　姪（めい）が、ずいぶんとお（・）腹（なか）を空（す）かせているようなので、私は彼女を近（ちか）くのファミレスへと連（つ）れ出（だ）した。まだ朝方（あさがた）なので、こういう所（ところ）くらいしか食堂（しょくどう）は開店（かいてん）していないのだ。

「トーストセットだけでいいの？　若（わか）いんだから、もっと食（た）べた方（ほう）がいいわよ。ほら、叔母（おば）さんのハムエッグもあげるから」

「は、はい……。か……間接（かんせつ）キス……」

　姪（めい）が小声（こごえ）で、何（なに）かを呟（つぶや）いている。姉（あね）の家（いえ）で自室（じしつ）に籠（こも）っていたときには、緊張（きんちょう）した様子（ようす）で顔（かお）が蒼（あお）かったけれど、今（いま）は姪（めい）の頬（ほほ）にも赤（あか）みが差（さ）してきていた。ドレス姿（すがた）ということもあって、童話（どうわ）の白雪（しらゆき）姫（ひめ）はこんな少女（しょうじょ）だったのかなぁなどと考（かんが）えている私である。

　姪（めい）には席（せき）で食（た）べてもらって、私はドリンクバーのコーナーへと向（む）かい、私と姪（めい）の飲（の）みものを取（と）って戻（もど）った。店内（てんない）の客（きゃく）は多（おお）くないけど、見（み）るからに白雪姫（しらゆきひめ）な姪（めい）を目立（めだ）たせるようなことは避（さ）けたい。彼女のドレス姿（すがた）を笑（わら）う客（きゃく）がいないとも限（かぎ）らないのだ。人（ひと）の性的（せいてき）指向（しこう）も服装（ふくそう）も、笑（わら）われるべきではないと思（おも）うのだが。

「叔母（おば）さんはコーヒーをブラックで飲（の）むんですね……ミルクは入（い）れないんですか？」

　姪（めい）がオレンジジュースを飲（の）みながら私に尋（たず）ねてきた。彼女はコーヒーを全（まった）く飲（の）めないそうだ。まだ二十才（はたち）なら、そういう子（こ）も珍（めずら）しくはないのだろう。

「入（い）れないわねぇ。ほら、叔母（おば）さん、物（もの）書（か）きの仕事（しごと）をしてるでしょ。そうすると眠（ねむ）気（け）覚（ざ）ましが必要（ひつよう）になってくるのよ。昔（むかし）はノートパソコンをハンバーガー屋（や）に持（も）ち込（こ）んで、そこの席（せき）でコーヒーを飲（の）みながら原稿（げんこう）を書（か）いてたわぁ。ああ、知（し）ってるだろうけど、私が出（だ）した小説（しょうせつ）は読（よ）まないでね。エッチな話（はなし）ばっかり書（か）いてるから」

　両親（りょうしん）は私の仕事（しごと）を良（よ）く思（おも）っていなかったし、私の性的（せいてき）指向（しこう）についても知（し）らなかった。カミングアウトはしてないが、姉は薄々（うすうす）、気（き）づいているのだろう。

「……母（はは）が、叔母（おば）さんを心配（しんぱい）してました。生活（せいかつ）が不規則（ふきそく）になってて、食生活（しょくせいかつ）も乱（みだ）れているって」

「あはは、貴女（あなた）のお母（かあ）さんとは、電話（でんわ）で良（よ）く話（はな）してるからねぇ。何（なに）もかも見抜（みぬ）かれちゃっているんだろうなぁ」

　私は書（か）き下（お）ろしの仕事（しごと）ばかりで、原稿料（げんこうりょう）は貰（もら）えないが、代（か）わりに締（し）め切（き）りには余裕（よゆう）のある執（しっ）筆（ぴつ）生（せい）活（かつ）をしている。それでも原稿（げんこう）を完（かん）成（せい）させる際（さい）には、睡眠（すいみん）時間（じかん）を削（けず）って集中（しゅうちゅう）することが、しばしばだ。健康的（ヘルシー）な生活（せいかつ）とは、とても言（い）えない。朝（あさ）の食事（しょくじ）も一（いち）段（だん）落（らく）したので、「そろそろ出（で）ましょうか」と私は姪（めい）に促（うなが）した。

　姪（めい）はドレス姿（すがた）で私と出（で）歩（ある）くことに固執（こしつ）していたので、着替（きが）えるつもりは無（な）さそうだ。そこで私はオタクの聖地（せいち）である、都内（とない）の電（でん）気（き）街（がい）へと姪（めい）を連（つ）れ出（だ）した。平日（へいじつ）だが、春（はる）休（やす）みの時期（じき）だからか、それなりに人（ひと）通（どお）りは多（おお）い。良（よ）く晴（は）れていて外（そと）を歩（ある）くには気持（きも）ちがいい、お昼（ひる）どきだった。

「ドレスを着（き）てる子（こ）って、この街（まち）には多（おお）いのねぇ。叔母（おば）さん、電化（でんか）製品（せいひん）を買（か）うときにしか来（こ）ないから、あんまり意識（いしき）してなかったけど」

　これは嘘（うそ）である。私はオタク気質（きしつ）で、この街（まち）で外（そと）を歩（ある）いている、メイド服（ふく）の少女（しょうじょ）を見（み）るのが大（だい）好（す）きだった。メイド喫茶（きっさ）の店（みせ）に入（はい）る勇気（ゆうき）はないけれど、若（わか）い娘（むすめ）さんたちがフリルのついた服（ふく）を着（き）ている姿（すがた）は、私に取（と）って目（め）の保養（ほよう）である。この街（まち）なら姪（めい）の服装（ふくそう）も奇異（きい）には見（み）られない。

「さっきもドレスの子（こ）に会釈（えしゃく）されました。たぶん、あれはアニメキャラのコスプレだと思（おも）いますけど。こういう街（まち）って楽（たの）しいですね」

　姪（めい）は電気街（でんきがい）に、あまり来（く）ることもないようだ。彼女に取（と）って半袖（はんそで）のドレスは、コスプレではなく勝（しょう）負（ぶ）服（ふく）なのだろう。姪（めい）が何（なに）と勝負（しょうぶ）をしているのかは分（わ）からないが、私は彼女を刺激（しげき）せず、機嫌（きげん）を損（そこ）ねないように立（た）ち回（まわ）ろうと思（おも）った。

「私と貴女（あなた）の関（かん）係（けい）って、どう見（み）られてるのかしらね。アイドルとマネージャーかしら。地味（じみ）だものね、私のファッション」

「そんなことないです。叔母（おば）さんのセンスって、私とも母（はは）とも違（ちが）って、素敵（すてき）だと思（おも）います。周（まわ）りに流（なが）されずに、自分（じぶん）のスタイルを持（も）っているみたいで」

　苦笑（くしょう）するしかなかった。姪（めい）は肯定（こうてい）してくれているけど、私は自分の恋愛（れんあい）を諦（あきら）めているだけだ。経験（けいけん）が無（な）い訳（わけ）ではないが、カミングアウトの勇気（ゆうき）もなくて長続（ながつづ）きはしない。周（まわ）りに流（なが）されないと言（い）えば聞（き）こえはいいけど、実際（じっさい）は世間（せけん）に馴染（なじ）めず、独（ひと）りで足掻（あが）き苦（くる）しんでいるに過（す）ぎない。