第2話 確率的倫理

 陽光が狭い部屋に差し込む。早朝、まだ朝早い時間帯だが起きなければならない。

 使い古されたような硬いベットで寝ていた少年が身を起こす。寝ぼけた様子で目を開きながら、首の辺りをさすりながら、小さく欠伸あくびをする。

 ベットの上で少しの間、意味のなく部屋を見渡す。

 質素、という言葉が似合うそんな部屋だった。テーブルも椅子もなく、あるのはボロボロのベットと壁にかけられたバックパック、幾つかの服、そして拳銃と突撃銃だ。

 少年はそれらに目をやって、部屋を一周すると時計を見て時刻を確認してベットから降りる。その足で洗面台の方まで向かう。部屋は二部屋しかなく、ベットが置いてあった部屋とシャワー、トイレ、洗面台がある部屋の二つだ。

 とぼとぼと、眠そうに洗面台の前に立つと。冷えた水で顔を洗う、水を出し過ぎないよう少量の水を使って。そしてそれが終わると、ベットのあった部屋に戻ってバックパックの中に入っていた携帯食料を食べる。

 無料かつ大量にもらえた物だ。これでしばらくは朝食に悩むことも食べることも出来そうだ。

 少年は携帯食料を食べ終わると、淡々と朝の身支度を終えて、バックパックを背負って外に出た。


 騒音が耳に入ってくる。そして銃声。

 ここはまだ朝だというのに騒がしい。少年は貰い物のイヤホンをつけて耳を塞いだ。

 そして退廃的な街を歩いて行く。

 道路脇には酔いつぶれた浮浪者や薬物中毒者。たまに死体と銃撃戦。朝だというのに暗く、じめじめとしているここは――マザーシティにあるスラムだ。陽光よりもネオンが地面を照らす、そんな場所。

 そんな場所で少年は生きてきた。

 家のあった場所は裏路地のさらに奥。一般人では立ち入ることさえできないような場所だ。現に、家の目の前に浮浪者がいたり、死体があることもある。しかしその代わり、繁華街から離れているためそこまでうるさくはなく、なによりも家賃が安い。

 

 裏路地を歩き続け、そして大通りに出る。少しだけ空気が良くなり、人通りも多くなる。そして、裏路地に比べると比較的治安も良い。

 少年は小さくため息をついて、視線をあげる。

 その先には太陽光を乱反射し、迷惑なほど明るいビル群が見えた。付近に広がる光景とは全く異なる、スラムとは隔絶された都市の中心部。同じマザーシティという都市の一部であるのに、あそことここでは文字通り、天と地ほどの差がある。

 ため息をついた。

 無理もない、少年が朝早く起きて向かっているのは中心部なのだから。

 そして、少し歩いていると誰かから電話がかかってきた。相手に関して、少年の頭の中では二人の選択肢が浮かんでいた。一人は友達、もう一人は仕事相手。

 通信端末を取り出して宛名を見てみると――後者だった。

 

 少年は傭兵として活動しているが、ほとんどの場合、依頼をしてくるのは繋がりのある組織や知人に紹介された者などだ。しかし稀にフィクサーと呼ばれているスラムや都市内部の一部地域を牛耳っている権力者達から依頼されることがある。フィクサーの正体は都市側の権力者だとか大企業の役員だとか様々な考察がなされているが、未だその正体については分からない。何せ少年はフィクサーと直接会ったことがない。女性なのか男性なのか子供なのか老人なのか、通信端末に送られて来る機械的な文面を通してでしか知るすべがない。


 依頼をしてきたフィクサーと少年とは二年半ぐらいの付き合いになる。恐らく偽名だがジープという名前を使っている者だ。前に少年の住んでいたスラムの大部分を牛耳っているフィクサーであり、その関係から知り合い、よく依頼を引き受けている。

 報酬は高額だがその分危険な任務だ。きっと少年のことを使い捨ての駒と同格かそれより下のものとしか考えていないのだろう。だが同時にこれだけ依頼をしてくるとうことは少しだけ信頼されていること。


 だが完全に信用できる相手――というわけでもなく、朝から面倒な者と会話するのは疲れる。少年は少しだけ気分を悪くして電話に出た。


「電話は昼以降で、って言ったよな」


 開口一番、少年は不満を隠すことなくぶつけた。しかし相手は全く気にすることなく少し謝罪をしてから話し始める。


「すみません。報酬のことについては早めにお伝えしておかなければならないと思いまして。――それで、用件についてなのですが」

「ああ」

「依頼人が報酬を出し渋っていまして。何をを今更……という感じなのですが、交渉が終わり次第で大丈夫ですか?」

「……どのくらいかかる」

「一週間ほど、相手が粘らなければ三日ほどで」

「分かった。じゃあ構わない。カザリアの死体処理は」

「すでに完了しています。死体は依頼人が欲しがっていまして、渡しても?」

「それは俺が決めることじゃないだろ。それにやっぱ幹部連中は頭がおかしい奴しかいないんだな」


 この狂った世界で生き残り、出世競争を繰り広げるような人物は頭がおかしい。少年は苦笑しながら返した。


「……?今回の依頼人は都市の役員ではありません。企業の人間です」


 てっきり、依頼人は都市関係だと思っていたが企業関係だったらしい。


「企業がらみの案件だったのか、でもカザリアファミリーはラフラシアぐらいにしか手を出してないんじゃなかったか? だとしたら企業が出てくるのはおかしいと思うんだが? それに治安悪化と景観悪化、都市内部の利権がらみだと思ったんだが……」

「まあ、そんなところで合ってはいますよ。ただ詳しくは言えませんが、ラフラシアの成分、構造が企業の方の利権に引っかかった――ということだけ」

「なんだ、製薬会社か?」

「まあ、そんなところです。時間はありますか? 報酬の支払いが遅れる代わりといったらなんですが、経緯いきさつでも説明しておきましょうか?」

「……こんなんじゃ借りは消えないからな」

「はは分かっていますよ」


 少年が目的の場所に着く間、通話相手は暇つぶしのように事件の経緯を語る。


 薬物は莫大な金を生む。作りやすく、高く売りやすい。犯罪組織が持っている定番の商品だ。カザリアファミリーも同様に薬物の売買を行うただの徒党だった。しかし、ある時、本当に突然にラフラシアという薬物を売り出した。依存性が高く、安価で製造できる。その上、作っているのがカザリアファミリーしかないため品質、価格の管理がしやすかった。

 まだ出てきたばかりの新参だが、幾つもの要素が合わさって、カザリアファミリーはスラムで驚異的な拡大を見せていた。

 だが。

 しかし、一介の徒党がそれだけの利益を上げ、市場を独占するのにはリスクがつきものだ。

 マザーシティの権力構造は非常に複雑だ。

 都市の役員・幹部の下に大企業があり、その僅か下にがいる。

 フィクサーから下の支配構造はさらに複雑怪奇だ。場所によって、徒党が権力を握っていたり中小企業が握っていたりなど。

 フィクサーはそれらの者たちと都市の幹部・役員、そして大企業との連絡役、緩衝材として機能している。企業や役員からフィクサーは依頼を受注し、傭兵に依頼する。上と下とを繋げるのが役割だった。

 そして今回は製薬会社から依頼を受注したジープが少年に依頼をしてきたというわけだ。また、フィクサーの情報は極秘であり、少年は知らない。今話している人物だって、ジープではなく『ミナミ』と名乗っている代理人だ。

 少年は一度もジープと話したことはないし、当然、会ったことはない。しかし知る必要もなかった。


 話を聞き終わった少年は少し笑いながら返事をする。


「じゃああれか、カザリアファミリーがラフラシアを一から作ったってことじゃなく、企業から情報漏洩したって形か」


 ただ成分が似ていたからで企業が一介の徒党を潰すとは思えない。同時にカザリアファミリーという新参者がラフラシアを作れるとは思えない。優れた科学者がいるわけでもなく、知識がある者もいなかった。

 だとすると幾つか思い浮かぶ。

 例えば、製薬会社で新しい薬を作っていた科学者、そいつが企業に自分の成果が取られそうになったから、情報を売り渡した――だとか。単なる情報漏洩だとか、カザリアファミリーと関係の深い社員がいただとか。

 両者の間には必ず因縁があったはずだ。ラフラシア、という薬物がそれを証明している。

 研究結果を売り渡された、または流されたら企業としてはたまったもんじゃない。開発に何億という金をかけたものが盗まれる。大企業がそれを放っておくはずがなく、たとえ実力行使に出たとしても必ず、をつけるはずだ。

 具体的にどのような経緯いきさつがあってラフラシアが生まれて、企業との因縁が生まれたのかは分からない。そしてその部分をジープははぐらかしていたので、訊いても答えてはくれないだろう。

 しかし大体の予想は合っているはずだと、少年は笑いながら訊いた。そして答えはそれを肯定するものだった。


「はっは。そうですね。まあ、少し配分をミスっているからそこまでの問題はないってことですけれど……まあこの辺にしておきましょうか。レイ、次に依頼をするときもよろしくお願いします」

「ああ」


 ミナミはそう告げて、一方的に通信を切る。

 失礼だとは思うが、立場はミナミの方が上であり、一方的に切るのもいつものことなので少年――レイは気にせずに通信端末をしまう。

 そして少し長い間、通話していたからかいつの間にか目的地の付近まで来ていた。

 場所はマザーシティの中心部付近。

 道路は舗装され歩いている者達は皆――スラムにいる者達とは服装や立ち振る舞い、顔つきからして違う。道路脇に構えている店もスラムとは違い、屋台のようなものではなくホログラムの広告が浮かび上がり、清潔な場所だった。

 レイの歩く通りの先には一台のビルがある。

 あれが目的地だ。

 都市が運営する教育機関、リリテック・アカデミーの建物である。そして当然、レイはリリテック・アカデミーの生徒であり、また同時に嫌われ者でもあった。


「はぁ」

 

 ため息をつく。

 リリテック・アカデミーには都市や企業の幹部の息子や財閥系の子孫など、皆が金持ちであり親が権威を持ち合わせている。対してレイは何も持たない。文字通り、金も親も、スラムで生まれ育ったレイは何も持たない。

 だから嫌われている。境遇も身分も違う者が一緒に授業を受ける、耐えられない者がいるのも当然のことだ。本来レイはここにいるような人物ではない。

 だが、レイは一般入試を突破しここにいる。

 身の丈に合っているとはレイ自身も思っていない。事実、高い学費のせいで何も買うことは出来ず。あんな――人殺しをして学費を稼がなければならない。毎日が精一杯だし、アカデミーが特別楽しいというわけでもない。

 しかし、レイは身の丈に合わぬ夢があった。

 ただただ単純な『幸せに生きたい』という願い。ありふれていて、簡単な、悪く言ってしまえば子供らしい願いだ。

 簡単に叶えられる、だがそれはあくまでも富裕層にとっては、だ。レイのような貧困層が、スラムで生まれた者が幸せを勝ち取るのは難しい。権力的にも物理的にも、知能面においても劣っている。スタートラインから違う上に、這い上がることすらも難しい。

 ただがむしゃらに、盲目的に頑張ったって意味ははない。権力者の一声で、その時の気分によって、呆気なく潰される。だから、知恵をつけ、賢く生きなければならない。

 成り上がるために、人並みの幸せを得るためにレイは効率の良い努力を模索し――その結果がリリテック・アカデミーに通うことだった。幸い、頭は良かったらしく試験を突破し、成績も上位だ。

 だが勉強だけやっていてもレイは他とは違うため駄目だ。

 学費は足りないし、嫌われてもいる。 

 努力して耐え凌ぎ続けなければならない、少なくとも今は。


「はぁ」


 今日何回目かも分からないため息をいて、レイは今日を乗り越えるためにビルの中へと入って行った。

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