泣くくらい暗いエッセイ

冬場蚕〈とうば かいこ〉

 仕事を辞めた。ニートデビューだ。

 小売業で店長候補として丸一年働いていたが、メンタルを崩したため退職を決断した。後悔はない、といえば嘘になる。

 ただ、続けていても後悔していたと思う、という言葉で自分を納得させている。


 さて、無職になると途端にやることがなくなってしまう。今まで寝食以外は仕事ばかりしていたせいで、余暇の潰し方を知らないのだ。

 加えて無職でいることに焦燥感と自己嫌悪感が募る。このまま自分は二度と社会に出られないのではないか。働き口を見つけてもまたすぐに辞めてしまうのではないか。なんで自分は弱いのだ……、云々。

 これでまたメンタルを崩しては本末転倒なので、しばらくは読書をして、小説を書くという、大学生時代に戻ろうと思う。


 昨日、先輩に離職の挨拶をした。先輩は心配しこそすれ責めるようなことはなかった。それがとても嬉しかった。きっと当たり前ではない。

 この縁を大切にしようと思った。

 先輩への謝罪ラインには、次のような返信をいただいた。


 『沢山休んだら、やりたいことやれてるかとか教えてくれたら嬉しい』

 『一年間本当によく頑張った。』

 『まずは諸々全部終わらせてゆっくりお休み』


 泣いてしまいそうだった。自分を気遣ってくれる人がいることが、このうえなく嬉しかった。

 同時に、こんなに良い人を自分なんかと関わらせていいのだろうか、と考えてしまった。

 先輩はきっと、そんなことを望んでいない。きっと、普通に社会復帰をして、今まで通りの関係を続けられることを望んでくれているはずだ。

 きっと本心からこんなことを思っているわけではない。自分は弱いから、予防線を張っているだけなのだ。


 まずはお世話になった人に恩を返せるように、しっかり休養して、次こそ上手く生きなければならない。 

 小説を書く。生活リズムを整える。英語を学ぶ。筋トレをする。縁を大切にする。

 差し当たってはこのように過ごして快復を待つことにする。あるいは、これだけのタスクをこなせるのなら、もう快復しているのかもしれない。

 しかし、すぐに復帰して体調を崩したときのことを考えると、怖い。

 働いているときは意識していなかったが、お金をもらって働くとは、とてつもなく責任のともなうことなのかもしれない。


 仕事をしていないと、人生には余暇が多いことに気がつく。そのぶんだけ雑念が多くなる。一人の部屋で、いろいろなことを考える。

 ねむれない布団の中、おきれない布団の中、集中できない小説を目でなぞって、不安と闘いながら、今後のことを考える。

 もし、小説で生計を立てることができたら。

 もし、働き口を見つけることができたら。

 もし、このまま働かずいられたら。

 もし、あのとき死ねていたら。

 頭をよぎる仮定に意味はない。それよりもまず、行動をしなくてはいけない。なにか、しなくてはいけない。普通に、働かなくてはいけない。

 それができないなら、せめて、何者かにならなくてはいけない。誰かの役に立ちたい。長い人生をかけて、お世話になった人に報いなければならない。

 それまで死んではならない。


 夜が深くなっていくのに比例して、メンタルも深くまで沈む。底まで沈めて見つかるのは、誰かに認めてもらいたいという、承認欲求だ。

 ただ、それがあるのはいいことなのだと思う。

 マズローの欲求五段階説によれば、根底には〈生理的欲求〉があり、その上に〈安全の欲求〉、もう一段階上に〈社会的欲求〉があり、〈承認欲求〉は四段階目だ。

 私は三段階目までは満たされているからこそ、承認欲求を抱えているのだ。

 それを満たすために、ずっと小説を書く。評価されるまで、ずっと。


 だが、それだけではない。

 純粋に文章を書くことが好きなのだ。大学四年間は特に、作文の面白さを学べた。様々な技法を駆使しながら読者の心に肉迫する芸術に、あのときから魅せられている。


 最近読んだなかで特に好きだった小説は、中山可穂の『弱法師』所収作「卒塔婆小町」だ。

 人物造形やストーリーはもちろん、特に圧倒されるのは、文章の密度だ。

 伏線回収、という言葉が一番近いと思う。

 一般的にはミステリのギミックとして知られているが、中山可穂はそれを文章でやってしまう。

 少し引っかかるような表現をして、三行後にその表現を活かして、言語芸術を創り上げる。それを小説のいたるところに忍ばせている。あの手管に射止められた読者は多いのではないだろうか。

 詩美的な表現も多く、目を通すたび、心がまっさらに漂白されていく。ストーリーがハッピーエンドではなくても、終わりに落ちた陰はどこか気高く上品で、ともすれば、こちらを突き放すような美しさをまとっている。

 

 そういう小説を読むたび、死ぬわけにはいかない、と思う。

 まだ、読みたい小説がある。

 まだ、書きたいことがたくさんある。

 まだ、あの高みにたどり着けていない。

 まだ、過去の自分を満足させるものを書けていない。

 この気持ちがあるうちは、まだ、死ぬわけにはいかない。人はいつか死ぬ。それまで、墓標に刻むべき言葉を探しながら、生きるべきだ。

 人生は短い。

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