第46話 巡礼地2

 あの頃も喫茶店はあったが、こんなモダンな風景の中にはなかった。高島の町中にも喫茶店はあったが、幾らマスターが凝った珈琲を煎れてくれても泥くさい町中では、なんぼ美味い珈琲でも気分は乗らない。流石にこの神戸や京都にはない、まして古風な田舎の風景を打ち破るメタセコイアの森に溶け込むモダンな喫茶店で飲めば、あの頃と同じ珈琲でも格別な味わいが心の中まで染み渡った。あの頃は耀紅ようこと二人で財布に残る小銭をかき集めて喫茶店で飲んだ珈琲には味わう余裕がなかった。

 金の乏しい高校生が本当の愛を求めて二人が抱き合ったのも、自然の成り行きでバイクしか通らない山林や夏草が生い茂る見通しの悪い場所や田んぼだった。

「あの時は二人以外に周りが何も見えなかった。お前達を視ていると余裕のある付かず離れずの恋は羨ましい」

「そうですか、いつもヒヤヒヤさせられて堪ったもんじゃないですよ」

「でも娘は突き放す事はしないだろう。ここぞと言うときは寄り添ってくる。何が何でも一緒に居たい、そんな恋をとことん追求すると、あの世さえ見えなくなってしまうぞ」

 二人に言ったつもりが輝紅てるこに伝わった。

「でもあの頃のあたしから見れば羨ましかった。そこまで賭ける相手がいる十代なんて羨ましかった」

「へえ〜、此の素朴な風景の中でそんなひと世代半も昔の高校生でもみんなこっそりと恋の遣り取りをしてたんだ。それで呼び出す時は単純な文章さえ、想いを伝える時はかなり凝った内容にして、まさか季節の花は添えなかったでしょう」

「それ、テレビの見すぎ」

 と兼見は深紗子にアッサリと言われてしまった。

「学校では主に寺島さんがこっそり運んでいたのか」

「そこだ。どうしてもそう言う友達が居ないと、今と違ったって成就は難しかった」

「寺島さんはあれから東京へ行ったんですね」

 輝紅てるこは残念そうに言った。

「それが此の前ひょんな事で此の近くで会いましたよ」

「エッ! 帰ってきてるの」

「子供の手が離れたから離婚したんだって」

「あらあらなんて事なの。結希乃さんは今頃になって離婚だなんて。当時は姉の親友として話したい事が色々あったのに、矢張り身内じゃないから周りでは後回しにされて聞けなかった。それにあの時は集落の守り神として薪美志神社の問題で周辺では単なる身投げで住まされて、後からそれが関係していると解った頃にはあたしは転校させられて、ようやく結希乃さんを訪ねた頃には結婚してもう居ない、これなら葬儀中でも訊けばよかった」

「でも此の前に寺島結希乃さんにお会いした時は込み入った話はなかったですよ」

「当然だろう。お前らが生まれる十数年も前の話を当人でない者に喋る訳ないだろう」

「じゃあ、此の前僕らが訊いたのはほんの上辺うわべの話か」

「彼女がこの近くに戻って来ているのならあたし会いたい。まだ娘と正茂さんの動向が分からない今は結希乃の家に行きたい」

 姉の死は未だに知らない部分があり、輝紅てるこにすれば、その話をもう少し突っ込んで聞き出したい。

「当時は茂宗さんは失踪して解らないし。なんせ前日の三月三十一日は結希乃さんの家に泊まったからには姉の最期の状態を聞きたい」

「そうですね。社長は一週間後には本当に行方知れずで、妹さんの家は夜逃げするように引っ越して、四十年前の、あの、真相に迫れるのは寺島結希乃さんだけなんですね」

「お父さんは早く大阪に着いて住む所と仕事を探さないといけないと、夕方にはマキノ駅を離れて、耀紅ようこさんは一旦家に戻ったが夜には出掛けて、翌日の未明までは寺島結希乃さんの家に居た。この間、輝紅てるこさんはもう部屋で寝てたんですか」

「知らなかったのよ、てっきり姉は部屋で寝ていると思っていたから」

 まさか茂宗さんがその日に失踪するなんて姉から聞いてなかった。それだけに姉があの晩に寺島結希乃さんの家に行っていたのは姉の葬儀で聞いたけれど、慌ただしくてゆっくり話す間がなくて、そのままあたしの家は新学年を待たずに転校して、結希乃さんは結婚して東京に行ってそれっきり。今日会ったらその辺のことをゆっくり聞きたい。あの神社にはまた日を改めて陽子と一緒に挨拶に行くつもりだ。

「じゃあ此処から先は叔父さんの家には今日は寄らないんですか」

「その方が良いだろう。輝紅てるこはどうせ近いうちに娘さんと正茂と一緒に行くことになるだろう、だから今日は俺とお前達だけでもいいだろう」

「じゃあ、あたしは結希乃さんが実家に帰ってるのなら彼女の家で降ろして下さい」

「お父さんはそれでいいの ?」

「今は耀紅ようこの過去をいじりたくない。それにお前達には無関係だが、披露宴には招待してその時に聞かせてもらう」

「まあ、お母さんになんて説明するの」

「そこは得意先の会社の女社長にしとくから口を合わせろよ」

「その内にあたしとお母さんがまた喧嘩して、また新しいお父さんの過去が飛び出してきてもあたしはもう知らないから」

「まるで叩けば埃の出る身の上みたいな事を言うな、そんなに積もる話がある訳がない」 

 と突っぱねられた。

 どうかしら、と深紗子は笑った。その辺は耀紅ようこさん一遍だったから婚期も遅れて仕舞ったのかしらと揶揄やゆした。

「勿論、輝紅てるこさんもだ。正茂と陽子さんがめでたく一緒になればお前達の叔母さんになる人だからなあ」

「あの二人いつ一緒になるって謂うか、あの神社を継ぐのかしら?」

 と深紗子は思った。

「神社を継ぐ継がないは二の次で、先ずはあの二人は結婚することだ」

 これに関しては輝紅てるこも異存はなく、そうと決まると店を出た。


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