上位存在たちに愛されすぎて地球が崩壊寸前になっちゃう話

@Jikouji2000

What is Love?(愛とはなんぞや?)




「はぁ……」


 俺は大学のカフェテリアの一角で、深い深いため息を吐いた。

 片手には最近お気に入りのアーモンドミルク、眼前にはノートパソコン。

 そこに映し出されるは依然真っ白な課題。かれこれ数十分はこの状態が続いていた。


 講義も終わり、後は真っ直ぐ家に帰るだけなのだが、この調子ではしばらく無理らしい。


「あ、浜九里くん。おつかれー」


 ふと、声を掛けられ顔を上げると、そこには同じ文学科の友達が立っていた。

 ぼさぼさの黒髪にオーバーサイズのパーカー。この前買い替えたらしい黒のスニーカーが妙に目立っていた。

 不衛生、という訳ではないが、少なくともあまりオシャレやメイクには興味がなさそうな女性。

 彼女こそ、入学以来俺と事あるごとにつるんでいる友人。田淵だった。


「ん、田淵か。おつかれ」

「何やってんの?」

「一昨日の日本文学概論で出されたレポート。ほら、提出締め切りは今日の8時までだろ? 6時からバイトだし、さっさと終わらせたいんだけどさ……」

「中々進まない?」

「そーゆーこと」

「ふふっ、そうなんだ」


 田淵はノートパソコンを挟んだ向こう側の椅子にすとんと腰を下ろす。


「出されてたレポートってどういうのだっけ?」

「『日本古典文学における上位存在の受容と意義について3000文字程度で論じなさい』っていうやつ」

「あー、確かそんな感じのやつだったね」


 言って、田淵はふんと鼻を鳴らす。


「私は一応終わらせたけど……なんか『上位存在』ってのがイマイチ分からなかったんだよね。レジュメ読んでもよく分からなかったから、適当に書いた」

「適当にってお前……」


 あっけらかんとした態度に俺は思わず頭を抱える。


 日本文学概論を担当している先生は……まぁ、色々と偏屈かつ厳格な人で、成績の評価基準の大半を毎回授業後に出す小レポートに設定している。確か……全体の8割だったか。

 つまり、授業のたびに期末レポートが出されているようなものなのだ。

 しかも普通の期末レポートとは違って、しっかりと内容を推敲する時間もない。

 文学科の必修科目でなければ、まず誰も取らないような講義だ。


「んで、どの辺で詰まってるの?」


 そう言って田淵はノートパソコンの画面を覗き込んでくる。


「うわっ、全然書けてないじゃん!」

「仕方ないだろ。そもそも『上位存在』っていうものの定義すら分かってないんだから……」

「ん、定義?」

「ああ」

「そんなの簡単でしょ? 『人間の理解や倫理、常識から逸脱した存在』……例えば神とか精霊とか宇宙人とか……日本古典文学の領域になると、まぁ妖怪とか生霊とかだね」

「生霊って、源氏物語に出てくる六条御息所とか……清涼殿に雷を落としたり、かつての政敵を次々に呪殺していった菅原道真とか?」

「そうそう、そういうのだよ」

「へぇ……」


 なるほどな。

 つまり上位存在とは、読んで字のごとく『人間より格上の存在』ということか。

 しかも人間としての倫理観や常識も持ち合わせていないから、何食わぬ顔で人間を殺したり街を破滅させたりしてしまう。


 上位存在の意志や行動というのは、自然災害のように気まぐれで、掴みどころがなくて――凶悪そのものだ。


「ま、人間に対して良い影響も悪い影響も与えるっていう二面性を題材に書いたらいいんじゃないの? 私はそれで書いた」

「二面性、ねぇ……」

「私のでよければちょこっとだけ見せてあげるよ? あ、コピペは駄目だからね」

「分かってるっての。……ありがとう、今度飯でも奢るよ」

「……っ、うん。期待して待っとくよ」


 その後、田淵からのアドバイスを受けながらなんとかレポートを書き進めていく。

 幸い田淵は教え上手で、先ほどまであれほど四苦八苦していたのが噓のようにすらすらと指が動いた。


「ふふん、いい調子じゃん」


 そう言って笑う田淵はなんだかいつもの五割増しくらいで可愛く見えた。





「……よし、これで提出完了!」


 トン、とノートパソコンのタッチパッドを押して、提出ボックスにレポートがアップロードされた。

 それを確認した俺は安堵の息と共に大きく伸びをした。


「あー、やっと終わった」

「お、終わったんだ。おつかれ、浜九里くん」

「マジで助かったよ、田淵」


 いつの間にか分厚い本を読み始めていた田淵と顔を見合わせ、感謝の言葉を送る。

 親しき中にも礼儀あり――とはちょっと違うが、他人から受けた恩は反故にはできない性分だ。

 例え入学以来の友人でも、親友でも、家族でも、受けた恩に報いるというのはごく自然の行為で。

 そして、何よりも人間らしい行為だ。


「いやいや、別に礼を言われるほどでもないよ。……あ、でも、さっき言ったことは忘れないでね?」

「飯を奢るっていうやつ?」

「当たり。……前から気になってたカフェがあってさ、浜九里くんにも付き合ってもらうね?」

「分かったよ。今からバイトがあるから今日は無理だけど、今度予定が合ったら行こう」

「うん、りょーかい」


 軽快な調子で田淵が笑う。思わず俺も笑みをこぼす。

 窓から差し込む斜陽の温かさも。

 カフェテリアの喧騒も。

 口の中を満たすアーモンドミルクの爽やかな後味も。

 この空間を彩る全てが、なんだかかけがえのない宝物のように思えて――。


 その時だった。


 じっとり、と滲むような視線の存在に気付いたのは。


「…………っ!!」


 咄嗟に周囲を見渡す。

 夕方のカフェテリアは多くの学生で溢れている。

 だが、誰も俺たちの存在に注目していない。皆友人との歓談や食事など、各々の時間を過ごしている。

 当然だ。この大学には何千もの学生が在籍している。有名になる要素など何一つとして持ち合わせていない俺が衆目を集めるなんて逆立ちしたって無理だろう。


 だが。


 なんだ、この異様な気持ちは。


 恐怖?困惑?焦燥?いや、それとも――?

 べったりと張り付くような、もやもやとした感情に冷や汗が流れる。

 今までの長い人生で感じたことのない、奇妙な感情に俺は自分の正気すら疑い始めていた。


「……ん、どうしたの?」


 はっ、と田淵の声で我に返った。


「あ、いや、なんでもない」


 俺はなんとか首を横に振った。

 だが頭の中はほとんど真っ白で、俺の意識は視線の主を探すことと自分の気持ちを抑えることで精一杯だった。

 その後田淵と別れ、バイトへ向かっている道中にもその違和感が取れることはなかった。





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