インフレーション
「アニキ……もう行っちゃうのかよ……」
と、チャーリーがベソをかいている。
別れが惜しいのは他の子供達も同じで、必死に縋りついていたり、顔を覆って啜り泣いていたりするのを、彼女達が必死に宥めている。
「おれ……まだっ……おれっ……!」
が、その中でも遠慮がちにルネの裾を引き、言葉にならぬ嗚咽を漏らすチャーリーは一層痛々しい。
普段のギャップもあってか、罪悪感のような気まずさがグサグサと突き刺さった。
「チャーリー。そんなに引き留めると、ルネさんが困ってしまいますよ?」
と、それを見かねたレオナが助け船を出してくれる。
「ルネさんにはやるべきことがあるんです。貴方はそれを引き留め、困らせたいのですか?」
「っ……」
チャーリーは目元を押さえたまま首を横に振る。
「だったら快く送り出してあげましょう? これが永遠の別れではありません。また貴方の成長を見る為に、ルネさんも帰って来てくれる筈ですから……ね?」
「は、はい。もちろんです」
レオナから向けられる目線に、ルネは頷き返した。
それは咄嗟の言葉であったが、その場しのぎの想いではない。
「さっ……ちゃんとお別れを」
「うんっ……」
するとチャーリーは頷きつつ、目をゴシゴシと擦り、ずぴーっと鼻を啜る。
「アニキ……その……」
「うん」
真っ赤な瞳に見つめられ、ルネは相槌を返す。
たった二月程前までは、憎まれ口を叩かれていたことを懐かしく思いながら。
「今まで、ごめん……。おれ、ずっと、生意気なこと言ってて……」
「気にしてないよ」
まったく気にしてなかったと言えば嘘だが、もう気にしていないというのは嘘じゃない。
むしろ相手が生きている間に謝れるだけ立派だと思う。ルネにはそれが出来なかったのだから。
「これからは、ちゃんとするから……! だから、また、帰ってきて、くれる…………よな?」
間を置いて向けられる、不安そうに揺れる感情。
ルネは腰を屈めて目線を合わせると、そのワインレッドのクセっ毛をわしゃわしゃと撫でまわした。
「当たり前じゃないか。僕は君の『アニキ』なんだから」
「っ……っ~~~~~~!」
それからしばしの間、ルネは抱き寄せた胸板でチャーリーを泣かせてあげた。
旅立ちに用意した服が涙と鼻水で汚れてしまったけれど、それは必要な時間なんだと思った。
ちゃんとそうすることが出来れば、仮にそれ以外の手段がなかったとしても、あの時だって――なんて。
「やっぱ、ズルいなぁ」
と、院を離れてからステラに脇腹を突かれる。
つんつんと恨みがましくだ。見れば頬もぷくっと膨れている。
「チャーリーにあんなに好かれるなんて。泣いて惜しまれるのはボクの役割だったのに」
それは以前にも聞いたことだった。
またしても嫉妬されてるんだろうと思う。
「あの……だからね?」
が、それは以前にも言ったように、別にステラがどうでもよくなったわけではない。
飽くまでタイミング的な問題だとルネは弁解しようとする。
「なーんてねっ!」
「へ?」
しかしルネの言い訳よりも早く、ステラはケロっとして見せた。
「分かってるよ。チャーリーがボクのことを嫌いになったわけじゃなくて、ルネくんのことも好きになってくれただけってことはさ」
「…………」
「だって他でもないルネくんだからね。ボクが認めた以上、ボクの見込んだチャーリーも気に入るのは当然っていうか…………とにかく! それだけ凄いやつなんだよ、キミってやつは!」
と、バシバシと肩を叩かれる。
相変わらず過剰評価だとルネは思うが、落ち込まれるよりはずっといい。
「ねぇステラ。見込んでるって言ったけど」
だから話を逸らす意味半分で、彼女の発言を掬い上げる。
「やっぱりステラから見ても、あの子って」
「うん、凄い才能がある。本人も努力に前向きで、うかうかしてたらボクもすぐに追い越されるかもね」
と、ステラは断言した。
この世界における基準は未だに分からないが、あの歳で蒸気魔法を扱えるというのは、やはり普通のことではないらしい。
しかしステラが……とまで来れば、どうだろうかとルネは思う。
「いや流石にそれは大袈裟でしょ? 十年二十年後っていうならまだしも」
「そんなことはないさ。唯一の懸念点だった精神面も……誰かさんが変えちゃったから、ね?」
と、ステラは楽しげに笑う。
その悪戯っぽい視線からルネは目を逸らす。とんだ買い被りだと思った。
「ともあれ――あの子はこれからぐんぐんと大きくなる」
ステラは上機嫌に一歩前へと踏み出す。
「ボクの背丈なんかすぐに追い越して、誰かの力になれるようになる」
踊るように振った掌は進路へ向けられている。
「きっと尊敬されるだろうね。そうして憧れた誰かがまた大きくなって、彼の背丈をも追い越して、それで……」
そうして――また次へ次へと続いていく。
大きなものが、更に大きなものへと姿を変えていく。
つまりは『インフレ』だ。
先人を超えようとして、先人を置いてけぼりにする。
そんな400年分の隔たりを、ルネは実体験によって知っている。
「ボクの意志を――やがては別の誰かが継いでくれるんだろう」
しかしステラの解釈は違った。
追い越されることも、時代が変わることも、彼女にとっては当たり前なのだ。
それを踏まえた上で、彼女は意志という概念を訴え続ける。
勇者という勲章に秘められた想いを、燃え盛る熱い感情から生み出され、もくもくと遠くにまで知らせる狼煙を持ってして。
「早過ぎるよ」
が、そこに燃え尽きるようなイメージも描いてしまい、ルネは言い返す。
「ステラの歳でそんなことを言うなんて、鬼だって失笑する。君はまだまだこの世界に必要なんだから」
「あはっ? なにそれ? ルネくんったら、またお父さんみたいなこと言って」
そこにステラも冗談っぽく笑って見せる。
ある意味でそれも間違いではない。実際のところルネとステラの間には、確かな世代の隔たりがあるのだから。
「実際にそうだったらどう思う?」
「え?」
「仮に僕の正体がさ、実はそんな感じだったとしたら?」
故にルネは思う。ここが本当のことを話すタイミングではないのだろうか、と。
ルネはこれまで彼女達に、自身が400年前の人間であることを言わなかった。それは夢を壊したくないとか、気狂いを疑われたくないとか、話すことにデメリットしか感じなかったからだ。
しかしソフィの遺言を聞いてから、思い直す気持ちがあった。
もっと仲間のことを信じなければいけないと。自分が本当のことを話さなかったばかりに、辛い気持ちを味わわせてしまった人達がいたんだと。
「ねぇステラ。実はその――」
だからルネは意を決する。
馬鹿にされても、正気を疑われたって構わない。
僕がルネ・ロードブローグそのものであると、そう口にしようとして、
「ちょっと!? 何時までチンタラ歩いてるんです!!」
かなり前を歩いていたリジーの怒声にへし折られる。
振り返って、鬼の形相でズカズカと帰ってきたのだ。
「これ以上遅れるわけにはいかないんです!! 予算的にも、スケジュール的にも、上にこれ以上どう報告したらいいことか!!」
「あ、あはは……だよね」
と、すっかり意識を削がれたステラが苦笑いを浮かべる。
彼女達の仕事が遅れていることは、以前の飲みの場で散々知らされていた。
それはソフィの聖遺物という収穫でも誤魔化せないものなんだろう。何せルネ達は二ヶ月近くチンタラしていたのだから。
故に今は飽くまで業務優先。
本当のことを話すのはもっと落ちつける、またの機会に持ち越しだとルネは思った。
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