第2話

 「TRUE LOVE」……中学2年生の私が書いた、黒歴史とも呼べる逆ハーレム小説。魔法の国ネア・テルミで唯一の光属性であるヒロインが、4人のイケメンから好意を寄せられるというのが物語の大筋になっている。


「ただいま!」

「エマおかえり。エッグタルトできるまで兄ちゃんとかくれんぼでもする?」

「忙しいから後でね!」

「はーい」

「ふふ、あらあら」


 いくら私が書いた小説といっても、書いたのは18年前になる。詳しい内容は朧げだ。私は今後の対策を練るために、森から戻ってすぐに情報整理をすることにした。

 


 まず、世界観は「プリマベーラ」とだいたい……というか、地名は全く同じ。だから転生してしばらく経っても気付けなかったんだ。

 少し違うのは、「プリマベーラ」ではネア・テルミは帝国の辺境の街だったけど、こっちでは小さな国という設定になっている。

 魔法についての設定もだいたいは同じだけど、威力はまだまだ強いみたい。

 そしてヒロインである私は唯一の光属性。だとすると……


パアァ


 私の予想通り、森の中でできた膝の擦り傷に右手をかざして念じてみると、淡い光が灯って傷痕がきれいさっぱり消えてなくなった。

 光属性の魔力を持つ者は治癒の魔法を使える。力が発覚した後のヒロインは聖女として国から大切に扱われた。それと同時にその力を狙う者も多く、悪者に捕まって助けてもらうみたいなイベントも書いた気がする。

 そんなイベント絶対嫌だ。私が光属性であることは墓場まで持っていかなければ。



 幸いこの物語は完結していない。思春期真っ盛りだった頃の私が、とにかくヒロインがチヤホヤされる逆ハーレムを書きたかっただけで、オチは決めてなかったし設定はガバガバだし達成すべき目標なんてものもない。

 未完の物語をどうしようと私(作者)の勝手だ。健康で平凡な人生を送るために私がすべきことは二つ……光属性であることを隠し通すこと、そして4人のイケメンとのフラグをへし折ることだ。

 テオバルドと既に会ってしまったのはしょうがない。断ったけれど、多分彼は私と結婚の約束をしたと勘違いしているだろう。まあ、12年後のプロポーズを回避すれば問題ないはずだからとりあえずは置いておく。

 次に私が出会うのはおそらくレオ。レオは領主の息子で、毎年夏の1ヶ月間、領地の視察のためにうちの近くに滞在する。

 ヒロインとは同い年で幼馴染のような存在だ。ヒロインがテオバルドにプロポーズされたことによって自分の気持ちに気付き、幼馴染の距離感に葛藤しながらも健気にアプローチをしてくる……ような感じだった気がする。

 きっともう少し成長したらレオも農地の視察についてくる。ここにいる以上出会うことは避けられないから、仲良くならないように気をつけよう。


「……サクラはいないのか」


 この世界にサクラは存在しない。改めて事実を噛み締めて、少しの虚無感を感じた。今世での私の目標を一つ失ったショックは大きい。

 それから最大の疑問点は、何故「プリマベーラ」ではなく「TRUE LOVE」の世界に転生してしまったのかだけど……前世の人生を終えた私に知る術はない。

 ただ、転生葬によってこの世界に来れたのだとしたら、棺の中に「TRUE LOVE」を入れられたという可能性が考えられる。

 でも、それは不可能だ。何故ならその小説は私の手元にはなかったから。「TRUE LOVE」はに渡してしまったし、そもそもきちんと製本もしていなかった。


「エマおいで〜」

「エッグタルトできたって!」

「はーい!」


 リビングからおばあちゃんの優しい声に呼ばれて、お腹がグゥと音を立てた。

 まだまだ釈然としないけれど……とにかく健康と平凡。この二つの目標は絶対に成し遂げてみせる。



***



 10歳の夏、ついにレオがやってくる日が来た。

 領主が視察に来るからと我が家は朝からバタバタと慌ただしかった。

 この国に貴族制度はない。ローゼ家という王家があって、次いで三大名家、そして平民と大まかに分かれている。これはおそらく作者(中2の私)が、複雑な貴族制度がよくわからくて描写を放棄したからだろう。

 三大名家は各属性の魔力が色濃く残る一族で、それぞれ領地を管理している。水属性のホルテンズィエ家、風属性のキーファー家、そしてうちの領主である土属性のアーホルン家。つまりレオは名家の息子ということになる。


「息子のレオだ」

「レオ・アーホルンです。よろしくお願いします」


 レオは人当たりの良い笑顔を浮かべて礼儀正しくお辞儀をした。

 夏風に深緑の髪がサラサラと流れ、ウグイス色の瞳からは独特のあたたかみを感じる。私と目が合うと、レオはまたにっこりと笑った。"育ちの良いお坊ちゃん"とはまさにレオのことだ。好印象でしかない。


「……」

「あら珍しい。人見知りしない子なんですけど」

「ははは、その年頃にはよくあることだ」


 友好的なレオとは対照的に、私はモジモジしながら母の影に隠れた。

 題して、"恥ずかしがり屋さん作戦"である。内気なコミュ障を演じていれば必要以上に仲良くなることはない。つまり、レオとのフラグを回避できる。

 そう思っていたのに……


「エマ達が作ってる野菜はとっても美味しいね」

「……」

「僕はトマトが苦手なんだけど、ここのトマトだったら食べられるんだ」

「……」

「エマの好きな食べ物は何?」

「……じゃがいも」

「僕もじゃがいも好きだなぁ。ポテトケーキ食べたことある?」

「うん」

「美味しいよね」


 レオのコミュ力は半端なかった。無口を演じる私にめげることなく声をかけ続けてくれて、さすがに完全無視をするわけにもいかなくなってきた。

 レオの口調と声色は柔らかく、耳触りが良い。話題も返答に困らないような当たり障りのないものを選んでくれているんだと思う。10歳にしてこの気遣い……レオはいい領主になりそうだ。

 でもそれとこれとは話が別。私は心を痛めながらも、必要最低限の返事しかしないようにした。


「エマは何して遊ぶのが好き?」

「……」

「僕は体を動かすのが好きなんだ。乗馬は兄さんの方が上手いけど、足は僕の方が速いんだよ」


 数日経てば諦めるだろうと思っていたのに、レオは次の日も、その次の日も私に声をかけ続けた。

 レオは私に質問をする時、必ず「僕は……」と自分のことも話してくれる。おかげでまだ1週間も経っていないのにレオのことに詳しくなってしまった。家族構成、好きな食べ物と苦手な食べ物、そして羊毛アレルギーだということまで。

 小説では「温和、お人好し」くらいの設定しかしていなかったから、作者のくせに初めて知ることばかりだった。このままでは愛着が湧いてしまいそうで怖い。


「エマは何でレオ坊ちゃんにだけ人見知りすんの?」

「すげーいい子じゃん」

「……」


 兄達が不信に思うのも無理はない。レオは誰が見てもいい子だし、私は元々人見知りをするタイプではない。なんなら隣の牧場の男の子とは初対面で口喧嘩したくらいだ。


「まさか……初恋?」

カシャンッ

「げほげほ!」


 ロベルト兄さんがぼそりと呟くと、食卓の時間が一瞬止まったような気がした。ホルスト兄さんはスプーンを落とし、お母さんは皿洗いの手を止め、お父さんは咽せて咳き込んだ。


「ち、ちち違うよ!!」

「へーーえ……」

「そうね……そういうお年頃よね……」


 どうしよう、あらぬ誤解を招いてしまった。必死に否定したら兄達はにやにやするし、お母さんはそわそわと落ち着きがなくなった。


「違うってばー!!」

「はいはい」


 強く否定すればする程説得力がなくなっていく。"恥ずかしがり屋さん作戦"をこれ以上続けるのは危険かもしれない。



***

 


「今日は別荘からいろいろ持ってきたんだけど、何か気になるのあるかな?」

「……」

「女の子はやっぱりお人形遊びとかがいいかな……」


 次の日、レオは木箱いっぱいにおもちゃを入れて持ってきてくれた。重かっただろうに……。私と遊ぶために準備してきてくれたことを思うと、胸が温かくなった。

 

「……フットボールやりたい」

「! うん、やろう!」


 箱の中にボールを見つけた私は、初めて自分からレオに歩み寄った。レオは一瞬目を見開き、とても嬉しそうに笑って私の手を引いた。

 決して絆されたわけじゃない。家族からあらぬ誤解を受けないように作戦を変えるだけだ。些細なフラグも絶対に立たせてなるものか。

 今度の作戦は、"ボーイッシュ大作戦"。元気な少年のように振る舞って、恋愛対象にならないようにするのだ。

 それに、レオがヒロインに対して恋愛感情を抱くようになるきっかけはテオバルドからのプロポーズ。そっちを回避すれば、レオとはただの仲の良い幼馴染でいられるはず……完璧だ。


「エマすごいね!」

「レオも上手!」


 これは作戦の一環……そう思いながらも、私はレオとのフットボールをめちゃくちゃ楽しんだ。

 遊び相手は兄達がしてくれるけど、クレマン兄さんは手加減しちゃうし、双子の兄達は逆に容赦なしで全然歯が立たない。同年代の友達と遊ぶのがこんなに楽しいなんて。

 

「あっ! エマ危ない!!」

「!」


 ロングシュートを狙ったレオのボールが、私の顔面向かって飛んでくる。コントロールをミスったらしく、ボールの奥に見えるレオは青褪めて叫んだ。


「え!?」


 でも大丈夫。"最強設定"の私は運動神経も反射神経も抜群なのである。

 顔面に当たる軌道のボールを胸でトラップして足元に落とし、唖然とするレオを抜いてシュートした。


「エマ、ごめ……」

「私の勝ち!」

「!」


 その後も私たちは夢中になってボールを追いかけた。

 前世の私は体育の授業が好きじゃなかったけど、動けなくなってからは部活で汗水を流す同級生達が羨ましくてしょうがなかった。

 誰からも好かれて何でもできる「エマ」というキャラクターの根底には、運動や恋愛に対する私の羨望があったんだと思う。


「レオ坊ちゃん、そろそろ帰りましょう」

「あ……あっという間だったね」

「うん。楽しかった」

 

 いつの間にかレオが帰る時間になったようで、執事のおじさんがにこにことこちらを眺めていた。


「僕、エマのこと……」


 別れ際、改まったレオが発したセリフにギクッとした。

 

「最初はか弱くて守ってあげなきゃって思ってた」


 後に続く言葉が告白だったらと思うと心臓がバクバクとうるさい。どこかでフラグを立ててしまったんだろうか。いや大丈夫、レオが私のことを好きになる要素なんてなかったはずだ。


「……でも違った。エマはかっこいいね」

「!」

「あ。ごめん、女の子にかっこいいなんて失礼だったかな」

「ううん、嬉しい!」


 「かっこいい」と言われて心の底から嬉しかった。前世で「かわいそう」という同情を受けるばかりだった私が、こんな言葉を貰う日が来るなんて。

 それに、レオの恋愛対象からしっかり外れてることも確認できた。私の第二の人生は幸先の良いスタートを切ったみたいだ。


(それでも……守ってあげたいな)

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