37 岩底ナマズ

 海軍基地が近いだけあり、ダンジョンの第一階層には英語の落書きが大量に描かれていた。

 ダンジョンというよりはむしろ、海外の治安の悪い地下通路のような見た目だ。


「ずいぶんと明るいダンジョンだな。まさか照明もあるなんて」

「言ったでしょ。ここはそう言うザコダンジョンなの。たまに軍人が魔物の肉を焼いてバーベキューしてるくらいだから」

「いくら何でも自由すぎないか!? ここ、ダンジョンだぞ」


「Gランクのチュートリアル用のダンジョンなんてそんなものよ。最近じゃもう『枯れたダンジョン』になってきてるし」


 魔法資源を最大限に回収するには、最終階層のボスを倒さずにリポップするモンスターを狩り続けるのが一番だ。

 しかし同じダンジョンで狩りを繰り返し過ぎると、モンスターが出現しなくなったり、アイテムのドロップ率が落ちることがある。

 この現象は一般に「ダンジョンが枯れる」と言われている。


「なるほど……社長に相談して、せめてFランクくらいには入りたいところだな」


 弔木とむらぎのリアクションを見て、結香は訝しげな顔になる。

「て言うかドブ板ダンジョンが枯れてるなんて、常識でしょ? やっぱり従業員、ダンジョン探索の経験ないでしょ」

「あー……。実は色々あって〝野良ダンジョン〟にしか潜ってなかったんだ。基本的なダンジョンの知識はむしろ持ってない。一般人のレベル上げ情報とかも、あまり詳しくないんだ」


「は? 意味不明なんだけど。そんなんでどうやってダンジョン探索してきたの?」

「だからまあ、色々だ。簡単には説明できない」

「色々ね……まあ従業員のことなんてどうでもいい。でも、私の邪魔はしないで」


 と、数匹のモンスターが弔木とむらぎ達の前に現れた。

 モンスター化した単眼の狼――魔狼ワーグだ。


「またこいつらかあ。数が多い割に経験値少ないんだよなあ……」

 とぼやきながら、結香が右手で細剣レイピアを抜く。

 小ぶりで扱いやすそうな剣だ。

 左手には魔法触媒〝風雪の青十字〟が握られていた。


(氷雪系の魔法と細剣レイピアか。……この素性でソロ攻略だと、かなり癖がある戦い方になるだろうな)

 弔木とむらぎは結香の装備を一瞥して、そんなことを思った。


 弔木とむらぎが冒険した異世界でも同じだったが、一人の使い手が扱える魔力の属性は、基本的に限られている。

 炎なら炎、氷なら氷の魔法だけしか使うことができないのだ。


 結香が発動できるのは、冷気系の魔法のみだ。

 極めれば、多くの敵を一撃で凍らせることもできる。

 だがレベルが低いうちは、敵の動きを鈍らせるのが関の山だ。しかもスライムや獣など、水分が多めのモンスターに限られる。


 良く言えばパーティーで攻略をする時に支援魔法で活躍する属性。

 悪く言えば、序盤で苦労するハズレ寄りの属性だ。


「本当に何もしなくていいのか?」

 魔狼ワーグはダンジョンの陰から次々とやってくる。

 数にして十匹を越えようとしていた。

「従業員は荷物持ちポーターでしょ。むしろ何ができるの?」

「そうだなあ……」


 一瞬で魔狼ワーグを消し炭にする位なら、できる。

 が、弔木とむらぎは口を閉ざす。

 結香がやる気なら、余計な手出しはしない方が良い。


 モンスターを倒して手に入る経験値は、戦闘貢献度が高い者に割り振られる。

 今日は、結香のレベル上げのために来ているのだ。弔木とむらぎが積極的に戦う理由はない。


 しかし弔木とむらぎの沈黙を、結香は別の意味に捉えたようだ。


「ほら、結局何もできないんでしょ。凄腕の探索者だなんて嘘ついて」

「そう思うなら、それでいい。今日は君のレベル上げに来たんだからな」

「言われなくても分かってる」


 魔狼ワーグの群が、いっせいに結香に飛びかかる。

 結香は落ち着いてバックステップを踏み、攻撃をかわす。


(ほう、そう来るか)

 そして次の瞬間、結香は弔木とむらぎも瞠目する動きに出た。

 細剣レイピアを高く放り投げたのだ。

 そしてウエストポーチから小瓶を出し、親指で弾くように蓋を開けた。

 すると、瓶の容量を遙かに超える大量の水が噴き出した。


『ギャウッ!!』


 魔狼ワーグ達が一瞬怯む。

 その隙を逃さず、結香が詠唱する。

「〝凍てる大気、全て覆い尽くせ!〟」


 直後、氷点下を遙かに下回る冷気が周囲に立ちこめた。

 ずぶ濡れになった魔狼ワーグの群が凍りついた。


 が、まだ倒してはいない。

 魔狼ワーグは全身を薄い氷に覆われながらも、まだ動こうとしている。

 結香は落ちてきた細剣レイピアを持ち、魔法を追加する。


「〝我が剣にまとえ、青の風雪!〟!」


 細剣レイピアの周囲に、冷たい空気が張りつめる。

 結香は剣先を魔狼ワーグに突き立てた。

 魔狼ワーグは傷口から一気に凍りつき、粉々に砕け散った。


「上手いな……傷口から冷気を流し込んだか」

 弔木とむらぎは思わず声を漏らした。

 冷気系の魔力は、戦闘支援に使われることが多い。

 単独での戦闘をするとなると、攻撃力が伸び悩む傾向にある。

 だが結香は、魔導具アイテムや戦術を工夫することで攻撃力を高めているのだ。


(やるな。しかも基本的な剣の扱いもできている)

 結香は、大泉が心配するほどの初心者という訳ではなさそうだった。

 というよりは、結構な時間をダンジョンに費やしているのかもしれない。父親の大泉に秘密で。



 結香がドロップした魔石を拾う。

 剣をしまいながら、弔木とむらぎを振り返った。


「私一人で十分だってこと、分かったでしょ? レベルも20あるし」

「あれ? 社長からはレベル10にも満たないって聞いてたけど」

「パパに内緒でレベル上げしてたから」

「やはりそうだったか。今の立ち回りはとても素人には見えなかった。……だがいつかバレるんじゃないか? 大泉さんも心配するだろう」

「従業員は黙っててよ。うちのことに関係ないでしょ」

「それはそうだが……」


 弔木とむらぎの脳裏に、あの日の光景が蘇る。

 大泉は自分のレベルに見合わないダンジョンに潜り、文字通り命がけで金を稼ごうとした。

 全ては娘の結香のためだ。


 その事実を知っているだけに、弔木とむらぎも複雑な気分になる。


「こんな枯れたダンジョン、私一人でやれる。だから着いて来ないで」

「ま、待つんだ! 単独行動は止めた方がいい」

「…………」


 結香は弔木とむらぎを無視して、ダンジョンの階段を降りていった。

(やれやれ、仕方ないな。……やはりどこかのタイミングで〝闇の魔力〟を見せて信じてもらうしかないか)


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 弔木とむらぎと結香が一段下の階層に足を踏み入れた時だった。弔木とむらぎの肌に、ヒリヒリと灼けるような感触が走った。

 モンスターだ。


 力の気配は下からやってくる。

 この階層にいるモンスターとはケタが違う、かなり強力な魔力だ。

(何かが動き回っている? そうか、これは……)


 ゴゴゴゴゴゴ――


 ダンジョンに地鳴りが響いた。

「な、何!?」

 結香が細剣レイピアを抜き、周囲を警戒する。

迷宮の主ダンジョンボスだ。来るぞ」

「だ、ダンジョンボス? でもここは第二階層でしょ……!?」

「いや。モンスターには、〝幽体化〟してダンジョンを種類がいる」


「幽体化? どういうこと?」

「言ったままだ。餌になるモンスターを狩られ尽くして、ダンジョンを上がって来たんだろう」


 ――ぽちゃり

 と、結香の足元が水面のように揺れた。

 直後、岩の地面から巨大な背びれが現れた。


「な……何?」

「避けろ! 〝岩底ナマズ〟だ!」


 弔木とむらぎが叫ぶ。

 しかし結香は反応できなかった。

 背びれ、胴体、尻尾……と瞬く間に〝岩底ナマズ〟は姿を表す。

 〝岩底ナマズ〟が地面から躍り出る。

 巨大な口を開いた。直径二メートルはあるだろう。


 そして「ジュポッ!」と吸気する。


「きゃ――」

 叫び声を出す間すらなく、結香は〝岩底ナマズ〟の口の中に吸いこまれた。

 結香を捕らえた〝岩底ナマズ〟は空中で旋回し、再び地中へと潜っていった。


 カラカラカラ……


 結香の細剣レイピアが地面に落ち、ダンジョンは静寂に包まれた。

「まずいな……だがまだ間に合うはずだ。少し、本気を出すか」


 弔木とむらぎは結香の武器を拾い上げると、周囲に誰もいないことを確かめる。

 そして魔なることばを呟いた。


「〝影疾かげばしり〟!」


 弔木とむらぎの姿は闇に溶け、ダンジョンの下層へと滑るように加速していった。

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