11 魔王戴天(まおうたいてん)
金がない
稚内から函館へ。
バスを乗り換えて、函館から東京へ。
帰りの旅路は気が重かった。
函館駅に降り立った
函館は、東京とは違う海の匂いがする。
どこか爽やかで透き通った、潮の匂いだ。
季節は八月。
観光客らしき人々が楽しげに街を闊歩している。
とてもそんな状態ではないが、
「……海鮮でも食べて帰るか。せっかく北海道に来たんだし。金ないけど」
「ああ、そうしていくといい。北海道での思い出があんなのじゃ、悲しいだけだからな」
「ええっ!? だ、誰ですか!?」
もちろん北海道に知り合いはいない。
戸惑いながら振り返ると、やはり見知らぬ男が立っていた。
「あの……誰ですか」
「何だ、もう忘れたのか? 一昨日、君を確保した男だよ。自衛隊の笹岡だ」
男は、にかりと白い歯を見せて笑った。
ダンジョンで
「あ、ああ……! 自衛隊の! すいません、制服じゃないから分かりませんでした。と言うか、何でこんなとこにいるんですか?」
「今日は休みだ。地元がこっちだから、親の顔を見に函館まで来た訳だ。そうしたらやけに暗い雰囲気の男を発見してね。こうして職務質問をしようとした訳だ」
「ははは……よく言われます。俺からは漆黒のオーラ的なやつが出てるって。ていうか、その節はご迷惑をおかけしました」
「気にする必要はない。我らもダンジョンの入り口が複数あることに気づかなかった。貴重な情報を得られて、むしろ感謝をしているくらいだ」
「ははは……」
あの夜、ダンジョンに不法侵入した
ダンジョンへの侵入経路を尋問され、最終的には
そして、「就活に失敗して、フリーター生活をしていた。ダンジョン探索者として金を稼ぐため、なけなしの金を叩いて北海道まで来た」という話を打ち明けると、警察への通報は取りやめになった。
最終的には、
「君も苦労しているんだなあ。どうしても金に困ったら、自衛隊という選択もある。最寄りの地方協力本部まで連絡してくれ」
などと勧誘されたほどだ。
隊員の笹岡は、にこやかに笑った。
「ほら、来るんだ」
「え? どういうことですか? 俺、自衛隊には入りませんよ」
「分かってるよ。寿司を食べるんだろ? ダンジョンで知り合ったのも何かの縁だ。奢ってやろう」
「え、でもそんな……」
「金は大事に使えよ。強く生きろよ、若者。おっさんからのエールだ。って、俺もまだ若いけどな」
そう言って笹岡は
すると、
「あ、あれ……なんだこれ。す、すいません。泣くつもりなんてないのに……」
涙は自分でも驚くほど、とめどなく流れて止まらない。
笹岡は冗談めかして
「おいおい止めてくれよ。バスターミナルでそんなことされたら、俺達、遠距離恋愛中のゲイカップルみたいじゃないか! わははははは!」
「うう、すいません。普通に女の子、好きです」
「わはははははははははははは! 俺もだよ! ナスターシャ教授のバニー、超良いよな!?」
「……はい。最高ですね」
「ははははは!! 君もそう思うよな。あれは実に眼福だ! だからもう泣くんじやないよ」
就活に失敗し、バイトでも嫌なことばかり。
異世界帰りという経験を頼りに、ダンジョン探索者を志望すれば、魔力はゼロだと告げられる。
「旨い飯をたらふく食えば元気も出るさ。さあ行こう。旨い店に連れてってやる」
「ありがとうございます!」
寿司を食べ終えると、笹岡はバイクに乗って颯爽と駐屯地へ戻っていった。本当に自衛隊に勧誘するつもりはなかったようだ。
夕闇が海岸線に迫るころ、
北海道の夏は短く、八月でも夕暮れの風は冷たかった。
函館の海に向かって、
ダンジョンのことを考えるのは、もうやめよう。
魔法が使えたことも、忘れよう。
普通の人間として生きていこう。
レイルグラントでの思い出は――記憶の宝箱の中に、そっとしまっておこう。
大斧使いの尖兵、ヴェル。
減らず口の神聖術士、リュード。
風の魔法騎士、ミレール。
さようなら、みんな。
さようなら、異世界。
「元気でやれよ、みんな。俺も、こっちの世界で何とか生きていくからさ。よし、行くか……!」
とりあえずはバイトを続け、金をためよう。
バイトと並行して、資格の取得や勉強をしよう。
大丈夫、楽勝だ。
俺ならできる。
だって俺、魔王を倒したんだから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
バニーでマッドな魔導科学者の、ナスターシャだ。
「……それで、本当にその子からは魔力が検知されなかったって? ねえ笹岡三曹! 嘘ついてないよね? 自衛隊でヤバい魔法使いを囲い込んで国家転覆とか狙ってないよね? 最終的には市ヶ谷で切腹したりしないでね?」
「そのネタは止めて下さい! 物騒すぎます! 教授、私に嘘をつくメリットなんかないでしょう! あの青年――
「うーん……でも状況から判断して、その
「それは考えにくいですね。寿司を食べている間、彼は完全に無防備でした。魔力の検査にも気づいている様子はありませんでしたよ。とても凄腕の魔法使いには……」
「そっかあ」
バニー姿のナスターシャは椅子に腰掛け、ピンヒールを脱ぎ捨てた。
そして机の上にある、懐中時計のような機械を手に取った。ナスターシャはその機械に表示される「異界文字」をもう一度確かめた。
「やっぱり、ゼロだなあ」
小型の機械は、ナスターシャが開発した魔力探知装置だ。
容疑者である
「……その青年が犯人じゃないとしたら、何が起こっているんだ? もう訳が分からないよ」
ナスターシャは頭を抱えた。
「私も信じられませんよ。まさかダンジョン探索者を選考した次の日に、実はダンジョンが攻略されていた……なんてことになるなんて」
異変の第一発見者は、ナスターシャだった。
選考会の翌朝、ナスターシャは日課のダンジョン探索を行っていた。マッピングが終了しているエリアで数匹の魔物と戦闘するのが、彼女の日課だった。
だがその日は、どこにも魔物はいなかった。
魔物の痕跡――血痕とドロップアイテムだけがダンジョンのあちこちに残っているだけだった。
ナスターシャは戸惑いながら、次々と下の階層へと進んでいった。
通常、ダンジョンの各階層には〝階層の主〟であるエリアボスが存在する。そのモンスターを倒すことで、さらに下の階層に行ける仕組みとなっている。
しかしナスターシャはエリアボスに遭遇することもなく、何と宗谷ダンジョンの10階層まで進んでしまった。
異常事態だった。
探索者が攻略する前にモンスターが殲滅されているダンジョンなどありえない。
恐怖を感じたナスターシャは、ダンジョンの探索を中断して帰還した。
「あの地震があった夜、何かがあったはずなんだよ。ダンジョンの柱や壁もズタボロになっていた。どこかの誰かが、恐ろしく莫大な魔力を発動していたのは間違いないんだ」
ナスターシャはダンジョンでの光景を思い出したのか、体を震わせた。
ある場所は重機で押し潰されたようにひしゃげていた。
ある場所は大量の刃物で切りつけられたように、ズタボロになっていた。
あの夜、「魔法災害」とでも呼ぶにふさわしい何かが発生していたのだ。
「となると……どこか他国の〝覚醒者〟がダンジョンに潜り込んでいたのでは? 中隊ではそうした噂も流れていますが」
と笹岡が言う。
「それはあり得ないだろうね」
「その根拠は?」
「私はダンジョンの専門家だ。世界中の〝覚醒者〟がどの程度の魔力を持ち、どんな力を発揮できるかは、おおよそ把握している。だがこんなことをやってのける〝覚醒者〟は、聞いたことも見たこともない。あり得ないほどに規格外だ」
「う、嘘でしょう……そんな人間が、なぜ宗谷ダンジョンに!? 信じられない」
「嘘なものか! と言うかもはや……人間であるかも怪しいくらいだ。仮にそいつに称号をつけるとしたら、げほん、失礼――」
一気にまくし立てて喉が痛くなったのか、ナスターシャはペットボトルの水を飲んだ。
一呼吸置いて、ナスターシャは結論を告げた。
「そいつは、〝魔王〟と呼ぶにふさわしい存在だ。実に愉快だ! 何としても〝魔王〟を探したくなったよ!」
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