第9話「私が橋本環奈だったら、絶対誰もそんなこと言わないよね?」
彼女が先輩と付き合っているという噂が流れたのがきっかけだったと、
中3の夏頃、卒業した先輩がわざわざ中学まで会いにきて、常盤に告白をしてきたらしい。
しかし、彼女はその告白を受けなかった。要するにフったのだ。
では、どうして付き合っているという噂が流れたのか?
それは、その先輩が事務所に所属しているイケメン俳優の卵だったから。彼が「常盤に告白する」と周りに漏らした時点で、断るなんてありえないと思われて、そのまま「付き合っている」という情報がものすごいスピードで
付き合っているという噂は、告白されたという噂よりも訂正に労力がかかるものだろう。
「〇〇先輩と付き合ってるんだって? 羨ましいー!」
「美羽ちゃん、
と気軽に声をかけてくる同級生や、そんな口をきけないほどリアル目に落ち込んで嫉妬している女子たちからの、やっかみの込められた
「いや、えっと……告白はされたけどお断りしたよ」
と弁解していった。
その結果。
「調子乗ってるわ。ラッキーで告られたくせに」
「理解できないんだけど。何様のつもり?」
「先輩かわいそう……」
やりきれない嫉妬の
常盤はその時のことを、こう話していた。
「ってか、私、何も悪くなくない? これで私が傷ついて不登校とかになってたらどうするつもりだったんだろうね? 開示請求するまでもなく犯人は分かってるわけだし……あいつら、バカなのかな?」
そして、その時にこうも思ったらしい。
「ていうか、私が橋本環奈だったら、絶対誰もそんなこと言わないよね?」
これが彼女の原動力になった。
彼女は、誰も自分のことを知らない、家から遠い県外の高校(県外なので、私立ということになる)で、完璧なメインヒロインを演じることにしたらしい。
「注目されないように目立たないようにする」とか「男子とは話さないようにする」とか、そういった消極的な行動ではなく、スクールカーストの最頂点に君臨することで「何をしても許される」地位を得ようとしたのだ。
何をしても許される、と言っても、わがままを通したいとか、犯罪行為を行いたいとか、ましてやいじめを行いたいとかそういうことでは全くなく、自衛の方法がいささか特殊、ということになるので、別に
高校からは全く新しい『最強の自分』で生きていくぞ、と意気込んだ彼女に、障害が現れた。
それが
まさか、こんな
しかも
しかし、そんな障害ですらも活用してこそ彼女は最強になれると考えたらしい。
「ねえ、
常盤美羽は、ビジュアル面は元々かなり整っていたし、性格面も大層勉強して『あざとく見えないあざとテク』を習得したらしいが、成績面に難があると感じているらしかった。
努力でカバーすることも不可能ではないだろうし、実際彼女は今もそうしているものの、それでは効率の面で劣るのは事実。
ということで、俺にそんな依頼があった。
俺としても別に何か断る理由があったわけではないので、1年生の時は試験前には家からチャリで10分のところにあるファミレスでよく勉強を教えていたのだが……。
2年生にさしかかり、バイトを始めると同時、俺は、勉強会を続けることを断った。
「それにしても、
満員電車の席に座って、嫌味たっぷりに彼女が俺に問いかけてくる。
「そうですか……まあ、意外ではあったよな」
「うん、川越さんは優しいよね。どっかの誰かさんは私のこと、捨てたもんね?」
「人聞きの悪いことをいうなよ……」
「んー? 他になんて言えばいいのかな?」
嫌味が止まらない……。
「別に俺が教えないといけない義理もないだろ。金をもらってるわけでもないし」
「お金とか言う? 冷たいなあ、岩太くんは」
本当に少しショックだったのか、弱々しく微笑む。いや、これも演技か……?
「でも義理人情が
「別に承諾した覚えはないけど」
「ふーん。じゃあ、来ないんだ?」
「行くけど……」
「ばーか」
常盤は俺を小突く。本当に不愉快そうな顔をしている。
つまり、
「そもそも、なんで私とは一緒にいてくれないのに、川越さんとは一緒にいて、教室で席遠いのに声かけに行ったりもするんだよ……。私、何かした?」
彼女が昨日今日とやけにプレッシャーをかけてくる理由はこれだ。
浮気を問い詰めているよう、と自分で言っていたけど、ある意味それよりもバツが悪い。
「……バイトにも慣れてきたから、余裕が出てきただけだよ」
「じゃあ、岩太くん今なら教えてくれるんだ? 川越さんに頼む必要もなかったんだね。今からでも川越さんに『やっぱり大丈夫』って言ったほうがいい? そしたら一緒にファミレス行ってくれる?」
質問責め。
「いや、一人で教えるには、負荷がでかいだろ」
「ひどいなあ、人のことバカにして。お荷物みたいに言うな」
常盤は唇をとがらせる。
俺は、常盤のことを馬鹿だと思ったことはない。むしろ……。
「なあ、常盤って中学時代も成績悪かったのか?」
「うん? そうだよ、隠してたけどね」
「中学の時は隠す意味ないだろ……」
「成績悪いことをひけらかす意味もなくない? 人並みの
ほら、今も。
「でも、『ひけらかす』とか『羞恥心』……はまだいいとして、『希薄』とか『守銭奴』とか、そんなにスラスラ出てくるやつの成績が悪いってことあるか?」
一瞬の
「それは擬態してるからでしょ? 岩太くんまで惑わされてどうすんの」
「いや、そうじゃなくて。今みたいに2人で話してる時にも——」
「そんなこと言って勉強会から逃げようとしても、逃がさないよ?」
彼女は俺を遮る。
「……分かったよ」
別に今更逃げようとも思っていないのだが、あまり彼女が取り合ってくれる感じもしない。
「それで? 川越さんが岩太くんと一緒にいる本当の理由は何? あれ以上川越さんを問い詰めても出てこないだろうからなんとなく納得した感じにしたけど、全然意味わかんないよ、二人の関係」
「それは言えない。川越がいいっていうまでは」
「ふーん……。川越さんには義理堅いんですね」
「そういうんじゃないけど」
常盤はつまらなそうに鼻をならすと。
「……ねえ」
不意に、少し声のトーンを落として、俺の目を覗き込んでくる。
「……二人って、付き合ったりしてないよね?」
「それはないって。川越だってそう言ってただろ?」
「……あっそ。じゃあとりあえずはいーけどさ」
彼女はぶっきらぼうに言って、電車の天井を見上げた。
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