第36話 輝紅3

 前回同様に炬燵布団のない食卓代わりのテーブル前に座ると正茂がミルクティーを淹れてくれた。兼見は馴れたが深紗子から、なんで、と驚いた眼差しを向けられた。おそらく深紗子はあの薪美志神社で飲んだミルクティーを想像したはずだ。兼見に差し向けられた目がそう語っている。深紗子の目の色を正確に読み取ってくれるのは兼見だけだ。これが兼見から付かず離れずに居る深紗子の心情だ。

昨日きのう、茂宗さんんから電話を頂きました。その内容は深紗子さんはご存じですか」

 先ずおもむろに輝紅てるこが切り出した。急に言われた深紗子は躊躇ちゅうちょした。

「どうした、なにを聞いたんや」

 戸惑う深紗子に兼見が催促した。 

「ごめんなさいなにも聞いてません」

 ウッと兼見は喉を詰まらせた。伝言を聞いたんと違うんか。

「でも神社を継がせるために兼見さんをわざわざ寄越したんでしょう、茂宗さんは昔の罪滅ぼしに。そう言ってましたけれど……」

 と輝紅てるこは兼見を確かめるように見た。その目に慌てて答えた。

「ええ、そうですけど」

 まさか深紗子の代役とは口が裂けても言えない。

「それは確かで、昨日は一生懸命説得されました」

 と正茂が擁護した。

 兼見は昨日会ったばかりで擁護する正茂の顔をしみじみと眺めて、此奴こいつがこんなに生真面目な男には見えへん、むしろその反対やと思ったがちごた。矢張りあの陽子さんにベタ惚れなんや。そやさかい本気で神職を投げ打っても良いと思ったのか。ちょっと待てよ。社長も四十年前は此奴と同じ思いやとしたら。

輝紅てるこさん、陽子さんの話やと、正茂さんが最期の夏休みに行った内房の海水浴場で知ったのは本当なんですか?」

「兼見さん、今更急に何の話をしゃあるんですか」

 正茂が急に話が飛んでると言いたげに割り込んできた。

「君の話や、いや、ちゃう、君の彼女の話や」

 今度は輝紅てるこさんに向き直った。

「それ以前から正茂さんを知っていたでしょう」

 と兼見は言った。

「その話はもう済んでるからいいわよ」

 兼見と輝紅さんが数秒見合っていると今度は深紗子が急に割って入った。

「済んでるってなんのこっちゃ」

 なんで此処で深紗子が口出しするのか、兼見は珍しく苛立ちすら憶えた。

「深紗子さん、あなた茂宗さんから聞いてるのね」

 昨夜ゆうべ輝紅てるこさんの連絡先が判り、父は彼女に電話すると直ぐに深紗子は呼ばれた。父の話だと、耀紅ようこさんとのデートでも妹の話題は尽きなかったようだ。それだけに郵便屋さんの寺島結希乃が届けてくれる耀紅ようこのメモに気持ちが張り付き、いつも最期のよく似た漢字の名前にはドキッとさせられた。その所為せいか彼女同様に妹まで頭にこびり付いてしまった。それだけに兼見が気を利かしたつもりだが、父には余計なお世話で、今度の甥の件で輝紅てることは会いたくなかった。しかし電話ではそんな話はなかった。そこで確かめるために、根に持ってなければ会うつもりで娘を行かせた。それが最初に深紗子が対応を変えた理由わけだ。

 深紗子は観念したように頷いた。長い髪が顎の下で合わさって微かに揺れた。

 深紗子は父から輝紅てるこに「こっちまで来て会う気はあるか」その返事は電話では聞かずに娘に伝言したのだ。だが会っていきなり聞かれて否定した。

 輝紅てるこは娘を正茂に近付け、彼に実家の神社を継ぐのを断念させたが、当人が見つかり直接会って話を聞ければ、もうどうでもいい心境になった。

「あなたを寄越したのは、最近の甥の正茂さんに対するあたしの動向を知って、あたしの今の素性が気になったのね」

 それはこっちも言いたい。姉の死を知って雲隠れするような人とは思わなかったが、正茂さんから聞きいて、だいたいの様子が分かり気持ちを落ち着けた。

「そうしたのは茂宗さんの消息を知りたかっただけよ、でも本当に真っ当に生きていてくれて安心したのよ。姉が命がけで恋した男がしょうもない相手だと解れば、姉は死んでも浮かばれないでしょう。危うく、それで私はいっときつまらない宗教団体に引っ掛かったけど。ただ神や仏はそれ以後は信じなくなっただけよ」

「それじゃあ僕はどうすれば良いんですか?」

「あなたはもう陽子次第よ。娘が此処に居たいと言えばそうしてあげて」

「じゃあ今、此処に陽子を呼んで訊いても良いですか?」

「好きにしなさい。あたしはもう帰るから」

 と輝紅てるこは深紗子に、近いうちに会いに行くと返事して、あとはもう娘の陽子次第だと言い残して部屋を出た。

「じゃあこれでお父さんからの用件は終わったのか」

「そうね、お父さんは、じか輝紅てるこさんに会ってお前の目で彼女の気持ちを確かめるように言われのよ」

「そうか、それでいきなり聞かれて最初は否定したのか」

 あなたが正茂さんに含み有るものの言い方をした。それを察した輝紅てるこさんが、それはもう済んだ話だと言われた。これで一件落着していると感じたあたしは、これで父と落ち着いて話し合えると思えた。相手の出方によっては伝言はしないで引き揚げるところだった。

「肝心の輝紅てるこさんから任されたんだから、正茂さん、如何どうする、もう実家へ帰れば?」

 もうー、そんな言い方が有りますか、と深紗子は兼見の物言いに眉を寄せた。

「陽子に会ったばかりの大学卒業前ならそうしたかも知れないけれど、今はスッカリ陽子に丸め込まれているから、そうはいかないでしょう」

「そうよね、陽子さんと二人で二年も掛けて築いたものを今日からまた元どおり改める、何て言われれば、あたしなら人格を疑うわよ」

 と今度はハッキリと語尾は兼見に向けられた。


 

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