで奴が気付いた。


「―――」


 こちらへ振り向いたレッドベアの口元は、特徴的な赤毛よりも赤かった。


 体の隙間から見えたのは地面に横たわる鹿の魔物だ。


 どうやら食事中だったらしい。


「フッ」


 俺は素早くナイフホルダーからナイフを抜き、レッドベアに向かって投擲した。


「グオオッ!」


 木々の間を抜けて迫ったナイフは、レッドベアの太い腕によって防がれた。


 筋肉質な腕にナイフが刺さることもない。


 だが、それでいい。一瞬でも視界を遮ることが狙いだったから。


「―――ッ」


 既に走り出していた俺は腰から銀の剣を抜く。


 真正面。奴の間合いまであと五歩。


 ここでもう一本のナイフを投擲しつつも横へ飛ぶ。


 ナイフを防いだレッドベアに対し、俺は真横をとった。


「よっ」


 大振りの一撃を振るうと、察知したレッドベアは腕を向ける。

 

 だが、ナイフと違ってこっちの剣は強烈だ。


「グオオオッ!?」


 横に振った剣の刃は筋肉質な太い腕の肉を簡単に斬り裂く。


 剣の刃が骨まで到達すると、腕に力を入れて強引に両断した。


 横に振った勢いを殺さず、そのままダンスのターンを披露するかの如く横に体を流す。


 すると、先ほどまで俺が立っていた場所に健在な腕の一撃が落ちた。


 レッドベアの叩き付けるような一撃はズシンと響く。


 まるで大地が揺れたかのような攻撃だが、悪手としか言いようがない。


「悪いね」


 既に態勢を整えていた俺は、レッドベアの首に剣の刃を落とす。


 首筋から入った剣の刃はギロチンの如く熊の首を両断した。


 頭部を失くしたレッドベアの体は一秒ほど動いたが、すぐに体が地面に倒れる。


「はい、終わり」


 剣に付着した血を払いつつ、地面に転がったレッドベアの頭部を掴んで持ち上げた。


 そのままシエルの元へ戻って行くと、彼女は大きく口を開けたまま俺を見つめてきた。


「どうだった?」


 そう聞いても口をパクパクとするだけ。


「魔物がどれほど怖いか感じられた?」


「ま、魔物より貴方の方が怖かった……」


 たぶん、これは彼女の本音だ。心の底から出た感想だと思う。


「うわ、傷つく。でも、正直者は好きだよ」


 ニコリと笑ってやりながら、帰り支度を始める。


 リュックから血拭い用の布を取り出して、剣の刃を拭いてから腰の鞘に戻した。


「んじゃ、戻ろう。ついでに今日は村へ泊まれるか聞こうか」


 足が震えている彼女は歩くのもしんどそうだ。


 村に戻ってから徒歩の旅を続けるのは酷だろう。


 リュックを背負い、レッドベアの頭部を拾い上げ、俺は「戻ろう」と改めて言った。


 街道へ戻る途中、俺は横を歩く彼女に問う。


「ションベン漏らした?」


「……漏らす暇なんてありませんでしたわ」


「ははっ!」

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