第5話「……ょぅ」

 川越かわごえとカフェに行った翌朝。


 8時過ぎに教室に着くと、川越は既に登校していた。どうやら、意外と優等生らしい。いや、模試で一位とか言ってたから意外でもないのか?


 4月の始業から一度も席替えをしていない今日現在、出席番号6番の川越は窓際の一番後ろの席。窓の外を見ている。あの席、いいなあ……。


 出席番号かなり後半の俺(柳瀬だから)は、扉側から二列目の一番後ろの席に座る。ここはここで後ろだからいいんだけど、後ろの扉に近いせいで「〇〇さん呼んでもらえる?」的な依頼を受けやすいのが少し面倒だ。


 というか。


 昨日、川越が「柳瀬やなせくんと一緒に行動してもいい?」と言っていたのだから、俺が来たことくらいは伝えておいた方がいいかもしれない。


 ここから教室の奥まで行くのはかなりはばかられるが……あ、そうだ。


 俺は今日たまたま持ってきている文庫本をカバンから取り出し、そっと向かう。


「おはよう、川越」


 俺が声をかけるとビクぅッ!と肩を跳ねさせて、そっと振り返る。


 そして、俯きがちに、


「……ょぅ」


 と言った。いや、声小さいな。


 川越の前の席の女子が「二人って朝わざわざ挨拶交わすような仲なんだ」的な視線をこちらに向けてくる。


 ここで俺の仕込んだ切り札の登場だ。


「えっと……昨日貸して欲しいって言ってた本、持ってきたんだけど」


 本の貸し借りをするために川越の席まで来たのだ、というアピールである。


 しかし、川越は、


「ぇ……?」


『何を言ってるんです……?』的な眉間のしわで俺を見上げる。いや、そりゃそうだよな。切り札とか言って、俺が勝手に作った設定だし。


 まあ、いいや。とりあえず俺が登校したことさえ伝われば、あとは川越に任せればいい。


「あー……とりあえずそんな感じで……読んだら返して」


 俺が彼女の机の上に文庫本を置いて、そそくさと席に戻ろうとすると、ガバッ!と川越は立ち上がった。川越の前の席の女子が「びっくりしたよー……」とこちらを見上げている。


「……ちょっと来てください」


 川越は、小声&敬語で俺に耳打ちすると、教室をそそくさと出ていく。


「……?」


 RPGの『わしについてくるのじゃ』イベント的に彼女の後ろをついていくと、校舎を出て、やがて体育館裏についた。ん、ボコられる?


 ガバッと振り返った川越は、声を荒げた。


「な、なななななんでいきなり話しかけてくるのよ!?」


 ツンデレのように顔を真っ赤にして怒る川越朝さん。


「な、なんでって……」


 俺は俺で結構緊張して話しかけた手前、なんだかそこを突っ込まれると恥ずかしくなってしまい、


「そりゃ、クラスメイトに話しかけるくらいするだろ……!」


 と、普段の自分が別にしてないことを口走る。


「嘘でしょ……あなた、もしかしてようの者……? 話が違うわ。あなた、第一印象とのギャップが続々出てくるじゃない。第一印象が根付いてから意外性を出さないといけないのに……フリが効いてないわ。まだ最序盤よ?」


「いや、川越からしたら最序盤かもしれないけど、俺は川越に出会うよりも前から15年以上生きてるんだよ。俺的にはフリは効きまくってる」


「うるさいわね……。ラノベ主人公ならラノベ主人公らしく、鬱々としてなさいよ」


「ラノベ主人公、そんなに鬱々としてねえだろ。結構社交的なのいるぞ?」


 いや、まあ俺は別にそういうタイプではないんだけど……。


「そんなんじゃなくて、一応俺、登校したぞってことを伝えておこうと思って……」


「それはありがとう。だけど、」


 それはありがとうなんだ。


「でも、あたしに教室で話しかけないで。口を開かせないでちょうだい」


「え、どうして……?」


「あなた、昨日のあたしの話聞いてなかったわけ?」


 俺は昨日の会話を思い出す。


『『あんたのその小説みたいな話し方、なんなの? 馬鹿にされてるみたいでむかつくんだけど』って言われたの』


「ああ、そりゃ聞いてたし覚えてるけど……。でも、昨日は普通に話してただろ?」


 てっきり克服しているのかと。


「あの時は、教室の外だったし、あなたの他に周りに誰もいなかったでしょ? 帰り道だってそうよ」


「ああ……?」


 おれは昨日の下校道を思い出す。


 ……あ、こいつ、下校道で常盤ときわに話しかけられた時もカフェで瑞歩みずほさんに話しかけられた時も、全く喋ってない!


「分かったら、教室であたしに馴れ馴れしくしないで」


「でも、一緒に行動するって言ってただろ? どうするんだ? 今、席遠いし……」


「…………たしかに」


「考えてないのかよ」


「うるさいわよ。揚げ足取り野郎」


「揚げ足取りとかなのか? これ」


 あと俺を罵倒する時だけ〇〇野郎って口汚くなるな。


「どうやら、席替えが必要ね。物語的にも席替えは良いイベントだわ。そもそもあたしはともかく、主人公あなたメインヒロイン常盤さんとも隣じゃないでしょ? 観察のしようがないもの。丸一日話さずに終わる日も出てきそうだし」


「お前はずいぶんとメタな視点でこの世界を見てるんだな……。席替えしても隣になる確率そんなに高くないだろ」


「だとしても、今よりはマシなはずよ。今はあたしが窓際の一番後ろ、あなたが一番廊下側の一番後ろ。常盤さんがちょうど真ん中の列の一番前の席じゃない。最もそれぞれを遠ざけようとした時の席順だわ。逆に恣意しい的なものを感じるくらいよ」


「たしかに……」


 恣意的、ね。難しい言葉がよくすらすら出てくるなあ。


「席替えしたいって誰に言えばいいのかしら? 学級委員?」


「かなあ。もしくは担任?」


「学級委員は誰?」


「常盤じゃないか?」


「凄まじく『っぽい』わね……」


 なんだそれ。


「じゃあ、あなた、常盤さんにお願いしてくれる?」


「いや、自分で……」


 えばいいだろ、と言いかけて、やめる。


 先ほど教室でしゃべらせるなと釘を刺されたばかりだ。




 ということで、連れ立って教室に戻った。


「まったく……世の中のラブコメがいかに奇跡的な偶然の重ね合わせの上に成り立っているかということを思い知らされるわね……」


 などとブツブツ言っている川越の声を聴きながら、ふと思う。


「ん? じゃあなんで俺とは普通に喋れてるんだ?」


 しかし、その質問が口から出た時には、すでに教室に片足を突っ込んでいた。


 なので、


「…………」


 当然スルー。まあいいや、あとで聞いてみよう。


「おかえり柳瀬やなせー」


 教室に入ると、俺の前の席の松山まつやま詩乃しのが話しかけてくる。


「んなっ……!?」


 川越が小さな声で、「え、うそでしょ、おかえりとか言われているの? 教室から出て戻ってきただけなのに?」という目線を向けてくる。


「あれ、柳瀬とあささんって何繋がり?」


「……えーっと、」


 俺が言い淀んでいると、川越は無言で自分の席に戻り、恨めしそうにこちらをじっと睨む。


「やっぱりあささん、自分を持っててかっこいいなー……」


 尊敬の眼差しを向ける松山。『朝さん』という呼び方といい、なんだか畏敬の念を持っているらしい。


「いや、あいつの場合、そういうんじゃないと思うけど……」


「へえ、詳しいんだね?」


 突如横から綺麗な声がする。


 振り返ると、


「いつからそんなに仲良しになったの?」


 そこには、笑顔の常盤美羽が立っていた。





 ……同時に、窓際から、ガタン、と音が聞こえた。気がした。

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