②
病院に寝坊した。
八時半に起きなくてはいけなかったのに、十六時半に起きた。八時間の寝坊だ。
働いているときは寝坊したことなかったのに、アラームの音にまるで反応できなかった。昨日の夜、再読したくなって『蛇にピアス』(金原ひとみ)を一気読みしたせいだ。
大学に戻るってそういう意味じゃないんだよ……
ともあれ、寝坊してしまったのは仕方がない。
病院に電話すると、指定の時間に再予約の電話をするように言われた。
電話口の男性の声が、徐々に硬くなっていき、言い聞かせるような語調になっていくのがこわかった。
自分はもう、そういう扱いをされる人間なのだというのが、少しショックだった。
そういう〈配慮〉をされるべき人間なのだ。
障害者や高齢者などの、配慮をしなくてはいけない人に対しておこなわれる、「〜してくれた」という、まるで小学生を相手にしたかのような、安易な優しさを表現する言葉遣いが嫌いだ。
おそらく私が捻くれているだけなのだろう。大半の人はそんなことを気にしてはいない。発言した当人でさえ無自覚だろう。
ただどうしてもこのような言葉遣いを聞くと、下に見ているように感じてしまう。あるいは私にこそ差別意識が根付いているのだろうか。「〜してくれた」と謝意を示すようなおこないであるはずがないと決めつけているのかもしれない。
いや、誤魔化すのはよそう。
その通りだ。私は障害者のおこないに対して悪感情を抱くことはないが、自身が障害者のように扱われることにはひどくうろたえてしまう。
そういう意味で、私は障害者のことを差別しているのだろう。差別される可能性を多分に含んだ立場であり、それに反論の余地がない思ってしまっているのだ。
海外の啓発動画で、画面に映る人と同じ変顔をする親子という動画がある。気になったら調べてみてほしい。
私は親側なのだ。
無垢な視線で人を見ることができなくなってしまった。障害者や高齢者を「配慮が必要な人」「可哀想な人」とレッテル貼って無意識下で見下してしまい、自身がそう扱われることに拒否反応を示してしまう。
私は、人を差別している。
ただ、自分に障害がないとは言い切れない。診断されていないだけで、周囲とのズレを感じることは少なくない。大学のときからだが、社会人になってからは顕著になった。そのせいで仕事もやめた。
物忘れ、多動症、吃音、空想癖、注意散漫――そして、うつ。病気かもしれないなんて誤魔化すこともなく、私は何かを患っている。それを認めたくないだけなのだ。誰だって差別は受けたくない。
障害の話を書いていて思い出した。印象的な授業があった。大学のとき、学部を集めておこなわれた最初の授業だ。発達障害について。そのときの先生の言葉は今も大事にしている。
『ADHDを始めとする発達障害は、誰でも持っている性格上の特性の一つです。どこからどこまでが発達障害というわけではなく、誰だって持っている特性が顕著に出るかそうでないかの違いだけです』
私は心理学にも医学にも詳しくない。だからこの言葉がどれだけ正しいのかは分からない。
ただこの授業のおかげで障害に対する見方は大きく変わったように思う。
配慮が当人を傷つける可能性があることも、差別意識は障害者を含めて人なら誰にだってあることも、無意識下の差別も、認識できるようになった。
もう一つ障害についての知見を広げてくれた言葉を紹介したい。
ラッパーのGOMMESが東海テレビの公共キャンペーン(https://youtu.be/hFppNU0ONQo)のラストで蹴ったバースだ。
『言葉に騙されないで
僕とあなたの間にある障害は僕だけのものじゃないと思うんだよ』
障害者というと、まるで本人だけの問題と捉えられがちだが、違う。一人が抱えたその障害は、関わる人、もっといえば、社会全体の〈障害〉なのだということを再認識させてくれるバースだ。
障害の話はあまり世間には受け入れられない。声にすると皆が眉を顰める。中には怒り出す人もいる。いつか誰とでも障害について語り合える日がきたら、そのときにようやく〈障害に対する差別〉はなくなるのではないか。
「配慮」や「ポリコレ」が声高に求められる息苦しさを言葉にすれば簡単だけど、それを取り払うのにも別の問題と向かわなくてはならなくて骨が折れる。
だから誰しも口を閉ざすのだろう。障害について語らないのだろう。
「しょうがない」と配慮によって切り捨てることに躊躇しないのだろう。
普通に生きられる人がうらめしい。当たり前をできる人がうらやましい。
普通に朝起きて、普通に会社に行って、普通に仕事をできない人を当たり前に見下して、普通に優しくして、当たり前に切り捨てて、その合間合間で、普通に話して、当たり前にしゃべって、普通に帰って、当たり前に来る明日に備えて普通に眠る。
自分もそういられたら良かった。恵まれた方だとは分かっているが、基礎スペックが低すぎて、全て普通に、当たり前にできない。朝起きるのだって、夜眠るのだって。
こういう弱音を吐いたところで、「みんなも普通にできないけど頑張っている」という努力論に潰される。社会はある程度を切り捨てながら回っているから仕方がない。自分の思考すら、行動すら、コントロールできない人間を、社会は欲しない。当たり前で普通のことだ。
ままならない私にとって、『蛇にピアス』のルイのような、はみ出し者の世界の見方が、好きだ。
アンダーグラウンドの住人でありたいルイは眩い世界を「むせ返りそう」だと表現した。私の息苦しさを代弁してくれたようにさえ思えた。
別にアンダーグラウンドの住人になりたいわけではない。ルイのように拡張してスプリットタンにするつもりもない。ただ、なんとなく、今度舌ピをあけにいく。
普通に、当たり前に、私は自分の舌に穴を開ける。
普通で当たり前ではいられない言い訳を、欲しているのかもしれない。
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