第54話 反逆
黒い空間。何も見えず何も聞こえない。体の感覚はなく、今足を動かせているのか、腕を動かせているのか分からない。
足場がどこにあるのかも分からず、天井はどのくらい高いのかが不明だ。奥行はどのくらいあるのか、一体この場所はどこなのか。中心なのか端なのか、何も分からないレイがその黒い空間に立っていた。
「………」
ここが少なくとも現実ではないことぐらい分かる。意識は朦朧としているし、すべての感覚は機能していない。だが、ここが現実でないことぐらい直感で理解できる。
ならば。
ならば今、どこに自分は立っているのだろうか。現実ではないのだとしたら夢の中か。本当にそうだろうか。確かめる
夢、じゃないとしたらどこだろうか。三途の川、と言われるものかも知れない。
三途の川……?
だとしたら、死にかけてここに来ている。
なんで死にかけてるんだ。
ロベリアと分かれ、荒野を移動し、都市で寄り道をして、ホンダ博士と出会い、PUPDと戦闘になり――負けた。
負けた、負けたのだ。じゃあこれからどうなる。モルモットとして生きていくことになるのか? それとも今までの罪を懺悔してから殺されでもするのか? いたぶられ、情報を吐かせられるのか? ロベリアのことについて話すことになるのか?――いや、そんなことありえない。許さない。これ以上、巻き込むことは許されない。なんでモルモットのように実験されなくちゃいけない。なんで懺悔なんてしなくちゃいけないんだ。
先に踏みにじって来たのはお前たちの方だろ。
やり返して何が悪い。
お前が悪い。
俺は悪くない。
分かってる。分かってる。
報復にも限度があると。
だが、もう常識で括るのはやめてくれ。生きにくい。
ただ生きたい。
幸せに。
自分が幸せになるために、相手の幸福を踏みつぶす。
今までそうやって生きてきたんだろ、じゃあ自分がされても仕方ないだろ。
俺はただ生きたい。生きて、生きて抜いて俺は……俺は何を目指していたんだっけ。アカデミーに通って、何をしたかったんだ、俺は。どこに行きたかったんだ。
もう、安定で安寧な生活は出来ない。議会連合に喧嘩を売ったんだ。企業に勤めて生きる――だなんて普通の生活は送れない。一生、身の丈に合ったことを強制される。
アカデミーに通っていたあの時は全部無駄だったのか? いや――違う。あの時に学んだ知識があるから、俺は荒野で走り続けられた。ニコに出会えた。
諦めて。諦めて、また諦めて挫けて。今までのすべてを無駄にするのか?
這いつくばってきた屈辱を、あの苦渋の時を無駄にするのか?
アカデミーの生活を無駄にするのか?
死んだら何も残らない。何も為せない。
死ねない。
生きる。生きて証を残す。
存在証明だ。
(まだ)
黒い世界が裂け、光が入る。
最初に見えたのは二人の隊員。強化服を身に包んでいる。自分を捕らえたPUPDの隊員の内の一人だろう。
「俺はまだ生きてる」
拘束はすべて邪魔。目の前のすべても障害だ。自分が死なないために、生きるために他人を踏み躙れ、蹴落とせ。
「…ぶっ壊してやる」
呟き。直後、視界は赤く染まった。
◆
ガタガタと小刻みな振動が体を揺さぶる。気分は悪い。体は重い。
しかし何か、嫌な予感がしてトリスは目を開けた。
「……俺は、いき――っっ」
喋ろうと、言葉を紡ごうとしたら喉に激痛が走った。すると運転をしていた隊員が起きたばかりのトリスに注意する。
「――ちょっとトリスさん。喋らないでください。今、病院に向かっていますから」
「あ、ああ――っす、すまない」
トリスは体から力を抜いて、ベットに身をゆだねる。
そういえば、自分は喉を撃ち抜かれたのだった、と白い天板を見ながらトリスは思う。鎮痛剤によって感覚は鈍感になっているが、きっと今は安静にしていれば死なないが、無理に動くとまた死の淵を彷徨うことなる――という、そんな状況なのだろう。
PUPDの持つ医療技術さえあれば、二日もすればトリスは復帰する。だがトリスよりも重症の奴もいる。真っ先に一番危険な役回りを引き受けて演じたダロトのことだ。
「ダロト、はどうなったんです、か」
喋っても喉に負担がかからないようにゆっくりと口を開く。ハンドルを握る隊員は無理にでも喋ろうとするトリスに怪訝な顔をしたが、ため息を吐くとやれやれといった感じで返答する。
「彼は今、救急車両に乗せられて治療を受けながらPUPD傘下の病院がある都市まで向かっています」
「大丈夫、なのか」
「はい。まだ起き上がってはいませんが、容体は安定していると報告が来ています」
「そうか、それはよかった」
部隊に入隊した当初はダロトに毛嫌いされていたが、なんやかんや上手く仲間として連携していた。トリスよりも状況判断に優れ、実力もある。少し尊敬していたのかもしれない。
「そう、いえば。
だが一番、重要なことはレイについてのことだ。
「あいつ…? ――ああ、少年のことですか。彼なら今―――」
「どうした」
「………」
隊員が急に口を閉じた。不信に思ったトリスは訊いてみるが返答は返ってこない。
「おい、なにかあったのか――――もしかしてリリサ達に何かあったのか」
「いえ……なにも、ありません」
何もないはずがない。そう思わせるには十分であるほどに隊員の反応は迷い、戸惑っていた。
「やっぱり何かあったのか。何があったんだ」
トリスは自分の腕や足に管が刺さったまま、体を立ち上がらせる。
「ちょっと動かないでください!何もありませんから」
「いいから教えてくれ。そのぐらいの権利はあるはずだ!」
「………っ」
負傷して意識すら曖昧なはずなのに、確かな気迫を持ったトリスに詰められた隊員は表用を歪める。
「…通信が途切れました。ミーシャさんがいる車両だけじゃありません。その周りを護衛していた四台の車両全て――あらゆる通信が遮断されました。通信機器の故障かもしれませんし、思っているようなことには―――」
「――クソ」
トリスが吐き捨てる。確かな確信がある。
「行ってくれ!」
「行ってくれ、って……まさかミーシャさんのところにですか?!」
「当たり前だ!」
「私達がいかなくても、他の部隊員が向かっているはずです……ほら、四番隊から向かうって、今連絡来ましたし!」
「ダメだ!俺の目で見て確認したい」
「あなたは、あなたは重症患者なんですよ?まだ完全に助かると決まったわけじゃないんです」
「関係ない。行ってくれ!」
「―――――っっ。もう知りませんからね…」
「ああ。頼む」
車両は方向転換をして、ミーシャたちの方へと向かって行く。幸い、現在位置を知らせる信号はまだ活きている。場所はそう遠くない場所、すぐに着く。
その僅かな時間。トリスは気が気でなかった。ミーシャたちと会って、仲間になってからそう時間は経っていない、しかしそれでも共に訓練を積み、仲間として認められた間柄だ。
レイには恋人を奪われた、だからもうこれ以上奪われたくない一心だった。
しかし。
しかしそう現実は上手く行かない。
小刻みに車両が揺れ、しばらくの時間が過ぎた後に見えたのは燃え盛る車両の残骸と飛び散った肉片だった。付近にはトリスと同じく救援に来ていた他部隊がいたが、皆が絶句し、その光景をただ見ていた。生存者などいるはずもなく、散らばった肉片が誰のか、もう特定できないほどに切り刻まれて、潰されて、焼けていた。
「うぅぅぇ」
トリスがえずく。目の前の現実を受け入れられずに。そしてそんなトリスに、通信器越しに他部隊からの連絡があった。
「車両が一台ありません」
車両が一台無い。部隊員が乗っているということでは当然ないのだろう。わざわざ通信機能、現在位置を伝える機能も切ってある。そんなこと、仲間がするはずがない。
じゃあ。
だとしたらレイは、この惨状を生み出した者は逃げ伸びたということ。
「―――っぅう、く――っそがあああああああああああ!」
トリスは叫ぶ。たとえ喉の傷が再発し、いくら血を流そうとも。
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