第32話

◻︎◇◻︎



 組織から無事無傷で帰還したアザリアは、部屋に戻ると急いで身なりを直す。

 第2王子アルフォードの恋人という設定だけあって、アザリアは常に美しい姿でいないといけないのだ。



 ———コンコンコン、



「どうぞお入りになってください」



 優雅にカウチに腰掛け読書を嗜んでいたアザリアの言葉を受けたメイドが、アザリアのために朝食を運び込む。



「ほ、本日のメニューはとうもろこしの冷製スープとバケット、季節のフルーツの盛り合わせ、コーヒーとなっております」


「まあ、今日もとっても美味しそう。運んでくださり、ありがとうございます」



 メイドに向けて女性ウケの良い美しい微笑みを浮かべたアザリアに、日替わりで朝食を届けに来てくれるメイドはうっとりと夢見心地の表情を受けべていた。

 が、流石は王宮勤めのメイド。夢見心地の表情や纏う雰囲気もほどほどに、メイドは深々と頭を下げて下がっていった。



「………ふぅー、ギリギリセーフ」



 メイドが完全に下がった瞬間、アザリアはどっち全身の力を抜いた。


 今回ばかりは準備がギリギリになりすぎ、本当に危なかった。

 もう少しで、口紅が塗り掛けの状態で顔を見られるところであった。



「………こんな生活も今日で終わりかと思うと、無性に寂しくなってしまうわね………」



 喉越し柔らかなとうもろこしの冷製スープにバケットをつけて柔らかくしたパンを頬張りながら、アザリアは小さく落胆する。

 けれど、絶対にできないことを続けることに何も意味がないことを知っているアザリアは、首を横に振った。



「さあ、今日は最後のお仕事なのだから、頑張らなくちゃ」



 最終チェックのために鏡の前で入念に全身を整えたアザリアは、この任務最後の大仕事である国王との面会を控えていた。


 喉がカラカラに乾き、全身から汗が出ている。


 押しつぶされそうな緊張感に、唾を飲む。



「さあ、行くわよ」



 自らを鼓舞するために口にした言葉が、自分の背中を押してくれた。

 『言葉の力』に感謝をしながら、アザリアは完璧な微笑みを浮かべ、国王を待つための部屋へと向かう。


 国王の侍従に言われた通りの部屋には、メイドが2名。

 いずれも必要最低限の戦闘訓練を受けていることが、動きから読み取れる。



 ———コンコンコン、



「はい」



 ———ガチャン、



 扉が開け放たれ、豪華絢爛な衣装を身につけた金髪の男と執事服を着た深紅の瞳の付き人が入ってくる。


 アザリアは迷うことなく、その場に跪き、全身を襲っている危険信号を覆い隠す。


 穏やかで人畜無害な笑みを浮かべている“傀儡の国王”の何が危険なのか、何故こんなにも怖いのか、アザリアにも分からない。



 ただ、———今日は良くないことがおこる。



 アザリアの直感も、アルフォードの直感も、そう言っていた。

 だからこそ、アザリアは何が危険なのか、何が怖いのか、慎重に探る。


 危険を知ることそれすなわち、事件解決の糸口に繋がると、アザリアは長年の経験からよく知っているのだ。



「久しいのぉ、我が義娘アザリアよ」



 嗄れながらも美しい声は、彼が美麗な息子王子たちの父親であることを実感させる。

 そんな声を受けたアザリアは、妖艶ながらも清楚に見える絶妙な笑みを浮かべた。



国王陛下おぐ義父さまにお眼通り叶いましたこと、恐悦至極にございますわ」


「そのように畏まらずとも良い。さあ、楽にせい」



 国王の言葉を受けたアザリアは、緊張感を抜くように肩の力を抜くふりをしながら椅子に再び腰掛ける。

 にこにこ女好きの笑みを浮かべている国王に、にこにことアザリアは笑い返す。



「して、今日はアルフォードに対する愚痴があってきたのだろう?

 相談とはなんだね。これでも余は国王だから、可愛い義娘のために便宜を図ってあげよう」


「まあ!陛下。いけませんわ、そのようなこと。わたくし如きにそのようなお心遣いをするなど………。

 わたくしは恐れ多くも、陛下にお目にかかるという幸運を味わわせていただいているのですからっ!!」



 アザリアの言葉に、国王はほっほっほと嬉しそうに微笑んだ。

 人畜無害な微笑みには、嘘も害意もない。



(なんだ、全然平気じゃない。杞憂に終わりそうで何よりだわ)



 国王の合図でたくさんのお菓子や香り高い紅茶が用意され、至れり尽せりのお茶会準備が整った。

 お菓子にはアザリアの大好きなチョコレートがこれでもかというほどに用意されており、お茶もベルガモットの爽やかな香りがたまらないチョコレートにぴったりのアールグレイで、心が踊る。



(王宮最後の活動にぴったりね)



 贅を尽くしたおもてなしに、アザリアはふにゃっと頬が緩んでしまう。

 普段は香りや体型を気にして食べられないものばかりが並んでいるということもあってか、アザリアのテンションは止まるところを知らずに上がっていく。



「さて、では食べようか」


「はい」



 国王の言葉と合図を受けたアザリアは、香り高い紅茶をこくりと飲み込む。



 紅茶からは、とろりと甘い蜂蜜の味がした———。

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