第44話 巡礼4

 兼見と深紗子が食後の珈琲を飲み終えても、まだ駐車場に停まる日産スカイラインRS昭和五十八年式の車にはまだ誰も戻ってない。向こうはまだ食事は終わってないが、二人は店を出て車で待つことにした。此処で兼見は運転席へ深紗子は助手席側に座った。

 二人が入った和食の店からはまだ出て来る様子がない。

「いやにゆっくり食べてるのね」

「店の中からも俺たちが車に居るのが見えてると思うんだがなあ」 

 二人が入った和食の店を眺めながら兼見は気を揉んでいた。四十年前はまだ高校生気分が抜けきらない。そんな世間の風を真面に受けていない者に、当時の収入ではこの車は夢の夢だからこそ、今は二人の夢を偲んで此の車に託したのか。

「俺たちの高校生時分は車なんてそんなに憧れてないよなあ」

「まあね、お父さんに言わすと持ち家なんてとても手が届かないから、せめて車だけでも持ちたかったそうよ。まあそれが社会に突き進む原動力になるんだから」

「さしずめ今なら何だろう」

「あの当時と比べても、今は比べものにならないぐらい物が溢れているから、それだけ一つの物に対しての執着心も薄れて希望も持ちにくい。でも思う気持ちだけは永遠に変わらないでしょう。お父さん世代の人はそれを見つけ出すのに尽きぬぐらいの気持ちを持ち合わせているんじゃないの」

「その象徴への入り口がこの車なのか、社長の車は、この日の為に買ったんだろう。じゃあどうして本人が運転しないんだ」

耀紅ようこさんがいない今では一種のセレモニーにすぎないのなら無意味じゃないの」

「何で」

「だってそうでしょう。耀紅ようこさんをもう乗せることは叶わないのなら父が運転しても意味がないのよ。だからあたしに頼んだのよ」

「じゃあ俺は君の付録なのか」

「あたしのパートナーじゃなかったの」

 と深紗子は彼のツボを心得ていた。それで兼見はウッと込み上げる感情を抑え切れずに悦びを露わにした。

 駐車場で待つ日産スカイラインRS昭和五十八年式の車には、社長の想い出が刷り込まれている。二人は此の車に戻る茂宗と輝紅てるこを待った。

 兼見は車のフロントガラス越しに、二人が入った店のガラス戸を注視したが、乱反射して中が良く見えなかった。

「何してるんだろう?」

「そこから見えないの? ここからだとよく見える。お父さんはしきりに話し掛けているけど、輝紅てるこさんはあたし達の車を指差しているから、きっと車に戻るように話しているんじゃないの」

「何だ! それは。口の動きまで見えるのかッ」

「見えるわけないでしょう。あくまでもあたしの想像よ」

 想像通りやっと二人が店から出て車に乗り込んだ。

「お父さん、いつまでたべってるの」

「お前に十分な休憩を取らせるためだ。じゃあ行くか」

 納得しないまま兼見は車を発進させた。此処で三人とも少し前のめりになった。やはり出だしはスムーズじゃなかった。が深紗子が変な顔をした以外は誰も黙っていた。

「二人で喋るのは耀紅ようこのこと以外にないだろう」

 そうなのと輝紅てるこさんに訊いて見ると、意外な事に的外れなことを言われる。

 それだけじゃあないわよ。初めて姉の死を報せた通天閣では驚いた。何とか服装はましな格好でしたが、その手を見て吃驚しました。豆だらけでその半分は潰れかかっていて「いったい一週間で何でこんな手になるなんて、どんな仕事をしてるの」って聴かずにはおられないほど動揺した。後で余計な事を訊いてしまったと後悔したほどでした。茂宗さんは鉄工所に勤めていて、大ハンマーで金床に出された鉄の塊を下準備の状態にするために、新入りの彼が毎日叩き続けていた。それがこの手だった。なんでそんなしんどい仕事したのか。それは早やくあの車で迎えに行きたかったのだ。でも姉の死を知ると次の日に辞めてしまった。その理由が、生きる意味がなくなった俺は姿を消すと云った。其れっ切り四十年、何の音沙汰もなかった。その年月の苦労を訊くには、さっきの時間は短すぎた。輝紅てるこさんにそう云われると兼見も深紗子も何も訊けない。

 父は死と向かい合って闇の中で生きてきたんだ。それを愚かだったと輝紅てるこさんと昨夜話して悟った。その過去を新たに見つめ直すために、捨てた故郷へあれから必死で手に入れた日産スカイラインRS昭和五十八年式の車で向かうことに意義を持たせた。

 湖岸道路を走り続けるスカイラインは高島市に入った。

「社長、高島市ですけれど」

「オッ、最初の巡礼地に来たか、先ずはJRの近江今津駅だ」

「そこで出会ったのですか」

「出会ったのはもっと先のマキノ駅だ、近江今津駅は俺たちが通っていた県立高島高校がある最寄りの駅なんだ」

「でも社長はバイクで通学されてたんですね」

「だいぶ俺の話が浸透しているようだなあ。披露宴では司会を頼んでもいいぐらいに憶えてくれたか」

 司会はないでしょう、とさっきパートナーを容認してくれた深紗子さんをチラッと眺めたが、危ないから真っ直ぐ見てと言われた。同時にそこを曲がれてと今度は社長の指示が飛んできた。暫くは社長のナビゲーターで近江今津駅に着いた。

「ここから高島高校にはどう行けばいいんです」

「俺はバイクだから実際通学していた輝紅てるこの方が詳しいだろう」

 ここから輝紅てるこさんが運転席に前のめりになり指示された。

「懐かしいわねぇ。店は新しく変わっているけれど道は当時歩いたままだわ」

 と学校が近付くにつれて彼女にはしんみりされた。それとは対照的に社長の顔は段々難しくなった。

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