第35話 輝紅2

 ホームを歩く二人のどちらの言い分も当たってるだけに、薪美志茂宗が此の四十年間沈黙して隠し通したツケが此の二人に重圧としてのし掛かった。それに気付いた二人は顔を合わすと笑った。

「そもそも、どうして深紗子さんはあの葛籠尾崎の風景に憧れたの」

「お母さんが気晴らしにドライブに連れて行ってとせがまれたのよ」

 それで何処が良いと訊くと、奥琵琶湖って言われて。それであの奥琵琶湖パークウェイに行った。

「行ってみて凄い風景に圧倒されて、それから気分の悪いときは気晴らしに行ったのよ」

「そうか、それでお母さんはなんで指定したの」 

「なんか、昔あそこへ行った事があって、それから気に入ってるんだけど。それを一度お父さんに話したら普段は大らかな父がえらく怒り出して吃驚したそうなのよ。それからお母さんは一度も口にしなかったのに」

「それで一度だけ深紗子さんに連れて行ってもらったんですか」

「そうよ」

 あの時は奥琵琶湖の話で、あれだけ夫が人が変わったように怒ったのか、それを一度、確かめたくて娘に頼んだ。

「だって、あそこハイウェイだけに、車がないと行けないでしょう。あの新車を買ったときに連れてってと頼まれたの」

「ウッ、車で想い出したけど、ひょっとして社長は……」

「急になんなの」

「社長の愛車。あの古い車になんで拘っているのか判った。あの車たしか、日産スカイラインRS昭和五十八年式だよね」

「それがどうかしたの?」

「四十年前の車だ。なんでそんな古い車を大事に乗っているんだろう、と思ったけど、あれは当時のバイクの代わりに、同じ頃の車だからそれで乗っているんだ」

「それってなにに拘ってるの? まさか耀紅ようこさんの自殺に……」

「ウ〜ん、今まで沈黙を守っていた社長の心中を知る手掛かりは、あの愛車だとは言えんが、なんも語らない以上はそれしか見当たらない」

 ウ〜ん、と二人は重い足取りで在来線に乗り換え、渋谷で降りてホームから改札を抜けて、二人は輝紅てるこが待っている正茂のアパートに向かった。東京には馴染みのないはずの深紗子なのに、此処でもサッサと歩いた。道案内をする兼見には、更にそれよりは速く歩くのに音を上げそうになるがこらえた。

「お父さんの話だと、そんなに気難しい人やないって云ってたけど、どうなんやろう」

 俺はもっと知らんのに訊くなと云いたいが、深紗子が歩調を落として喋り出してひと息つけた。

「不思議なんやけど、なん耀紅ようこさんは社長が大学出るまで待てへんかったんかなあ」

「だって父との仲は当時は、今日会う妹の輝紅てるこさんしか知らのんやろう」

「叔父さんの聡さんは……」

「父は一日ついたちに失踪して、その直前の三月三十一日に知らされて混乱したでしょうね」

「そうか社長は、二日の入学式には欠席で、その早朝に耀紅ようこさんは亡くなってる。と謂うことは、社長の次に詳しく知っているのは輝紅てるこさんだけか。その輝紅さんが社長にしか会わへんちゅうてるのに、なんで深紗子さんに会う気になったのかそこが分からん」

「お父さんからの伝言を預かったさかいやろう」

「なんやそれ、大事なことか?」

 ううん、と深紗子は首を横に振って、たいしたもんやないと告げながらも、いつもの覇気が一瞬消えた。

「それより、その陽子さんと謂う人と、あたしのいとこの正茂さんとはどやったん」

「どやったって言われても、普通の恋人や」

「初対面の二人に普通でない恋人って何処で見分けるの」

 初対面の相手に対していちゃつく恋人たちはいない。

「雰囲気やろう、でも貶し合っていてもずっと恋人の雰囲気でいる俺たちはどうなんやろう」

「それはあなたの受け止め方ででしょう」

「そこや、いつも気になるけど、なんとかならんのか、もっと気持ちよう受け止めたいのに……」

「それはあなたの勝手でしょう」

 と言いながらも目は笑っている。

 だが深紗子は急に睨んで、またサッサと先を歩き出した。とにかくなにが気にいらんのか無言で正茂のアパートに来た。深紗子の無言と云っても、それは我慢比べに似た様なものだ。こっちはそのつもりでも、深紗子にすれば、ただ喋るのが面倒くさいだけで、本気で気分を害していない。それが証拠にアパートが見えると、堰を切った様に喋り出したが、口調は相変わらず変わらない。

「なに! こんな奥まった所に在る、しかもかなり古いアパートなんて」

 無理もない、お父さんに叔父さんが居るのを深紗子が知ったのがついこの前だ。だから今、目の前に住んでるいとこの正茂にも会うのは今日が初めてだ。

「夜中にあの神社で会った叔父さんも、息子がこんなアパートに住んでるのを知ってるの?」

「いや、知らへん。なんせ、なかなか神社を留守に出来んさかいになあー」

 四年間は大学の寮に入っていた。院生になって此のアパートに引っ越した。それにしてもどんな人なんやと深紗子は、兼見の後に続いて二階へ上がり角部屋を訪ねた。待ちかねたように現れた正茂に深紗子が名乗った。此の前まで父に兄弟はいないと知らされていただけに、急に現れたいとこに、二人ともぎこちない挨拶を交わして部屋に入った。入って直ぐの部屋に薄手の藤色セーターに膝下のキャメル色のスカート格好で、目立たぬ薄化粧をした五十代の女性が座っていた。社長とどんな話をしたのか分からないが、兼見には予想外に穏やかな人に見えた。二人に目線が合うと直ぐに輝紅てるこは自己紹介した。正茂が兼見を紹介して、続いて深紗子が軽く会釈して名乗り、部屋に上がった。


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