44 秘書vs教授

 東京、市ヶ谷。

 古びた鉄筋コンクリートの建物。

 「国立ダンジョン研究所」の一角。

 妖しく、艶めかしく、頭がおかしい女がいた。

 バニー姿の研究者、ナスターシャ教授である。


「ひひひひひっ! これにて完成だ! 世界よ、衝撃に備えよ! 究極にして完璧な、我が論文に! この世界の恐るべき真実にッ!!!」

「教授! 待ってください!」


 ナスターシャが論文を送信する直前、秘書の平宗ひらむねが部屋に飛び込んできた。

 そして論文が送信される直前、ナスターシャの手元からマウスとキーボードが消えた。


 ドガッ! と激しい音がラボに響いた。

 ナスターシャのデスクトップPCが、壁に叩きつけられたのだ。

 もちろん犯人は平宗ひらむねだ。

 平宗ひらむねが何の躊躇もなく、パソコンを破壊したのだ。


 さすがのナスターシャも呆然とし、戸惑いながら平宗ひらむねを問い詰める。

「……何をするんだ、さやっち! 頭がおかしくなったのか?」

「教授よりはまともですよ!」

「人のパソコンを破壊する人がそれを言う?」


「言いますよ。間違いなく、私の方がまともですよ。教授……先日の『異界書庫』の内容を世界に公開するんですよね? 本当に止めた方がいいですよ」

「かっかっかっ。愚問だよ、さやっち。皆、この世界に退屈してる。だったら私は、世界の望みに応えなければならない。それが研究者としての役割だ」


「ダメだこいつ……」

 平宗ひらむねは、こめかみに手を当て、眉間に皺を寄せた。

 そして気を取り直し、ナスターシャに反論する。


「良いですか。今や世界は〝大ダンジョン時代〟です。ダンジョン経済はこの数年で世界の産業構造を書き換え、ダンジョン資源はあらゆる分野で技術革新を起こしています。巨大財閥に目を付けられれば――――」


 と、そこまで言った所で。

 平宗ひらむねの口は閉ざされた。

 ナスターシャの唇によって。


 一転してラボは静まり返った。

 壊れたモニタの電子音と「ちゅっ、ぬちゅっ」という淫靡な音だけか響いた。


「むぐっ…………!!! きょ、教授!? 何をするんですか!!!」

「あんまりうるさいから、つい塞ぎたくなってね。さやっちの唇、柔らかくて癖になりそうだよ?」

 平宗ひらむねはナスターシャを押しのけ、唇を拭った。

 ナスターシャの奇行に慣れているのか、平宗ひらむねはふつうに話を続ける。


「とにかく止めましょう。『迷宮ダンジョン化現象は魔王の配下による侵略行為だ』とか『既に魔王がこの世界に進出している』なんて世間に公開したら、本当に暗殺されますよ!」


 平宗ひらむねの懸念はもっともだった。

 これは〝不都合な真実〟だ。

 今やダンジョンで採れる魔石や魔導具アイテムは高額で取引され、世界経済を牽引する存在になっている。

 ダンジョン開発にブレーキをかけようとする者は、この世界から排除される可能性が高い。


「だったらその時は、こう言えばいいだろう? 『ダンジョンを無限に召還する魔導書〟も発見した。もし私を殺したら、ダンジョンの秘奥は永遠に闇の中だぞ』ってね」


「それで助かるのは、教授だけでは? 私は普通に口封じされるのでは?」

「なるほど! それでさやっちは、私のパソコンをぶち壊してくれたんだね!」

「パソコンどころか、スマホやタブレットも粉砕したい気分ですよ、教授」


 平宗ひらむねは笑顔を見せながら、臨戦態勢に以降する。

 平宗ひらむねの手には魔導触媒ステッキが握られていた。

 ナスターシャはスマホを操作し、予備のデータを送信しようとしていた。


「〝顕現せよ、あお咎人とがびと。我が意に服従し――全てを奪え!〟」


 平宗ひらむねの詠唱。

 魔力で編まれた青白い腕が平宗ひらむねの背後に現れる。

 咎人とがびとの腕が、ナスターシャのスマホめがけて疾った。

 空振り。

 ナスターシャは紙一重でかわす。


「何かと思えばただの支援魔法じゃないか。さやっちの詠唱は実に外連味中二感があるねえ。それが君の世界認識とは。じつに意外だよ」

「……教授には聞かれたくありませんでしたよ。しかもこんな場面で」


 ナスターシャが魔導衣装バニースーツのカフスに手を当てる。

 カフスがピンク色に発光する。

 バニー衣装がワンサイズダウンし、ナスターシャの体を締め付ける。

 ナスターシャもまた臨戦態勢に入ったのだ。

 そして豊満な胸から、拘束用の縄を取り出す。


「その胸に……どんなスペースがあるんですか」

「特注の魔導衣装だからね。この中には何でも入ってるし、何でも入れられるのさ。さやっちも着ればいいのに」

「嫌です」


「いつか必ず着せてあげるよ。――じゃあ、第2ラウンドといこうか。えっちなバニーガールVSお高いスーツが似合う、バリキャリ風だけど実は隠れ中二病OLとのキャットファイトだ!」

「ふざけてる場合ですか!」


「実はこんなこともあろうかと、ラボにぬるぬるローションが吹き出るマシーンを仕掛けてある! ひひひひひ! 楽しいねえ!!!」

「この仕事、もう辞めたい!!!」



 ビビビビビビビビ…………!!!



 しかし二人が戦闘を開始することはなかった。

 平宗ひらむねが投げ飛ばしたパソコンから、けたたましいアラームが鳴ったのだ。


「な……なんですか、これは」

「さやっち。キャットファイトの途中だが、変態紳士協定を締結しようではないか」

 ナスターシャは獲物を胸の中にしまい、アラーム音を止めた。


「は? 意味が分かりませんが」

「研究データの送信は一時取りやめだ。通常営業に戻ろうじゃないか。私は研究者で、君は私のサポートをする秘書だ」

「……豹変しすぎて気持ち悪いですよ。何が起きたんですか?」

「都内のダンジョンに設置していたセンサーが、反応したのさ。我らが追っている未確認の魔力――〝魔王の力〟だ」

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