第30話 陽子

 不思議なもんだ。さっきコンビニで初めて言葉を交わしたのに、もう和んでいる。矢張り神社に使える人は、こう謂うものなんか。お寺を任される人は、かなり厳しい修行を積むそうだが、神職は理論武装だけで済むのか。

「そこまで話せばわたしが此処へ来た理由わけは解るでしょう」

「それはもう痛いほど身に染みてますけど……」

「なら、なんで、お父さんの実家の神職を継がんのんや。そのために東京へ出て来たんやろう」

 大学院まで行って身に付けたもんや。その価値を十分に知っている以上は、もう言う必要はない。あとはどんな事情なのか、それを聞き出さないと、対処して先へ進めない。

「兼見はん、いとことして聞いて欲しいのやけど」

「ちょっと待て、まだ決まったわけやない」

「今、付きおうとる女がいます」

 正茂は無視して話を切り出した。

なんや急に」

「急やない、彼女のために大学院まで行ったんや」

「それが二年先延ばした理由か」

 大学卒業の半年前にある女性と知り合った。当然大学を卒業すれば彼女を連れて葛籠尾崎に帰って神社を継ぐつもりだった。

 知り合ったのは夏の房総半島の東京湾側で、内房総にある海の家だ。大学生活最後のバカンスに楡山にれやまと一緒に内房へ海水浴に行った。内房線に揺られて安房勝山の海水浴場近くに有る海の家に三泊四日泊まった。ここは前回泊まって感じが良かった。それでまた空いた日を探して予約した。ところが今度はそこの海の家で働いているバイトの女の子が可愛くて、泳ぎに来たのかナンパに来たのか判らんようになった。とにかく垢抜けした房総の海には似合わん都会的な娘だ。向こうも休み時間には砂浜にやって来て一緒に遊んだ。脱都会を目指したがあかんかった。それほど洗練されたやった。俺は奥手な方だから、今まで観賞するだけやったのが、積極的な楡山に刺激されて俺もかなりのめり込んだ。お陰で向こうにも気に入られて、東京へ帰ってから本格的に付き合い出した。

「その楡山さんのお陰で彼女が出来たんですか」

「彼はプレイボーイさ、相手に気が無いと判ると直ぐに切り替えられるから」

「それじゃあ、中々彼女が出来ないじゃあないか」

「それは女に縁の無い者のひがみごとで、彼に問題はない」

 彼は大学時代に出来た友人で、四年間の夏休みの旅行はいつも楡山と一緒やった。彼奴あいつは女の子を手なずけるのが上手かった。それでも別れ際も綺麗だ。いや、華麗だ。

「その人も神社の後継者か」

「彼は違う、そんな男に神職が務まるはずが無い。文学青年で僕も取った単位で、ずっと同じ講義を聴いていて友だちになった」

 彼は大学を出てから海外を歩き回って、ここ二年ほどご無沙汰している。

「それで海の家で知り合った彼女とはまだ続いているのか?」

 兼見は部屋の中を見渡しても、何処どこにも女の痕跡が見当たらない。

「彼女一人っ子で、シングルマザーで育てられて苦労しているから、ずっと働いて此処には休みの日に来るが、後はメールか電話だ」 

「ゆくゆくは、その人と一緒なるのか」

「ああ」

「どうして実家に報せないんだ」

「彼女は此処を離れたくないんだ」

 彼女はお母さんの許を離れたくない。彼女の母を楽にさせたい。そんな一途な思いに彼はほだされて、彼女を思えば、どうしても卒業までの半年では決められない。それで実家の神職を継ぐかどうかの結論を先延ばしするために、大学院に進んだのが本当の心境だった。

「それでもう決めたのか」

「ああ、そうだ。だからあんたが来るのが遅すぎたんだ」

 彼は大学院終了後に迷いを断ち切った。それまでの二年間は迷い続けた。もう彼女に結論を先延ばし出来る理由が消滅した。

「今からでも遅くないだろう。まだお父さんは待っているぞ。事情を説明して彼女と彼女のお母さんを説得して、実家にはもう少し引き延ばせば良いだけの話だ」

 これには彼も肩を落とした。

「兼見さん、あんたは此の二年間で、わたしがどれほど悩み苦しんだが知らないから言えるんだ」

 先ず母を思う彼女への気持ちに、どれほど心が揺れ動かされたか。それほど彼女は親思いが突出していた。それまでただひたすら神職を目指しただけに、今どきこの心情に心を打たれなければ、大学院まで進んだ甲斐がない。全ては実家に居る親の為に一心に励んだからこそ、この彼女の親を思う気持ちに、心をだぶらせて考え抜いた。彼女に固執しないでもう少し中途半端な考えであれば、あんたの誘いにも乗れた。

「まあ、全ては人の所為せいにしたくはないが、親が私に託した真面目さも時と場合によっては考えもんだと思い知らされました」

 相反するふたつの親に対する孝行を、実行する辛さを正茂は切々と訴えた。これに反論するには、忠孝のすべてを批判しないといけない。そんな不徳を出来るわけがない。

「正茂さん、あなたがそれほど心を傾けた人に会ってみたい。なんて言う人です」

霧島陽子きりしまようこ

 ようこ。ウッ、としたが、どこにでも有る漢字にひと息つけた。

「会ってどうするんです。あんたの使命を果たすことは、僕と彼女の仲を裂くことになるんですよ」  

「いや、なんとか両立する方策を探りたい」

 これに正茂は、此の人は何を聞いていたのかと呆れた。彼が修得した神職を、二年の苦悩と引き替えに掴んだ幸せを、元へ戻せと言っている。その顔から出来るものならやってみろと言う、彼の高笑いが聞こえそうだ。



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