38 暗い湖の底

 大泉は怒りと悲しみの感情を滲ませ、結香の目を見つめた。

 リビングの空気がピンと張り詰めた。


「どうしてもダンジョンに行くのか」

 結香は親の心配などどこ吹く風。

 何も気にすることなく、ダンジョンに入ることを主張する。

「お小遣いぜんぜん足りないから。スマホも買い換えなきゃだし、冬休みになったら友達とディズニーに行くし。て言うかダンジョンに行って稼ぐのの、何が悪いの?」


「……今度、ダンジョン探索の会社を立ち上げる。これからは、パパや会社で雇う従業員がダンジョン探索をする。パパに任せておきなさい」


「そんなの嫌! ていうかもう友達とダンジョンに行く約束してるから。探索者証も作ったし」

「なっ……!! いつの間にそんなことを! ダンジョンは危険だ! どうしてもと言うなら……パパの会社で働きなさい。安全なダンジョンでレベル上げをしてから――」


「そんなの嫌! 自由にやらせてよ! 何で会社で雇った知らない人とダンジョンに入らなきゃならないの! 意味分かんない!」

「結香! 待ちなさい!」

「来ないで! 本当の親でもないくせに!」

「っ…………!!!」

 見えない言葉の刃物が大泉に突き刺さる。

 大泉は痛みに堪えるように、ぐっと眉間に皺を寄せた。


 結香は。

 自分で放った言葉なのに、その重さにたじろぐ。

 大泉は悲しい顔をして、怒りを滲ませ。

 しかし感情を押し殺して反論する。


「結香。それでも俺達は、家族だ」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 結香は〝岩底ナマズ〟の口の中で、口論した日のことを思い出していた。

 何であんなことを言ってしまったのか、後悔の念が胸の中に残っている。

(でも……もう遅いか。パパ、ごめんね……)


 結香は知っていた。

 大泉が〝野良ダンジョン〟に潜り、命の危険も省みず稼ごうとしていたことを。

 全ては結香のためであることを。


 何しろ、大泉は口癖のように「結香は学費のことは心配しなくてもいい」と言っていたのだ。前の会社が倒産寸前だったというのに。

 本当に、不器用な継父パパだと思う。

 だからこそ結香は、自分がダンジョンで稼げば良いと思っていたのだ。


 しかし何もかもが遅かった。

 結香は全身をモンスターの消化液に包まれていた。

 そして〝岩底ナマズ〟は物凄い速さで下へ潜っている。

 誰もいない、ダンジョンの深い底へ。


「キャアアアア!」


 体に無重力を感じた直後、結香は冷たい水の中に投げ出された。

 〝岩底ナマズ〟が結香を吐き出したのだ。

 そこは暗い湖の中だった。

 ドブ板ダンジョンの最終階層、〝岩底ナマズ〟の巣だ。


「ガゴボボボッ!?」


 〝岩底ナマズ〟は再び結香を吸い込み、口の中で弄ぶ。

 探索者に魔物が狩られ続けたことで、ダンジョン内の生態系は崩壊していた。

 そう、迷宮の主ダンジョンボスは、飢えに飢えていたのだ。

 久しぶりの餌を堪能するかのように、〝岩底ナマズ〟は結香を嬲るように喰おうとしているのだ。


「ぐばっ……げぼっ!」


 辛うじて結香は水面から顔を出し、息をする。

 真っ暗で何も見えない。


 地底湖の深い闇と水の冷たさに、震えが止まらない。

 絞り出すように結香は声を上げた。


「たす、けて……」


 呼びかけに応える者はない。

 心細すぎる状況に、全身が震える。

 自分はここで死ぬのだと実感がわいてくる。

 暗く冷たいダンジョンの底で、気持ちの悪い魚のモンスターに食われて死ぬのだと。


「誰か、助けて……!!!」


 結香はめちゃくちゃに暴れ、泣き叫びながら腕を振り回す。

 ――ガツン!

 と手の甲に固い何かがぶつかった。

「い、いたっ」


 結香は手を引っ込め、上を見る。

 そこにあったのは――靴だった。

 男物の靴が、空中に浮いていたのだ。


「な、何……?」

 戸惑っていると、頭上から声がした。

「〝灯火ともしび〟」

 男が言うと、洞窟に明かりが灯った。


 結香は明かりの方を見上げた。

「え、ええ……? どうして??」

 靴の持ち主は弔木とむらぎだった。

 しかも意味不明なことに、弔木とむらぎ結香を見下ろしていた。

 結香の中に数えきれない程の疑問が湧き上がる。



 いったい、どんな魔法を使えばそんなことができるのか?

 弔木とむらぎはどうやってここまでたどり着いたのか?

 なぜ、そんなに余裕の表情をしているのか?

 弔木とむらぎは魔力ゼロの荷物持ちポーターで、継親パパ弔木とむらぎに騙されているんじゃなかったのか?



「〝牢獄〟」



 宙に浮かぶ弔木とむらぎが、耳なじみのない魔法を詠唱する。

 ――ダダダダダッ!!!

 と水面が連続して弾ける。

 魔力で生成されたくさびが、岩底ナマズの周りに打ちつけられているのだ。

 少しすると、岩底ナマズは牢獄に閉じこめられたように、その場から動けなくなった。



「うん、魔力制御が上手くいったな。もう少し〝牢獄〟のサイズを小さくしても良かったが、まあ良いだろう」

 弔木とむらぎはごく普通の口調で、「通常の探索者」にはあり得ないセリフを言う。


「なに……それ……????」


 探索者はレベルが上がると、頭の中に「魔法の詠唱フレーズ」が自動的にインプットされる。

 そしてその詠唱を行うことで、魔法が発動される。

 発動される魔法は、その強さを制御できない。

 RPGゲームのように、探索者のレベルに応じて常に同じ威力の魔法が繰り出されるのだ。


 つまり――一般の探索者は「魔力制御」だとか、「サイズを調整する」だとかいう概念はないのだ。

 有り得ないことが、起こっている。


 弔木とむらぎという男は、ありえないことを起こしている。


「わけが……分からないんだけど……????」


 結香はこの上なく混乱する。

 例えるなら「レベル」や「ステータス」のゲームをしている時に、急に少年マンガの「気」とか「呪力」のような謎パワーを操って無双するキャラが出てくるようなものだ。

 ゲームバランスの崩壊、というレベルを遥かに超えている。


「ね、ねえ。従業員……さん? あんた、何者なの?」

 直前まで挑戦的な態度を取られていたこともあり、弔木とむらぎは妙に居心地の悪そうな顔になる。


「ただのフリーター、じゃなくて正社員だ。とりあえず弔木とむらぎと呼んでくれ」

「は、はい。弔木とむらぎ……さん」

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