第3話 面倒な依頼

「ねぇ。話聞いていた?」


 リリテック・アカデミーに併設されたレストランでレイは友人のニコから話を聞いていた。しかし途中から上の空だったようで、対面に座るニコは口を尖らせて言った。


「ああ、ごめん。寝不足でな」


 レイはわざとらしく欠伸をしながら答える。

 ニコは少しムッとした表情を見せながらも、疲れたように息を吐いて、料理を口に運ぶ。

 一方でレイは水を口に含んだ。

 ここはリリテック・アカデミー。学割なのか、出店しているレストランは値段を安くして学生に売り出しているようだ――があくまでも金持ちの基準だ。とてもレイに払えるような金額ではなく、レイは無料の水だけを飲んでいた。

 そんなレイの様子を見て、ニコはいつものように言う。


「僕、昼ご飯とか、奢るよ?」


 ニコはリリテック・アカデミーに通っている。当然、富裕層でありレイとは住む世界が違う人物だ。


「お金あるし」


 これは嫌味ではない、ただただ純粋な善意から来る言葉だ。天然、なのだろう。

 だが友達に借りを作ってしまったら、その後に健全な友人関係というのが築けるのか分からない。レイはいつものように断る。


「大丈夫だ。昼は抜いてるんだ。いつものことだろ?」

「あはは、そうだね」


 ニコはその中性的な、どちらかというと女子にも見える顔面をクシャっと笑わせて言った。

 レイはニコの方を一瞥すると、少量の水を口に含みながら考える。


(今日は帰った後……東の方まで行かなくちゃいけないのか、その前に銃の整備をして……金が足りないな、弾代は節約するか)


 今日は帰った後、がある。そのための用意と準備、想定される状況について、その対処法などを考えていた。ジープからの案件ではなく、また別の人から引き受けた依頼だ。

 スラムで生まれ育ったという経歴上、者達との関わりは深い。関わるだけでリスクにもなり得るし、メリットにもなり得る。一長一短だが、生きるためには仕方がない。

 そうして、少しの間思考にふけっていると座っていたレイの肩に何かがぶつかった。

 何かと思って振り向いた瞬間、服に水をかけられる。


「あれっれ~? なんでこんなことろにゴミがあるんだ~? スラム上がりのゴミがなんでこんな場所にいるんだ~? あれれれれぇ~?」


 ラーリ・フェルトマン。レイに水をぶっかけた人物の名前だ。

 

「…………」


 レイは振り向き、ラーリの姿を確認すると睨むわけでもなく、やり返すわけでもなく、面倒そうにテーブルの上に置いてあったタオルで体を拭く。

 何の反応も示さないレイにラーリは不満なのか、続けて口を開く。


「制服を買う金すらない貧乏人が」

「ほんとだよ」

「目障りなんだよ」


 ラーリに続くようにして二人の取り巻きが続けた。

 リリテック・アカデミーは私服、制服自由であるためレイは私服を着ていた。当然、その理由は金銭的なものだ。周りを見てみると私服はレイだけであり、嫌が追うにも周りとは違うと認識させられる。

 そしてラーリのこの嫌がらせ、加えて助けてくれる人物はいない。これは紛れもなく、レイが嫌われている証拠だった。レイが何かしたわけではない、ただ貧乏人がそこにいたことが気にくわなかった、単純だが根深い問題によってレイは差別されていた。

 だがアカデミーに通っている全員が――というわけではない。


「ユーリ君、ここはみんないるし、食べるところだから」


 レイの対面に座っていたニコは、庇うようにそう言った。ユーリの親はリリテック・アカデミーに資金面での提供をしているためアカデミー内で力があるが、それはニコも同じだった。大企業の役員を親に持つニコに言葉に制止され、ユーリは居心地が悪くなったのか消えて行く。小言を残して。


「早く辞めろ、ゴミが」


 レイは横目で、離れて行くユーリの後ろ姿を見ながらため息をついた。現状、レイが逆らえる相手ではない。幸福に生きたいのならば、日陰ではなく日向で生きたいのならば、今はただ沈黙するしかない。

 

「大丈夫?」


 レイはある程度拭き終わり、テーブルの上にタオルを戻す。


「大丈夫だ。いつものことだろ、こんなのは。それに……まあ、そうだな」


 言葉を濁すレイにニコが首をかしげる。


「どうかした?」

「なんでもないよ。それよりもうすぐ移動しなくちゃだろ?」

「あ、そうだね。もう食べ終わったからすぐに行こ」

「ああ」


 強引に話題を変えたが、ニコがそれについて何か言う事はなく、二人は暗黙の了解を胸に抱えたまま場所を移動した。


 ◆


 アカデミーでの全授業が終わり、レイは帰宅していた。

 宣伝用に無料でもらえる携帯食料を手に取ってアカデミーから出る。ホログラムが立ち並び、整備された道路をただ歩く。ポケットに手を入れて、いつものように音楽を聴いて。

 少し歩くと周りの光景も変わり始め、見飽きたネオンの光が視界に入ってくる。道の脇には露出の多い恰好をした女性が客引きをしている。ピンク色の看板の下で作り笑いを浮かべて声をかけている。

 中心部から離れるといつもこんなものだ。

 落胆か羨望か、それとも妬みか、もはやこの変化には慣れてしまっているため、この感情の変化を突き止めることはできない。

 ともかく。

 今日は武器屋によって準備をしなければならない。そう思ってレイが歩いているといつものように電話が鳴った。ニコ――ではないだろう。用件がない。だとすると、消去法で誰だか分かる。


「ミナミ、なんだ」

「お久しぶりです」

「半日ぐらいだけどな」

「はは、そうですね」


 レイは歩きながらにミナミの話を聞く。


「まだ依頼を完了したばかりですが、新しく仕事が舞い込んできまして」

「また新しい依頼か?」

「はい。で、レイさんに引き受けていただけたらな、と思いまして。どうですか?」

「どうですかって、内容を聞いてみないと分からないが……」


 基本的にフィクサーからの依頼は危険なものが多い。内容によってはレイでは絶対に遂行できないようなものもある。金が必要なレイは基本的にどんな依頼でも引き受けるが、それにも限度というものがある。


「前と同じです。徒党を潰していただきたい」


 前……とはカザリアファミリーのことだろう。今回もそれと同じように徒党を潰すのが大まかな依頼内容のようだ。


「詳しく」

「はい。対象はアリアファミリア。構成員の95パーセント以上を殺した時点で依頼完了です。ただし徒党のボスであるアリア・リーズの殺害。指定された拠点の確保が必須条件となります」


 レイが立ち止まる。

 そして疲れた顔をしながら頭を回す。


(……アリアファミリア、か。南地区の二大徒党の内一つ。……厳しいか)


 相手は末端の構成員まで含めると二百を優に超えるほどの数がいる。それを相手に一人で戦うなど無謀もいいところだ。いくら二大巨頭といえど徒党であるため、潤沢な資金はなく装備はレイと同等か少し上。しかしそれでも依頼を成功させられるかは五分五分――ではなくレイの方がはるかに劣っているだろう。


「やめておくよ。危険すぎる」

「そうですか。ですがその前に、まだ報酬についても説明し終わっていないので最後まで聞いていただけますか」


 レイは歩き出し、答える。


「ああ」

「はい。報酬は20万ディロ。その内の半額、10万ディロが前払いとなります」


 レイが眉を細める。そして疑念を隠さずに、問いただすようにミナミに訊く。


「この依頼があるから前の分の報酬を意図的に延期した……ってわけじゃないよな」


 正直、レイは今金銭的に困っている。しかしだからと言って、あの時に支払いを急がせることはできなかった。レイにとってフィクサーは優良な依頼主だが、フィクサーにとってレイはただの一傭兵に過ぎない。だから立場上、無理に急かすことは出来ず、また今後も付き合いを続けていく中でレイ側が譲歩するのはある意味で当たり前のことだった。

 報酬の延期に関して、ミナミは下の立場から願うようにして提案したが、実際のところは確かな上限関係があって、レイには絶対に断ることができない状況。もし断ってしまえば、報酬こそ支払われこそするが面倒な傭兵として二度と仕事を頼まれなくなるかもしれない。

 確かに金銭面の上で信頼関係のようなものがミナミとレイの間にはあるが、それは薄っぺらく脆いもの。この世界は義理人情の世界だが、義理人情だけは生きていけない。

 もしその時がきたら躊躇なく切り捨てられる。そんな場所だ。

 しかしもし、レイがちょうど金を欲していることを把握していて、なおかつ報酬の支払いが意図的に遅らせたものであった場合。それは確かな裏切りだ。

 レイはここでミナミが肯定的なことを述べようものなら、今後一切の関係をつつもりで訊いた。しかし、ミナミは否定する。


「違いますよ。今回の件とも関わりがあるのですが……。まあ経緯を説明しておきましょう。そっちの方が納得しやすいはずです」

「…………」


 ミナミはわざとしく咳払いをして話始める。


「まず、今回の依頼主は前回の依頼と同じ企業です」

「ラフラシアの製造元のか」

「はい。カザリアファミリーの崩壊によって、また私達の事後処理によってラフラシアの機密性が保たれ、企業側も一安心といったところ――でしたが、どうやらアリアファミリアの方まで情報が流れていたそうでして、ラフラシアをまた作っていると連絡が入りました。まあここからが厄介なのですけど、それを知った依頼主は『依頼がちゃんと完遂されてないじゃないか!』と愚痴をぐちぐち言い始めまして。それが報酬の支払いがとどこおっている原因なのですが、まったく困ったものです。『カザリアファミリーの殲滅』という依頼を受けていたはずなのに『カザリアファミリーの殲滅とラフラシアの回収』に捻じ曲げられてしまったのですから、これだから企業は、という感じですね」

「大変だな」

 

 少しは同情できる。だがこれも上と下を繋ぐフィクサーという立場上、仕方がないことだ。


「だけど、だからって依頼を引き受けるわけじゃないぞ」

「はい。分かっています。私達もそこまでの期待はしておりません。ただ、一応知っておいた方が良いかなと思いまして」


 レイは銀行に入っている全財産を思い浮かべ、そして依頼のことを考える。


(だとすると、前の依頼から陸続きなのか)


 それが依頼を受ける理由にはならないし、命をかける理由にもならない。金銭面での事情は確かに深刻だが、まだぎりぎり生きれるぐらいにはある。生まれ育ったスラムでの生活と同じくらいに生活水準を落とせばいいだけ。


「分かった。でもやめておくよ。流石に荷が重い」

「そうでしたか。わかりました。で――」

「あ、少し待ってくれ」

「はい……?」


 レイが裏路地を歩いていると三人組の男達が前から歩いてきた。手には拳銃とナイフ、柄の悪そうな顔つきをしている。だがこんな奴らと遭遇するのなんていつも通りのこと。しかし嫌な予感。スラムで生まれ育ったレイだから感じ取れる危機感。

 電話が繋がったままの通信端末をふところに入れて三人に視線を合わせる。

 

 繁華街からの音が小さくなるほど静かで奥まった場所にある裏路地で、何の前触れもなく戦闘は起こった。

 レイの前方で話し込んでいた三人組が拳銃を取り出しレイに向けて発砲する。きっと追い剥ぎか何かだろう。しかし脅してから奪うのではなく、殺してから奪う、マザーシティでの命の軽さ。それが如実に表れていた。

 それまでゆっくりと怠慢な動きで歩いていたレイだが、拳銃を向けられた瞬間に人が変わったように俊敏な動きをする。細い路地で避ける場所が無いのにも関わらず、レイは身を屈めて男たちの視界から一瞬いなくなる。その僅かな時でレイは三人組との距離を詰める。

 三人組の射撃技術の問題か、レイの動きについていけなかったのか、そのどちらともか。少なくとも三人はレイに一発の弾丸すら当てることが出来ない。そもそも疲れているとはいえレイは、フィクサーから依頼をされるような、そこそこの傭兵だ。そこらのごろつきに遅れを取るような平凡な傭兵ではない。

 突撃銃も拳銃も、ナイフでさえ、アカデミーに持ってこれるはずもなくレイは何の装備も持たない。しかし近距離まで近づいたレイは男の一人が腰に携えていたナイフを引き抜くと、そのまま首に差し込む。相手が相手だ。殺し切るのに大層な物はいらない。

 残った二人は急いでレイに拳銃を向けたが、振り向きざまにナイフを眼球にねじ込まれもう一人が拳銃を上に発砲しながら倒れる。そして最後の一人は奇跡的にレイに拳銃の照準が合って、そして発砲する――が弾丸は僅かに逸れてレイの皮膚を掠るだけだった。

 そしてすでに、レイは地面に落ちていた拳銃を拾い上げており、相手はその一発が命とりとなる。崩れた体勢ではあったが正確な射撃により男の頭部をレイは撃ち抜く。


「……はぁ、はぁ。ったく」


 レイは拳銃から手を離す。そして地面と拳銃とがぶつかり合う金属音が響くなか身を屈めて男達に近づく。


「こいつら組織所属か」


 男達全員の腕に同一のものと思われる刺青が彫ってあった。


(それにこれは……アリアファミリアか……不思議な偶然もあるもんだな、それにこいつ……)


 一人だけ彫ってある刺青が少し違った。元となる形は一緒だが、それに付け加えられるようにして新しく上から彫ってある。

 スラムで暮してきたレイだから分かるが、これは役職持ちが彫る刺青だ。

 正確に、幹部クラスなのかそれともボスなのか、その下の役職なのかは分からない。ただこの男がアリアファミリア内で重要な立場であった可能性があるというのが大事な事実だ。

 徒党は仲間意識が強いところもあれば、そうでないところもある。だが必ず、構成員が殺されたら報復をする。それは前者であろうと後者であろうと徒党にはプライドや矜持というものがあるためだ。なめられてはいけない、などといった理由だが、レイにとってはそのせいで中々に面倒な状況になっていた。

 なんで幹部クラスが裏路地の肥溜めこんな場所幼稚で格好の悪い追い剥ぎこんなことをしているのか、疑問ではあったが報復の危険性がある。

 面倒なことになったと、同時に仕組まれているのではないかと錯覚してしまうほどタイミングがいい。

 レイはため息交じりに通信端末を取り出す。


「ミナミ……まだ繋がっているか」

「はい。何があったのでしょうか」


 レイは「つまらないこと」と言って、心底面倒だといった感じで続けた。


「依頼を引き受けることにした。情報をくれ」

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